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【教育学者の父親子育て日記】 第15回 東日本大震災を受けて

北村 友人 (上智大学総合人間科学部 准教授)

2011年5月20日掲載

要旨:

東日本大震災が起こり、さまざまなことを感じたり考えたりしていますが、それらをどのように娘に伝えていけば良いのか、わからずにいます。そうした状況ですが、何よりもまず、私たち一人ひとりが自分たちにできることをしていくことが大切だと思います。また、こうした状況に対して、ユネスコのような国際機関は何をすることができるのでしょうか。今回の日記は、何を書けばよいのか、そもそも何かを書くことができるのだろうか、といった悩みを抱えながら、考えたことを言葉にしてみました。
このたびの東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。いまだに地震と津波によって失われたものの大きさすらも把握できないような状況が続いていますが、被災地の復旧、復興を切にお祈り申し上げます。

私は、今回の日記をどのように書けばよいのか、被災された方々のご苦労やご心痛を考えると、のんきに「子育て日記」を書いている場合だろうかとためらってしまい、なかなか筆が進まずに数週間が経ってしまいました。一日も早い復旧、復興を、と強く願うのですが、写真や映像を通して目にする光景は凄まじく、そうしたことを軽々に言うことはできないとも感じています。

大地震

3月11日(金)午後2時46分

ドンッ、という大きな衝撃を感じるとともに、グラグラと地面が揺れだし、まっすぐ立っていることができない状態に陥りました。今回、大きな揺れが2度ありましたが、最初の揺れで思ったことが、「震源は東京に違いない」ということでした。それまでに経験したことのない非常に大きな揺れ(震度5)でしたので、私はてっきり首都圏直下型の地震だと思ったのです。しかし、それはとんでもない勘違いでした。  地震が起きたときは大学にいたのですが、すぐさまインターネットで情報を検索すると、震源地が東北地方であることを知り、驚きました。そうこうしているうちに2度目の地震が起き、屋外へ退避するようにとのアナウンスが流されました。しばらく大学のグラウンドなどで避難していたのですが、今日はもう仕事にならないだろうから早めに帰ろうと決断し、大学を離れました。

通りには多くの人が溢れ、地下鉄やJRも動いていないことを知りました。とにかく歩いていくしかないと思いを定め、人々の列に入ります。幸い、私の自宅は、大学がある四谷から歩いても2~3時間程度の距離なので、徒歩で帰宅することにあまり抵抗感はありませんでした。しかし、多くの人々が10時間以上も歩いたり、そもそも帰宅することができずに会社のオフィスや学校の講堂・体育館などで一夜を過ごしたりしたと、あとからニュースで知りました。私の勤務する上智大学でも、帰宅困難になった方々に会議室などを開放し、使っていただきました。

さて、道路では大渋滞が起こっているなか、霞ヶ関の官庁街を横目にみながら、歩道を埋め尽くす人たちの列にまぎれて皇居のお堀沿いを歩いていると、これが尋常ではない事態であることを改めて感じました。日比谷から銀座へ抜ける道も、人と車で大混雑でした。携帯電話はつながりませんでしたが、携帯のメールで妻と連絡をとることができ、私が娘を迎えにいくことになりました。さまざまな人が指摘していることですが、今回、強く感じたことは、災害時における携帯ラジオや携帯テレビ(ワンセグ)の情報力の高さでした。私自身はどちらも持っていなかったのですが、道々、携帯テレビをもっている人に何が起こっているのかを尋ねることで、その時点で入手可能な情報をある程度知ることができたのです。

2時間半ほど歩いて、まずは月島にある娘の保育園にたどりつきました。保育園の子どもたちが怖がっていないか心配だったのですが、先生にどんな様子だったかを伺うと、「みんな、防災訓練で練習したように、落ち着いて机の下に入りましたよ。しかも、ものすごい揺れのなかにもかかわらず、とくに怖がることもなく、机の下で絵本を読んだりしていたんですよ」とのことです。子どもたちが無事で、しかもそれほど怖い思いもしなかった様子に、ホッとしました。

被災地に心を寄せるとは

私の娘も、保育園で体験した揺れは、それほど怖くなかったようです。しかし、帰宅後にテレビのニュースで繰り返し流されていた津波の映像には、大きなショックを受けたようです。港町が海に呑み込まれていく様子を、非常に怖がっていました。また、その後、ほぼ毎日のように余震が起こるなか、次第に地震も怖く感じるようになってきたようです。就寝時に、娘に添い寝をしながら私もウトウトしていると、しばしば彼女の姿が見当たらなくなります。どうしたのかと思うと、布団のなかに頭まですっぽりと入り込んで、丸まっているのです。「お布団から顔を出して寝なさい」と言うと、「だって地震が起きたら危ないもん」と答えて、布団のなかから出てきません。

東京に暮らす私たちの生活にも、今回の震災は暗い影を落としています。ましてや、被災地に住む多くの子どもたちの心のなかには、きっと深い、深い傷が残されているはずです。これから、こうした子どもたちの心のケアを、長期的な視点に立って行っていくことが欠かせません。街の復旧、復興にも長い時間がかかるでしょう。しかし、心の傷が癒えるのには、さらに長い時間がかかり、完全に癒えることもないかもしれません。いま、日本中で多くの人が被災した方々に心を寄せて、それぞれにできることを考えたり、実行したりしています。そうしたことを継続していくことが、何よりも大事なことだと思います。

