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所長ブログ

Director's Blog
所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。
何か変だよ、日本の発達障害の医療」シリーズ *で日本の発達障害について、これまで愚痴といってもよいような感想を述べてきました。そろそろ言いたいことは尽きたかな、と思っていましたが、まだまだ尽きてはいませんでした。今回は「硬直した診断」というテーマで書きたいと思います。

2歳の時に他院で自閉症スペクトラム障害という診断書をもらっていた子どもが、セカンドオピニオンを求めて私の外来を受診されました。言葉の遅れやこだわりなどの症状があったための診断でした。ところが、その後言葉の発達が加速しこだわりもなくなり、幼稚園に就園する頃には、定型発達児と変わりなくなったために、自閉症スペクトラムという診断を改め、定型発達である旨の診断書を他院で求めたそうです。しかし「一度書いた診断名は変えられない」と医師から断られたというのです。お子さんを診察しましたが、自閉症スペクトラム障害を示唆するような行動特徴は確かに見られません。私は定型発達であるという診断書を出しました。

さて、ここまで読んでこられて皆さんはどのように思われるでしょうか。一般の方だけでなく、発達障害についての専門的知識のある方でも、自閉症という診断名を変えなかった医師の方が正しい、と思われるのではないかと推察します。

なぜなら、自閉症スペクトラムを含めた発達障害は、遺伝子が関与する生得的(生まれつきの)障害であり、基本的には治るものではない、というのが常識だからです。障害という言葉を嫌って、発達障害は「個性の凸凹」といった表現で説明する専門家がいますが、そこには「個性はその人に備わったものであり変わるものではない」という前提があるからです。

しかし私はそうした常識は、正しくないとほぼ確信しています。その理由はいくつかあります。発達障害には3つの異なる障害(自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、学習障害)がありますので、混乱をさけるためにそれぞれの障害について述べます。

まず今回のきっかけとなった、自閉症スペクトラム障害についてです。私にセカンドオピニオンを求めてこられたこの子は、以前のブログに書いたような十分な診察や行動特徴の聴取を行わずにチェックリストだけで診断した過剰診断ではないと思います。では、どうして自閉症スペクトラム障害の症状が消えてしまったのでしょうか。自閉症スペクトラム障害は、社会性や情動のコントロールの障害です。生まれたばかりの赤ちゃんはたとえその子が大きくなって自閉症スペクトラム障害を発症するとしても、生まれたばかりでは診断できません。定型発達児に育ってゆく赤ちゃんも、自閉症スペクトラム障害を発症する赤ちゃんも、新生児にはもともと社会性や情動コントロールの能力が備わっていませんから区別できませんし、ましてや診断はできないのです。定型発達児は、脳の発達と環境との相互作用の中で、社会性や情動コントロールを発達させてゆきます。ところが、自閉症スペクトラムを発症する子どもは、それらが十分に育ってこないのです。その差が明らかになる幼児期に、両者の差が顕著になり診断がつくのです。

冒頭で述べた2歳の段階で自閉症スペクトラム障害の症状のあった子どもは、社会性や情動コントロールの発達はあるものの、その発達の速度が遅かった、と考えることができるのです。あとになって発達が追いついてきたのです。後になって自閉症の症状が消えたことはこのように論理的に説明できるのです。これが、私が自閉症スペクトラム障害(発達障害の一つ)は治らない、という常識が必ずしも正しくないと考える第一の理由です。

冒頭に紹介したのは、2歳時に他の医師が診断したケースですが、2~3歳時に私自身が典型的な自閉症スペクトラム障害と診断した子どもで、その後のフォローアップの結果、5歳の就学前には、自閉症スペクトラム障害の症状が全く消えてしまったケースの経験が3例あります。私自身、狐につままれたような気持ちでしたが、自閉症スペクトラム障害が「治る」ことがあることを確信するに至った経験です。

