第一反抗期
10月1日、木曜日、午後1時00分。
学生たちと一緒にフィールド調査を行うために、タイのチェンマイに滞在して2週間が経とうとしています。私は、現地調査や国際会議などに出席するため、1~2ヶ月に1回は海外出張をする生活を送っています。こんな私にとって、インターネット電話は必需品です。先ほども、昼休みを利用して日本に電話をしました。妻と話をしていると、後ろで何だかにぎやかな娘の声が聞こえます。電話を替われと妻に要求しているようです。
「仕方ないわね。パパに、こんにちは、って言ってあげなさい」
まだ用件の途中でしたが、妻が娘に受話器を渡したようです。娘と話をしたくてたまらない私は、必死に娘に呼びかけます。ところが、「こんにちは...」と小さな声でつぶやいたきり、娘はうんともすんとも言いません。仕方がないので妻に替わってもらうと、その後ろでは再び元気に話を始める娘の声が聞こえてきます。
娘は、妻や私が電話をしていると、自分も電話に出たくてたまらなくなるらしいのですが、どうも顔の見えない受話器と会話を続けることは、苦手なようです。毎回、こんな調子ですが、娘のこうした態度で寂しい気持ちを味わっているのは私だけではありません。東京で暮らす私の母も、かわいい孫の声をなかなか聞くことができずにいます。たとえば、私が私の母と電話をしているときに、「お祖母ちゃん、こんばんは、って言って、お話をしたら」と娘に受話器を渡してあげると、「こんばんは...」と、か細い声で一言つぶやいたきり。やはり、それ以上、声が出てきません。それなのに、受話器を手放すと、また大騒ぎ。あるいは、娘が保育園で覚えてきた歌をお祖母ちゃんにも聞かせてあげるようにと仕向けるのですが、照れてしまって歌いません。そこで私が、「ほらっ、象さんの歌、歌えるでしょ」と強制的に歌わせようとすると、受話器の向こうから私の母が、「あなた、そんなに無理に歌わせようとするものじゃありません!」と、私が怒られる始末です。
こうして娘とのやりとりを改めて振り返ってみますと、いつも私の態度はこんなものです。常日頃、子どもの自主性を大事にしなければと頭では考えているのですが、思うようにならない娘を前にして戸惑ってばかりで、これでは教育学者などと名乗っていても、かたなしですね。
そんな反省をしつつ、言葉を覚え始めて、おしゃべりが楽しくて仕方のない娘と、できるだけいろいろな会話をしようと試みるのですが、どうも私の口調が命令調(あるいは指示調)になるときがしばしばあるようです。私がそうした口調になると、娘は断固として私を受け付けません。「パパ、いや!」だとか、「パパ、ダメ!」などと、しっかりと自我が芽生えて、いわゆる「魔の2歳児」と呼ばれる「第一反抗期」が始まってしまった娘とのコミュニケーションは、なかなか手強いものです。この時期の子どもの様子について、学生時代に教育心理学や発達心理学などの教科書で学んだときには、全くの他人ごとでした。しかし、いざ自分の娘と向き合ってみると、子どもの自主性を大切にしようと思いつつも、しばしば短気を起こしそうになってしまう自らをコントロールするのに苦労しています。新米オヤジの私は、まだまだ未熟です...
フィールド調査でのコミュニケーション
ところで、娘との関係づくりに劣らず難しいのが、フィールド調査での現地の人々とのコミュニケーションです。私は、毎年のようにアジアの途上国の農村を訪れ、村人や学校の先生などにいろいろなお話を聞いて回っています。しかし、よその国の人間が突然やって来て、村のなかでの教育の状況などについてさまざまな質問をしようとするのですから、村の人たちにとっては迷惑な話ですよね。そこで、できるだけ現地の大学の先生や学生さんなどの協力を仰ぎながら、まずは村の人たちとの信頼関係の構築から始めるようにします。村のことや人々の生活などについて、他愛もない話をしたりしながら、少しずつ距離を縮めることを試みます。これは、上手くいくときもあれば、なかなか難しいときもあります。それでも、根気よくお話をうかがっていると、ときに思わぬ発見があるから、フィールド調査はやめられません。
たとえば、5~6年前にカンボジアの農村で聞き取り調査を行っていたときのことです。東南アジアの多くの国と同様に、カンボジアでも就業人口の大半が農民です。農民たちの多くは決して経済的に恵まれているとはいえませんが、そうした農家において子どもたちの教育がどのような状況にあるのかを知ることが、調査の目的でした。そのため、各家庭で子どもたちの教育歴について質問をしていると、非常に興味深いことに気づきました。
