北海道南西沖地震の教訓を生かす
昨年1月17日の阪神大震災の発生をニュースで知ったのは、北海道の函館市(当時在住)であった。テレビに映し出されたビルの倒壊、長田区の大火災を見た瞬間から、筆者は、全神経を一つの仕事に集中させなければならず、時間との戦いが始まった。被災地への「心の救援物資」は、一刻を争っていたのだ。
取り組んだ仕事とは、被災した子どもたちの傷ついた心の理解とケアのために、被災地の学校の先生方に読んでいただく具体的な情報や対処法を示した危機介入ハンドブックの作成であった。不眠不休の作業を続け2月2日に刷り上がったばかりの『災害を体験した子どもたち―危機介入ハンドブック』(1)を兵庫県教育委員会に持参することができた。(2)
災害は被災者から家屋、財産などを一瞬にして奪い去る。しかし、災害が残したものは物理的な被害だけでなく、人々の心にトラウマを残していく。トラウマは一般に「心的外傷」と訳されており、災害によって愛する人を失った人、自分や家族が生命の危機にさらされた人などが体験する心の傷を意味する。
この傷は簡単に癒えるわけではない。すでに欧米では、1960年代から災害、事故、事件などに巻き込まれた人や目撃者、家族などが心理的にどのような影響を受けるかという調査研究が行われ、心理的危機への介入システムが整備され具体的な対策がとられている。
筆者らのグループは、北海道南西沖地震(1993年7月12日)で被災した人々や子どもたちの心のケア活動を続けていた。わが国では、災害による個人の苦しみや悲しみは我慢をすることで乗りきってもらう、または家族や親戚が悲しみを支えるものだと考えられ、心のケアの問題は長い間放置されてきた。
このような被災者の心の問題に対して、当時のほとんどの行政担当者や精神健康の専門家は関心を示さなかった。筆者らの提案した災害後の心の傷とその支援対策について「欧米と日本は違う」「実証的なデータはあるのか」「防災マニュアルの中に組み込まれていない」などのさまざまな言葉で「NO」という返事が戻ってきた。
しかし、被害の最も大きかった奥尻島の小・中学校の先生方や保護者の皆さんからは、災害後の子どもたちの心身の不調や不安などの反応についての訴えを筆者はじかに聞いていた。「災害後に心とからだが変調を起こしたり、子どもたちが以前と違う様子を見せることに対する理解や対応をするための適切な情報が欲しい」という切実な要望があがったのだ。このことによって、筆者らは保護者や学校関係者が災害を体験した子どもたちの苦しみや悲しみを理解するためのパンフレット『災害を体験した子どもたち―こころの理解とケア』を独自に作成することにふみきった。(3) 1993年12月には、被害が深刻だった奥尻町などの教育委員会を通して小学校および中学校の教職員や保護者にそのパンフレットを配布することができた。作家の柳田邦男氏は、このような被災者に対する実践的な心のケア活動は、わが国では初めての試みであったと評価している。(4)
阪神大震災での筆者らの『危機介入ハンドブック』の作成と配布は、北海道南西沖地震から得た大きな教訓から始まった。災害後のつらい時期を乗り越えてもらうためには、子ども自身の力だけでなく保護者や周囲の大人たちが正しい知識を待ち、子どもたちの傷ついた心を理解し、愛情のこもったケアをしていくことが大切である。「むしろその方法でしか癒やせない」と言っても過言ではないのだ。
阪神大震災を体験した幼児のストレス
子どもの災害体験は、親や家族との関係性やその災害体験と密接にからみ合っている。子どもは親や身近な大人の反応を識別したり、それに呼応することによって、直接的にまたは間接的に脅威や恐怖を体験するからである。両親の就業やさまざまな理由で保育所に通う子どもたちは、大震災後に保育所でどのような反応を示したのだろうか。
そこで筆者らは、災害後の保育所に通う幼児と保母の反応を明らかにするために、阪神大震災から4か月後の1995年5月に、兵庫県下の保育所に勤務する保母に調査を実施した。調査は、兵庫県下の被災地域8市8町244保育所に調査用紙を配布して郵送法で回収し、未記入の多いデータを除き、110名分を分析対象とした。保母の年齢は21歳から58歳までに分布し、平均年齢は37歳。保育経験年数の範囲は1年から38年で、平均経験年数は14年であった。
まず、保母が保育所で確認した大震災後の幼児の反応をチェックしてもらったところ、次のような結果が出た(表1)。
表1.災害後の幼児の反応 (複数回答)
