CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 研究室 > 東日本大震災の子ども学:子どもの心のケア > 【被災地レポート】第9回 被災直後の経験から学ぶ、私たちの日常生活の見直し

このエントリーをはてなブックマークに追加

研究室

Laboratory

【被災地レポート】第9回 被災直後の経験から学ぶ、私たちの日常生活の見直し

吉田 穂波 (産婦人科医、ハーバード公衆衛生大学院リサーチフェロー、
プライマリ・ケア連合学会被災地支援チーム(PCAT)派遣医師)

2011年9月30日掲載

要旨:

今回の被災地支援を通して、多くのことを学んだ。震災後にいざという時の備えができていたかどうか考えさせられた人も多いであろう。震災直後に特に困ったこととして、情報と物資の不足があげられる。被災地の方々にとってはもちろんのこと、支援者である私たちにとっても情報の伝達方法や、サポータの確保について日ごろから考えておく必要がある。
被災地で食料や衣類を支援する団体を作ったり、被災者の方々が平等に物資の配給を受けられるような災害時マニュアルを作成する必要性を感じた。またファミリースペースの確保も重要であると考える。科学的、統計学的な事実を明らかにした上での震災に向けての提言が、今後役立つのではないか。
震災から、子育て中の私たちが学べること

被災地支援をしていると、サポートしている私たちの方が学ばせていただいていることが多いと感じます。普段の生活をいつもより心をこめて過ごすことの大切さや家族のありがたみは、震災後日本の誰もが感じたことでしょう。それ以外にも、震災後の人々の生きざまを見て、私たちが心に留めることは数多くあります。

例えば、沖縄には語り部と呼ばれる人々がいて、過去の経験を、次の世代に語り継ぐ素晴らしいシステムを担ってくれています。その話を聞くことで若い世代は今の生活を見直し、二度と同じ過ちをするまいと影響を受けるのです。それでは、本や論文や資料館ではなく、人が語るということがどうしてこのように認められるのでしょうか。それは、実際の体験こそが最もパワフルでインパクトをもって受け取る人の心に響くからです。感傷、と言いますが、感じる事、心情は人間の生の言葉によって最もよく表現されると言います。私たち被災地に通うボランティアは、出会った人々から聞く言葉や見る光景によって心を動かされ、この土地に愛着をもち、自分の人生に大きく影響を受けるのです。今回の多くの犠牲と辛く苦しい体験を無駄にしないために、次世代に向けて私たちが学んだことを分かち合い、人の役に立つことが私たちにできることではないか、と震災後にご縁ができた多くの人と話しています。


被災直後特に困ったこと

1)情報不足

例えば、今回の震災によって、日本全国どこにいる人も、いざという時の備えが自分に出来ていたか、という問いを突き付けられることになりました。私自身の話で言えば、私は震災のその時、幸いにも東京都内の子どもたちが通う保育園から近い場所にいました。が、保育園のママ友達の連絡先を今まで知らなかったことに気付いたのです。地震の直後、保育園児たちが無事だということを同級生のママ友達に知らせたくても、連絡する方法がありません。保育園の中にいては危険だということで近くの公園へ、そしてそのお隣の病院へ避難しましたが、心配しているであろう母親たちに何とか伝えられないものかと焦りました。保育園のスタッフが電話をしても通じません。3時間以上かけて歩いて保育園に迎えに来る親たち。子どもの顔を見てホッとするあまり泣き崩れる父親や母親の姿を見るにつけ、いざという時、電話や携帯メール以外の情報伝達方法を考えておかなければと思いました。

