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【教育学者の父親子育て日記】 第4回 急な発病への「正しい」対応

要旨:

3歳になる娘が突然39度3分の高熱を出した。もしや流行りの新型インフルエンザでは?ワクチン不足で予防接種を受けていない娘。落ち着いて何をすべきかを的確に判断した妻に引きかえ、頭の中が真っ白になってしまった筆者。情報は新聞やテレビで散々見聞きしたはずだが、いかに理解していなかったかを反省した。また、以前滞在していたアメリカの医療システムについて紹介。特に幼い子どもにとって、日本のような国民皆保険制度がいかに安心感を与えてくれるものかを痛感する。日本など子育て情報が豊富な国でも親が子どもの健康管理を行うことは大変なことだが、途上国では公衆衛生に関する親の知識不足がさらに状況を困難にしている。カンボジアの例を挙げて紹介する。

新型インフルエンザ?

12月27日、日曜日、午前5時30分。

年の瀬も押し迫った日曜日の明け方、娘の泣き声でたたき起こされました。顔のみならず、手足まで真っ赤にした娘は、隣に寝ていた妻にブルブル震えながらしがみついています。慌てて体温を測ってみると、39度3分の高熱です。4月で3歳になる娘は、1歳のころに何度か高熱を出して以来、久しく熱など出さずにいたため、すっかり油断をしていました。ただ、年末になって急に寒さが本格化してきたので、用心をしなければなと、何となく思っていたところでもありました。

 

それにしても、この時期にいきなりの高熱となると、やはり新型インフルエンザ(H1N1)に感染したのではないかということが、まず何よりも心配になります。昨日の夜までは非常に元気で、親の方がくたびれてしまうぐらいの勢いで思いきり遊んでいたのですから、今朝の様子は本当に驚きです。私が茫然としていると、泣きじゃくる娘をあやしていた妻から、子どもの急な発病への対応をまとめたマニュアルがあるから、それをみるようにとの指示を出されました。慌ててマニュアルを調べたところ、子どもの状態によって異なる対応をとるべきことが説明されています。そのマニュアルによれば、発熱だけでしたらそれほど心配ないようですが、ひきつけを起こしたり、呼吸が異常に荒かったり、さらには嘔吐などを伴っているようならば、注意が必要だということです。その意味では、娘は確かに高熱のために苦しそうですが、ひきつけなどの異常な様子はみられません。

少し心の余裕が生まれたので、今度はインターネットで子どもの発熱や新型インフルエンザに関する情報をいろいろと検索してみました。厚生労働省をはじめとした行政機関や病院などの公的機関にとどまらず、さまざまな人がインターネット上に情報を掲載してくれているため、こうしたときはやはり心強いですね。いくつかのサイトをみているうちに、新型インフルエンザに感染したとしても、先述のような異常な症状をみせない限りは、季節性インフルエンザのときと同じように対応すれば良いことが分かりました。考えてみると、こうした情報は、これまでにも散々、新聞やテレビなどで見聞きしてきたはずなのですが、私がいかにそれらの情報をいい加減にしか理解してきていなかったかが、こうして実際に問題が起こってみるとよく分かります。非常に反省をしました・・・。

そのように、無力な父親がインターネットにすがりついている間も、妻は娘のための氷枕を用意したり、汗をかいた娘の下着を替えたりしています。私も何か手伝えないかと思ったのですが、すでに妻が一通りのことはしてしまったので、後は娘の容態が急変したりしないかを観察しつつ、熱が下がってくれるのを待つしかありません。幸い、ぐずつきながらも、何とか再び眠りについてくれたようです。

少々ホッとしながらも、これだけでは果たして娘が新型インフルエンザにかかったのかどうかは分かりません。感染の有無を調べるには、病院で検査をしてもらう必要がありますが、今日はあいにくの日曜日。また、もし感染していた場合には、むやみに病院へ行って感染を拡げてもいけないですし。ただ、頭ではよく理解しているのですが、やはり実際に自分の子どもが苦しそうにしている様子をみると、少しでも早く医師に診てもらいたいと思うのも、親としての偽らざる心境です。このあたり、世の中の親御さんたちは、みんなジレンマを感じるのではないでしょうか。

