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所長ブログ

所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。

変わらないもの

2017年1月13日掲載
明けましておめでとうございます。本年もCRNをよろしくお願い申し上げます。

昨年2016年は、世界に大きな変化のあった年でした。紛争や戦争の絶えない世界を解決する人類の大きな実験の一つとみなされていたヨーロッパ連合(EU)に、大きな亀裂を生じさせる英国の離脱は、EU加盟国の国民だけでなく、世界中の人々を驚かせました。そしてアメリカの大統領選挙で、多くの人が確信していた結果と異なる結論が出ました。

私たちは、常に新しいものを求めながら、一方で急激な変化の前には尻込みしてしまいます。イノベーションを唱える一方で、自然破壊を嫌い、絶滅危惧種の保存に力を入れています。

社会や自然といった私たちの棲む環境だけでなく、私たち自身も経験によって変わっていきます。日本では毎年虐待が増えてきています。また増え続けるいじめや不登校なども、育児や教育に関わる人々にとって悩ましい事態です。このまま行くと子どもはどうなってしまうのだろう。そしてその子どもたちが大人になる未来はどうなってしまうのだろう、という危惧を感じるのは、私だけではないと思います。

しかし、世の中に心配の種がいかに増えて行こうとも、何百年何千年と変わらない人々がいます。それはどんな人々で、どこに住んでいるのでしょう。

それは皆さんの周りにいる、小さな子どもたちです。

世界中のどの国、どのような境遇の家庭に生まれようとも、ヒトの赤ちゃんは、全て初めて経験する世界に旺盛な好奇心で関わっていきます。どのような家族の元に生まれようとも、自分の世話をしてくれる人との間に強い愛着関係を築いていきます。

不幸な経験を記憶として溜め込んで行く大人が増え続ける世の中であっても、新たにこの世に生を受けた赤ちゃんは、新鮮な気持ちでこの世の中に生まれ出てくるのです。いわばこの世界は赤ちゃんの誕生によって、ミクロレベルでリセットされ続けているのです。

変化の多い2016年でしたが、新しい2017年を迎え、赤ちゃんのもつ世の中を浄化する力を改めて思い出すとともに、CRNの原点にある「子どもは未来である」という言葉をかみしめたいと思います。

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おんぶ再考

2016年11月 4日掲載
昔はおんぶは日本のどこでも良く見られましたが、最近はほとんど見ることがなくなりました。代わりに、子どもの顔をみることができる対面抱っこが推奨されています。

私はひそかに、おんぶには子どもの社会性を涵養する効果があると思っていますが、江戸時代に子どもをおんぶする母親や父親、あるいは年長の兄弟を見た、ヨーロッパやアメリカの知識人は、大いに驚き、感激しています。彼らの残した文章を読むと、単に驚いただけでなく、そのおんぶの優れた効用にも気づいています。

大森貝塚の発見で有名なモースは、1877年に来日し、海洋生物の研究をしています。彼の日本での生活を書いた「日本その日その日」(東洋文庫)では、当時の日本人の生活の様子の生き生きとしたスケッチを残しています。彼のおんぶに関わる文章を紹介しましょう。

「この子どもを背負うということは、至る処で見られる。婦人が5人いれば4人まで、子どもが6人いれば5人までが、必ず赤坊を背負っていることは誠に著しく目につく。(中略)赤坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、又私は今迄の所、お母さんが赤坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見たことはない。私は世界中に日本ほど赤坊のために尽くす国はなく、また日本の赤坊ほどよい赤坊は世界中にないと確信する」(同書11ページ)

「いろいろな事柄の中で外国人の筆者たちが一人残らず一致することがある。それは日本が子供たちの天国であるということである。」(同37ページ)

「小さな子供を一人家に置いて行くようなことは決してない、彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見学する。日本人は確かに児童問題を解決している」(同69ページ)

このようにモースは、こちらが恥ずかしくなるくらい、日本のおんぶを称賛しています。

モースだけでなくほかの外国人も、おんぶに大きな感動を覚えたようです。イギリスのジャーナリスト、アーノルドは "Seas and Lands" の中で、おんぶによって「あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起こるあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ」と述べています。

子どもの社会性の発達のなかで重要な役割を果たしている行動に「共同注視」(ジョイントアテンション)があり、発達心理学の重要な研究対象になっています。アーノルドの指摘は、まさにおんぶによる共同注視が、子どもの社会性の発達を助けていることの描写に異なりません。

