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所長ブログ

所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。

子どもの目と大人の目

2018年4月20日掲載
子どもは白衣を怖がるということは誰でも知っています。私が研修医として臨床研修を行った東大病院の小児科教授は、アメリカとイギリスでの長い臨床経験をおもちの新進気鋭の小林登先生でした。いうまでもなくこのCRNの創始者の小林先生です。小林先生の先生でもある、イギリスのグレートオーモンド通りにある小児病院の指導者のジョリー教授は、白衣を着ないことで知られていました。多分ジョリー先生もできるだけ子どもに威圧感を与えないようにという配慮でそうされたのでしょう。

小林先生は研修医を含めた医師に白衣を着ることを強制されず、一人一人の医師の判断に任せておられましたが、それもジョリー先生のやり方を踏襲されたのだと思います。

小林先生の不肖の弟子を自認する私は、それ以降も基本的に白衣は着用せずに今日まで小児科医を続けてきました。もちろん清潔を要する未熟児室は例外でしたが。

ところで、子どもは(医者の)白衣を怖がる、というのは本当なのでしょうか?

調べてみるとちゃんと研究があるのです。

1999年のClinical Pediatrics(臨床小児科学)という雑誌*に、5歳から15歳の子どもとその親に、白衣を着た医師と着ていない医師の写真をみせ、どちらのほうが好きか、アンケート調査を行った調査結果が発表されています。調査した医師は、当然大部分の子どもが、白衣を着ていない医師の方を好ましいと答える前提で調査を行ったのです。ところがふたを開けてみると、子どもの54%がむしろ白衣の方が好きだと回答していたのです。親では白衣の方を好むのは35%で、3分の2が白衣を嫌っていました。この調査では、立っている医師と、ひざまずいて子どもの顔の高さに顔のある医師の写真も見せて、子どもがどちらが好きかも聞いています。これでも予想に反し、68%の子どもが立っている医師の姿の方をより好ましいと答えています。しかし親は約60%が、ひざまずいた姿勢を好ましいとしていたのです。子どもを上から見下ろすと威圧的になるので、できるだけ子どもの顔の高さで子どもと接した方が良いと一般的には信じられています。しかし、子どもの正直な気持ちは、このアンケートが正しいのかもしれません。よく考えてみれば、自分の好きな人の顔はそばで見たくても、知らない人や時に痛いことをする人の顔はあまりそばで見たくないのではないでしょうか?

このアンケート調査だけで、すべてを判断してはいけませんが、「子どもはきっとこう思っているはずだ」という私たち大人の思い込みと、子どもの本当の気持ちは違うかもしれない、という謙虚な気持ちが必要なのかもしれません。

乳幼児の発達心理学の巨人であるピアジェは、そのことに気づいていたようです。彼の講演録**の中にこういう一節があります。

「私たちの(乳児への)関心は、彼らが何を考えているか、というところにあるので、私たち大人の経験から導かれる意識に関する知識を使って、乳児の行動の中に見ることと私たちの間をアナロジーで結びつけてしまうのです。」「ここで、私たちは乳児を研究するときの、最初の方法論の規則に突き当たります。それは、乳児の行動と大人の行動を比較すること−それは皆さんが望むのであれば一種の「大人中心主義」と呼んでいいと思いますが−に注意しなくてはならないということです。」

ピアジェの優れた洞察力には感心しますが、すでに100年近く前に彼が警告していた過ちを、私たちは往々にしておかしているのではないでしょうか。


参考文献
  • * McCarthy JJ et al. Children's and parents' visual perception of physicians. Clinical Pediatrics, 38:145-152, 1999.
  • ** Piaget J. The First Years of Life of a Child. British Journal of Psychology, 18, 97-120, 1927-1928
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前回は、日本のガイドラインが、ADHDの診断に不必要な検査を行うことを勧めるような内容になっていることの問題点を書きました。

今回は、発達障害の一つである自閉症スペクトラムが、過剰に診断・治療されてしまっているのではないか、という疑問についてです。

「自閉症スペクトラムという診断を受けた」多数のお子さんが私の外来にこられます。私の外来を受診される理由は、診断を受けたが実際には日常生活でどのようなことに注意すればよいのか、小学校は普通学級にいけるのか、そして本当に自閉症スペクトラムなのか、といったものが多数です。もちろん、お子さんが他院での見立て通り自閉症スペクトラムであることも多いのですが、半数近くのお子さんが、自閉症スペクトラムとは考えられないのです。

自閉症スペクトラムと診断された根拠には、「集団での指示が入らない」「こだわり行動がある」「言葉の遅れがある」などの、自閉症によく見られる症状がある、というものが多いのですが、中には行動評価スケール(M-CHATなど)で自閉症スペクトラムの範囲と判断されたというお子さんもいます。

