11月17日、火曜日、午後1時45分。
あいにくの雨模様の昼下がり。江東区役所のなかのムワッとして湿度の高い一室には、子ども連れのお母さんたちが大勢詰めかけています。そのなかで、ただ一人スーツ姿の私は、何となく居心地の悪さを感じつつ、隅の方の席に腰かけ、ひたすら自分が手にした番号札の番号が呼ばれるのを待っています。
「53番の方!」
ようやく私の番号が呼ばれました。女性職員の方が待つテーブルへと移動し、準備してきた書類一式を手渡します。ざっと書類に目を通した後、その方から引越しの理由などについての簡単な質問とともに、なぜ自宅で娘の面倒をみることができないのかということを訊かれました。そこで、東京に移ってからも、妻が週2回、非常勤講師として大学に出勤しなければならないこと、そして、講義のない日には研究に専念しなければならないことなどを説明しました。幸い、その職員の方は研究者の仕事についてもある程度の知識をお持ちだったようで、娘を保育園に預けなければならない私たちの状況についても、十分理解を示してくださいました。
昨今、保育園に入りたくても定員超過で入園することのできない待機児童に関する問題が、しばしばマスコミでも取り上げられますが、とくに東京都の江東区は非常に多くの待機児童がいることで有名です。そのため、来年から江東区内に住居を構えることとなった私たちは、果たして娘を保育園に預けることができるのかどうか、心配しながら保育園の申請に臨んだのでした。
そうしたなか、担当職員の方が私たちの置かれている状況に理解を示してくださり、これは何とか良い方向へ行くかなと、多少安堵し始めた矢先でした。
「娘さんを保育園に預けなければならない状況はよく分かりましたが、北村さんは16点しか付かないですね...」
やはり、そうですか... 事前にある程度は予想していたことではありましたが、研究活動を中心とした妻の勤務状況は、フルタイムの労働としては認めてもらえないことが分かりました。他の多くの区市町村と同じように江東区でも、保育園(認可保育園)の定員よりも、保育園に入りたい子どもの数の方が大幅に超過しているため、区役所としても何らかの方法で受け入れる子どもたちを選ばなければなりません。そこで、各家庭が置かれている状況を客観的に判断するために、家庭で保育ができない度合いを測る「入所基準」というものが設けられ、さまざまな項目を点数化して、その合計点が多い順番に保育園への受け入れを決定するというシステムが作られています。そして、今回の申請の場で、妻の研究時間が就労時間としては認められず、わが家の点数は16点にとどまることが告げられたのでした。
この16点という点数は、保育園に受け入れてもらうことが、ほぼ不可能であることを意味しています。すなわち、基本的にフルタイムで働く親一人につき12点が与えられるため、フルタイムの共働の家庭の場合は24点をまず得ることができます。そして、それぞれの家庭の状況(親が病気を抱えていたり、介護をしなければならなかったり等)に応じて、さらに点数が加算されます。したがって、待機児童が極めて多い江東区の場合には、24点がほぼ最低基準に等しく、どれだけそこから点数を上乗せできるかという争い(まさに、保育園の入園権をめぐる「争奪戦」です!)になってくるのです。このような状況では、16点のわが家は、争奪戦に参戦したものの、あえなく惨敗という結果に終わりそうです。そのため、認可外保育施設である認証保育園への入園を見据えながら、来年の春の引っ越し準備を少しずつ進めるように、頭を切り替えなければなりません。
母は強し
江東区役所の一室で、わが家の点数の低さに落ち込んでいたときでした。隣のテーブルで申請をしている若いお母さんの声が聞こえてきました。
「23点ですか! 何とか、もう少し点数をもらえませんか。この子を預けないと、私は仕事に行けないんですけど。」