私は、単なる郷愁としてだけなく、子どもの社会性発達の大切な場を提供する子育て方法としておんぶがあるのではないか、とひそかに思っています。
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発達障害の子どもといじめ

2016年9月16日掲載
いじめによる子どもの自殺のニュースをきくと、本当にいたたまれない気持ちになります。
マスコミの関心の中心は、誰がいじめの張本人だったのか、どうして周りが気がつかなかったのか、ということに集中していますが、亡くなられた本人がどのような子どもだったのか、ということについては、個人情報保護のこともあり、ほとんど何も伝わってきません。

私はいじめや、いじめによって追い詰められた子どもたちに想いを馳せる時に、いつも心に浮かぶことがあります。それは発達障害のことです。

発達障害といじめ、と聞くと読者の皆さんは、どのように思われるでしょうか?
いじめというと、真っ先に思いつくのは、注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもです。診断基準(DSM-5)の多動・衝動性の項目には、「しばしば他人を妨害し、邪魔をする」と書かれていますし、陥りやすい二次障害である反抗挑戦性障害の診断基準にも、「しばしば故意に他人を苛立たせる」「しばしば意地悪で執念深い」と書かれています。これだけ読むと、注意欠陥多動性障害の子どもには、いじめっ子が多いのかな、と思いたくなります。
もう一つ思いつくのは、自閉症スペクトラムの子どもです。皮肉やお世辞の理解に困難があるので、ぎこちない人間関係の中でいじめのターゲットになりやすいような気がします。

発達障害の子どもといじめと仲間はずれについての興味深い研究をアメリカのトウィマン(Twyman)さんという研究者が行っています。
そこで明らかになったのは、発達障害といじめの間には極めて密接な関連があるという事実です。以下の表をみてください。アメリカでは、定型発達の子どもの中で、いじめっ子、いじめられっ子、そして仲間はずれにされた経験のある子どもは、それぞれ全体の約7-9%であることがわかります。

chief2_26_01.jpg では、私の最初の想像は正しかったのでしょうか?表を見ると、私の想像とは全く逆で、注意欠陥多動性障害のある子どもの中で、いじめっ子の割合は定型発達児と有意な差はなく、いじめられっ子の割合が定型発達児の3倍以上になっていることがわかります。仲間はずれに至っては、約28%と約4人に1人は仲間はずれの経験があることがわかります。
私の第2の想像は、その通りで当たっていました。自閉症の子どもは注意欠陥多動性障害の子どもと同じく、定型発達児と比べていじめられっ子の割合が3倍近く多いことがわかったのです。
発達障害の子どもは、同年代の子どもたちからいじめられたり仲間はずれにされるという経験の中で、人格を形成していくのです。二次障害が起こりやすい素地がここにもあると言えます。

想像をたくましくすると、いじめで自殺に追い込まれてしまった子どもの中に、発達障害の特徴のある子がいたのではないでしょうか?
もしそうだとすれば、周囲の大人は発達障害の特徴のある子どもが、いじめの対象になっていないか、注意深く見守ることで、いじめで追い詰められる子どもを、最悪の帰結から守ることができるかもしれないのです。

参考文献 Twyman KA et al. Bullying and Ostracism Experiences in Children with Special Health Care Needs. J Dev Behav Pediatr 2010
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発達障害に関するほとんどの書物、講演、ウェブサイトで、発達障害が近年増えていることが当然の事実として語られています。確かに、私のよく知っている障害児医療センターでも、かつては多かった脳性まひやてんかんなどの子どもの受診率が激減し、発達障害の子どもが受診の大部分を占めているといったことを聞くと、本当に増えているのかなと思います。私が細々と続けている小児神経外来でも、てんかんや脳性まひの子どもは1割以下にまで減っていますので、発達障害の受診者が増えていることは間違いありません。

それでも私の心のどこかに、本当は増えていないのではないか、というささやきが聞こえるのです。

ささやきは気まぐれではなく、それなりの根拠から生じています。

第一に、発達障害はまだ十分にその原因は分かっていないのですが、世界中の研究者が、遺伝子が関連していることをほぼ認めているという事実があります。自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害では、ゲノムワイドアソシエーションスタディ(genome-wide association study: GWAS)、という大掛かりな遺伝子研究が行われています。1,000人近い、診断が確実な自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害の人から遺伝子サンプル(血液、頬粘膜など)を提供してもらい、そのゲノム(遺伝子)配列を、多数の定型発達の方と比較するのです。その結果複数の候補遺伝子が見つかってきています。