前回のブログにも書いたように、ADHDと同じく自閉症スペクトラムにも、診断確定のための検査はありません。ADHD同様に子どもの行動特徴から診断をつけるのです。

私のところにこられたお子さんも、集団の中で指示が入りにくい、こだわりがある、という理由で診断がつけられてきています。しかし、私がそのお子さんと一対一で話をすると、私の意図をすぐに理解でき、また子どもの社会性の現れを示す行動である「他人の顔の参照」などの行動が十分に見られるのです。また、こだわりの内容を聞いてみると、自動車ばかりで遊んでいる、遊び方に決まりがあるなどの行動の特徴はあるのですが、こうしたこだわりは普通の子ども(定型発達児)にも見られるものなのです。自閉症スペクトラムの診断基準(DSM)には、こだわりの内容について「非常に制限され、程度や対象が異常なこだわり」とちゃんと書かれています。特定のものへのこだわりが強いからといってすぐに自閉症スペクトラムと診断してよい訳ではないのです。

では自閉症スペクトラムの評価尺度(M-CHAT)などで、自閉症スペクトラムが疑われている子どもはどうでしょうか。M-CHAT(Modified Checklist for Autism in Toddlers)のtoddlersはよちよち歩きの子どものことで、1歳半位で子どもの自閉症スペクトラムのリスクを知ることのできる便利なチェックリストです。リスクを早期に知ることはできるのですが、結果が陽性にでたからといって、その後その子どもが自閉症スペクトラムに必ずなるのではないことが、調査によって明らかになっています。

子どもの行動の一部あるいは、チェックリストだけで診断を受け、私が自閉症スペクトラムとは見なせない、と判断した子どもは、念のためにその後の経過を確認していますが、その後問題なく幼稚園や普通学級に通っている子どもがほとんどなのです。

どうしてこんなことになっているのか、私にも訳が分かりません。もしかすると、私の診断の目が節穴で、見逃しているのではないか、などと心配になるくらいです。

私自身の心配だけであればそれでよいのですが、以前のこのブログ「何か変だよ、日本のインクルーシブ教育」で書いたように、自閉症スペクトラムなどの発達障害、と診断がつくと、インクルーシブではなくエクスクルーシブに特別支援学校に行くことになります。いったん特別支援学級(学級)に行くと、普通学級に戻ることは難しいこと、つまりその子どもの人生の生き方まで変えてしまう可能性があると思うと身震いしてしまいます。

過剰検査や過剰診断については、以前から私の悩みの種でしたが、最近「過剰治療」もあるのではないかと、あらたな悩みが増えました。

もちろん、過剰診断があれば、その過剰な診断のもとに治療が行われる訳ですので、過剰治療になります。でも今回私が心配している過剰治療は、それとは少し様相が異なります。

それは、私が勤めるある発達支援センターへ相談にこられるお子さんのこれまでの経過の中から明らかになりました。発達障害を専門とするある医院での診療経過(診断、治療)を、支援センターの心理相談員が聞き取った問診票を見ていて、「えっ」と目を疑うような診断治療内容を目にしたのです。それも、一回きりではなく、何人もの子どもが、ほぼ同じ診断名と服薬内容で紹介されてきているのです。診断名は「自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群、ADHD」です。なぜ、私はこの診断名を見て驚いたのでしょうか。自閉症スペクトラムとADHDは併存(合併)することがありますので、この2つが同時に書かれていてもおかしくありません。問題は、自閉症スペクトラムとアスペルガー症候群が併記されていることです。ご存知の方もおられるかもしれませんが、DSMの診断基準が最近(2013年)改訂され、もはやアスペルガー症候群という診断名は使わず、自閉症スペクトラムに含めることにしたのです。たまたま、あるお子さんの診断にこの2つを不注意で併記してしまったのかもしれないと最初は思いましたが、同じ医院にかかっている複数の子どもに、この三者併記の診断名がついているのです。良いたとえではないかもしれませんが、診断名に「脳血管障害」と「脳梗塞」を併記するようなものです。

しかしこの医院にかかっている子どもの問診票でもっと驚いたことは、こうした子どもにおしなべて「コンサータ、リスパダール、エビリファイ」という3種類の薬が処方されていることです。コンサータはADHDの薬ですし、リスパダールとエビリファイは自閉症スペクトラムによく使用される薬です。しかし通常はどちらかを処方するのです。併用することも誤りではありませんが、この医院では、私が相談を受けた数名にはすべて同じ診断名(3つ)があり、最初からこの3種類の薬が処方されていたのです。さらに、この数人の子どもは、前のブログに書いたように、すべて過剰診断と思われ、自閉症スペクトラムという診断はできませんでした。つまり不必要な薬が投与されていたことになります。