カンボジアの農家では、各家庭に3~4人程度の子どもがいることが普通ですが、その子たちが受けた(あるいは、受けている)教育の段階について訊ねると、多くの家庭で男の子の方が女の子よりも高い段階の教育を受けていることが分かりました。こうしたジェンダー格差は、かつての日本でも顕著にみられたように、男の子は将来、家族を支えていく存在となることが期待されているといったことや、男の子の方がより賃金の高い職業に就く可能性が高いことなどから、基本的に家庭における教育投資は男の子を優先する傾向にあることから生じています。したがって、女の子の最終学歴がしばしば小学校や中学校であるのに対して、男の子は中学校や高校に進学している子の割合が高い傾向がみられます。
ところが、インタビューを続けているうちに気づいたのですが、そのように必ずしも男の子を優先する家庭ばかりではありません。かなりの数の農家で、女の子の方が男の子よりも高い段階の教育を受けているケースが見られることも、明らかになりました。もともと、男の子の方が教育へのアクセスの機会に恵まれているというステレオ・タイプ的な思い込みをしていた私にとって、実際には、息子さんは小学校や中学校を卒業しただけで働き出しているのに、娘さんは中学校や高校に進学しているという回答が少なからずあったことは、非常な驚きでした。そこで、そうした家庭の親たちに、なぜ娘さんの方が息子さんよりも高いレベルの教育を受けているのですかと訊ねたところ、「娘の方が、勉強が好きだったから」といった理由や、「娘の方が、勉強がよくできたから」といった理由を挙げてくれました。これらの回答は、考えてみればとても合理的で、もっともな理由なのですが、とくに途上国では男の子への教育投資が優先されて、女の子はなかなか教育を受ける機会に恵まれないという先入観をもって調査に入って行った私にとっては、まさに目を開かされるような思いがしました。
その後も、毎年のようにさまざまな農村で聞き取り調査を重ねていますが、男の子への教育が優先されるという基本的な傾向とともに、「より勉強ができる子」あるいは「より勉強が好きな子」に、できるだけ高い教育を受けさせてあげようとする家庭が、やはり少なからずあります。こうした農村の親たちの複雑な心性を理解するために、やはり地道な調査を積み重ねていくことが必要なのだと思います。(さらに調査を続けてみると、男の子の方が農作業などでの労働力になるため、早い段階で学校へ通うことを止めるケースもあるといったことも分かってきました。やはり、いろいろな理由が複雑に関係していることを、改めて感じています。)
ちなみに、途上国と較べれば格段に恵まれた今日の日本の女の子たちですが、日本でも教育におけるジェンダー格差はさまざまな面でいまだに残っています。たとえば、大学進学の際の学部選びは、その典型的な例でしょう。高校までの理数系の科目の成績に関して、男女間で著しい差がみられるわけではありません(あるいは、むしろ女の子の方がより良い成績を収めているケースも多く見受けられます)。にもかかわらず、近年、男女間の差が縮まっている傾向にあるとはいえ、いわゆる理系の学部に入学する女子学生の数は、いまだに男子学生の数と比べて圧倒的に少ないと言わざるを得ません。
実は、こうした日本の状況とは逆に、タイのエリート層の間では異なる状況がみられます。たとえば、今回のフィールド調査ではチェンマイ大学の教員や学生の方々に協力していただいたのですが、チェンマイ大学の医学部や工学部では、女子学生の数の方が多いということでした。タイでも、かつては日本と同じように女子学生が理系の学部を敬遠する傾向にあったようですが、女性の社会進出が進んでいる今日のタイ社会では、とくにエリート層においては女性でも専門職に就くことの重要性が広く認められており、理系の学部にも積極的に進学するようになっているとのことです。この辺り、日本も見習うべき点がいろいろとあるように思えます。とくに、娘をもつ教育学者としては、さらに詳しくタイの事情を勉強していきたいなと、強く思った次第です。
多文化・多民族・多言語の社会
タイでの滞在を終え、日本に帰ってきてから2週間も経たないうちに、今度は西アフリカのガーナへ出張することになりました。10月16日から21日までの2泊6日という強行日程の弾丸出張でした(現地では2泊したのみで、あとは機上か、空港での乗り継ぎ待ちでした)。ガーナの首都アクラで開かれた国際会議に出席するために、大学での講義の合間を縫って出かけたために、このようなスケジュールとなってしまいました。我ながら、わざわざ時間とお金と労力をかけてアフリカまで訪れながら、何とも勿体ないことだと思っています。しかし、それ以上の期間、日本を留守にしてしまうと、大学での仕事も滞ってしまうとともに、娘と一緒に過ごす時間がますます無くなってしまうことになります。何としても、それだけは避けなければということで、今回の日程と相成りました。
今回の出張先であるガーナは、アフリカ大陸の西部に位置し、赤道から750キロという熱帯の国です。ガーナといえばチョコレートを思い浮かべる方も多いかもしれませんが、実際、カカオはガーナの主要な産物であり、日本に輸入されるカカオの80%がガーナ産で、その優れた品質は高く評価されています。この他にも、金、ダイヤモンド、ボーキサイト、マンガンなどの鉱産資源に恵まれている国です。また、ガーナは、初代大統領であるクワメ・エンクルマのリーダーシップのもと、1957年にサハラ砂漠以南のアフリカ諸国のなかで最初にイギリスからの独立を成し遂げました。その後、軍事クーデターなどによる政治的な混乱もありましたが、1990年代からは民主的な選挙により大統領を選出するなど、基本的に民主主義が確立されており、周辺の国と比べて安定した政治体制を築いていると言えます。
短い滞在ではありましたが、今回の滞在中に、ガーナの教育についてもいろいろな話を聞く機会を得ました。そのなかで最も印象的だったのが、ガーナの高校の8割程度が寄宿制になっているということでした。50以上のさまざまな民族が共存するガーナは、まさに多民族国家であり、言語にしても公用語の英語に加えて、アカン、ダグバニ、エウェ、ガ、ンゼマ、ハウサといった異なる言語が広く用いられています。こうした多民族国家においては、民族間の融和を図ることが、安定した社会を築くうえで不可欠となります。そこで、ガーナ各地から集まった生徒たちが寄宿舎で共同生活を送り、お互いの民族についての理解を深めるために、寄宿制の高校が数多くつくられるようになったとのことです。こうした試みが功を奏し、かつては非常に稀であった異なる民族間での結婚なども、近年では徐々に増えてきているそうです。
世界中には、多文化・多民族・多言語の社会が、数多くあります。そうした社会において、国家として、社会としての安定や統一を保つうえで、異なる背景をもつ人々の間の理解を深めることが、とても重要になります。そして、そのために教育が果たす役割も、非常に大きなものがあると思います。もちろん、教育には、人々のマインドを一定の方向へ導いてしまうという危険性もあります。しかし、前回の日記でも強調しましたが、やはり教育を通してお互いの存在や文化について学び、尊重しあうことの大切さを、私たちは忘れてはならないと思います。
ちなみに、アフリカの地図をご覧いただくと、多くの国の国境線がかなり直線的に引かれていることに気づくかと思います。これらの国境線は、もともとアフリカに住んでいるさまざまな部族の居住地域を無視して、旧宗主国が植民地支配を行った際に自分たちの都合によって一方的に決めたものです。こうした旧宗主国の横暴によって、多くの部族が分断されて、異なる国に属することとなりました。その一方、それぞれ分断された部族たちが、一つの国家に同居することにもなり、結果として多くのアフリカ諸国が多文化・多民族・多言語な社会となったのです。こうした歴史を理解することなしに、今日のアフリカが直面しているさまざまな課題(貧困、紛争、等々)について考えることはできないのだということを改めて感じるとともに、アフリカに関する理解の浅い私がこんな文章を書いてしまっていることを反省したりするのでした。
天国と地獄
世界のさまざまな地域を訪れるたびに、平和な社会を築くうえで人々の相互理解が欠かせないことを再確認しているのですが、ひとたび我が家に戻ると、娘との相互理解に苦しむ自分の姿に気づき、愕然とします。
かつては、出張から帰るたびに、私の顔を忘れてしまった娘に泣かれて困ったものですが、2歳を過ぎたころからそうしたことはなくなりました。むしろ、私が出張から戻ると、満面の笑顔で走り寄ってきて、抱っこをせがむようになったのです。これは、父親にとっては至福の瞬間です。さらに、その夜は嬉しくてたまらない様子で、私と一緒に寝ると言ってきかず、2人で狭い布団のなかに縮こまって寝ることになります(いや、正確には、この年頃の子はみんな似たようなものらしいですが、娘もすさまじく寝相が悪いため、縮こまって寝ているのは私だけなのですが...)。ところが、朝になってみると、昨晩のことなどすっかり忘れたように、「パパ、いや!」、「パパ、ダメ!」、果てには「パパ、いらない!」といったセリフのオンパレードです。私が何をしようとしても言うことをきかず、抱き上げることすらも拒絶されます。こんな朝には、「相互理解」などという言葉は、夢のまた夢といった有り様です。
まさに天国から地獄へと突き落とされた父親は、娘の態度に対して本気で怒りそうになる自分を抑えつつ、毎度のように寂しく出張明けの仕事へと出かけて行くのでした。