人の遺伝子配列は、数十年で変化するものではありません。発達障害が遺伝子によるものだとすれば、最近になって増えるということはありえないのです。

もっとも、最近は遺伝子を構成する高分子化合物であるデオキシリボ核酸(DNA)に化学的な結合が起こることで、遺伝子自体は変化しなくても、遺伝子情報の発現(たんぱく質の合成)が変化することがわかってきており、それが発達障害増加の原因だ、といっている研究者もいるのは事実ですが・・・。

最近肥満が増えている、あるいはがんが増えているという場合には、多くは国や大きな研究機関が長年行っている疫学調査がその根拠となります。しかし発達障害については、経年的な疫学調査はまだないのです。

もう一つの根拠は、発達障害という診断名が、過剰につけられているという現状です。私の外来に、幼少時に自閉症スペクトラムという診断をうけた子どもがよく受診されます。多くは親御さんが診断に疑問をもって来られるのですが、私の外来に自閉症スペクトラムという診断に関する「セカンドオピニオン」を求めて受診される子どもの数割は、自閉症スペクトラムではなく、気質で説明できたり、発達の個人差の中に含まれる子どもたちなのです。

私の診断が甘いのかもしれませんが、言葉の遅れや集団に入りにくい、あるいはちょっとしたこだわりがあると、すぐに自閉症スペクトラムと診断名をつけてしまう専門家が、自閉症スペクトラムを含む発達障害を「増やしている」のではないかというささやきが聞こえてくるのです。

発達障害の外来受診者の増加の真の原因は、発達障害の社会的認識が増えたことと、一部は過剰診断なのではないか、というのが私の偽らざる感想です。

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教養ってなに?

2016年4月15日掲載
以前、なぜ勉強することが必要か、子ども達に短いメッセージを書いてくれと頼まれたことがあります。私は「知識があれば、それだけ人生の選択肢が増える」といったようなメッセージを書いたことを覚えています。

現在盛んに、従来の一斉授業ではなく、アクティブラーニングだとか、反転学習といった学習の工夫がなされているのも、多くの子どもが勉強することへの動機付けがうまく行かないという背景があると思います。

幼少の子どもであれば、どうして勉強するの、という問いへの回答は比較的容易です。以前本ブログでも紹介した自尊感情(自己肯定感)に絡めて説明できるからです。「勉強してくれると、お母さん(お父さん)はうれしいな」とか、「一生懸命勉強して良い点を取ると、皆からすごいなあ、って言われるよ」といった説明で、多くの子どもは納得します。

しかし、子どもが大きくなって学校での授業が難しくなり、宿題やテストといった精神的ストレスが大きくなってくると、自尊感情を喚起する方法はあまり効果がありません。ましてや、義務教育だからとか、子どもの本分は勉強することだ、といった決まりきった説明では子ども自身が納得しなくなります。

そんな時に使われる「勉強して教養がつけば、きっと将来いろいろ役に立つことがあるよ」という常套句があります。少し機転のきく子どもなら「教養ってなに」とか「将来っていつ?」と聞いて、大人を困らせているところです。恥ずかしながら告白すると、私はどうやらずっとこの常套句を信じて勉強してきたのではないかと思います。正直、中学高校のころは、教養の高い人の代名詞であるイギリスの紳士(ジェントルマン)のようになりたいと、まじめに(?)思っていました。

でも基本的に地主階級であり、生活のために働く必要がないジェントルマン(在郷紳士)が、なぜ教養のある人の代名詞になっているのか、これまで分からず仕舞いでした。

ところが最近、1800年代初頭の有名な女流作家ジェイン・オースティンの「マンスフィールド・パーク」という小説を読んでいて、ジェントルマン(そしてレディー)には教養がなければならない理由の一端が分かったような気がしました。

オースティンの描く登場人物の会話は、彼女の実際にあった会話の膨大なメモに基づいて書かれているとされていますので、事実をかなり正確に反映しています。

さて、働く必要のない地主階級の人々は、領地の管理や議員などの名誉職の仕事以外は、お互いに屋敷を訪問したりして有り余る時間を過ごしていました。知人の屋敷を訪問すると、数週間から時には数ヶ月逗留するのが普通だったようです。男性は狩猟をし、女性は編み物をしながら世間話、そして一堂に会してダンスをしたり、楽器演奏を披露したりして過ごしました。

そのような有り余る時間の中では、豊富な話題を提供したり、相手の話にあわせるだけの様々な知識や、皆に披露できる歌や楽器演奏、詩の暗唱などが、ジェントルマンやレディーとして振る舞うために必要不可欠だったのです。