その結果を見ると、「災害ごっこ」(51%)が最も多く選択され、次に「突然の騒音や振動による驚き」(50%)が続く。さらに「ひとりぼっちになる不安」(30%)や「不安傾向」(27%)などの不安の問題、「べたつき」(40%)や「一人で寝ることを嫌がる」(27%)といった退行現象の問題が目立った。
このように本調査の結果からは、災害後の幼児の示す反応はばらつきが大きくさまざまであることが判明した。こうした幼児の反応は、保護を求めるSOSのサインと言える。保母はこれらのサインを見逃さず、幼児の不安や恐怖の感情を理解し、まずは安心を与えるための応急手当ての方法を身につけることが求められる。
情報収集に努力した保母たち
先に示した幼児のさまざまな反応に直面し、保母が最も重要で深刻だったと感じた反応を一つ選んでもらったところ、「突然の騒音や振動による驚き」(26%)、「災害ごっこ」(13%)、「怖がる」(12%)、「不安傾向」(10%)の順で選ばれた。その他は、多種の反応にわずかずつ分散した結果となっていた。
また、「そのように重要で深刻だった問題は、初めての体験でしたか?」という問いに「はい」と答えた比率は88%で、なんと約9割の保母にのぼった。「その問題の解決は困難でしたか?」という質問には、3人に2人が「困難」と感じていた。
これらの問題解決について、何らかの情報を持っていた人の比率は30%で、残りの70%は情報を持っていなかったと答えていた。地震前にその問題に関する教育や研修を受けたことがある保母は、わずか9%で1割にも満たない。そのため、問題解決のために情報収集をした人が41%にもなり、困難な状況において保育業務を円滑に進めるために懸命な努力をしている姿が浮き彫りとなった。
抱えた問題を誰かに相談したかという問いには、71%もの人が「相談した」と答えており、相談相手としては上司が51%、同僚が26%となっていた。しかし、精神健康の専門家やスタッフである臨床心理士、精神科医などに相談した人は、わずか2%しかいなかった。これは、これほど子どもの災害後の心の問題が深刻な状態であるにもかかわらず、専門的な情報やサービスが提供されていない証となる結果であった。
問題が解決したか否かについての問いには、調査段階で「問題がいまだに解決していない」と答えた比率が28%もあり、困難な課題が依然として残っている結果となった。今後、災害後の幼児の問題に関する研修が必要と感じる人は保母の半数近くに達しており、災害後の心のケアに関する教育・研修の実施が望まれるところである。
被災者としての保母のストレス
保育所に通う幼児にとって身近な信頼できる大人は保母となることは疑いの余地がなく、その役割に大きな期待が寄せられる。ところが阪神大震災では、幼児だけでなく保母自身も災害を体験し被害を受けている。心とからだにさまざまなストレスを感じつつも、保育業務に従事している保母への心理的支援対策を立てるためにも実証的研究が必要となってくる。
先に示した幼児の反応の調査と同時に、保母自身のストレスも調査した。心の健康に関する測定には、スクリーニング検査としての有効性の観点からゴルドバーグらが推奨する日本版・精神健康調査票の短縮版(以下GHQ28)を使用した。GHQ28は質問項目が少なく、被調査者に過重な負担をかけることなく、短時間で実施できるという利点があり、研究実績も十分にある。




結果からは、災害から4か月後の保母の「身体的症状」に関しては、「元気がなく、疲れを感じる」と訴えていた比率が74%にものぼっていた。また、「頭が重いように感じる」(52%)、「疲労回復剤を飲みたいと思う」(51%)、「頭痛がする」(49%)と回答する比率も高く、半数が身体的な不調を訴えている(図1)。
「不安や不眠」の症状に関しては、6割強が「いつもストレスを感じる」(66%)としており、「不安を感じ緊張する」(53%)、「いらいらして、怒りっぽくなる」(52%)も半数見られた。睡眠の問題も著しく「夜中に目を覚ます」(60%)、「心配ごとがあって、よく眠れない」(56%)と、半数以上もの高い比率で問題を抱えていたことが明らかとなった(図2)。
「社会的活動障害」に関しては、「いつもより日常生活を楽しく送ることができない」(55%)、「いつもよりすべてがうまくいっていると感じない」(48%)、「いつもより何かするのに時間がかかる」(48%)などの症状が目立ち、日常の社会生活にも影響が出ていた(図3)。