そのお母さんの隣に座っている2~3歳ぐらいの男の子を指さしながら、区役所の担当者に必死の思いで訴えかけていました。担当者の方も、「そうですね。何とかしたいのですが、こればかりは・・・」と、歯切れ悪く答えることしかできません。必死なお母さんの思いには我関せずとばかりに、珍しい場所に来て興奮しているのでしょうか、男の子は椅子のうえに立ち上がったり、背もたれにぶらさがったりと大はしゃぎをしていました。そうこうしているうちに、突然、男の子がバランスを崩して、椅子ごとひっくり返ってしまいました。すると、「何してるの!」という声と同時に、ピシッと男の子の頭をお母さんの手がはたき、驚いた男の子は大泣きです。
私も何とか少しでもわが家の点数を上乗せできないものかと思案に暮れていたのですが、隣の騒ぎをみているうちにそれどころではなくなってきました。まあ、わが家はどれだけ点数を上乗せしようと思っても24点には恐らく届かないでしょうから、何となく諦めがつくのですが、23点のお母さんにとっては「あと1点」さえあればという思いが非常に強いのだと思います。小さな男の子を抱えて一生懸命なお母さんの姿は、まさに「母は強し」といった雰囲気にあふれており、それを見ていた私は、「わが家の16点を差し上げます」というセリフが喉元まで出かかるほどでした。もちろん、そんなことは不可能に決まっていますが、そのときの私は、本当に「どうぞ差し上げます」という気持ちになってしまいました。
ふと周りを見回してみると、申請を受け付けているどのテーブルでも、お母さんたちが一生懸命がんばっています。そうした姿を目にすると、この「争奪戦」のライバルたちも、実はみんな、子育て真っ最中の仲間であることに、改めて思いが至りました。それぞれ、さまざまな状況のなかで、何とか少しでも自分の子どものために、そして親たちの仕事のためにという思いで、ここに来ているはずです。心のなかで、そうしたお母さん(そしてお父さんたち)に、「がんばりましょう!」とエールを送る自分がいたのでした。(よくよく考えてみると、わが家は16点しかもっていないのに、他の人たちにそんなエールを送っていたのも、我ながらのん気なものですね。)
子ども手当は必要?
今回の保育園申請を経験して、改めて待機児童問題の深刻さを痛切に感じることとなりました。私が申請に訪れたのは、受付が始まってから1週間以上経った時期だったのでそこまで混雑はしていなかったのですが、申請受付の初日には廊下まで長蛇の列ができていたとのことでした。
こうした状況を踏まえると、現在の民主党政権が推し進めようとしている子育て支援政策には、どうも疑問をもたざるを得ない面があります。子育て中の親(とくに0歳~3歳の子どもをもつ親)にとって、子育てと仕事の両立は最も重要な課題の一つであると思います。そうしたなか、現在、民主党政権が導入しようとしている「子ども手当(毎月一人あたり26,000円)」の給付は、待機児童が大勢いるような地域に住んでいる家庭にとっては、問題の改善・解決になかなか結び付かない恐れがあります。つまり、給付金を受け取っても、そもそも子どもを保育園に預けることができなければ、親は仕事に行くことすらできません。そして、その給付金は、母親が仕事に就いた場合に得られる収入と較べたら、かなり少ない金額にしかなりません。また、金銭面のみの話ではなく、女性がキャリアを作っていくうえで、あまりに長い期間、仕事から離れることの不利益は、容易に想像がつきます。したがって、根本的な子育て支援は、やはり保育施設の拡充にあるというのが、この問題に直面している当事者の一人としての実感です。
確かに、厚生労働省は保育施設の設置基準を、待機児童問題が深刻な大都市では緩める方向性も打ち出していますが、保育の質の悪化を招くことが懸念されます(そもそも、基準緩和については閣内でも異論がありました)。また、認可保育園に入れない場合は認可外保育施設に預けるという選択肢があり、子ども手当の給付金は、一般的に認可保育園よりも割高になるそれらの施設に支払う保育費用の助けになるという考え方もできるかと思います(それらの施設のなかには、とても質の高い保育をしているところもあるので、わが家にとってもそうですが、一つの選択肢になります)。しかし、やはり政府の責任として、認可保育園の数をまず増やすことが、何よりも取り組むべき課題だと思います。