このような経験は私だけかと思っていましたが、最近強い味方を見つけました。それは、世界の自閉症研究の第一人者である英国のバロン=コーエン博士の自閉症とアスペルガー症候群の教科書 **の中の記載にありました。「後で診断名を取り消すことができるか?」(Can the diagnosis be removed later?)、という小見出しの記述の中に、「診断を受けた人が、その診断名を一生必要とするわけではありません」とちゃんと書いてありました。さらに、診断名はある時点での症状をもとにつけられるものであり、診断の根拠になった症状が軽快し、さほど困難を来さないようになった時点で、診断名は不要になる、と続きます。そして自閉症スペクトラム障害の中でも、軽度のアスペルガー症候群や高機能自閉症ではそのようなことがあり得る、と結んでいたのです。

では、なぜバロン=コーエン博士は、このように言い切ることができるのでしょうか。それは、自閉症という名称が、自閉症スペクトラム障害に変更されたことと深く関わっています。

バロン=コーエン博士の本には、従来の自閉症の捉え方として、下のような図が示されています。

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出典:Baron-Cohen, S.(2008) p.21


これは、まだ自閉症の罹病率が0.04%と言われていたころ、自閉症は健常と連続性のない独立した障害と思われていた頃の考え方です。自閉症と健常の間にギャップがあることにご注意ください。

この図に続いて、現在の自閉症の考え方が次の図で示されています。

chief2_01_73_02.jpg
出典:Baron-Cohen, S.(2008) p.25


最初の図と一番違うところは、健常とアスペルガー症候群(AS)と自閉症が切れ目なく連続しているということです。そしてこの連続体のことを「自閉症スペクトラム」と呼んでいるのです。切れ目がなくなったことで、症状の軽快によっては、自閉症からアスペルガー症候群あるいはアスペルガー症候群から健常と診断が変化することがありうるのです。

私が本ブログのサブタイトルに「硬直した診断」と書いたのは、冒頭でご紹介した「診断書を書くのは一回きり」と言った医師が、従来の自閉症の捉え方に未だに拘泥していることを言いたかったからなのです。

注意欠陥多動性障害と学習障害については、次回に述べたいと思います。


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自己肯定感が低いこと

2019年5月24日掲載
本ウェブサイトの「データで語る日本の教育と子ども(第3回参照)」(木村治生著)でも触れられているように、日本の子どもは自己肯定感(自尊感情)が低いといわれています。自己肯定感が低く本来もっている能力を発揮できないとすると、日本の未来にとって憂うべきことです。保育・幼児教育の分野の、子どもの自己肯定感を高めようというキャンペーンも、日本の子どもの自己肯定感が低い、という言説の影響だと思われます。

確かに低すぎる自己肯定感は困りものですが、日本の子どもの自己肯定感は、世界の中でも低く、またそのための弊害がでているのでしょうか。

子どもは生物学的な要因(遺伝子)と周囲の環境から影響をうけながら発達してゆきます。子どもは言語や社会的文化的習慣を、周りの大人から学んでゆきます。例えば国民性と呼ばれる社会的文化的行動特徴は、周りの大人をロールモデルとすることによって引き継がれてゆくのです。 

では、子どもの自己肯定感は、周囲の大人から影響を受けるものなのでしょうか。ここに興味深い研究結果があります。Schmittという研究者は、世界53カ国の大人の自己肯定感を世界的に定評のある評定尺度(Rosenberg)を使って比較する、という研究を行っています *。日本はジェンダーギャップ指数などが世界で最下位という不名誉な立場にありますが、子どもの学力や健康指数では、これまで世界のトップを争ってきました。経済力や科学研究などの分野においても、少し勢いが下がってきたとはいえ、決して世界の中でひけをとらない立場にいます。そうした社会状況の中にいる日本の大人の自己肯定感はどうなっているのでしょうか。

Schmittさんの調査では、なんと日本の大人の自己肯定感は53カ国中最低だったのです。最下位5カ国は日本、香港、台湾、バングラデシュと4カ国がアジア圏の国で占められ、アジア以外ではチェコのみでした。これらの国に共通することを考えてみても思いつきません。経済的な発展ではありませんし、宗教でもなさそうです。理由はどうあれ、日本の子どもは世界一自己肯定感の低い大人に囲まれて育っているのです。

保育や教育界では、子どもの自己肯定感を如何に高めるかさまざまな努力がされていますが、大人の自己肯定感を高めることが必要だという話はあまり聞きません。前述のジェンダー格差に関することなど、分野によっては世界の標準と比較すると改善の余地のあるところはあるとは思いますが、日本の多くの大人は、日本は世界の中で比較的ましな国であると信じているのではないでしょうか?

