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研究室

【被災地レポート】第12回 被災地支援を振り返って:現地での妊産婦支援のこれまでとこれから

吉田 穂波 (産婦人科医、ハーバード公衆衛生大学院リサーチフェロー、
プライマリ・ケア連合学会被災地支援チーム(PCAT)派遣医師)

2011年12月16日掲載
これまで、現場からのレポートをお送りしてきましたが、年の瀬を迎えるにあたり、今回の震災について、また、お母さんたちの支援について、一歩引いた立場から振り返ってみたいと思います。

1)今回の復興支援における特徴

阪神淡路大震災をきっかけに日本に広まった「ボランティア」という概念。それが今回の震災では、多数のボランティアが集まり、活躍したことから定着し、一般的なものとして根付きました。現地でお会いした多くのボランティアの方々に特徴的だったのは、キャリア中断中であったり、学生さんだったり、周りの理解のある人が多かったということです。そうでなければ現地に長期滞在し、雇用契約がない仕事に従事したり、臨機応変に移動をしたりということはなかなかできません。

今回、復興支援の中で新たに評価された仕事は、コーディネートをするという仕事でした。例えば支援が欲しい人と支援したい人とをマッチングする、どこへの物資・医療供給が足りなくてどこへは十分足りているか、このような連絡調整係がとても重要な役割を果たしたのです。この役割は感情労働の部分が多く、専門性が確立していないため評価されず、ステータスが低い、バーンアウトしやすい、という課題も明らかになりました。自らが専門家ではなく、様々な専門家の協力をあおぎ、連携させる事務的リーダーシップというものもまた、今後、より評価されていくべきだと考えます。

刻一刻と変化する状況に合わせて意思決定をするためのミーティングにおける、ファシリテーターという役割も定着しました。例えば、貴重な時間を割いて開く会議で、従来の縦割り行政のように現状承認、総論賛成、実務反対、各論躊躇(例えば、復旧は今のように支援チームでやって下さいとか、その問題はうちの課の担当ではありませんので他の課にお問い合わせください、など。上司の、あるいは○○の部署の許可がないと動けません、○○に要望を挙げて下さい、○○からの要請がないと動けません、など。)では物事が前に進みません。ファシリテーターには、このミーティングの目的が意思決定なのか、問題解決や計画なのか、ブレーンストーミングなのか、評価のためなのか、情報共有のためなのか、目的をはっきりさせて参加者が共有できるようにし、メンバー全体を共通のテーマに集中させたり、全員に発言の機会を与えたり、時間内に目標を達成させるという役割があります。

今回、政府や中央と被災地との距離感というのが問題になりましたが、現場の人々が被災している地方行政に、復旧への様々なステップ、例えば、死亡者数・在宅被災者数・食料自給率・要介護者数・妊産婦数など基礎的データを把握するための災害規模のアセスメントを要求しても、お手上げ状態でついていけない、具体的な資料も経験者も調査用紙もない、という状況でした。被災地は国直轄の行政特区にし、国の行政官や公衆衛生の専門家、難民支援の経験者が直接指揮を取れる仕組みにした方が、地域ごとの格差もなく、より早い復旧が可能になるのではないかという意見が、災害コーディネーターとして被災地に入った専門家から数多く出されました。ハーバード公衆衛生大学院のリーダーシップの授業では、組織におけるリーダーシップではなく、様々な部署、職種間の壁を調整するメタ・リーダーシップという概念を学びました。災害時にも、このように、壁を越えて調整する機能を果たす人材が外部から現地に入り、ある程度長期にわたって駐在し、全体を把握しながら情報共有を進めると、より効果的な支援が可能になるのではないかと思います。

また、私自身が、4月1日から避難所の妊婦さんを探し回って思ったことですが、被災妊婦さん及びご家族に一時避難や県外移住をお勧めしても、寒くて一日パン一個しかもらえないような避難所から動こうとされません。私たちのメンバーは、震災直後に妊婦さん及びそのご家族を無料で受け入れる施設の情報をチラシにして配って回りました。東京都助産師会さんが立ち上げた東京里帰りプロジェクト、宮城県立こども病院のマクドナルドハウス、各地のお産の宿などの情報です。チラシを受け取るものの腰を上げようとしない妊婦さんたちにいろいろお話を聞いてみると、「周りの目が気になる、移動するとなると急によそ者扱いされる、避難所リーダーを信頼していないと思われそうで迷惑をかける、自分だけ逃げだすようで裏切り者呼ばわりされる、自分のことは自分で始末しないでどうすると言われる」といった日本人特有のムラ意識が働いているようでした。行政が被災者の希望を聞く、個人の意思を尊重するというスタンスは、個人の意思を尊重しているように見えても、実は個人の選択権を奪っているのではないかと感じました。