東京に住む人たちも、大きな地震を体感したり、帰宅困難に陥ったりして、さらには原発問題の影響で節電をしたり、電車の本数が減ったりするなかで、今回、初めて震災というものをリアルに感じたのではないでしょうか。非常にお恥ずかしいのですが、私自身、いままでさまざまなところで震災が起こってきましたが、テレビの画面や新聞の写真などに映し出される情景は、どこか遠い世界の出来事のように感じていたように思います。それが、生まれて初めてといえる大きさの揺れを体験し、職場から歩いて帰宅することになり、食料の供給に多くの人が不安を感じたためにスーパーの棚が空っぽになるといった状況を目の当たりにして、ようやく震災の現実というものが少しは理解できたように感じます。こうした感覚を忘れずに、被災地の方々に心を寄せて、一人ひとりが何をできるのか考えていきたいと思います。

今回、被災地に心を寄せるということについて、真剣に考えさせられています。いまだに答えは見つからないですし、何もたいしたことができない無力感を感じてもいます。ただ、こうして考え続けていくことが、最も大切なことではないかと思っています。そして、こうしたことを、どうやって娘に伝えていくのか。それは、簡単なことではありませんが、日々の生活のなかで少しずつ伝えていくことができればと思っています。

ユネスコができること

この「子育て日記」の第1回目でご紹介したのですが、第二次世界大戦が終わり、国際社会が真剣に平和な世界の実現を願い、そのために教育、文化、科学といった領域で平和について考えていくための国際機関としてユネスコが設立されました。こうしたユネスコの理念に共鳴し、敗戦国として国際社会への復帰が認められていなかった日本でも、草の根レベルで平和な社会を実現するための市民活動として、民間ユネスコ運動が始まりました。そのユネスコ運動の発祥地が、仙台でした。仙台を中心に、東北地方でユネスコ運動が活発化し、それが日本のさまざまな地域へと広がっていきました。そうした運動が、日本政府を動かし、ユネスコを動かして、日本がユネスコに加盟する道筋をつけたのです。

今回、被災された地域には、こうしたユネスコ運動の伝統が脈々と受け継がれています。ユネスコの事業のひとつに、ユネスコスクールがあります。これは、ASPnet(Associated Schools Project Network)と呼ばれる、幼稚園、小学校、中学校、高等学校で国際理解教育などを実践するための国際的なネットワークです。現在、日本では279校が参加していますが、とくに近年は宮城教育大学が中心となって参加を希望する学校に対して加盟申請のお手伝いや教育実践への支援を積極的に行っており、東北地方で大きく参加校数を増やしています。(ユネスコスクールの詳細については、財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)が運営している公式ウェブサイトをご参照ください。)

ユネスコスクールの公式ウェブサイトをご覧いただくと分かりますが、ユネスコスクールのネットワークでも被災地の学校への支援を行う動きがみられます。実は、震災の直後にユネスコに勤務する友人から電話をもらい、被災した方々へユネスコとしてどのような支援ができるのだろうかという相談を受けました。そのときに私は、学校間のネットワークであるユネスコスクールを活用して何ができるのかを考えてはどうだろうか、ということを提案しました。実際にユネスコスクールでは、すでに支援の動きが出ていますし、これからさらにいろいろなことを考えていかれるのだろうと思います。

また、そのときの友人の話では、組織としての支援を検討することに加えて、ユネスコ職員たちの間でも募金を集めたりしているとのことでした。組織としてユネスコは、とくに科学局を中心として地震や津波に関する事業で経験を積んできていますので、そういった専門性を活かした支援を検討していることと思います。また、世界遺産の保護などで知られる文化局では、今回の震災で被害を受けたさまざまな文化的な資源を、修復や保存していくうえでの貢献ができるのではないかと思います。そして、教育局では、何よりも被災した子どもたちの心のケアに関する問題に取り組むことが必要でしょうし、自然災害や原発問題といった今回の震災で経験していることを踏まえて、どのような社会をこれから作り上げていくべきかを、次の世代の子どもたちと一緒に考えていくような教育のあり方を模索していくことが重要だと思います。

日本のユネスコ運動の発祥地である仙台を中心に、東日本の復旧・復興へ向けてユネスコには何をすることができるのか。ユネスコ、文部科学省、ACCU公益社団法人日本ユネスコ協会連盟などユネスコの事業に関わる多くの方々と共に、微力ではありますが私も考えていきたいと思っています。

今回の「子育て日記」を書くにあたり、東日本大震災によって多くの方々が苦しまれているなかで、私は何を書くべきなのか、何を書くことができるのだろうかと、悩みました。ただ、多くの方がメディアなどを通して発言したり、書いたりされているように、また私の周辺でもお互いに語り合っているのですが、私たち一人ひとりがまずは自分の仕事などに対して誠実に取り組み続け、そのうえでさらに何ができるのかを考えていくことが必要ではないかと思います。そういった気持ちを忘れずに、日々の仕事や子育てと向き合っていきたいと考えています。

次回からはまた肩の力を抜いて、娘とのやりとりや娘の周りで起こる出来事、子育てを通して感じたことなどを綴っていきますが、そうした気持ちは常に忘れずにいたいと思います。
筆者プロフィール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。
現在、上智大学 総合人間科学部教育学科 准教授。

共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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