「マンスフィールド・パーク」の中に、当時のレディーの候補者である幼い姉妹の会話がでてきます。田舎から来た従姉妹の女の子(「マンスフィールド・パーク」の主人公のファニー)のことを母親にむかってこんな風に話しています。

「ねえママ、ちょっと考えてもみて、私の従姉妹のファニーは、ヨーロッパの地図を合わせることもできないのよ。それに、ロシアの大きな川の名前もいえないし、小アジアといってもどうだかわからないの。それにクレヨンと水溶性色鉛筆の区別もつかないのよ」「ほんとうにこんな馬鹿な子がいるなんて聞いたことがある?」

この田舎からでてきた従姉妹のファニーが、すばらしい女性に育ってゆく過程が「マンスフィールド・パーク」のストーリーです。

さて、ファニーのことは置いておくとして、このエピソードが語っていることはなんでしょうか。

私の勝手な解釈かもしれませんが、私がかつて憧れたジェントルマン(あるいはレディー)の教養とは、結局当時の地主層にとって現実生活で必要な知識だったということではないでしょうか。中学高校時代の私は、受験勉強などで暗記する知識の切れ端(世界の地図、川の名前、歴史事実など)は、「真の教養」とは全く違うものであると信じていました。でも、少なくとも私が憧れたイギリスのジェントルマンの「教養」は、私が受験勉強で覚えた詰め込み知識とそんなに変わらなかったのではないか、と今になって思います。社交界でうまく振る舞うことも、試験に合格することも現実生活に必要な業であるからです。


皆さんは、私のやや偏った「教養」論をどう思われるでしょうか。
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勇気の出る言葉

2016年1月15日掲載
私がまだ小学生だったころ、「若い日の一日一言」(青春出版社1961年、宇野一編、武者小路実篤監修)という本が家にありました。父が編者の旧制高校時代の友人だったのでもらったのだと思います。一年の365日それぞれの日に一言ずつ選んで、古今東西の著名な人とその人の言葉を説明した本です。多くはその人の誕生日や命日に当たる日にちなんで、半ページほどの簡単な説明がなされていました。「きけ わだつみのこえ」などについて初めて知ったのは、この本を通じてだと思います。内容はほとんど覚えていませんが、結構気に入った言葉をこの本の中で見つけたことを覚えています。

私は取り立てて、名言や 箴言 しんげん に関心があるわけではありませんが、折に触れて思い出す勇気や知恵を与えてくれた言葉があります。人それぞれ生き方は違いますから、他人が好きな言葉には別に関心ない、という方もいると思いますが、新年のブログということで御容赦いただき、紹介させてください。

私のような子どもでも、そのニュースを聞いて震撼したのが、1963年のケネディ大統領暗殺の事件です。以前にこのブログでも御紹介した大統領就任演説は、その当時から口ずさんでいた大好きな言葉です。個人の主体的な行動を呼びかけた「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country」は、後日私が国際学会の会長に選ばれた時の就任の挨拶で、country を association(学会)に置き換えて無断(?)使用してしまいました。もっとも、誰もケネディ大統領の言葉のもじりであることには気がついてくれませんでしたが。

アメリカ留学時代、実験がうまく行かずに落ち込んでいると、アメリカ人の同僚がよく「It's not the end of the world.(この世の終わりっていうわけじゃないんだから)」といって慰めてくれました。これも確かに元気の出る言葉ですが、先人にはすごい人がいるのだと感心させられ、今でも落ち込んだときのためにとってあるのが、宗教改革で有名なドイツのマルチン・ルターの以下の言葉です。「私はたとえ明日世界が滅びることが分かっていても、リンゴの木を植え続けるだろう」。リンゴの木を植えることを、彼の宗教運動にたとえたものです。リンゴの木に実がなるのは何年も先のことです。明日世界が終われば、努力は無駄になってしまいます。それでも、というルターの根性には正直頭が下がります。

最後に、勇気の出る言葉ではありませんが、科学的実証精神の鑑として最も尊敬している科学者であるチャールズ・ダーウィンの言葉を紹介したいと思います。それは「Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge」という英文和訳の試験にもなりそうな翻訳がやや難しい言葉です。「知識のない人は、知識のある人に比べて、より自信ありげに主張するものだ」という意味ですが、子どもについての事実に基づいた知見や考えを広く社会に紹介することをミッションとするCRN所長として、忘れずにおきたい言葉だと思います。
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「あなたは全く世間知らずなんだから」と言われたら、みなさんはどう思われますか?