過剰検査、過剰診断、そして過剰治療が、たまたま私が行きあたった2つの発達障害専門の医院だけで行われている例外的なことと願いつつ、やや愚痴っぽくなってしまった2回続きのブログをおしまいにします。

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医学は自然科学であり、その応用である診療において、できるだけ科学的な根拠に基づいた診断や治療が必要とされています。エビデンスベーストメディスン(事実に立脚した医療)という言葉が現代医療のスローガンになっているのはそのためです。

さて疾患の診断のために科学的に必要とされる以上の検査を行うことは、患者さんの負担が増えるだけでなく、高騰する医療費をさらに増加させるために避けるべきとされています。考えてみれば当たり前かもしれませんが、例えば糖尿病の診断をするのに、脳波の検査をする必要はありません。もちろん行うことはできますが、医療費を病院に支給する保険支払い機関は、審査の上で不必要な検査費用(この場合は脳波検査)を査定し、病院には支払いません。日本の保険診療の良い点は、患者さんの病気の診断や治療に不必要な検査や治療費用は病院に支払わないことによって、医師が恣意的に不必要な検査をして、収入を増やすようなことを未然に防止していることです。

さて、以上は一般の疾患についての話ですが、子ども全体の7%が該当すると推測され社会的に大きな関心がよせられている発達障害の診療においても、表題にあるような過剰な医療が行われているのではないか、という私の積年の疑問について書きたいと思います。じつはこの問題は、近年私のもっとも憂えている問題であり、考えだすと夜も眠れないほど私を悩ませている問題なのです。

まず過剰検査についてです。

発達障害(注意欠陥多動性障害、自閉症スペクトラム、学習障害)の診断には、学習障害を除いて、この検査をすれば診断ができるといった検査がありません。血液検査や脳波検査、MRIなどの脳機能画像、さらには知能検査などの様々な心理検査によって、注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラムの診断をすることはできません。医師や医学、心理学研究者は、注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラムの診断をすることのできる検査法を必死に探していますが、残念ながらまだ見つかっていないのです。注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラムの患者さんの脳機能画像や遺伝子検査で特徴的な知見がえられていますが、診断には使えません。例えば、注意欠陥多動性障害の人では、前頭前野や尾状核という脳の部分の機能が低下していることが多いことが脳機能画像検査で分かっていますが、それは機能の平均値が統計的に低いという程度であり、定型発達の人と明確に分けることができないのです。遺伝子検査についても同様です。専門的になりますが、発達障害にはその診断の根拠になるような生物学的な検査所見(バイオマーカー)がないのです。これは発達障害に限りません。うつや統合失調症についても同じです。うつの傾向をみることのできる心理検査がありますが、それでうつの診断をすることはできません。

それでは医師はどうやって注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラムの診断をするのでしょうか。

そのために考えられ発刊されたのが、アメリカ精神医学会が定期的に発刊している「精神疾患の診断と統計マニュアル」です。定期的に改訂され現在は第5版が2013年に発行されています。このマニュアルには、発達障害を含むさまざまな精神疾患の診断基準が書かれています。「統計」という言葉がタイトルに使われているのは、その疾患の特徴的な症状を複数提示し、そのいくつ以上が該当すれば診断してよい、という統計的な基準が示されているからです。

アメリカの医学の教科書をみると、例えばADHDの診断には、本人の学校、家庭、地域等における行動の現在の特徴と、過去の経歴をできるだけ詳しく調べて、診断基準と照らし合わせることと明記されています。子どもの行動の特徴を評価するための質問紙(アンケート)も必要に応じて併用することも書かれています。しかし、特異的な検査や心理検査はないとはっきり明記されています。以下にいくつかの教科書の記載を示します。

「ADHDの確定診断のためのテストはない。むしろ診断は子どもに年齢不相応な不注意や多動・衝動性があり、そのために社会や学校で支障を来しているかを判断することにある」(Developmental and Behavioral Pediatrics)。「ADHDの診断は主に注意深い病歴聴取と面接、症状に寄与する因子の探索、身体診察、そしてもし必要ならば臨床検査によってなされる。行動評価アンケートは、症状の程度を知るために有用であるが、それだけで診断を確立するには不十分である」(Pediatrics)。もし必要ならばとあるのは、ADHDの症状を伴うような他疾患が疑われた場合に、という意味です(鑑別診断といいます)。