ちなみに、なぜこれほどまでに私が慌てたのかというと、娘は新型インフルエンザに対する予防接種を受けておらず、幼児がこの新型インフルエンザに感染すると重症化するケースがあるということが頭にあったからでした。そもそも、新型インフルエンザに備えるため、娘に予防接種を受けさせるつもりでいました。しかし、新型インフルエンザの予防接種に関しては、国内のワクチンの備蓄量に限りがあるため、医療関係者から始まり、乳幼児や老人、持病をもった人などに対する接種の優先順位が決められており、その順番を待つ必要がありました。そのため、幼児に対する接種が可能になるタイミングを待っていたところ、ようやく幼児への順番が回ってくるという情報が11月に入ってから報道などで伝えられたので、早速、かかりつけの小児科に連絡をとりました。ところが、時すでに遅く、かかりつけの小児科ではワクチンの在庫がなくなってしまうため、新たな予約を受け付けることはできないと告げられました。どうも、他の保護者たちは、かなり早い時期から予防接種の予約を入れていたようなのですが、私たちは完全にタイミングを逃してしまいました。

いくつか、他の病院にも訊いてみましたが、どこもワクチン不足だとのことです。こうなったら仕方ありません。覚悟を決めて、とにかくインフルエンザに感染しないように、できるだけの備えをするとともに、完全な予防など不可能なのですから、罹った時にはきちんと状況を把握して、落ち着いて行動しようと、夫婦で誓ったのでした。実際、娘が高熱を出したとき、妻は落ち着いて娘の様態を把握し、何をすべきかを的確に判断していました。それに引きかえ私は、そんな誓いはどこへやら、頭のなかが真っ白になってしまいました。情けないのですが、これが父親の、そして教育学者の実態です。

それにしても、新型インフルエンザのワクチンに関して、確かにもっと早い時期に予防接種の予約をすべきだったとは思いますが、それと同時に、11月初旬の時点ですでにワクチンの備蓄がなくなってしまっていたというのは、正直、驚きでした。これでは、予防接種を受けたくても受けられなかった人が、日本中には大勢いることと思います。新型インフルエンザの問題は、今シーズンだけで終わることではありません。中長期的な視点からのワクチン供給のメカニズムが、少しでも早くできることを願っています。


驚異の回復力

そんなこんなで父権失墜(もともと、どの程度の「父権」があったのか分かりませんが)の早朝でしたが、しばらく眠っていた娘がまた泣きながら目を覚ましたときに、なぜか「パパー、パパー」と言いながら私の方へ寄ってきました。情けないオヤジでも、こうして娘が苦しんでいるときには、とにかく何でもいいからできることをしてあげなければ。ぐずる娘を抱きかかえ、再び眠りに戻れるようにと、なだめていました。しばらくすると落ち着いてきたようなので、娘を抱えたままソファーに座り、「よしよし、いい子だ、大丈夫だよ」などと、娘をあやし続けました。しばらくすると娘が眠りに落ち、気づいたら私もウトウトしていました。そのうち、ピリピリと腕がしびれて目が覚めたのですが、どうやら2時間ほども同じような姿勢でいたようです。娘の病気に対する危機管理では大した役に立たなかった私でしたが、少なくとも娘が心地よく眠れるような環境作りには、多少の貢献ができたようです。

ふと気づくと、先ほどまで猛烈に熱かった娘の顔や手足が、それほどでもなくなっています。まだ眠っている娘の腋の下へ体温計を差し込んで、しばらく待つと、何と36度2分まで体温が下がっています。明け方5時半には39度以上あった熱が、午前11時ごろには平熱に戻ってしまったのでした。訳が分からなくなりながらも、妻を呼んで改めて熱を測ってみても、同じような結果です。やはり、熱が下がったのでした!