まあ、目上の人や、年寄りから言われたら仕方ないけれど、同年輩の人から言われたら、ムッとする人が多いのではないでしょうか。ましてや、年下の人や、部下から言われたら、誰でも血圧が上がってしまいますね。

では、世間を知ることは、良いことなのでしょうか?世間をよく知っている子どもが周りにいたとしたら、きっと私たちは「生意気な子ども」と思ってしまうような気がします。つまり、子どもが世間を知ることは、手放しで良いことばかりではないようなニュアンスがあります。なぜなら、世間には子どもが知らない方がいいことがあるからです。

なぜこんな話を始めたのかは、最後までお読みいただければ分かりますが、最初に、本稿を書くことになった二つの別々のお話をいたします。

最初は、アメリカの文学作品の話です。前世紀初頭にアンダーソンという作家による「ワインズバーグ・オハイオ」という小説がアメリカで大ヒットしました。オハイオ州の小さな架空の街ワインズバーグの住民に起こる個人的な小さなエピソードを綴った作品です。その中に、「世間知」と邦訳された一章があります。ワインズバーグで育った若い幼馴染の男女が、次第に幼馴染の友達から、お互いを異性として意識しだし、男の子が大学に入学するために町を離れる直前に恋心を打ち明ける、というストーリーです。異性を意識するということを、アンダーソンは、世間知の一つとしているのは明らかですが、私がここで取り上げた理由は、世間知と翻訳された元の英語が「ソフィスティケーション(sophistication)」であるからです。現在ではアメリカでも「洗練されている」という意味に使われることが多いのですが、英語の辞書を見ると1920年頃までは「不純な、すれっからしの」という意味で使われていた言葉であると説明されています。アンダーソンは、異性を意識することを、そういう意味で捉えていたことが分かります。子どもは、大人になるに従って、ある意味で「すれっからし」になってゆくのだというやや 諧謔 かいぎゃく 的な意味が含まれていたのだと思います。

さて、もう一つのお話は、以前本ブログでも取り上げた子どもの自尊感情の話です。私は日本の子どもの自尊感情が、外国に比べて低いということが本当かどうか、アジアの数カ国と比較する研究をしていますが、そこで新たに明らかになった興味深い事実があります。この調査では、子ども自身(5歳)の自尊感情(自己肯定感)について全く同じことを子ども自身と、親に聞いています。その結果、一部の項目を除いて、子ども自身の自己評価が、親による評価よりも明らかに高いことがわかったのです。子ども自身は、親によるある意味で客観的な評価よりも、自分自身をずっと高く評価しているのです。世界中で行われた子どもの自尊感情に関する調査では、国によらず幼稚園あるいは保育園から小学校に入学すると、自尊感情ががくんと下がることが報告されています。親以上に、小学校教員は、子どものもつ能力を客観的に評価するのです。そういった環境の中で、子どもの自尊感情が低下するのです。世間知とは、世の中を知り、自分の相対的位置を知ることですので、子どもはよりソフィスティケートされることによって、自尊感情を下げてゆくのです。世の中を知る中で、子どもは幼い頃の有能感を失ってゆくのです。

どうですか、みなさん。ピーターパンの気持ちが、わかるような気がしませんか?
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私と本屋さん

2015年9月18日掲載
子どもや若者の活字離れや読書量の減少がいわれ、それを食い止める社会的な運動が盛んに行われています。本当に子どもの読書量が減ったのかと思って調べてみましたが、図書館団体による調査では、小学生の一ヶ月あたりの読書冊数はむしろ増えているという結果があることを知り驚きました(「第60回読書調査」全国学校図書館協議会)。

ではなぜ、社会全体に子どもたちの読書量が減ったという印象が広まっているのでしょうか。まず思いつくのは、出版業界の伸び悩みです。仕事上で私がお付き合いしている出版社の方もよく「最近は本は売れません」とこぼしています。

ではどのくらい出版業界が低迷しているのか、調べてみようと「出版年鑑 2014」を見てみたのですが、びっくりしました。なんと年間の新刊書籍は、毎年増加の一途をたどっているのです。戦後直後に20,000点であったものが、2012年には80,000点を超えているのです。

もちろん、新刊発行数がそのまま出版社の売り上げにはつながらないかもしれません。版を重ねることが少なくなれば、書籍の売上高は落ちてしまうからです。

ここまで書いてきてハタと思いついたことがあります。本屋さんが減ったことが、関係しているのではないかと。調べてみると、その通りでした。1979年には53,000軒あった本屋さん(文房具店と貸本店も含む)が2004年には34,000軒と約2/3になってしまっているのです(「商業統計調査」経済産業省)。