私はこうした標準的な診断方式を踏襲し、外来を受診されたお子さんの発達歴、現在の行動特徴を、親御さんと子どもをよく見ている保育士さんや塾の先生に上記教科書で推奨されている行動評価アンケートをお渡しして確認し、その上で診断するという方法を長年行ってきています。

しかし、最近大変びっくりした体験をしました。転居のため他院への紹介状をご家族が希望されたので、ADHDの診断と現在服用中の薬の情報を記した簡単な紹介状を出したところ、紹介先の発達障害を専門とする開業の医師から以下のような内容の返事が届いたのです。

「ご紹介ありがとうございました。初診時診断はADHDで良いと考えますが、正式な手続きで確定診断をだしてゆきたいと思います。今後当院で、厚生労働省研究班のADHD診断治療ガイドラインに従い、WISC, DN-CAS, K-ABC, BGT, (中略)頭部MRI, 血液検査を施行し今後の治療方針、学校との連携計画をたててゆきたいと思います。」

なお、正式というところには下線が引かれていました。

担当医師の熱心さは分かるのですが、なぜこのように診断に不必要な多数の検査をするのでしょうか?MRIや血液検査が、ADHD診断の正式な検査に含まれているという話は聞いたことも読んだこともありません。でも、この医師を責められないある事情があるのです。

それは、返事に書かれた厚生労働省研究班ADHD診断ガイドラインにあります。そのなかに「ADHDの医学的診断・評価フローチャート」というものが紹介されており、そこに「必須」の医学的検査として、身長・体重測定、脳波、血液検査(甲状腺機能を含む)、心電図、とあり、おこなった方がよい項目として頭部単純MRI, 頭部CTと記載されているのです。また、ADHDがうたがわれる子どもにはWISCの知能検査を必ずするようにかかれた診断のフローチャートが示されているのです。

これらの検査は、ADHDの鑑別診断(別の疾患が疑われた時に行う診断)として行われるべき検査であり、初診時に行う検査ではないのです。ADHDだけでは説明できない症状、例えば不注意や多動が次第に強くなってゆくような場合(進行性の神経疾患)、学校でまったく授業についてゆけない場合(知的障害)、けいれんなどがある場合(てんかんなど)には、血液検査やWISC、あるいは脳波検査が鑑別診断のために必要になってくるのです。

よく読むと、ADHDの診断・治療のガイドラインの文章そのものには、脳波、MRIなどは「鑑別診断のため」と書かれているのですが、それらも必須の検査であるとしている図表が示されており矛盾しています。米国などの教科書の診断の手順とはまったく異なるユニークな日本の診断の基準を、正式の診断方法と見なしてしまう医師が、例外的な存在であることを祈って一旦筆をおきたいと思います。

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上野の科学博物館で南方熊楠展が行われていましたので出かけてきました。南方熊楠は大きな科学的業績を挙げた訳ではありませんが、明治時代に日本、アメリカ、英国で博物学者として活躍し、当時の世界の博物学者の間では「ミナカタ」という名前はよく知られていました。私がミナカタを知ったのは、高校時代の歴史の教科書からです。明治時代に活躍した人として「南方熊楠」という名前だけが、他の文化人と一緒に書かれているのを読み、「ナンポウ」なんて変な名前だなと思ったので記憶に残っています。南方熊楠との再会は、すでに医師になり、進化論に興味をもち始めてダーウィンの著作を読むようになってからです。ダーウィンやウォレスなどと同じ博物学者として南方の著作や評伝に出会ったのです。

南方が当時の世界の博物学者の間で知られていたのは、世界中の神話や民話の共通点を、多くの欧米の学者にはできなかった漢籍の読み解きを行いながら明らかにし、それを英語でネイチャーなどの科学雑誌に相次いで発表したからです。現在にいたるまで、日本人でネイチャーに発表された論文数で南方熊楠を超えた人はいません(51編)。

南方熊楠展で驚いたことは、彼の凄まじい知識欲です。8歳ごろから漢籍を読み漁り、それを全部写し取ったノートを作り続けてきました。イギリスで大英博物館のキュレーターとして働いていたときにも、関心のある文献を細かな文字で写し取ったノートを何十冊も取り続けています。コピー機やインターネットのない時代ですから、他に方法がなかったともいえますが。

日本に帰国してからは、今度は研究の対象を粘菌という比較的研究者の少ない対象にかえ、亡くなるまで数千枚のラテン語や英語の説明付きの図譜を描いています。新種の粘菌を一つ見つけたことが、彼の数少ない「科学的業績」であり、冒頭の説明になったわけです。この間、南方熊楠は粘菌の図譜を発刊する訳でもなく、また植物学関連の科学雑誌に論文を発表もしていません。すべての図譜は和歌山県の彼の自宅に積み上げられていたのです。