もちろん、各家庭の所得に応じて、家計に対する直接的な支援も重要ですが、この点に関しては児童手当や生活保護などの現行の諸制度で対応することが可能であり、必要に応じてそれらの拡充を検討すべきではないでしょうか。
民主党の取り組みには、話題となった「事業仕分け」をはじめ、いろいろな課題を抱えてはいるものの、これまでの政府とは違った新しい政治のあり方を目指していることが感じられ、期待をもってみていきたいと思います。しかし、それと同時に、すでに多くの人が指摘していることですが、必ずしもマニフェストにとらわれることなく、現場が本当に必要としているものに対して柔軟な姿勢で方策を考えていって欲しいとも思います。いずれにしても、政権交代が起こったのは、政治や行政のさまざまなプロセスが、国民の目が十分に届かないところで行われていたという不満があったからだと思います。その意味では、透明性の高い政治や行政のあり方について、政府や役所に任せっきりにするのではなく、私たち国民一人ひとりも、高い意識をもって注視していくことが欠かせません。
ただし、これは、言うは易しですが、忙しい毎日のなかで、常に実行していくことは必ずしも容易ではありません。私も、教育学者として、これまでどれだけ教育の現場と関わり、政治や行政に対して働きかけを行ってきたのかと自らを振り返ったときに、反省しきりです。しかし、一人の親となって、娘と向き合う日々のなかで、これまでとは異なる立場から当事者意識をもって教育について考えるようになりました。そのお蔭で、娘の世代、さらには未来の世代の子どもたちにとっての豊かな学びの場を作り上げていくために、政治や行政に対してもっと主体的に関わっていかなければと、強く意識するようになったのです。こうした覚悟をようやくもったというのもお恥ずかしい限りですが、もしかすると私は他の国の教育にばかり目を向けすぎていたのではないかと感じており、今後はもっと国内の教育問題についても勉強していかなければと思っています。
事業仕分けの功罪
先ほども触れた「事業仕分け」では、教育関連の諸事業も「仕分け」の対象となりました。教職員給与に関する義務教育費国庫負担金は、削減を伴わない「見直し」となり、実質的には現行の状況が維持される方向のようですが、その他の多くの事業に関しては事業の「縮減」あるいは「廃止」が次々と打ち出されました。それらのなかには、全国学力テストのように、「経年比較をするために規模を縮小して毎年行うべきだ」として、抽出調査にすべきだという結論になった事業もあります。ただし、全国学力テストに関しては、「学校現場において生徒や教師がどのような課題に直面しているのかを理解するために悉皆調査を行っているのだ」という主張も一方であります。こうした議論をみていると、そもそも何のために学力テストを行うのかという根本的なところで、全く異なる立場からそれぞれの意見が述べられているので、合意などが生まれるはずもありません。本来であれば、事業仕分けの場において、なぜこうした事業が必要なのかという根本的な問題を大いに議論すべきだったと思いますが、「予算削減のための場」であった事業仕分けにそれを期待することには無理があるのかもしれません。
同様のことは、他の多くの事業に関しても言えると思います。たとえば次世代スーパーコンピューターの開発に関して、「なぜ不況の現在、世界一のスパコンを開発するために莫大な予算が使われなければならないのか」という疑問が呈せられ、事実上「凍結」の判定を受けました。この判定には、ノーベル賞やフィールズ賞を受賞した科学者たちが異議申し立てを行ったので、多くの人の関心を呼びました。私も、限られた天然資源しか有しておらず、この狭い国土のなかで大勢の人々が暮らす日本が、国家としての国際的な競争力を維持・向上させていくためには、科学技術の振興は不可欠だと信じています。したがって、こうした事業を簡単に止めるべきではないと思います。そもそも、こうしたスパコンの開発に伴い、さまざまな関連技術が発展していくはずですから、「世界一」という言葉をとらえて、「何も不況のなかで世界一なんか目指さなくていい」と発言した事業仕分け人には長期的な視野や構想力が欠けていると言わざるを得ません。