「うつ状態」に関しては、「自分は役に立たない人間だと考える」(27%)と答えている人が3割近くにのぼっており、無力感にうちひしがれている様子を浮き彫りにしている。また1割以上の保母が「人生にまったく望みを失ったと感じた」(14%)、「この世から消えてしまいたいと考えた」(11%)と感じ、「生きていることに意味がないと感じた」(9%)、「ノイローゼ気味で何もすることができない」(8%)など深刻なうつ状態を示していた(図4)。
本研究で用いたGHQ28において精神医学的障害を有する事例であるか否かは、全質問28項目のうち6項目以上に「あてはまる」と回答したか否かで判定する。この判定基準に従い、精神医学的障害のおそれがあるハイリスク者と問題なし者に保母を分類した結果、実に66%がハイリスク者と分類された。
さらに、被害の大きさによってハイリスク者の比率に差があるかどうかを検討するために「全・半壊」群、「一部損壊」群、「被害なし」群の三グループを構成した。ここでは、被害の程度によって、ハイリスク者の出現率がどのように違うのかを調べた。結果を見ると、ハイリスク者と判定されたのは「全・半壊」群が73%、「一部損壊」群が72%と圧倒的に高く、「被害なし」群が37%となっていた(図5)。日本人の一般成人(正常者)を対象とする結果では、ハイリスク者は14%にすぎず、本研究で得られた保母の全・半壊と一部損壊を含めて被害があった群のハイリスク者の高い数値は、災害による影響によって増加したものと考えられる。このように、保母のストレスは、被害の有無によっても異なっており、災害から大きな心理的ダメージを受けていることが認められた。
「早期の危機介入」と「選別」のできるシステムづくりを
今回の調査結果からは、阪神大震災後、保育所に通う幼児が災害の影響からさまざまな反応を示していたことが判明した。保母も初めての体験に対して戸惑いや情報不足などの因難な状況の中で自ら問題解決に動き、懸命に保育に取り組んでいることが示された。一方、半数を超える保母が「身体的症状」や「不安や不眠」などの症状を抱え、なかには深刻な「うつ状態」を訴えている人もいた。とりわけ自宅に被害があった保母のストレスは深刻で、保母自身が災害を体験した被災者であるという動かしがたい現実が、そこにはあった。
筆者らが実施した北海道南西沖地震の被災者の調査においては、災害から10か月が経過した後でも5割から7割の人々が心身の不調を訴えている。(5) 同様に1年7か月後の小・中学校の子どもたちの調査においても、仮設住宅に住む子どもたちのストレスが高まっていることが明らかとなり、災害後のストレスが長期化することがわかっている。 これらの先行研究からは、今後保母のストレスをどのように軽減していくかが大きな課題になることが指摘できる。とくに幼児の問題が時間の経過とともに改善されていない場合に、専門家に引き継ぐために選別する知識と子どもへの対応に関する研修は欠かせない。神戸市、和歌山県、新潟県の教育委員会はいち早く情報の必要性を理解され、筆者らのハンドブックを採用し、教員らに情報を提供した。(6)(7)(8)
災害後の最も大切な対応は、「早期の危機介入」と「選別」なのである。(9)保母の対応の範囲を超えた幼児を早期の段階で判断し、地域の専門チームと連携をもって保育に取り組むことは、幼児や保護者だけでなく保母のストレスの軽減に大いに役立つシステムと確信する。
引用文献
(1)藤森和美・藤森立男『災害を体験した子どもたち―危機介入ハンドブック』北海道教育大学函館校人間科学教室 1995
(2)阪神・淡路大震災兵庫県災害対策本部『阪神・淡路大震災―兵庫県の1カ月の記録』166~167頁 1995
(3)藤森立男・林春男・藤森和美『災害を体験した子どもたち―こころの理解とケア」北海道教育大学函館校人間科学教室 1993
(4)柳田邦男「いま、なぜ心の支援か」『Security 78』 1995
(5)藤森和美・藤森立男「被災者の『心の傷』に関する研究」藤森立男編「1993年北海道南西沖地震」総合研究報告書 北海道教育大学 101~113頁 1995
(6)神戸市教育委員会『新しい教師のために』1995
(7)和歌山県教育委員会『災害を体験した子どもたち』1995
(8)新潟県教育委員会『災害を体験した子どもたち』1995
(9)藤森和美・藤森立男『心のケアと災害心理学』芸文社 1995
