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何か変だよ、日本の教育(8) 5歳児健診への憂慮 インクルーシブ教育に逆行?

こども家庭庁の目に見える政策の一つとして「5歳児健診の義務化」が発表されました。この政策を支援している政党のウェブサイト*1には、「安心の就学へ『5歳児健診』」とうたわれています。

私はこの政策に対して大きな懸念を抱いています。 読者の皆さんには、なぜ私が懸念をもち憂慮しているのか、以下にその理由を述べたいと思います。

私が懸念を抱く理由は、5歳児健診の理念の中心にある、子どもの行動の課題を就学前に早く発見することが、本当に子どものためになるのか、ということです。

健診を推奨する人は、以下のように考えておられると思われます。

  1. 就学前に、学校での生活や活動に困難をきたすような行動の特徴を早期に見つけ出す。

  2. 心理士や児童精神科などの専門家がそれらの行動の課題を診断し、それをもとに療育などによって就学前に矯正する、あるいは適切な就学先を助言する。

  3. 行動の特性が矯正された子どもが、スムーズに学校生活に入ることによって、子ども自身の困難、保護者の心配、そして教師の苦労が軽快される。

もしそうである場合、この仮説が制度的にうまく行くのか検証してみましょう。 義務化されると都道府県では、約90万人(2022年時点)*2の5歳児の行動を健診で確かめなければなりません。子どもの行動の健診は、他の年齢で行われている、身体計測や心臓の聴診、あるいは視力検査のように短時間では済みません。保護者に前もって記入してきてもらう子どもの行動は発達のチェックシートを利用しても、最終的には一定時間子どもの行動の様子や他者との関わりの様子を観察する必要があります。ちなみに筆者の場合、発達に特性のある子ども(発達障害など)の診立てには、少なくとも30分(理想的には1時間)かかるのが現状です。

さて文科省の調査*3では、発達障害などの行動特性のある子どもは全体の8.8%いることが分かっています。5歳児健診では発達障害などが疑われた場合、児童精神科などの診断のできる専門家の二次検診を受けるとうたわれていますが、専門家が払底しており、初診までの待機時間が8ヶ月という極端なリソース不足の現状をどのように乗り越えるのでしょうか。たとえ理念(早期発見)が良くても、それを実施する体制が整っていないところで制度化すると、混乱が起こるだけです。5歳児健診を推奨する政党のウェブサイトには、専門家の例として児童精神科が挙げられています。その考え自体は妥当なのですが。現在日本には児童精神科の医師は560人しかいないのです。発達障害の可能性のある子どもは文科省の調査によれば子ども全体の8.8%ですから、5歳児人口が90万人だとすると、年間7.9万人程度見つかることになります(90万人×8.8%=約7.9万人)。1人の児童精神科の医師が1年間に1人当たり130人近くもの5歳児健診の二次検診の子どもを、普段の患者さんの上に積み増して診療しなくてはなりません。実際には発達障害の子どもの多くを、児童精神科だけでなく私の専門である小児神経科の医師も診療しています。小児神経科の医師で発達障害を積極的に診療している医師は400人前後いますが、それでも普段から臨床で忙しく初診まで8ヶ月も待ってもらわなくてはいけないくらいの繁忙な医師が、5歳児健診による大勢の二次検診の受け皿になれるのでしょうか。理念が良くても、このような設計上の問題が解決されなければ、例えば「発達障害などの可能性がある」と5歳児健診で判定された子どもの親の多くが、専門家の診察を受けられずに不安の中で過ごさなければならない状況が生じることは必定です。

この政党のウェブサイトには、現行の就学相談(任意)では、発見から就学までに時間が短く、十分な対応ができない、だから子どもが5歳になったときに全員健診を受ける方が良いのだ、とあります。多くの就学相談は、秋ごろに行われますから、5歳の誕生日の近くに健診を行えば、就学までの時間に余裕があるというのです。

不登校減少がその効果?

このウェブサイトでは「発達の特性を早く発見」して療育などを行えば、「多くの子どもたちが通常学級でも問題なく学べるようになる」とし、さらに「実際に、5歳児健診を導入した自治体では不登校が減ったという研究もある」と書かれています。

その研究*4を探して内容を見てみました。この研究は九州のある自治体で、5歳児健診を先行的に9年間行った結果を示したものです。調査期間中の不登校児童数も同時に調べたところ調査初年に3人だった不登校事例が、2人→3人(この年から5歳児健診が始まる)→2人→4人→5人→4人→0人→1人→0人と変化したことから、「5歳児健診が不登校を減らした」としています。この研究を行った医師は、不登校児童が減少したことが有意であることをきちんとした統計手法を使って証明しています。しかし、5歳児健診の実行が、不登校減少の原因であることについてはそうした統計学的な分析は行わずに、「5歳児健診が不登校を減らした」、つまり「因果関係がある」と結論しているのです。不登校児童数の減少と5歳児健診の実施の間に関連はない同時並行の出来事である可能性を吟味していないのです。

こうした分析上の問題に加えて、そもそも5歳児健診の意義を不登校の減少で判断して良いのかという根本的な問題があると思います。

インクルーシブ教育に逆行?

このように、いろいろ問題のある政策ですが、私の最大の懸念は、別のところにあります。

世界的にインクルーシブ教育の重要性が認識され、多くの国々が国連の障害者の権利条約を批准するという形で、インクルーシブ教育を推進しています。しかし、2022年に国連の調査団が批准国である日本のインクルーシブ教育推進の状態を視察し、「日本ではいまだに分離教育が行われている」という警告が出されました。当時、障害者権利委員で、報告担当であったヨナス・ラスカス氏は、日本で、障害をもつ子どもの教育に関してみられる後退について懸念を表し、「ある新しい法令は、障害をもつ子どもの分離教育をむしろ推し進め、子どもたちに医学的検査を受けさせ、その結果インクルーシブ教育を拒否するようになっている」と述べています。

これまでは任意だった就学相談が、5歳児健診という形で義務化されることで、全ての子どもに「医学的検査」を受けさせ、その結果、子どもを特別支援学級・特別支援学校に措置選別するという「反インクルーシブ教育」を促進することになるのです。

事実、不登校が減ったという自治体でも、5歳児健診において8年間に56人の子どもが発達障害と診断され、38人が普通学級に就学した、つまり18人(56マイナス38)が特別支援教室ないしは学校に措置選別されているのです。その数は決して多くないとは言え、義務化された5歳児健診が、分離教育の入り口となっているのです。

文科省は、地域における特別支援教室や特別支援学校は、インクルーシブ教育機関と位置付けていますが、国連の調査団の判断から伺えるように、それは世界の趨勢とは相容れないものなのです。



筆者プロフィール
sakakihara_2013.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。小児科医。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠如多動症、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「はじめて出会う 育児の百科」(小学館)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)、「子どもの発達障害 誤診の危機」(ポプラ新書)、「図解よくわかる発達障害の子どもたち」(ナツメ社)など。
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