2)妊産婦さんを助ける活動の中から学んだこと

震災が起こる度に、日本人が経験から学んでいないということを痛感したことがあります。1996年の阪神・淡路大震災の経験から、兵庫県産婦人科学会の大橋正伸先生たちがまとめた「阪神・淡路大震災のストレスが妊産婦及び胎児に及ぼした長期的影響に関する疫学的調査」が、10月頃に私の手元に届きました。編集後記には
「わが国では相変わらず自然災害の予知に重点が置かれ、災害後の国民の立ち直りについては『各自道を選べ』と八甲田山・冬の行軍的な考えがいまだにあるようです。はたして妊産婦が欧米諸国のように再起できる支援を受けることが出来ていたか」
と書かれていました。また、総括には、今回私たちが足を棒にして妊婦さんを探し、話を聞いた中から浮かび上がったのと、全く同じニーズがまとめられていました。

<妊産婦の切実な声・10の願い>
① 「おなかの赤ちゃんは大丈夫ですよ」の一言が聞きたかった
② どの病院へ行けばよいのか途方に暮れた
③ 転院するにも、交通手段はなく長時間かかった
④ 救護所で妊婦健診をして欲しかった
⑤ 陣痛が起ったが救急車が来てくれなかった
⑥ 転院先で再度血液検査をされて高くついた
⑦ 罹災証明書で、妊婦健診料金を公費負担して欲しかった
⑧ 粉ミルク、水、紙おむつを優先配給して欲しかった
⑨ 行列や水運びに苦労した
⑩ 出産後、帰る場所がなかった

<災害時の妊産婦の取り扱いに関する十カ条の提言>
① 母子健康手帳に災害時の対応について記載しておく
② 母子健康手帳の出生届に被災状況の記入欄を設ける
③ 母親学級に災害時の対応についてのカリキュラムを義務付ける
④ 地区ごとに妊婦健診の場所を決めておく
⑤ 地区の産科医師、助産師、保健師は交替で健診を行う(日ごろからの広域における顔の見える関係・連携作りのため)
⑥ 近隣府県の産科医師の救護班を早期に投入する
⑦ 移動できる妊産婦は可能な限り被災地域外へ移す
⑧ そのための搬送手段を確保する
⑨ 災害時の妊産婦検診を公費負担とする
⑩ 出産後の母児の受け入れ先を確保する

これを読んで、「震災後にはこのようなことが起こるという根拠があったなら、震災直後に県庁や市役所に入った際、もっと強く『妊婦さん及び乳幼児を連れた家族を強制的に避難させましょう』と言えたのに」と悔やまれました。

医学の分野で、大災害が起こった際お母さんの心の傷が、あるいは妊産婦さんの受けた恐怖や不安が子どもや母子関係についてどのような影響を与えるか、ということは日本ではきちんと研究されていません。このような影響が起こるからこのような手助けが必要、という内容が明らかになり、常識として広まるようになればと思っています。妊娠中の方や子どもを抱えるお母さんたちにこそ、心のケアが必要だということを、これからも声に出して、あるいは研究成果としてまとめて、世の中に広めていきたいと考えています。

もともと、私自身は東日本大震災が起こる前まで、少子化について、日米の比較をしながら、効果的な解決方法を探るための研究をしようとしていました。市町村レベルでの分娩取扱機関数や分娩取扱産科医数と出生率との関係、また、出産現場の医師不足や第1子出産経験が第2子出産希望に与えるインパクトを調べる、というのが主な内容でした。少子化に関しては多くの研究から原因や解決方法が探られていますが、私は、現場で妊産婦さんと接している産婦人科医師だからこそできる研究をしようと考えたのです。

今回の東日本大震災では、それまで災害支援をしたことがなかった私が妊産婦支援プロジェクトを立ち上げ、多くの医師や助産師を現地に派遣し、妊産婦さんに顔の見える支援をしてきました。その中から、「妊婦さん、そして産後のお母さん、乳児にはケアが必要なのだ、というだけではいけない。守るべき存在なんだということを強く訴えていかなくては」と痛感しました。少子化の原因も、守られるべき母親が守られていない、そこにあるかもしれないと思ったのです。今後、どのような研究や調査をすればよいのか、模索しているところです。


3)実際の活動の背景

もともと宮城県の人口千対出生率は8.4人(年間出生数約19,700人[平成18年度])、石巻医療圏では7.6人(年間出生数約1700人[平成18年度])(比較:全国では8.7人(年間出生数約1,092,680人[平成18年度]))でした(―すべて宮城県地域医療計画2008-2012より抜粋)。
人口十万対数で見ると、石巻医療圏では、医師、助産師、看護師のすべてが少ないことがわかります。