ですから「そうした自分自身の自己肯定感の低さを棚にあげて、やれ子どもの自己肯定感が低いとか、やれ自己肯定感を上げなくてはならない、といっている大人のなんと多いことか!」とチコちゃんに叱られそうな状態(笑)なのかもしれません。

とはいえ、子どもの自己肯定感が世界一低いとしたら、チャイルド・リサーチ・ネットとしては、傍観しているわけにもいきません。長い人生が待ち構えているのですから、せめて大人よりは高い自己肯定感をもってもらいたいというのは、自然な感情だと思います。

そこで私は、文部科学省から科研費 **を頂いて、日本と近隣のアジア3カ国の5歳児と7歳児の自己肯定感を比較する研究を行いました。大人の自己肯定感の評価は、自分で記入する質問紙を使いますが、子どもの自己肯定感は親が記入する質問紙による方法と、子どもにも分かりやすい絵を使って子ども自身に答えてもらう方法(Harter Pictorial Scale)を併用して、親の主観や子どもの言語力を勘案した調査方法を採用しました。

調査の結果、親による評定、子ども自身の自己評定どちらでも、日本ではないある国の子ども(5歳児、7歳児)の自己肯定感が、最も低いことが分かったのです ***。日本はその国に次いで低かったのですが、少なくとも日本の大人のように世界一低くはなかったのです。またすべての国で、5歳児に比べて7歳児の方が低い自己肯定感をもっていました。小学校にあがることで自己肯定感が低下するのです。

日本の大人の自己肯定感は低いのですが、前にも述べたように、その低い自己肯定感をもつ大人たちが構成している日本の社会は、経済、科学、安全などの多くの部門で世界の中で決して見劣りするような社会ではないと思います。またここでは国名は述べませんが、子どもの自己肯定感が日本より低いという結果が出た国は、アジアの国の中では社会、経済、文化の面で、かなり繁栄している国なのです。

低すぎる自己肯定感を向上させる努力は必要ですが、あまり自己肯定感という心理的尺度に縛られる必要はないのではないでしょうか。


  • * Schmitt, D.P., & Allik, J.(2005). Simultaneous administration of the Rosenberg Self-Esteem Scale in 53 nations: exploring the universal and culture-specific features of global self-esteem. J Pers Soc Psychol. 89:623-642.
  • ** 2014-2017 文科省科研費 基盤研究(B)日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか〜アジアとの比較と要因研究、研究代表者 榊原洋一
  • *** 榊原洋一他、(2017)アジアにおける子どもの自尊感情の国際比較、チャイルド・サイエンス. 14:39-43. https://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/pdf/14_sakakihara.pdf
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この間、私の外来に1歳台の初診のお子さんが立て続けに2人受診されました。私の経験では、お子さんの年代によって受診の理由に特徴があります。1歳台ですと「まだ歩かない」などのご心配が多く、2歳を過ぎると、「まだ言葉がでない」とか「落ち着きがない」という理由が増えてきます。

しかしこの同日中に引き続いて来られた1歳7ヶ月の男児と1歳9ヶ月の女児の受診の理由はともに「自閉症の疑いがあると言われた」というものでした。 自閉症は言葉や社会性の発達がはっきりと見られる3歳位になって診断されることが多いのですが、早期発見・早期療育(治療)が有効だということで、できるだけ早期に発見しようというスクリーニングの方法が開発されています。

さて早期スクリーニングの方法としてよく知られているのがM-CHATと呼ばれるチェックリストです。保護者(多くは母親)が23項目の簡単な質問をチェックするだけで、子どもに自閉症のリスクがあるかどうかが簡便に分かるというものです。そしてチェックリストのなかに書かれた子どもの行動の中で重要視されているのが指差し行動で、M-CHATの23項目中3項目が指差し行動に関するものです。