とはいえ、先ほどの疑問に表わされているように、なぜ今日の不況下で、それだけ莫大な予算をつぎ込まなければならないのかという点については、文部科学省にしても、科学者たちにしても、これまで十分に国民に対して訴えかけてきたと言えないことも事実です。その意味では、今回の事業仕分けを良い機会と捉え、科学技術開発のあり方について国民的な議論を喚起していくことが重要だと思います。こうして考えてみると、事業仕分けには拙速な結論を導いてしまった事業が多々あるという「罪」の側面はあるにしても、国民の間に政治の当事者となる意識を呼び起こしたという点では「功」も多かったのではないでしょうか。
当事者意識の覚醒
今回の保育園申請は、必死なお母さんたちの姿を目の当たりにしたことで、今日の保育をめぐる状況を理解するための貴重なフィールドワークの機会となりました。こう書いてしまうと、観察者気分が抜けておらず、当事者意識が低いのではないかと、妻や娘に叱られそうです。いえいえ、そんなことはもちろんありません。区役所では、「あと1点」を求めて懸命に訴えかけていたお母さんの姿に、私の妻の姿を重ね合わせてみていました。子育てをこなしつつ、大学で講師をしたり、研究者としての時間も確保したい妻の姿を傍らでみていると、娘の保育園の受け入れに対しても必死な妻の思いが日々、ひしひしと伝わってきます。母親としての役割と両立させながら、研究者としてのキャリアをどのように作っていくのか、妻にとってはとても大きな挑戦です。そうしたなか、果たして私はどれだけ妻をサポートできているのでしょうか。今回の経験を通して、夫として、父親として、まさに私の当事者意識が試されているのだと改めて強く感じました。
また、今回、考えさせられたのは、研究活動で一日の大半を過ごしている妻の仕事に関して、大学の図書館や自宅で行っており、正規雇用された常勤研究者ではないという理由で、研究時間を就労時間として認めてもらえなかったことです。こうした状況は、事業仕分けでいみじくも科学技術の振興や科学者の支援などに対する政治家たちの意識の低さが垣間見られたことと無縁ではないと思うのですが、日本の社会のなかに学術活動に対する十分な理解が共有されていないことが一因としてあるのではないでしょうか。
たとえば、非常勤講師などの身分で研究を続ける研究者たちが常勤のポストに採用されるためには、少しでも多くの研究業績を積み上げることが欠かせません。しかし、とくに出産のために一時期、研究を離れなければならない女性研究者にとっては、もう一度第一線へ戻ろうと思って研究活動を再開しようとしたときに、子どもを保育園に預けることができなければ、なかなか十分な研究時間を確保できるとは思えません。このような状況に対して、女性研究者支援のための助成プログラムが少しずつ整備されてきてはいますが、いまだ不十分であると言わざるを得ません。
実は、今回の日記を書き始めてから、バタバタと出張などが重なったために、現在では12月初頭になってしまいました。丁度、昨日(12月3日)、秋篠宮家の長男の悠仁さまがお茶の水女子大学の保育園に入園することが決まったというニュースが流れていました。お茶の水女子大では、紀子さまが健康などをテーマにした研究に取り組まれており、子どものいる女性研究者を支援するために同大がつくった制度を利用して、今回の入園が決まったとのことでした。こうしたニュースを目にすることで、女性研究者の支援に関する問題についても、少しでも多くの人たちが関心をもってくれるようになると良いなと思わずにいられません。
当事者意識をもって、世の中のさまざまな問題に目を向けてみると、江東区の保育園申請の受付会場とスーパーコンピューターの開発現場との間には、実はそれほど大きな距離はないのかもしれません。どちらも、この国の将来を見据え、次の世代の子どもたちが幸せに暮らすことのできる社会を考えるうえで、まさに私たち一人ひとりが当事者として考えなければならない問題なのではないでしょうか。