宮城県の子育て支援グループのキーパーソンである女性も、妊婦として、母として災害後に困ったことのトップに情報不足を挙げています。彼女は通院している産科が被災して再開の目途が立たたなくなってしまい、転院したほうがいいのかどうかの情報をどこでもらえばいいかわからなかったそうです。ほぼ一カ月近く健診が受けられず、胎児が無事かどうかは胎動で確認するしかありませんでした。また、子育てサークルのリーダーであった女性は情報通信手段がなくサークルメンバーの安否がわからず困ったそうです。結局は足を棒のようにして歩き回り、直接避難所になっている小学校や中学校に行って、サークルメンバーの安否を確認して回りました。避難所の安否不明者名が壁に張り出されているのを見て、不明のメンバーや他の場所に移転した避難者を確認しては、また別の避難所を回るという毎日だったそうです。 行方不明者が多いのが今回の震災の特徴であり、母子は特に避難所、被災住宅、仮設住宅と、転入転出などして移動、散在したため情報が伝わりにくい面がありました。

震災後半年たった今でも仮設住宅はテレビの電波が届きにくく、アナログも地デジも見られず、BSで見られるのは東京の放送だけだそうです。宮城県内や東北の情報が少なく、余震があるたびに津波警報が出ていないか確認するのに苦労している様子を聞くと、心が痛みました。仮設住宅には防災無線もなく、早くテレビの共同アンテナが立ち、地デジが受信できるようになって欲しいと願っているという話を聞きました。

私たちのような支援者としても、情報通信手段や被災地内とのネットワーク作りが当初の課題でした。被災地内の医療従事者と連絡を取ろうにもメール、電話、FAXなど連絡手段が各個人バラバラで、活動の意思統一が難しく、また、他団体とのやり取りに時間を要しました。県庁や保健所に母子手帳を配布時に把握しているはずの妊産婦情報を問い合わせても、現地にいる保健師と連絡が取れないため、沿岸の妊産婦の状況がわからず、行方不明の妊婦さんたちをどう探せばよいのか、どうすることもできないでいました。

被災地外では、被災地の情報が届かず、もどかしい思いをしていたボランティア団体が多かったようです。テレビやTwitterでどの避難所にどんな物資が不足しているか、断片的な情報は入ってきますが、被災地に必要なモノやヒトなど正しい情報を見分ける方法も、被災地への交通手段もないため、動けなかった支援プロジェクトがあっても、その情報が被災妊産婦に届きにくかったという意見もありました。

情報伝達法について、教訓となることは何でしょうか。

伝書鳩?紙媒体?ヘリコプター?それもありますが、今回のような電話回線や携帯電話が通じない時に活躍したのはインターネットでした。Skypeは震災後でも使えましたので、発災後すぐに被災地にiPadなどのモバイル端末を多数配布する、PHSをそれぞれの避難所に配布するなど、今からできるヒントがありそうです。また、他地域の親せきや知人宅の電話を非常時用に書き留めておき、家族同士の電話が通じない時、いざという時はそこに連絡を取るという方法もあります。電話、携帯メール、インターネットも使えない時はどうするか、家族で話し合っておくとよいと思います。

また、保育園や小学校のママ友達の中で、自分の子どもを託せる友人が何人かいるでしょうか?そして、そのご家族の携帯メールやTwitterアカウントを知っているでしょうか?

日常からのそんなサポーター確保が、いざという時に大きな力になります。

もう一点、支援に入った私たちが痛感したのは、全国にまたがる妊産婦支援の災害時ネットワークを平時から作っておくことの必要性です。震災とは関係なくても、同じ妊産婦に関わる者同士が仲良しの関係を作っておく、産婦人科医、助産師、小児科医、保健師など医療・保健・福祉を一元化した母子を取り巻く関係者同士、顔の見える集まりを開く、また、地域でも子育て世代とその上の世代とがコミュニケーションを取るようにする、などができないかと考えています。どこかの地区が被災したら、被災地内と外のネットワークがつながることでニーズを伝達し、知り合い同士の情報を送受信することができるようになれば、今回のように、初めての土地に行って一から地元の行政や医師会、大学病院との信頼関係を築く時間と手間が省けるかもしれません。