この傷は簡単に癒えるわけではない。すでに欧米では、1960年代から災害、事故、事件などに巻き込まれた人や目撃者、家族などが心理的にどのような影響を受けるかという調査研究が行われ、心理的危機への介入システムが整備され具体的な対策がとられている。
筆者らのグループは、北海道南西沖地震(1993年7月12日)で被災した人々や子どもたちの心のケア活動を続けていた。わが国では、災害による個人の苦しみや悲しみは我慢をすることで乗りきってもらう、または家族や親戚が悲しみを支えるものだと考えられ、心のケアの問題は長い間放置されてきた。
このような被災者の心の問題に対して、当時のほとんどの行政担当者や精神健康の専門家は関心を示さなかった。筆者らの提案した災害後の心の傷とその支援対策について「欧米と日本は違う」「実証的なデータはあるのか」「防災マニュアルの中に組み込まれていない」などのさまざまな言葉で「NO」という返事が戻ってきた。
しかし、被害の最も大きかった奥尻島の小・中学校の先生方や保護者の皆さんからは、災害後の子どもたちの心身の不調や不安などの反応についての訴えを筆者はじかに聞いていた。「災害後に心とからだが変調を起こしたり、子どもたちが以前と違う様子を見せることに対する理解や対応をするための適切な情報が欲しい」という切実な要望があがったのだ。このことによって、筆者らは保護者や学校関係者が災害を体験した子どもたちの苦しみや悲しみを理解するためのパンフレット『災害を体験した子どもたち―こころの理解とケア』を独自に作成することにふみきった。(3) 1993年12月には、被害が深刻だった奥尻町などの教育委員会を通して小学校および中学校の教職員や保護者にそのパンフレットを配布することができた。作家の柳田邦男氏は、このような被災者に対する実践的な心のケア活動は、わが国では初めての試みであったと評価している。(4)
阪神大震災での筆者らの『危機介入ハンドブック』の作成と配布は、北海道南西沖地震から得た大きな教訓から始まった。災害後のつらい時期を乗り越えてもらうためには、子ども自身の力だけでなく保護者や周囲の大人たちが正しい知識を待ち、子どもたちの傷ついた心を理解し、愛情のこもったケアをしていくことが大切である。「むしろその方法でしか癒やせない」と言っても過言ではないのだ。
阪神大震災を体験した幼児のストレス
子どもの災害体験は、親や家族との関係性やその災害体験と密接にからみ合っている。子どもは親や身近な大人の反応を識別したり、それに呼応することによって、直接的にまたは間接的に脅威や恐怖を体験するからである。両親の就業やさまざまな理由で保育所に通う子どもたちは、大震災後に保育所でどのような反応を示したのだろうか。
そこで筆者らは、災害後の保育所に通う幼児と保母の反応を明らかにするために、阪神大震災から4か月後の1995年5月に、兵庫県下の保育所に勤務する保母に調査を実施した。調査は、兵庫県下の被災地域8市8町244保育所に調査用紙を配布して郵送法で回収し、未記入の多いデータを除き、110名分を分析対象とした。保母の年齢は21歳から58歳までに分布し、平均年齢は37歳。保育経験年数の範囲は1年から38年で、平均経験年数は14年であった。
まず、保母が保育所で確認した大震災後の幼児の反応をチェックしてもらったところ、次のような結果が出た(表1)。
表1.災害後の幼児の反応 (複数回答)
幼児の反応 | % | |
1. | 緊張 | 15 |
2. | ひとりぼっちになる不安 | 30 |
3. | 食欲不振 | 10 |
4. | 高いところや暗いところを怖がる | 12 |
5. | 普段よりも早く話す | 5 |
6. | 不安傾向 | 27 |
7. | 集中力に欠ける | 19 |
8. | 引きこもり | 3 |
9. | 突然の騒音や振動による驚き | 50 |
10. | 一人で寝ることを嫌がる | 27 |
11. | 悪夢 | 3 |
12. | 物忘れ | 5 |
13. | 涙もろい | 11 |
14. | 無関心 | 3 |
15. | べたつき | 40 |
16. | 怒りっぽい、いらいらする | 9 |
17. | おしゃぶり | 5 |
18. | 失禁 | 6 |
19. | 夜尿 | 5 |
20. | 寝ているときに大声を出す | 8 |
21. | 欲ばる | 2 |
22. | ききわけがない | 7 |
23. | 攻撃的な行動 | 4 |
24. | 爪かみ | 1 |
25. | 災害ごっこ | 51 |