私が小学生から大学生になるまで過ごした実家のそばには、通学途中に立ち寄る本屋さんが3軒ありました。一つは湘◯堂という駅のそばの大型書店ですが、他の2軒は間口の小さなこじんまりした本屋さんです。湘◯堂は、よく日曜日に出かけていって、1時間も2時間もかけて、じっくり様々な分野の本を見て過ごしました。一方こじんまりした二◯堂は、いつも数十人のお客がいる湘◯堂とは異なり、多くて数人でいっぱいになってしまう狭さでしたが、一時期はほぼ毎日学校帰りに立ち寄っていました。長い時間かけて本を見ている(立ち読みしている)と、必ずあまり気の強そうではない店主が、そばの本棚にハタキをかけにくるのですが、今から思うと懐かしい思い出です。この二◯堂でハタキにめげず立ち読みもしましたが、文庫新書を中心にたくさんの本を買ったことを思い出します。

まだインターネットや、ネット上の書店のない時代だったのですが、街の本屋さんは、本を介しての世界の歴史や文化との接点だったのではないかと思います。10分もいれば、ぐるりと本棚に置いてある新旧雑多な本を眺める(スキャンする)ことができました。小さな書店でも、話題の新刊書や、文庫本、新書は揃えていましたから、新しい情報の発信基地の役割を果たしていたのです。たしかある有名な作家が「岩波文庫の揃っていない書店は、私は書店として認めない」と書いていましたが、妙に納得したことを覚えています。例えば岩波文庫の背表紙を一通り眺めるだけで、世界の主だった作家や、思想家、哲学者、科学者の代表的な著作を(少なくともタイトルだけは)知ることができるのです。インターネットをブラウズしても、これほど効率のよいスキャニングは難しいでしょう。

それからだいぶ経った30代後半のころ、ボストンに数ヶ月住んだことがあります。単身赴任でしたので、休日は特にすることもなく、時間潰しも兼ねて、アパートのそばのニューベリーストリートという通りにある本屋さんでのんびりと午前中いっぱいを過ごすのが常でした。当時日本の大型書店の代表ともいって良い紀伊國屋書店や、書泉グランデなどは日曜となるとお客さんでごったがえしていましたが、ボストンの書店は、広々とした絨毯を敷いた図書館のような作りで、ゆったりと時間を過ごすことができました。3階建てのレンガ作りの店の最上階には、大きな机と、ソファや座り心地の良い椅子があり、小音量でバロック音楽が流れていました。何人かのお客が机の上に数冊から十冊位の本を積み上げて、のんびりと読書をしていました。でも、そこは図書館ではなく、お客さんが読んでいる本は皆新品の売り物なのです。私も次第にそうした読書をするお客の一人になり、午前中を過ごすようになりました。もちろん店の人も決してハタキをかけに来たりしません。のんびりと読書をした後、気に入った本を買えば良いのです。

まさに本に親しむための空間が、本屋さんの中に実現していたのです。アメリカとは比較にならない環境ですが、ハタキをかけに来るだけで、決して私を追い出さなかった二◯堂のような小さな書店も、本に親しむための空間を提供してくれていたのです。

インターネットによる本の配信が普及し、小規模の書店は店を畳み、大型化した書店だけが、大勢の客を呼び込むことによって生き延びています。二◯堂も、湘◯堂も、今はもうありません。図書館を作るだけでなく、かつての二◯堂のような小さな街の本屋さんが、子どもが本と出会う場面を提供するような環境の復活を希望するのは、私のノスタルジアに過ぎないのでしょうか。
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前の2回のブログを読まれた方の中には、特別支援学級や特別支援学校の先生は一生懸命に努力されているのではないか、そうした努力に水をさすような内容なのではないか、という感想をおもちの方もおられると思います。また特別支援学級や学校がなくなったら、いまそこに通っている生徒はどうすればいいのか、という疑問をおもちの方もおられるでしょう。

専門家の中にも、イタリアのようにすべての子どもを一緒に教育する(トータルインクルーシブ)のは、現実的ではなく、部分的なインクルーシブ(パーシャルインクルーシブ)が日本の現状には適しているという意見もあります。

こうした意見が、1回目にご紹介した文科省の報告書の以下の文章に凝縮されています(下線部)。
インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して(中略)・・多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である
イタリアのように、すべての子どもを一緒の教室で教育したら、個別の教育的ニーズに対応できないではないか、という考えがその根底にあります。

