以前もこのブログで、主に医師などの専門家による発達障害に関する「新しい名前付け( タグ付け)」について触れてきました。学会での検討などにおける多くの専門家による同意なしに、個人の医師が発達障害の分類を提案したり、新しい名前を付けて公表することによって、専門家はもちろん一般の人に、不安や混乱を持ち込んできていることに危惧を感じていました。
「発達凸凹」や「発達障害もどき」などは幸いにもあまり流行していないようですが、「グレーゾーン」は残念ながら定着してきています。繰り返して言いますが、グレーゾーンは診断名ではなく、診断の基準(ちゃんとあります!)まで至らないが、発達障害と見粉うような症状があったりする「怪しい」状態に付けられた名前です。はっきりした定義がありませんから、当然それに対する対応法、治療法などはありません。それが現在、ちまたで多く使われることによって混乱と不安を作り出していると思います。
最近、さらにびっくりすることがありました。よく知られた発達障害の専門家でもある人が、(教育界で根拠なしに使われている)知能指数が70から85の領域に入る子どもたちを「境界知能(児)」(ボーダーライン)と呼び、子ども全体の14%(1,700万人)がそれに相当すると発表したのです。知能指数は平均値を100として富士山のような「ベルカーブ(正規分布)」で分布することが分かっています。医学的には(便宜的にですが)知能指数70未満を知的障害と定義しています。教育界では知能指数70~85を「ボーダーライン」あるいは「境界知能」と呼び、通常学級での学習に困難が出やすいグループとしています。こうした子どもは通常クラスの授業についていくのが困難で、自己肯定感の低下や不登校になりやすいというのです。
私には理解できないのが、こうした子どものグループを切り分け「ボーダーライン」とタグ付けする理由は何でしょうか?
知能指数は子どもの生物学的な特徴であり、日本中、いや世界中どの小学校に行っても、一定の割合で知能指数が70〜85の子どもはいるのです。知能指数の個人差は当たり前のことであり、何らかの方法で知能指数を揃えることなどできません。学習が困難で授業についていくのが困難な子どもに対して、子どもの個別性を理解して適切な教え方をするのが、教師というプロフェッショナルの仕事のはずです。わざわざこういう子どもたちを切り離して、タグ付けをする理由が全く分かりません。
もちろん現場の教師の方々は、教育指導要領に従った授業内容が理解できない子どもへの対応で苦労されていると思います。教育現場では、教育指導要領に基づいた授業内容を理解できない子どもたちへの対応が大変であることは、先生方にとって大きな課題であると理解しております。しかし、こうした難題に取り組むことこそが、教師という専門職の責任であり意義であると考えています。医師が困難な病の治療に尽力するのと同様に、教師もまた子どもたちの成長を支えるプロとしての役割を果たしていらっしゃいます。
そこでもう一つ発想を変えてみると、子どもの14%(1,700万人)がついていくことが難しい教育カリキュラムは、そのままでいいのでしょうか。
メキシコのモンテレイという都市で開催された国際幼児教育学会(Encuentro Internacional de Educaciòn Inicial y Preescolar:第17回大会2017年)に招かれて講演をしたことがありますが、そこにフィンランドから参加していた教育研究者から興味ある話を聞いたことがあります。
フィンランドの小学1年生の算数のカリキュラムを専門とするこの研究者は、子どもの心理発達を詳しく研究すると、「現行のフィンランドの算数カリキュラムは1年早すぎた」というのです。詳しく話を聞くと、そのために「最近フィンランドでは、現行の小学1年生用のカリキュラムを1年遅らせ、2年生から学ぶことにした」ということでした。さらに南米の数カ国の小学算数のカリキュラムのアドバイザーであるこの研究者が、この方針を南米の教育関係者にアドバイスしたのだが、ほぼ押し並べて「現行のカリキュラムをより年少の子どもから始めたがっており、それを説得するのは無理だった」とため息をついていました。
14%もの子どもがついていくのが困難なカリキュラムだったら、日本もフィンランドのようにカリキュラム内容を「遅らせる」(より易しいものにする)というオプションを検討したらどうでしょうか?
子どもをカリキュラムに合わせるのではなく、カリキュラムを子どもの実態(14%がついていかれない)に合わせたらいいのではないでしょうか?
インクルーシブ教育に背を向けて、ついていかれないグループの子どもをタグ付けして切り取るのが、日本の行き方なのでしょうか?