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所長ブログ

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何か変だよ、日本の発達障害の医療(11) 発達障害の診断書は永久不変ではない

勤務していた病院の定年をとっくに過ぎた私は、現在週に1回、個人の医院の一室を借りて発達に困難のあるお子さんの診療を細々と続けています。雨の日や寒い(暑い)朝は、もっとベッドに潜っていたい気持ちを抑えて、老体にむち打って出かけています。

でも上記のような辛い気持ちは、実際に困っているお子さんを診察し、ご家族に安心していただけるという体験によって吹き飛んでしまうのです。先日も午前中に数人のお子さんを拝見しました。診療の終わったお昼過ぎには、私もまだまだ人のために役に立つことができるという満足感と、これまで「何か変だよ」と言い続けてきた日本の発達障害の医療の問題点をそのままにしていては、まだまだ引退できないという気持ちがみなぎってきました。

以前のブログで書いたことがあるかもしれませんが、私は初診のお子さんについては、紹介状を読んだり親御さんから受診理由を伺ったりする前に、子どもと2人(親御さんも同席)になり、いろいろ質問し、絵本を見せて子ども本人の返答や仕草を観察します。発達の遅れや自閉スペクトラム症の特徴のある子どもは、この最初の面談で大体の見立てができます。

この日の最初のお子さんは、7歳の男児でした。例に倣って、この男児にいろいろな質問をして、意図理解(質問をされているということ)、モラルジレンマの質問(両親のいるところで「母親と父親のどちらが好きか?」と問う)、友人の名前、そして最後に将来大きくなったらどんな職業に就きたいか、等です。質問に答える時の視線や顔の参照(社会性が育まれている場合にみられる行動)も注意して観察しました。

男児は私の質問にハキハキと答え、両親のどちらの方が好きかと言う質問(モラルジレンマ)には、一瞬両親の顔を参照したのち、「どっちも」と十分に社会的忖度のある答えを返しました。将来の職業について聞くと、「まだ分からない」とこれも妥当な回答です。就学前の子どもでは、「サッカー選手」「ケーキ屋さん」「電車の運転手」といった夢や憧れの職業を答えることが多いのですが、小学生になると、自分をより現実的に見つめるようになり、「まだ分からない」という答えが多くなります。

短時間のインタビューの結果、私が抱いたこの男児の見立ては、発達障害のタイプ(自閉スペクトラム症、注意欠如多動症)あるいは知的遅れではないという印象でした。

ここで改めてご両親から受診の理由を伺ったのですが、それはこの7歳の男児は現在「特別支援級」に通っていること、知能検査(田中ビネー)ではIQは88、そして就学前に地元の支援センターの医師から自閉スペクトラム症という診断(書)をもらったが、親としてこの子のどこが自閉症なのか納得できないということでした。自閉症という診断をした理由には、「指示に従えない」「自分のやりたいことをする」といった非特異的である(つまり自閉症の診断基準にある決定的な症状ではない)ことが、診断書を発行した医師の説明書に書かれていました。現在、特別支援教室の2年生ですが、教師の立場からもこの男児に授業中支障となるような行動はなく、3年生からは特別支援教室に在籍しながら、授業は全て通常学級に参加させると言われている、ということでした。

子育てで何か困ることはあるかを伺ってみたところ、こだわり行動や感覚過敏もなく、特に気になっていることはない、ということでした。

子育て上、気になることもなく、また小3から特別支援学級に在籍しながら、通常学級に参加してもらうことになり、良かったではないか、何を親は心配しているのだ、と思われる方も多いと思います。

しかし、私はこの親御さんの話を聴いて「デジャヴュ」(どこかで見た/聞いたことがある!)と思いました。そして、ご両親に「私に何をお望みですか?」と聞いてみました。 親御さんのご希望は、「新たに診断書を発行していただけないでしょうか?」というものでした。

幸いなことに日本では医師の書いた診断書の信憑性が社会的に認められています。しかし時に誤診や過剰診断があり、そのためにセカンドオピニオンを求めることができるような仕組みがあります。 自閉症や注意欠如多動症は、その基礎に遺伝的な要素があり、専門家の間でも、一生その特徴は残ると信じている人が少なくありません。しかし自閉症や注意欠如多動症では、ある時点で書かれた診断書の診断名と本人の現在の状態の間に乖離かいり が生じることが珍しくないのです。一つは、長じるに従って、診断の決め手となった症状が軽快し、発達障害のタイプによらず日常生活上の支障がなくなることがあります。自閉症の世界的な権威であるバロン・コーエン博士もその著書*1の中で、自閉スペクトラム症の症状がほとんど目立たなくなることがあり、その時には診断も臨床的に消滅する場合があるとはっきり書かれています(「何か変だよ、日本の発達障害の医療(5) 硬直した診断」参照)。

そしてもう一つの診断名の消滅が、私が最近診た男児の例のように、最初の診断が「過剰」診断である場合です。
私が「現時点でのこの子の診断書に載せる診断名は『定型発達』つまり『健常』です」と告げ、診断書をお渡しした時には、ご両親は涙を流して喜んでおられました。言い方は悪いのですが、すでに存在しない診断名が、診断書の存在によって本人に刻印されてしまっていたのです。

デジャヴュと書いたのは、以前、就学前に同様の訴えで私を受診された子どもがいたのです。家庭でも保育園でも特に支障となる言動はなく、幼少期に出された「自閉スペクトラム症」という診断書を書き換えるように医師に相談したところ、「発達障害は一生の診断名であるので書き換えはできない」と言われ、強く要望したところ、「では診断書を捨てたら!」という捨て台詞を投げられた事例を思い出したのでした。



  • *1 *Baron-Cohen, S., Autism and Asperger Syndrome, Oxford University Press, 2008.


筆者プロフィール
sakakihara_2013.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。小児科医。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠如多動症、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「はじめて出会う 育児の百科」(小学館)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)、「子どもの発達障害 誤診の危機」(ポプラ新書)、「図解よくわかる発達障害の子どもたち」(ナツメ社)など。
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