2)物資不足

私たちは、子育て世代を支援する一環として、宮城県のママサークルの運営を手伝っています。彼女たちからの話を聞くと、思いもよらない被災後の苦境がわかります。

まず困ったことは、着る服、子どもの靴、葬儀の際の礼服や黒い靴もないことだったそうです。家がある人は避難所に届く物資をもらえず、おむつが足りなくて困った話も聞きました。

ママサークルリーダーの一人は、当時1歳10ヶ月の長男のおむつが足りなくなりましたが、被災後自宅にいたため、支援物資としてどこで手に入るのか、情報が入ってこなくて困りました。ガソリンが入手できないか、入手できても、いつなくなるかヒヤヒヤしたという話を聞き、震災直後に石巻に支援に行き、ガソリンスタンドに1時間並んだ当時のことを思い出しました。ガソリンは命綱。これがなければ家族の食料や生活物資が手に入らず、ただでさえ困窮している家庭の健康に響きます。また、ママ友達と慰め合い、集まる場所であった公共の施設が支援物資配布場所となったため、使用できなくなったのも困ったことの一つだったそうです。電気、水道等のライフラインの不通、ガソリン不足で肉体的、精神的に苦痛が重なった上に、妊娠中や持病がある母親には医師と連絡が取れない不安、病院へのアクセスがないという不安が大きなストレスでした。

このことから、災害直後に支援する物資として、食料はもちろんのこと、衣服の支援を担当する団体があってもいいのではないかと思いました。また、子どもをもつ家庭はどうしても周りへの迷惑を気にして自宅に戻りがちです。避難所にいても半壊した自宅にいても、程度は違えど被災者は被災者として、同様に物資の配給を受けられるような災害時マニュアルを作る必要があると思いました。

また、子どもが遊ぶ場所、授乳室、お母さん同士の井戸端会議に使えるようなファミリースペースは優先順位が低いように考えられてきましたが、子どもをもつ子育て世代がいるということは避難所全体の雰囲気を明るくし、連帯や自治能力を強め、運営を円滑にします。特に、母親同士のおしゃべりができる機会は、貴重な情報収集とストレスの発散にもなり、子どもの精神面に良い影響を与えます。避難民全体の健康を考えても、子どもや母親のためのスペースをできる限り確保することを防災マニュアルなどに盛り込む必要があるのではないかと考えています。考えるだけではなく、科学的で疫学・統計学的な事実をきちんと明らかにし、誰もが納得するような根拠を示して、次の震災に向けた提言につなげていくことが、10年後、20年後に役に立つことになるのではないでしょうか。


-----------------------------------------------------

お知らせ

日本プライマリケア連合学会ではこのたび、今回の震災復興支援で学んだことを分かち合うシンポジウムを、10月9日(日)に東京医科歯科大学で開催することになりました。

復旧から復興へとフェーズが変わり、これからは地元の皆さんが立ち上がるのを傍から支援するという大切な仕事が始まります。これは決して医師だけでできることではなく、多職種での協力、民間を巻き込んだ協力が不可欠です。今こそ、私たちの力が、現地で必要とされています。このシンポジウムでは、被災地の現状を理解し、復興への課題の共有、また地元に寄り添う支援とは何か?ということを皆さんで考え、押し付けでない本当の意味での復興支援の形を模索していきます。すぐにでも被災地で支援をしたい方、現地には行けないが、自分のできることは何か考えたい方、皆さんお待ちしています。

震災シンポジウム
1.東日本大震災被災地支援チーム(PCAT)の発足とこれまでを振り返って ~震災支援におけるプライマリ・ケアのアプローチとは?~
2.PCAT のこれから ~復興のためにプライマリ・ケアが果たすべき役割とは?~

http://www.primary-care.or.jp/gmeeting/c_seminar20111008pro.html

日本のため、震災復興のため、何かしたいと思っている方々も、アイディアや力が生まれ、多職種の医療従事者とお話できるまたとない機会です。ぜひ、お誘い合わせのうえ、足をお運びください。


【被災地レポート記事一覧】
筆者プロフィール
report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

遊び

メディア

特別支援

研究室カテゴリ

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP