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【教育学者の父親子育て日記】 第14回 論理力を鍛えるには(前編)

要旨:

じゃんけん遊びを通して、娘の論理力の高さに驚いた父親です。娘がもっと成長した暁には、議論をしても負けてしまう自分の様子を思い浮かべて、戦々恐々としています。とはいえ、論理的にものを考え、表現する力は、異なる文化的背景をもった人々と交流するうえで必須の能力です。また、論理力を鍛えるためには、外国語の習得が役立つと考えます。タイへ出張した際に参加した日本語スピーチコンテストでも、そのことを強く感じました。いつか娘には、その論理力を活かして、アジアの人々と積極的に交流を深めて欲しいなと願っています。
娘の論理

2月12日(土)午後1時10分

「最初はグー、じゃんけんぽん!」

このところ週末が仕事でつぶれてしまうことが多かったのですが、今日は久しぶりにのんびりと過ごせる土曜日です。外の寒さは厳しいのですが、すっきりと晴れ渡った空をみると、これは散歩日和に違いありません。娘に近所の公園まで行こうと声をかけると、大喜びです。急いで出かける支度を整え、玄関を出ようとした時です。「マフラー、要らない」と言いだし、せっかく首に巻いたマフラーを投げ捨ててしまいました。寒風が吹きすさぶ中、マフラーなしで出かけて風邪でもひかれたらたまりません。「外はとっても寒いんだから、マフラーをしないと遊びに行けないよ」と言い聞かせようとしたのですが、最近のわが娘は一度言い出すと容易には考えを変えません。ちょっとした押し問答をしていると、「じゃんけん!」と言って、冒頭のようにじゃんけんをしようとするのです。

近頃、娘は、自分の意見と親の意見が対立すると、覚えたばかりのじゃんけんで決めるべきだと考えているようです。確かに、親が頭ごなしに意見を押しつけるばかりではなく、娘にも自らの意見を通すためのチャンスをあげるべきでしょう。ただ、問題がひとつだけあります。いったんじゃんけんを始めると、娘は自分が勝つまでじゃんけんを止めないのです。そのため、こちらの言う通りにさせようとするときは、この手に乗ってはいけないと分かってはいたのですが、ついつい娘のじゃんけんに付き合ってしまいました。ここでじゃんけんを拒否すると、自分の思うようにならないと言って泣きわめき、さらに面倒臭いことになりそうでしたから...。そこで、娘の言い分に応じてじゃんけんをしたところ、見事に娘が勝ったので、マフラーに関しては私が譲歩することになりました。

ところで、今回のじゃんけんをするにあたって、本当は私にはかなりの勝算があったのです。なぜなら、いつも娘は「最初はグー」という掛け声をかけてじゃんけんを始めるため、勝負の際に娘が出してくる手もグーであることがしばしばだからです。どうも、まだ幼い娘にとっては、タイミングを合わせるために出したグーの握り拳を、別の手にすることがなかなか上手くいかないようです。そのため、ほとんどの場合、そのままグーを出してしまいます。こうした娘の癖に気づいていたいじわるな父親は、あえてパーを出して娘との勝負に勝とうと考えました。

「最初はグー、じゃんけんぽん!」
まんまと娘はグーを出してきました。すると、私がしめしめと思う間もなく、「やったー、サヤカの勝ちー!」と、娘が高らかに宣言するではありませんか。負けん気の強い彼女のことですから、負けたのが悔しかったのだろうと思いました。しかし、やはり勝負事は結果をきっちりとさせて、潔く負けを認める姿勢を教えることも大事なしつけだと、この理屈屋の父親は考えました。
「君はグーで、パパはパーでしょ。グーは石で、パーは紙だよ。石は紙に包まれるよね」
と、言わずもがなの説明をしてあげます。すると、
「だからサヤカの勝ちだよ!」
と、のたまうではありませんか。どういうことなのでしょうか?
娘の顔をみると、決して強がりや負け惜しみで言っているのではなく、心の底から自分の勝ちを確信しているようです。どうしてなのかと尋ねてみると、
「紙に包まれるものは、大事なものなんだよ」
とのことです。
言われた直後は意味が分からなかったですが、すぐに納得しました。お店などで商品を買うと、包装紙に包んでくれます。いつもレジのところで、娘は妻や私の傍らに立ちながら、店員さんが商品を包装する様子を熱心に眺めています。また、先日のクリスマスでも、素敵なプレゼントが色とりどりの包装紙に包まれていました。その包装紙をビリビリと破ると、なかから魅力的な玩具やオルゴールが出てきたことを、娘はよく覚えています。