南方熊楠展の展示説明にも、なぜ発表もせずにこれほど膨大な粘菌の図譜を書き続けたのか、という疑問が述べられていました。

さて、こうした私の個人的関心ごとといってよい南方熊楠のことを皆さんに紹介したのには訳があります。

山中博士による輝かしい日本の発見であるiPS細胞の研究は、医学界だけでなく政府までがその発展に力を入れています。官民が一体になって、iPS細胞の研究所を作り、たくさんの研究費と若く優秀な研究者をつぎ込んで研究を行っています。ところが、皆さんもよくご存知のように、若い研究者がiPS細胞に関する研究論文で研究結果のねつ造を行ってしまったのです。

本当の動機は本人にしか分かりませんが、任期に限りがある若手研究者が、任期延長につながる業績欲しさに、そのようなルール違反をしてしまったと言われています。

同じく科学研究ではあっても、南方熊楠の研究動機と、この若手研究者の研究動機には雲泥の差があると私は思います。世知辛い事をいえば、この若手の研究者は、研究成果で任期延長をして糊口を凌ぐために研究を行っていたのです。

南方熊楠そしてダーウィンには、その科学的業績の価値には大きな差があるものの多くの共通点があります。まず博物学者だったこと、そして亡くなるまで飽くなき知識欲に突き動かされていたことです。自宅や裏山で粘菌を探し続けた南方熊楠像と、進化論で名声を得ながらも、亡くなるまで自宅の庭でミミズの研究をしたダーウィン像は二重写しのようです。

もう一つの大きな共通点は、2人とも一生に一度もお金を稼ぐために働いたことがなかったということです(ダーウィンはビーグル号の船員として世界一周をした時には給料をもらっていたようですが)。医師であった父親とウェッジウッド家出身の妻のおかげで、ダーウィンはお金のために働く必要はありませんでした。南方熊楠の親も、作り酒屋として繁盛し、熊楠の生活資金や渡航の費用を用立てていたといいます。

南方熊楠やダーウィンが、気兼ねせずに研究を続けることができたのは、こうした事情も関係していたに違いありません。

研究者が自分の生活の事を考えなければならないことは仕方ありませんが、日本の若手研究者のおかれた苦しい立場と、ダーウィンや南方熊楠の立場を比較すると、研究への動機の大きな差を感じため息がでてしまいます。

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遊びとスポーツ

2018年2月16日掲載
2年後に東京オリンピックを控え、日本中の老若男女のスポーツへの熱気が高まっています。スポーツは、体力増強や健康増進にも役立つ活動であるだけではなく、認知能力や心理状態にも良い影響を与えることが知られています。本ブログでも、運動経験が認知テストに良い影響を与える事について取り上げたことがあります(所長ブログ:運動すると頭が良くなる!)が、確かにスポーツは観てもやっても楽しく、身体にとってもまた脳にとっても良いといういいことずくめの身体活動といえます。

学校教育の「体育」以外の身体活動にあたるのが、子どもの外遊びです。私の外来を受診されるお子さんには初診時に必ず聞くことがあります。本人の理解度や社会性を確認するための質問の一部ですが、「何の遊びが好き?」という質問です。「ゲーム」という回答も多いのですが、結構多いのが「鬼ごっこ」という回答です。単純な鬼ごっこだけではなく、そのバリエーションの「高おに」とか「色おに」と答える子もいます。単純なルールで、スリルと興奮が伴う鬼ごっこは、子どもの心を引きつけてやまない外遊びなのでしょう。私も小学生時代に、鬼ごっこのバリエーションである「水雷艦長」に夢中になっていた記憶があります。ご年配の読者にも、遊んだ記憶のある方がいるのではないでしょうか。ルールを知らない方のために簡単に説明すると、まず子どもたちは2群に分かれます。それぞれのグループに艦長役が一人、そして数名ずつが駆逐艦と水雷役になります。敵の駆逐艦に味方の艦長がタッチされると負けですが、逆に水雷は駆逐艦にタッチして駆逐艦を沈めることができる、というルールです。敵味方、そして何の役であるのか帽子をかぶったりして分かるようにして遊ぶのですが、単純な鬼ごっこと違って、仲間同士のチームワークが試されるところが面白く、興奮して遊んだ記憶があります。