26. | 発熱 | 1 |
27. | 怖がる | 33 |
28. | その他 | 6 |
その結果を見ると、「災害ごっこ」(51%)が最も多く選択され、次に「突然の騒音や振動による驚き」(50%)が続く。さらに「ひとりぼっちになる不安」(30%)や「不安傾向」(27%)などの不安の問題、「べたつき」(40%)や「一人で寝ることを嫌がる」(27%)といった退行現象の問題が目立った。
このように本調査の結果からは、災害後の幼児の示す反応はばらつきが大きくさまざまであることが判明した。こうした幼児の反応は、保護を求めるSOSのサインと言える。保母はこれらのサインを見逃さず、幼児の不安や恐怖の感情を理解し、まずは安心を与えるための応急手当ての方法を身につけることが求められる。
情報収集に努力した保母たち
先に示した幼児のさまざまな反応に直面し、保母が最も重要で深刻だったと感じた反応を一つ選んでもらったところ、「突然の騒音や振動による驚き」(26%)、「災害ごっこ」(13%)、「怖がる」(12%)、「不安傾向」(10%)の順で選ばれた。その他は、多種の反応にわずかずつ分散した結果となっていた。
また、「そのように重要で深刻だった問題は、初めての体験でしたか?」という問いに「はい」と答えた比率は88%で、なんと約9割の保母にのぼった。「その問題の解決は困難でしたか?」という質問には、3人に2人が「困難」と感じていた。
これらの問題解決について、何らかの情報を持っていた人の比率は30%で、残りの70%は情報を持っていなかったと答えていた。地震前にその問題に関する教育や研修を受けたことがある保母は、わずか9%で1割にも満たない。そのため、問題解決のために情報収集をした人が41%にもなり、困難な状況において保育業務を円滑に進めるために懸命な努力をしている姿が浮き彫りとなった。
抱えた問題を誰かに相談したかという問いには、71%もの人が「相談した」と答えており、相談相手としては上司が51%、同僚が26%となっていた。しかし、精神健康の専門家やスタッフである臨床心理士、精神科医などに相談した人は、わずか2%しかいなかった。これは、これほど子どもの災害後の心の問題が深刻な状態であるにもかかわらず、専門的な情報やサービスが提供されていない証となる結果であった。
問題が解決したか否かについての問いには、調査段階で「問題がいまだに解決していない」と答えた比率が28%もあり、困難な課題が依然として残っている結果となった。今後、災害後の幼児の問題に関する研修が必要と感じる人は保母の半数近くに達しており、災害後の心のケアに関する教育・研修の実施が望まれるところである。
被災者としての保母のストレス
保育所に通う幼児にとって身近な信頼できる大人は保母となることは疑いの余地がなく、その役割に大きな期待が寄せられる。ところが阪神大震災では、幼児だけでなく保母自身も災害を体験し被害を受けている。心とからだにさまざまなストレスを感じつつも、保育業務に従事している保母への心理的支援対策を立てるためにも実証的研究が必要となってくる。
先に示した幼児の反応の調査と同時に、保母自身のストレスも調査した。心の健康に関する測定には、スクリーニング検査としての有効性の観点からゴルドバーグらが推奨する日本版・精神健康調査票の短縮版(以下GHQ28)を使用した。GHQ28は質問項目が少なく、被調査者に過重な負担をかけることなく、短時間で実施できるという利点があり、研究実績も十分にある。





結果からは、災害から4か月後の保母の「身体的症状」に関しては、「元気がなく、疲れを感じる」と訴えていた比率が74%にものぼっていた。また、「頭が重いように感じる」(52%)、「疲労回復剤を飲みたいと思う」(51%)、「頭痛がする」(49%)と回答する比率も高く、半数が身体的な不調を訴えている(図1)。
「不安や不眠」の症状に関しては、6割強が「いつもストレスを感じる」(66%)としており、「不安を感じ緊張する」(53%)、「いらいらして、怒りっぽくなる」(52%)も半数見られた。睡眠の問題も著しく「夜中に目を覚ます」(60%)、「心配ごとがあって、よく眠れない」(56%)と、半数以上もの高い比率で問題を抱えていたことが明らかとなった(図2)。
「社会的活動障害」に関しては、「いつもより日常生活を楽しく送ることができない」(55%)、「いつもよりすべてがうまくいっていると感じない」(48%)、「いつもより何かするのに時間がかかる」(48%)などの症状が目立ち、日常の社会生活にも影響が出ていた(図3)。