今回受診された1歳9ヶ月の女児は、1歳半健診で「指差しをしない」「クレーン現象がある」ということで自閉症を疑われていました。クレーン現象とは、自閉症の子どもによく見られる行動で、何か欲しい物を取って欲しい時に親の手首を持って、欲しいものに近づける行動です。健常児(定型発達児)では、欲しいものがあるきには「ジュース(ちょうだい)」のように言葉で要求したり、欲しい物を指差して「これ」と示すのが普通です。クレーン現象は、自閉症の子どもだけに見られるものではなく、要するに言葉で表現できないための行動です。

診察室でこの女児の名前を呼ぶと、返事はしませんが、こちらを見ます。指差しが出ないというので、絵本を見せながら「◯◯はどれ?」と聞いてみました。最初は上手くいきませんでしたが、すこし慣れてきた時点で、町の中の様子を描いたにぎやかな絵を見せながら「わんちゃんはどれ?」「にゃんにゃんはどれ?」と問いかけると、絵の端から端へと視線を行き来させて探し、犬と猫の絵を指差すことができました。さらに、「ばんざいしてみよう」と声かけをするとスカートの裾をつかんで脱ごうとする動作が見られました。「ばんざいしよう」は幼児の場合、衣服を脱がせる時に日本中の多くの親が使うかけ声です。この女児は他者の意図を理解することができる、というのが私の判断です。いうまでもなく自閉症の中核症状は他者の意図の理解困難です。

1歳7ヶ月の男児も1歳半健診で、応答的な指差しをしない、といわれ自閉症が疑われました。健診場面では指差しが出ないものの、自宅では絵本を見ながら絵を指差してその名前を呼びながら遊ぶことができているために、セカンドオピニオンを聞きに受診されたのです。健診の場では「早く療育を始めないと後が大変」と言われたそうです。視線が合わないとも言われたようですが、私が診察の場でその子の名前を呼ぶと、ちらりと私の顔を見ます。顔の参照という社会的な行動ができている証拠です。「この子は色の理解も十分できていないようだとも言われました」と母親が心配していることもあったので、様々な色のクレヨンの絵を見せながら、「◯◯色はどれかな?」と問いかけました。するとほぼすべての色のクレヨンを正しく指差ししたのです。また健診の場でできなかった応答的な指差しの発達には個人差があり、1歳6ヶ月時点ではやらない子どももいるのです。

前述したM-CHATは自閉症のリスクを検出するのに有効ですが、自閉症のリスクがあると判定された子どもでも、のちに自閉症と確定される子どもは約半数(54%)であることが報告されています *。また自閉症と確定された子どものうち3分の2は、M-CHATでは陰性(自閉症のリスクは低い)という研究報告もあります **

でも、自閉症のリスクが少しでもあれば早めに療育を始めることの意義があるではないか、という反論が聞こえてきそうですが、残念な事に早期の自閉症の療育自体、その有効性が不確実なものが多いのです。

発達障害には早期発見・早期療育が有効である、という誰でも首肯できる言葉を信じて、約40年前私たち小児科医は間違いをおかしました。脳性麻痺のリスクの高い未熟児に対して、ボイタ法と呼ばれる診断手技を行い脳性麻痺を「早期発見」し、ボイタ訓練という理学療法で脳性麻痺を未然に予防することができると思っていたのです。実際は、未熟児はまだ運動発達が未熟で、脳性麻痺の子どものような反応がまだ残っているのを、脳性麻痺の前段階と誤って解釈していたのです。ボイタ法訓練を行わなくても、自然に良くなっていったのです。

M-CHATは確かに自閉症のハイリスク状態を検知することができます。陽性(リスクあり)とされた子どもの約半数が後に自閉症と確定診断されます。しかし、別の言い方をすれば約半数の子どもが自閉症にはならないのです。