そうです、娘にとっては、包装紙よりも、そのなかにある中身の方が大事なのです。そして、そんな娘の論理に一理あることを、私も認めざるを得ません。ということは、このじゃんけんは、娘の勝ちなのでしょう。子どもは風の子と言いますし、マフラーぐらいしなくても大丈夫だろうと自らに言い聞かせながら、娘と二人でようやく公園に向かったのでした。


論理的であること

今回のじゃんけん騒動では、私が思っている以上に娘が論理的にものを考えていることが証明されました。3歳にしてこのような論理を展開するのですから、末恐ろしいものがあります。10代になったら、私は娘にコテンパンに言い負かされてしまいそうな気がします。これでも、一応、学者のはしくれですから、議論にはそれなりに強いつもりでいるのですが、どうも娘にはかないそうにない予感を、いまから感じてしまいます。

ちなみに、論理的であることは、自分の考えを的確に相手に伝えたり、他者の考えを深く理解したりする上でも、重要なことだと思います。そういったことを改めて考えさせられた機会が、2月5日にタイのチェンマイで開かれた、大学生の日本語スピーチコンテストでした。今年で6回目となるこのコンテストに、タイ北部にある10数校の大学の日本語学科・日本語専攻の学生さんたちが主として参加しました。今回のコンテストの優勝者には、私の勤務校である上智大学より、一年間の留学機会が提供されるとあって、参加学生たちの熱意も例年以上に高まっている中、同僚の先生たちと共にコンテストを視察に行ってきました。在チェンマイの日本国総領事館の方のお話では、タイ人の学生さんたちによる日本語スピーチの質は、年々着実に上がってきているとのことです。以前のスピーチは、良くも悪くもタイらしいというか、情緒的な表現を重視し、あまり論理的な構成ではなく、結論も明確でないものが多かったということでした。しかし、今回、私が聞かせていただいたスピーチの多くは、伝えたいメッセージが分かりやすく表現されており、その論理構成もよくできていると感じさせられました。日本語を勉強することで、言葉の運用能力を身につけるだけでなく、論理的な考え方も鍛えられているのでしょうか。しかし、日本語という言語も、論理的な言語であるとは言い難い面があると思いますので、不思議なことです。

あくまでも私の推測に過ぎないのですが、外国語を勉強する時には、自らの母語とは異なる言語体系を身につけたり、異なる考え方に適応したりしなければならないため、自然と論理的にものを考える能力が鍛えられるのかもしれません。なぜなら、普段は無意識のうちに自らの母語で表現できることも、外国語で表現するためにはある程度意識的に語彙を選んだり、言い方を考えたりしなければならないからです。もちろん、その言葉に慣れてしまえば無意識のうちにできるようになるのでしょうが、とくに外国語を勉強し始めた当初は、かなり意識的に表現の仕方の違いについて理解することが必要になります。たとえば、英語と日本語の違いを考えると、皆さんもよくご存知のように、「いま行きます」という日本語は、英語ではI'm coming.といい、「行く」とは反対の意味の言葉である「come(来る)」で表現されます。また、日本語では受け身の表現をよく用いますが、英語ではできるだけ能動態を使うようにと言われます。そのため、英語的な考え方や見方に慣れることが必要であり、その過程で日本語と英語の論理の違いを理解することができるようになると思います。また、ボキャブラリーや表現方法に限りがある外国語を話すときほど、論理的に説明をしないと自らの思いや考えを的確に伝えることができないと思います。その意味で、外国語の習得は、物事を論理的に考え表現する、とても良い訓練になるのではないでしょうか。こういった視点から、以前のこの日記(第12回「英語を話せば『国際人』?」)で問題提起した小学校での外国語活動のあり方を、改めて見つめ直すことも必要なのかもしれません。

(後編につづく)
筆者プロフィール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。
現在、上智大学 総合人間科学部教育学科 准教授。

共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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