「うつ状態」に関しては、「自分は役に立たない人間だと考える」(27%)と答えている人が3割近くにのぼっており、無力感にうちひしがれている様子を浮き彫りにしている。また1割以上の保母が「人生にまったく望みを失ったと感じた」(14%)、「この世から消えてしまいたいと考えた」(11%)と感じ、「生きていることに意味がないと感じた」(9%)、「ノイローゼ気味で何もすることができない」(8%)など深刻なうつ状態を示していた(図4)。
本研究で用いたGHQ28において精神医学的障害を有する事例であるか否かは、全質問28項目のうち6項目以上に「あてはまる」と回答したか否かで判定する。この判定基準に従い、精神医学的障害のおそれがあるハイリスク者と問題なし者に保母を分類した結果、実に66%がハイリスク者と分類された。
さらに、被害の大きさによってハイリスク者の比率に差があるかどうかを検討するために「全・半壊」群、「一部損壊」群、「被害なし」群の三グループを構成した。ここでは、被害の程度によって、ハイリスク者の出現率がどのように違うのかを調べた。結果を見ると、ハイリスク者と判定されたのは「全・半壊」群が73%、「一部損壊」群が72%と圧倒的に高く、「被害なし」群が37%となっていた(図5)。日本人の一般成人(正常者)を対象とする結果では、ハイリスク者は14%にすぎず、本研究で得られた保母の全・半壊と一部損壊を含めて被害があった群のハイリスク者の高い数値は、災害による影響によって増加したものと考えられる。このように、保母のストレスは、被害の有無によっても異なっており、災害から大きな心理的ダメージを受けていることが認められた。
「早期の危機介入」と「選別」のできるシステムづくりを
今回の調査結果からは、阪神大震災後、保育所に通う幼児が災害の影響からさまざまな反応を示していたことが判明した。保母も初めての体験に対して戸惑いや情報不足などの因難な状況の中で自ら問題解決に動き、懸命に保育に取り組んでいることが示された。一方、半数を超える保母が「身体的症状」や「不安や不眠」などの症状を抱え、なかには深刻な「うつ状態」を訴えている人もいた。とりわけ自宅に被害があった保母のストレスは深刻で、保母自身が災害を体験した被災者であるという動かしがたい現実が、そこにはあった。
筆者らが実施した北海道南西沖地震の被災者の調査においては、災害から10か月が経過した後でも5割から7割の人々が心身の不調を訴えている。(5) 同様に1年7か月後の小・中学校の子どもたちの調査においても、仮設住宅に住む子どもたちのストレスが高まっていることが明らかとなり、災害後のストレスが長期化することがわかっている。 これらの先行研究からは、今後保母のストレスをどのように軽減していくかが大きな課題になることが指摘できる。とくに幼児の問題が時間の経過とともに改善されていない場合に、専門家に引き継ぐために選別する知識と子どもへの対応に関する研修は欠かせない。神戸市、和歌山県、新潟県の教育委員会はいち早く情報の必要性を理解され、筆者らのハンドブックを採用し、教員らに情報を提供した。(6)(7)(8)
災害後の最も大切な対応は、「早期の危機介入」と「選別」なのである。(9)保母の対応の範囲を超えた幼児を早期の段階で判断し、地域の専門チームと連携をもって保育に取り組むことは、幼児や保護者だけでなく保母のストレスの軽減に大いに役立つシステムと確信する。
引用文献
(1)藤森和美・藤森立男『災害を体験した子どもたち―危機介入ハンドブック』北海道教育大学函館校人間科学教室 1995
(2)阪神・淡路大震災兵庫県災害対策本部『阪神・淡路大震災―兵庫県の1カ月の記録』166~167頁 1995
(3)藤森立男・林春男・藤森和美『災害を体験した子どもたち―こころの理解とケア」北海道教育大学函館校人間科学教室 1993
(4)柳田邦男「いま、なぜ心の支援か」『Security 78』 1995
(5)藤森和美・藤森立男「被災者の『心の傷』に関する研究」藤森立男編「1993年北海道南西沖地震」総合研究報告書 北海道教育大学 101~113頁 1995
(6)神戸市教育委員会『新しい教師のために』1995
(7)和歌山県教育委員会『災害を体験した子どもたち』1995
(8)新潟県教育委員会『災害を体験した子どもたち』1995
(9)藤森和美・藤森立男『心のケアと災害心理学』芸文社 1995