かつてアメリカで行われた大規模な疫学調査では、過去から現在までに自閉症という診断を受けた子どもは全体の1.8%いることが分かりました ***。単純に考えると自閉症の有病率(発生率)は1.8%ということになりますが、この調査の結論は有病率1.1%なのです。それは、現在でも自閉症と診断されている子どもは1.1%で、0.7%の子どもは「かつて自閉症と診断されたが、現在は自閉症ではない」のです。

ボイタ法で脳性麻痺のリスクが高いと診断された多数の子どもの親は、心配を抱えながら長い期間にわたって子どもを訓練に通わせなくてはなりませんでした。そしてこの親の心配と苦労はすべて必要のないものであり、その咎は小児科医が背負うべきことだと思っています。

私が診た1歳台の2人の子どもは、多分過剰診断だったのですが、たとえM-CHATのようにその有用性が確立された方法で結果が陽性であったとしても、必ずしもすぐに療育に結びつける必要はないのです。

ボイタ法の教訓で学んだように、判断が早すぎるのは良くないこともあるのです。


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参考文献
  • * Chlebowski, C. et al. Large-scale use of the modified checklist for autism in low-risk toddlers. Pediatrics, 131:1121-1127, 2013.
  • ** Stenberg, N. et al. Identifying children with autism spectrum disorder at 18 months in a general population sample. Pediatr Perinat Epidemiol. 28:255-262, 2014.
  • *** Kogan, MD, et al. Prevalence of parent-reported diagnosis of autism spectrum disorder among children in the US, 2007. Pediatrics, 124:1395-1403, 2009.
 
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誰も置きざりにはしない

2019年4月12日掲載
パナマで開催された国際小児科学会に参加してきました。国際小児科学会(International Pediatric Association: IPA)は世界各国の小児科学会の連合体で、現在150近くの国(の小児科学会)が参加している国際組織です。小児科医を40年以上していますが、お恥ずかしいことに今回が初めての参加でした。言い訳になりますが、若い頃は国内の学会や自分の専門分野の内外の学会に参加するだけで忙しく、全世界の小児科学会が集まるIPAは、いわば各国の小児科医の代表が集まるお祭りのようなものである、という先入観がありました。もちろん、CRNの創設者である小林登先生がこのIPAの会長をつとめられたことがあることは知っていました。小林先生の広い国際的人脈もIPAの会長をなさったことが関係していると思います。

今回パナマという遠隔地であるにも関わらず参加した契機は、その分科会で学習障害について話をしてくれないか、と依頼されたためです。

パナマといえば、パナマ運河のある中米の国というくらいしか事前の知識はありませんでしたが、首都のパナマシティーは人口百万人近い大都市で、シンガポールや香港を思わせる高層ビルの立ち並んだ近代都市であることを知りました。

あまり大きな期待はせずに参加したのですが、学会のプログラムはすばらしいものでした。通常、小児科関係の国内の学会や専門分野の学会では、そのプログラムの大部分は、様々な子どもの病気の治療や予防に関するものです。しかしIPAでは、学会を通じて小児科医の使命が前面に押し出され気迫のこもった発表がたくさんありました。使命とは国連の「持続可能な開発目標:(Sustainable Development Goals: SDGs)」の実現です。国連は世界中の人々が現在から未来にかけて幸福な人生を送ることを可能にするための目標として17の分野のゴールを掲げています。持続可能という言葉があまり日本語としてこなれていないので、私も少し誤解していましたが、要するに一時的な目標ではなく、目標達成までやり遂げるぞ、という意思表明なのです。医療は17分野の1つに過ぎませんが、IPAでは医療に関わらず子どものQOLを向上させるために必要な他分野(教育、環境、平和、きれいな水の確保、貧困、飢餓)にも積極的に関わろうという強い使命感を講演や発表の中に感じる事ができました。低〜中開発国が多いことや、国連と一緒に活動することが多いIPAならではの特徴ということもできますが、世界各地の貧困や低栄養、子どもの命を奪う紛争や感染症に関する講演が大半を占めていました。

様々な講演や発表を聞きながら私はあることに気がついたのです。IPAの課題はCRNの課題と大きく重なっているのです。学会で取り上げられた子どもとメディア、発達障害、虐待防止、母子保健などに関する課題は、どれをとっても、私たちがCRNの重要課題と見なしていることです。そして、IPAの会長の経験をされた小林先生がCRNを創設された理由が分かったような気がしました。