こうした興奮するほどの楽しさと身体活動が伴った外遊びに比べて、体育の時間に義務としてする身体活動には必ずしも楽しさは伴いません。駆けっこが速かったり、跳び箱の高い段が飛べたり、逆上がりがうまい子どもは、自己肯定感が得られるかもしれませんが、うまくできない子どもにとってはつらい経験でしかありません。私の子どもの一人は、縄跳びがうまくできず、担任の教師から、親が一緒に練習するようにいわれ、放課後開放された校庭に出かけて一緒に練習したことがあります。うまくできない本人も、指導する私も全く楽しくなかった思い出だけが残っています。縄跳びではなく、逆上がりができない子どもには、親との練習ではなく、鉄棒の前に置いて逆上がりをしやすくする逆上がり支援ボードでの練習が待っています。逆上がりや縄跳びができなくっても一生何の損もしないのに、などという不遜な考えをもつのは私だけでしょうか。

さて、こうした子ども時代のスポーツなどの身体活動経験が、青年期以降のスポーツなどの身体活動の習慣にどのように影響するか検討したカナダでの研究があります。小学5~6年生の子どもを、スポーツクラブなどの指導者のいるスポーツ活動をしているグループ「専門的スポーツ群」と、指導者のいない雑多な身体活動をしているグループ「多種スポーツ群」に分け、5年間追跡調査を行い、どの位余暇活動としてスポーツをしているか調べたのです。その結果、予想に反して、青年期になると「多種スポーツ群」の方が「専門的スポーツ群」より10~30%、スポーツによる身体活動量が多かったのです。

専門的スポーツ群には厳しい指導があり、また一部の子どもは上達が芳しくなくドロップアウトしてしまうなどの試練があるために、青年期以降になると却ってスポーツ活動から身を引いてしまうのではないか、というのが私の推論です。やって観て楽しむアマチュアスポーツと、厳しい鍛錬と競争がつきもののアスリートの行うスポーツは、別のものなのでしょう。


参考文献
  • François Gallant, Jennifer L. O'Loughlin, Jennifer Brunet, Catherine M. Sabiston, Mathieu Bélanger. Childhood Sports Participation and Adolescent Sport Profile. Pediatrics. December 2017, VOLUME 140 / ISSUE 6.
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私は小児科医ですが、長らく子どもの発達や教育分野にも関わってきたためか、医学・医療を少し離れた視点から見ることができるようになったと思っています。そういう目でみると、医者のある本性に気がつきました。

医師はもちろん子どもや大人の健康増進にも関わっていますが、もっとも中核的な仕事は、やはり「病気を見つけ、治療すること」です。治療するためには、様々な症状の背後にある原因を見つけることが前提です。言い方を変えると、医師は患者さんの体の「あら探し」、つまり悪いところを見つけることに長けていることになります。

診断がつくと、病名がつけられます。病名には、客観的な事実を述べただけの「肺炎」「膀胱炎」「腸炎」(肺、膀胱、腸の炎症)といったものから、症状をそのまま病名にしたもの(糖尿病、高血圧症、肥満)、さらには発見した医師の名前をつけたもの(アルツハイマー病、川崎病)など様々なものがあります。

私も経験がありますが、診断が下り診断名を告げた時の患者さんの反応はいろいろです。ガンと聞くと多くの患者さんは、驚くとともに、なんとか治療で治したいと切に願うようになるのが普通です。でも、症状もなくたくさんの人がかかっている糖尿病や高血圧などの診断名は、多くの患者さんはそれほど驚かず、また苦痛がないために、まじめに治療を受けてくれないことが多々あります。治療を受けるかどうかは、患者さんが判断すべきことですが、他人ごとながら治療を受けるように患者さんを説得にかかるのは、医者の「本性」と言ってよいと思います。

放っておくと大変だよ、ちゃんと治療を受けてほしい、という医者の本性が時に診断名に反映されることがあります。もちろんそういった診断名は、患者さんを驚かそうとして告げるのではなく、体の「悪いところ」を治して欲しいという純粋な気持ちからでているのです。

最近新聞で「口腔崩壊」という恐ろしい病名をみました。よく読むと「未処置の虫歯が10本以上あり、そのために口腔機能が損なわれた状態」のことを言うようです。そしてそうした状態の子どものことを「口腔崩壊児」というのです。

「ちゃんと歯磨きをしてほしい」「虫歯が増えると大変だよ」という歯科医の正直な気持ちが現れた診断名だと思いますが、そこまでして親や子どもをびっくりさせたり、怖がらせる必要があるのでしょうか。確かに「崩壊」という形容詞は迫力があり、国民の関心を強く引きつける力があります。病気ではありませんが、これまでも「家庭崩壊」とか「学級(校)崩壊」という言葉によって国民の関心や懸念が一気に高まりました。虫歯を予防したいという一心から「口腔崩壊」という命名がなされたのではないかと推察されますが、あなたの口腔は崩壊している、あるいはあなたは「口腔崩壊児」だと言われた時の、親や子ども自身の気持ちはどうでしょうか。