では、個々の教育的ニーズに対して多様で柔軟な仕組みを整備する方法は、子どもを分離して行う以外にはないのでしょうか。同じ学校の中で、対応することは不可能なのでしょうか。

その答えはノーです。そう、不可能ではないことが世界の多くの国で実証されているのです。イタリアだけでなく、実際に世界中の多くの国や地域で、個々の教育的ニーズに応えながら、子どもたちを分離せず教育を行っているところが多数あるのです。

実際に多くの国々で行われているインクルーシブ教育では、その名の通り、子どもの通う学校を分離せず、地元の学校の中で、さまざまな工夫を行って、インクルーシブ教育を行っています。この様々な工夫とは、reasonable accommodationとよばれ、日本では「合理的配慮」と翻訳されています。accommodationとは、相手のニーズに合わせるという意味があり、辞書を引くと「便宜」という訳が載っています。つまり子どものニーズに合わせるということです。インクルーシブ教育という文脈で考えれば、それは障害のある子どもが、定型発達の子どもたちと一緒に学ぶことを可能にするための便宜を図るということです。パニックを起こしやすい子どもであれば、普通学級の中にパニックを起こさないような環境整備などの便宜を図ることになります。

私が、何か変だなと思う第2の点は、この「合理的な配慮」に、学校や教員に「過度の負担がかからない範囲で行えば良い」という但し書きが加えられていることです。どこからが過度の負担になるかは、何も書かれていませんので、普通学級の先生が「これは自分にはできない」と思ったら、特別支援学級や学校に子どもを紹介すれば良いことになります。いや、それどころか場合によってはそのような判断を「合理的配慮」と呼ぶことも、特別支援学級・学校がインクルーシブ教育の場であると認められている日本では可能なのです。

インクルーシブ教育では、そのゴールはあくまで、障害のある子どもとない子どもが一緒の学級で学ぶことです。日本では、障害者の権利に関する条約を批准したことによって、世界の多くの国と一緒に、インクルーシブ教育に向かうハイウェイに乗りました。ただ日本は、インクルーシブ教育に向かうハイウェイを逆走してしまっているのではないかというのが正直な感想です。

もちろん、特別支援学級や特別支援学校の現場で、多くの関係者が、子どものために大きな努力を払われていることを私はよく知っています。でも、前回のブログでご紹介したように、特別支援学校に通うお子さんがじわじわと増えている現状を見るにつけ、日本全体ではインクルーシブ教育から遠ざかっているという感を強くもってしまいます。そうした印象を裏付けるような、私が実際に経験した事例をあげて、ブログをおしまいにしたいと、思います。

その一つは、私が医師として実際に診ているお子さんです。多動行動があり、集団での行動が苦手なお子さんですが、通常学級をお勧めしたところ、就学前に見学に行った現地の小学校の校長先生から、次のようなことを言われびっくりした母親が私に報告してくれました。
「このようなお子さんがいると、他の子どもが迷惑するから、特別支援学校に行きなさい」
このような校長先生は例外と思いたいのですが、これがインクルーシブ教育における合理的配慮なのでしょうか?

もう一例は、特別支援教育推進のために、校舎新築の際に普通学級に特別支援学級を新規に併設した小学校の例です。この併設事業は地元の自治体でも、特別支援教育体制の充実の一環として、宣伝されていました。地元の障害のある子どもの親が、期待して新設された小学校の見学会に行って、落胆して次のことを私に話してくれました。

なんと特別支援学級が、普通学級から離れた別の建物の中に設置されていたのです。

これもインクルーシブと言えるのでしょうか?私の疑念は深まるばかりです。
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かつては日本に限らず世界の多くの国で、障害のある子どもたちは、通常の教育体制ではなく別途に分離された特別な学校で教育を受けていました。1970年代に国連が中心となって、障害の有無によって社会参加における差別がある状態を解消することを目指したノーマライゼーションという理念が広がります。その流れの中で、障害のない子もある子も全て地域の同じ学校で学ぶ「統合教育」あるいは「インテグレーション教育」への取り組みが進みます。イタリアでは、インテグレーション教育を国の基本的な教育方針とすることを決定し、1992年までに特別支援学校などの特殊教育施設を全廃しています。前回ご紹介したアメリカやカナダではまだ特殊教育施設がありますが、最終的な到達点として描いているのはイタリアのような教育体制だといえます。