国連の提唱したSDGsにはとてもすてきなスローガンがついています。それが表題の「誰も置きざりにはしない(No one will be left behind)」です。

乗り継ぎを入れて片道20時間以上の長旅で疲れましたが、充実した経験に満足して帰国しました。CRNもNo child will be left behindのスローガンを掲げていきたいと思います。

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連日報道される児童虐待の痛ましい事件に、胸を痛めておられる方も多いと思います。児童相談所への通報件数は、毎年うなぎ上りに増えており、ほんの数年前に年間5万件を突破したと思っていたら、瞬く間に12万件に達しています。虐待によって命を奪われた子どもの数は、通報数ほど増加していませんが、それでも親子心中を除いて50人くらいの子どもが犠牲になっています。

こうした事態を受けて、ある放送番組で児童虐待の専門家による討論会があり、私も視聴する機会がありました。短時間で児童虐待にかかる諸問題全体の議論は無理だとは思いますが、主に児童虐待の恐れのある家庭への児童相談所の関わりの体制の改革と、警察の介入に話が集中していました。そしてつい最近になって政府が、体罰の法的禁止と児童相談所の組織改革を骨子にした法制化を行う方針を打ち出しました。

体罰禁止を法制化した国は、80カ国程度と言われており、日本もその仲間に入ること自体は歓迎すべきことと思いますが、今一つすっきりと喜べない気持ちがあります。その理由に、体罰禁止法の制定だけでは、体罰や虐待の減少にはすぐには繋がらないというこれまでの諸外国での経験があります。最初に体罰禁止法を制定したスウェーデンでも、それだけでは虐待件数の減少には繋がらず、国民の体罰や虐待に関する姿勢が変わって初めて実効が得られたのです。放送番組の討論会で強調されたのは、児童虐待を行なっている家庭への介入を強化することであり、児童虐待が起こった後の対策に偏っており、いかに児童虐待が起こらないようにするかという議論がほとんどなされていませんでした。虐待にあたる体罰をすでに行なっている家庭では、体罰禁止法の制定によって、隠れて体罰を行うようになってしまう危険性もあります。

さて、虐待の多い年齢である乳幼児の多くは保育園あるいは幼稚園に通っています。日本の保育は以前にブログでご紹介したTobin先生によれば、「見守り」という姿勢が特徴であると言われています。日々の保育活動の中で保育者さんや幼稚園教諭は園児の様子や親子関係から、虐待の兆候に気がつくチャンスが多い立場であると思います。保育関係の団体の中には、保育園の役割の一つに虐待の早期発見をあげているところもあります。しかし実際の対応は、個々の保育者さんに任されていることが多く、虐待の兆候のある子どもに対する対応を組織だって行う体制は不十分のように思います。超多忙な保育業務の中で、虐待の恐れのある保護者に個人的に対応することは容易ではありません。

先日ある大きな保育団体の会合で、虐待防止に保育園の役割を期待する旨の発言をしたところ、保育者の研修項目の中に虐待がすでに入っており、一人一人の保育者が虐待に対する認識をもつことが重要だ、という返事が返ってきました。一人一人の保育者の認識を深めることはもちろん重要ですが、私は保育団体が組織として対応するべきだと言いたかったのです。例えばその保育団体に加盟している園で、保育者が、ある園児に虐待がある可能性を感知したときに、保育者あるいは園だけで対応するのではなく、保育団体の担当部署が児童相談所などと連携を取りながら対処するといった「組織的」対応を期待したのです。保育団体では、保育者のカウンセリングの資質の向上のプログラムを準備したり、あるいは園が関わる裁判案件への支援などの事業は行なっています。今こそ、保育団体の事業として、虐待の防止に向けた組織的な取り組みをより強化すべきではないでしょうか。なぜなら保育園にはもともと子どもの擁護という使命があることを考えると、近年の虐待の急激な増加は、保育園のせっかくの使命が十分に果たされていないことを示唆しているようにも思えるのです。

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