人口十万対 全国 宮城県 石巻医療圏 (参考)東京都
医師数 218 209 141 282
看護師数 838 583 450  
助産師数 16 24 8  


宮城県地域医療計画2008-2012および厚生労働省の衛生行政報告より

人口十万対 全国 宮城県 石巻医療圏 (参考)東京都
病院数 7 6.3 5.9 5.2
診療所数 77.2 67.4 60 98.4
病床数 1,273 1,141 941 1,026


4)手探りで広げていった活動の内容

1.石巻市、女川町、南三陸町での避難所巡回診療(20名の医師、50名の助産師を派遣)

震災直後から4月下旬までの活動内容:
  • 避難所の妊婦さんを探し、妊婦健診(妊婦さんと胎児の様子、困っていることがないか、治療するべき状態ではないかを確認)
  • 石巻日赤に紹介状を書き、妊婦さん情報を石巻日赤に伝える
  • 共有カルテの作成(それまでは、日本赤十字社の救護班とDMATやJMATなどの医療支援チームとでそれぞれカルテの体裁が違っていた)
  • 妊婦さんの情報を県庁に届け、避難所や全壊の自宅に妊婦さんがいることを報告
  • 宮城県外の分娩取扱産院(お産の宿、東京里帰りプロジェクトなど)への仲介(コーディネート)
  • 携帯メールマガジンを開設し、インターネットや掲示板にアクセスできない人でも役所から出ているお知らせを読めるようにする
  • 石巻日赤の産婦人科と連携を取る

2.延べ150名の妊産婦さんの在宅訪問、妊婦健診、産後新生児訪問を実施

  • 分娩を扱う施設は石巻市全体で5施設→2施設へ、そのうち、2施設は建築禁止地域にあり、再開の目処なし。石巻医療圏にはもともとお産ができる施設が少なく、南三陸、東松島からも患者さんが石巻赤十字病院に集中。
    石巻市の出産数:約1200人/年、150件/月
    石巻市では3月11日から4月11日の1ヶ月で110人の女性が出産。3日目に退院しているため、子育て指導、母乳ケア指導が出来ていない。
    栄養・衛生環境が確保できない状態で帰った母子もいる。避難所、ライフラインが復旧していない地区に居住している母子(40名弱)を把握、産後訪問する必要がある。
  • 産後の母子(避難所にいた時から訪問していた親子や、石巻日赤で出産した親子)を訪問
  • 東松島市から委託を受けた家庭に新生児訪問

3.地域のコミュニティスペース立ち上げ(産後のママが集まってホッとできる場作り)

  • 子育て支援センターのサポート(ママたちが集まる際のタクシー代やお茶菓子代を負担、スタッフへのお礼)
  • 託児所、ファミリーサポートセンター復活への支援

4.産婦人科医師の当直派遣―地元の開業医の先生に休んでもらう

4月4日から再開したAクリニックは、他の医療機関からの支援がなかったため、院長は休むことができなかった。「殉職してもおかしくない」と漏らしていたほど、疲労困ぱいしていた。
  • 6月から8月まで東京の病院から産婦人科当直医を派遣
  • 東京から派遣された医師の代診を行う医師も確保
  • 8月中旬、5名の産婦人科医が交替で1週間勤務し、開業医の先生に25年ぶりの夏休みを取ってもらった
  • 9月以降は月2回、週末の当直医を派遣
  • 年末年始には再び複数名の産婦人科医師で1週間の当直業務を代行し、院長先生に休んでもらう予定

5.助産院の運営をサポート

  • 助産院の母乳外来やママ友向けスペースへの経済的支援
  • 被災者から母乳ケアの受診料を受け取れないという助産師さんに、お金の心配をせずに母乳支援をしてもらうよう毎月の収入分をこちらで負担

6.子育てサークル支援、被災母子の為のイベント企画・運営
  • バスを貸し切り、アンパンマンミュージアムへ母子を招待し、楽しい1日を過ごしてもらった
  • 東京でワークショップを行い、被災地でママサークルを立ち上げているリーダー、助産師、保健師、保育士、産婦人科医の方々を招き、「5年後、自分はどうなっていたいか」「5年後、どんな街にしたいか」を話し、お互いのビジョンを共有する


震災から9カ月が経過し、最初に求められていたような訪問診療のニーズはなくなりました。しかし、子育て支援の重要性はこれから、特に、母親の心をいたわり、評価する取り組みはここからが正念場です。

引き続き、息長く、祈り、思い、励まし、寄り添う姿勢を続けていきたいと思っています。


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筆者プロフィール

report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
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