2006年に国連が提唱した「障害者の権利に関する条約」との関連から、インテグレーション教育は「インクルーシブ教育」という名前で呼ばれるようになりました。前回もご紹介した「障害者の権利に関する条約」第24条 「教育」の2 (a) には「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと」とうたわれていますが、排除 (exclude) の反対語はincludeですので、インクルーシブ (inclusive) 教育と言われるようになったのです。

日本も2007年に国連の「障害者の権利に関する条約」に署名しました(その後2014年に批准)。署名したからにはそこに書かれていることを着実に実行しなくてはなりません。文科省に、日本のインクルーシブ教育体制を推し進めるための特別委員会が設置され、そこでの議論をもとに現在の日本のインクルーシブ教育の基本方針が策定されました。

そのインクルーシブ教育体制こそが、私が「何か変だよ」と思っているものなのです。「変だ」と思う2つの点について説明します。

(1) 特別支援学校を「一般的な教育体制」内であるとしたこと
インクルーシブ教育の源流がノーマライゼーションであると考えれば、さらにノーマライゼーションがこれまでの「教育における分離」を排除することを目的とするのであれば、特別支援学校は一般的な教育体制ではなく、特殊な教育制度であると考えるべきです。世界中で条約批准時にこの条項を完全に満たしている国はイタリアのみでしたので、イギリスなどは批准を一旦保留し、慎重な議論を重ねた上で、「障害のある子どものニーズに応ずることのできるメインストリームの学校や職員へのアクセスがより多くできるようなインクルーシブなシステムの開発を継続する」という宣言を加えて批准しています(メインストリームの学校とは、普通学校のこと)。まだインクルーシブは完成していないが、アクセスを多くしてゆく努力を続けることを宣言したのです。

さて日本でも、特別委員会の中でこの一般的な教育制度に特別支援学校は入らないのではないかという議論が起こりました。特別委員会の議事録を見ると第一回目から、特別支援学校関係者はこれに対し声を大きくして「インクルーシブ教育といったときに、特別支援学校はそのシステムの中で機能している」「 (特別支援学級も) インクルーシブ教育の制度のシステムの枠内で、今まで教育が行われてきたと自負しております」あるいは「 (特別支援学校が) なくなってしまうという恐怖感さえ思い浮かべるという親御さんの切実な声が届いております」と特別支援学校の存続を訴えています。特別支援学校が、これまでの日本の特別支援教育体制の中で重要な役割を果たして来たことと、きたるべきインクルーシブ教育体制の中でも同様にその役割を果たして行くかということは、全く別のことではないか、と私は考えますが、こうした委員の強い訴えと、一部の委員の、分離教育は障害の種類によっては必要である、という意見に押されて、文科省は、特別支援学校は一般的な教育制度内にあると宣言します。ただし文科省の自らの見解としてではなく、以下のように外務省の条約批准の担当者の意見を引用してその根拠としています。
障害者の権利に関する条約第24条にある「general education system (教育制度一般 (ママ) ) 」について、外務省に照会したところ、以下の回答があった。

条約第24条に規定する「general education system (教育制度一般) 」の内容については、各国の教育行政により提供される公教育であること、また、特別支援学校等での教育も含まれるとの認識が条約の交渉過程において共有されていると理解している。したがって、「general education system」には特別支援学校が含まれると解される。 (第5回特別委員会資料2)
外務省の見解によって、特別支援学校はインクルーシブ教育の中にあると認められ、障害のある子どもを特別支援学校や学級で「分離」して教育することも「インクルーシブ教育」であるといって良いことになったのです。

障害のある子どもを5歳児検診などで早期に発見し、特別支援学級や特別支援学校に送ることは、インクルーシブ教育といって良いのですから、インクルーシブ教育を推進することによって年々特別支援学校に通う子どもが増加することにつながります。

ここに最近発表された日本の特別支援学校に通学する生徒数のデータ *がありますが、2015年には約14万人と過去最高になり、この10年間で36%増加しています。この間、義務教育を受けている子どもの数は少子化によって減少を続けていますので、相対的には特別支援学校に通う生徒数はもっと増えているのです。

インクルーシブ教育体制といいながら、普通学級から分離されて教育を受けている子どもが増えているという不思議なことが日本では起こっているのです。インクルーシブではなく、その逆(エクスクルーシブ)になっているのではないか、と皮肉を言いたくなります。

さてこの辺でブログの紙数がつきました。本テーマについて2回に分けて書くと前回書きましたが、2回では収まらなそうです。次回に、もう一つの「何か変だよ」について書いておしまいにしようと思います。


* 文部科学省 学校基本調査(速報版)2015
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