私の専門の小児神経学にも、似たような診断名がいくつもあります。たとえば子どものてんかんの中に、「破局型てんかん」という診断名があり、自閉症に似た障害の中に「小児期崩壊性障害」という診断名があるのです。前者はcatastrophic epilepsy、後者はdisintegrative disorderという英文診断名の和訳ですので、直訳した人に責任はないかもしれません。

ともあれ、診断をもらった本人や親をびっくりさせるような診断名はやめて欲しいというのが、ちょっと医療を外からみる機会の増えた私の気持ちです。

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11月末から10日間ほど、ヨーロッパのいくつかの日本人学校で、子どもの発達の巡回相談会に行ってきました。

海外に在住する日本の子どもの医療相談を行っている海外邦人医療基金が主催する相談会で、以前は子どもの身体の問題についての相談が主体でしたが、近年では現地の医療機関での相談が困難な、発達障害などの子どもの相談が主体になっています。約10年前に、相談会への参加を打診された時に、できればクリスマスマルクトが楽しめる年末ならお引き受けする、とはなはだ不謹慎な希望をお許しいただき今日に至っています。

寒い北ヨーロッパのクリスマスマルクトでは、冬のどんよりとした天気にもかかわらず、きれいなイルミネーションで飾られた町の広場で、老若男女が、数多くの屋台で売られているお菓子やハーブ入り赤ワイン(グリューワイン)を飲みながら楽しみます。

10年間ほぼ欠かさずにドイツのいくつかの都市のクリスマスマルクトを見てきており、毎年定位置に出店している屋台を覚えてしまっているほどです。今年もグリューワインを飲み、またシナモンの香りのするリース(輪飾り)を買いました。

寒空の下、皆楽しそうにしていましたが、日本の外務省からは「テロの危険性があるからできるだけ行かないように」と警告がでていました。

来年こそ、こうした警告が無用になることを祈念しながら、今年最後のブログをお送りします。

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遊びとイノベーション

2017年12月 1日掲載
前回のブログでご紹介したTobin先生との知己を得た上海の学会での私の講演のテーマは「innovative mind」でした。子どもの発達と脳科学でイノベーションを説明しようと、イノベーションに必要な能力についてこれまでの研究をいろいろあたって調べました。

その中で二つの興味深い研究(調査)発表を見つけ、講演の中で紹介しました。

一つは、私の友人でもある産総研(産業技術総合研究所)の仁木和久博士の研究です。仁木先生は脳画像を使って広範な研究を展開しておられますが、その中の一つが、人が何か新しい事を思いついた時に働く脳の部位についての研究です。私たちは何か新しいことを思いついたり、解決法を見つけた時に「ああそうか!」と思います。これを「AHA(ああ!)」体験と呼びますが、仁木先生は「AHA」体験をした時の脳機能を調べました。その結果「側頭・頭頂接合部(Temporo-Parietal Junction: TPJ)」と呼ばれる部位が活性化することが分かったのです。興味深い点というのは、このTPJは私たちが他人の気持ちを読む時に活性化する部分であるということです。他人の気持ちを読む(心の理論)脳の働きは、人の社会的スキルにとって最も重要な働きです。何か新しい事を見つけたりする脳の働きは常識的には「認知的働き」に属すると考えますが、イノベーションに社会性が関係しているというのは、なんとなく分かるような気もします。なぜなら、イノベーションは、「人の役に立つ物(事)」を発見することだからです。

もう一つの興味深い研究は、アメリカのTony Wagner(トニー・ワーグナー)氏の著書の中にありました。Wagnerさんは、これまでの研究と自分自身で行った多数のイノベーター(イノベーションを成し遂げた人)へのインタビューの結果を紹介しています。ワーグナーさんによると、イノベーションに必要な要素は、「知識」「創発的思考」そして「動機」だといいます。さらに「動機」は、外発的動機と内発的動機に分けられますが、この内発的動機(自分自身のなかからわき上がる動機)が特に重要です。興味深い点は、この内発的動機を決定しているのが「情熱」「目的意識」と「遊び」だというのです。以前このブログで、遊びは人生を決める、と書きましたが、なんと遊びはinnovative mindにも関連しているのです。


参考文献
  • Tony Wagner, Creating Innovators: The Making of Young People Who Will Change the World, Scribner 2012
  • トニー・ワグナー「未来のイノベーターはどう育つのか―子どもの可能性を伸ばすもの・つぶすもの」英治出版 2014
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共感性を育む異年齢保育

2017年11月17日掲載
先月上海で開催された中国幼児教育学会では、日本の幼児教育者の間ではよく知られたJoseph Tobin先生(アメリカ・ジョージア大学教授)とも親しくなることができました。

Tobin先生は著書「Preschool in Three Cultures: Japan, China, and the United States」で有名なアメリカの幼児教育研究者です。日本と中国、アメリカの幼児教育(保育)を文化人類学者の眼で観察比較したこの著書の中で、日本の保育の特徴として「見守り」を挙げています。京都の保育園での観察の中で、子どもたちの間にいさかいがあった時の保育者の見守る姿勢を高く評価しています。

この有名な著書の第2版「Preschool in Three Cultures Revisited」の中では、初版から20年以上たって、初版で観察した保育園の変化について報告しています。

上海でのTobin先生の講演の中では、京都の保育園の様子が動画で紹介されました。動画では年長児が年少児を抱いて運んだり、トイレで年少児の手伝いをしている様子が映し出されていました。動画を見ながらTobin先生は、「幼児同士が世話をするのは危険と思うかもしれないが、この京都の保育園では事故は起きていない。年少児の世話は、子どもの共感性(empathy)を養うことのできる優れた保育の在り方だ」と賞賛されていました。

今、幼児教育のみならず、子どもの教育現場では「社会情動的スキル」を涵養する事の重要性が認識されていますが、共感性はその中でも重要な位置を占めています。

Tobin先生は、人類学者の透徹した眼で、日本の保育のもつ特質を指摘しています。「異年齢保育における共感性の涵養」は、江戸時代の末期に日本を訪れた欧米の研究者(モース、ツェンベリー)などが、江戸時代の日本の子どもが自分の兄弟をおんぶするのを見て、その社会性涵養の意義を見いだしたことと通じるところがあります。

Tobin先生とは、会議後の会食の場でも、ワインを飲みながらいろいろお話をし、意気投合することができました。二人ともすこし飲み過ぎてしまいましたが・・・。

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ストレスは遺伝子を変える

2017年11月10日掲載
長い間謎であった遺伝の仕組みの発見は、人類の科学発見の中でも最も大きな成果の一つです。遺伝を司っているのは、DNAという化学物質であり、一旦親から受け継いだDNAは一生変化しない、というのが現代の科学の常識になっています。

しかし、その常識はエピジェネティックスという学問によって塗り替えられました。DNA自身は変化しないけれど、母親の胎内の環境によって、DNAに化学結合が起こり、遺伝情報の発現が変化するという新しい常識です。一卵性双生児でも、DNAの化学結合が違うために、微妙な差があることも実証されています。

それでもこうした遺伝子の化学的修飾は、生まれる前のことであり、生後の生活環境は遺伝子に影響を与えないと思われてきました。

そうした常識が覆される研究成果が、アメリカの小児科学の雑誌"Pediatrics"に報告されています。

DNAのかたまりである染色体の端末(4箇所)にある遺伝子は、テロメアと呼ばれていますが、それは細胞が分裂する際に次第に短くなってゆくことが知られています。すべての体細胞は、経時的に細胞分裂を繰り返して再生していますが、テロメアは分裂毎に短くなり一定の長さになると、体細胞は分裂ができなくなります。こうした事実から、テロメアの長さは、その個体の寿命を決めていると考えられています。

Pediatricsに発表された論文は、子どもの父親の喪失(死別、離婚、収監)経験が、子どものテロメアの長さにどのような影響をあたえるかを検討したものです。2,420人の子どもの親に対して、生後48時間に子どもと親の属性を聴取し、引き続いて1、3、5歳時に、家族の状況の聞き取りを行いました。そして9歳の時に子どもの唾液を採取し、唾液中の表皮細胞のテロメアの長さ(染色体あたりの塩基列TTAGGGの個数の平均値)を遺伝学的な手法(詳細は省略)によって測定したのです。

結果は驚くべきものでした。9歳までに父親喪失体験のある子どもでは、経験のない子どもに比べて、平均14%もテロメアの長さが短くなっていたのです。父親喪失の種類によっても短縮度は異なり、死別では16%、父親の収監では10%、離婚による離別では6%の短縮が認められました。また男児では女児よりも40%短縮の程度が強く、またうつ病などに関連のあるセロトニン遺伝子に関連するテロメアの短縮率が最も高い事が分かりました。テロメア短縮のメカニズムは不明ですが、父親喪失によるストレス増大が関連していると論文の著者は推定しています。

ストレスが多いと、寿命が短くなるのかどうかについては、まだ研究がありませんが、経験によって遺伝子が変化する(テロメアが短くなる)という発見に驚きました。科学は新しい発見によって書き換えられることを目の当たりにした思いです。


参考文献
  • Mitchell C, McLanahan S, Schnener L, et al. Father loss and child telomere length. Pediatrics 2017 Aug; 140(2).
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