しばらくして、ゆっくりと目を覚ました娘に、「何か食べる?」と聞くと、コクンとうなずきました。病気のときには、水分を摂ることがまず何よりも大事ですから、少しスポーツ・ドリンクを飲ませて水分補給をしたうえで、消化によいおかゆを食べさせました。すると、あっという間におかゆを平らげると、「もっと、もっと」と言いながら食卓のうえに置いておいたパンをパクパクと食べていきます。「あれっ、さっきまで高熱を出してうなっていたのではなかったっけ」と、こちらが呆気にとられているのにも構わず、すごい食欲をみせる娘です。この様子ならば一応大丈夫かなと思い、妻と顔を見合せてホッとしたのでした。

それにしても、子どもの回復力には驚かされるばかりです。旺盛な食欲をみせた後は、少しいつもより長めのお昼寝をしましたが、それ以外はいつものように遊んだり、絵本を読んだりして一日を過ごし、夜になっても特段に熱が上がることもなく、娘の高熱騒動は収まってしまったのでした。実は、このように娘の生命力の強さを感じさせられたのは、今回が初めてではありません。娘が1歳のときに半年ほどアメリカに滞在したことは以前の日記でも少し触れましたが、娘はアメリカでも何度か高熱を出しながら、毎回、見事な快復を遂げてくれました。

 


アメリカの医療システム

ところで、私たちがアメリカに滞在していたとき、やはり何と言っても気懸りであったのが、現地で発病したときの対応です。多くの方がご存知のように、アメリカの医療システムは日本のシステムとはかなり異なっており、日本人には少々分かりにくいところがあります。そのため、アメリカに発つ前から、インターネットなどを通じて現地の医療事情について詳しく調べました。

アメリカと日本の医療システムで最も異なることが、健康保険制度のあり方ではないでしょうか。日本でもよく知られているように、国民皆保険の制度がないアメリカでは、3割ぐらいの人が健康保険に加入していないと言われています。また、それぞれが自由な保険会社を選んで健康保険に加入しているため、病院によって受け付けてくれる保険会社に違いがあります。そのため、仮に健康保険に加入していても、診察を受けようと思った病院がその保険会社と契約をしていなければ、保険を適用してもらうことができないといった状況が起こり得ます。私たち家族が契約した海外旅行保険についても同様です。そのため、妻と娘よりも2ヶ月ほど早く現地入りした私は、滞在先のワシントンD.C.でのアパートをみつけると、早速近所の病院(とくに小児科)で、私たちの契約した保険会社の保険が使えることを確認したのです。

こうした保険制度は、単に不便であるばかりでなく、人道的に大きな問題をはらんでいます。先述の無保険者の多くは低所得者であり、そうした人々のなかには病気になっても高額の医療費を支払うことができないために、我慢して病院へ行かないという人が大勢いると聞きます。お金さえ払うことができれば、世界で最も進んだ医療を受けることのできるアメリカで、病院に行くことすらできない人々がいる事実。しかしながら、こうした状況が広く知られているにもかかわらず、簡単に国民皆保険の制度を導入することも難しい、社会的な土壌があります。アメリカにおける「個人」のあり方や「自己責任」という概念は、政府が多額の税金を投入して画一的な「押し付け」の健康保険制度をつくることへの、根強い反発となって表れています。そのため、1990年代のクリントン政権時代から、民主党(なかでもヒラリー・クリントンさん)が積極的に国民皆保険制度の導入を目指してきましたが、なかなか実現できずにきました。現在のオバマ大統領になって、再び新制度の確立が真剣に検討されていますが、民主党も必ずしも一枚岩ではなく、また国民の間に根深い反対の声があるなか、下手に導入するとオバマ政権の命取りにすらなるかもしれないと言われています。

 


子どもの健康を願う親の思い

家族とともにアメリカに滞在して、複雑な健康保険制度のあり方を経験した身としては、日本の制度にもいろいろと問題はあることと思いますが、国民皆保険制度がいかに私たちの生活に安心感を与えてくれているのかを痛感しました。とくに幼い子どもにとっては、日本であれ、異国の地であれ、大人が守ってあげなければ健やかに成長することはできないという当たり前のことを、娘が熱を出したり、体調を崩したりするたびに、改めて強く思います。

しかし、親や保護者が子どもの健康管理を行うということは、実はとても大変なことだとも思います。日本のように子育てに関する情報が豊富な国でも、とくに新米ママや新米パパにとっては、果たして自分たちが子どもの健康管理に関する「正しい」知識をもっているのかどうか、実際のところは不安だらけです。ましてや、子育てに関する知識を十分に得ることができない途上国の親たちは、どんな思いでいるのでしょうか。とりわけ娘が生まれてからは、研究調査で途上国の村などを訪れるたびに、そうした疑問を感じてきました。

一例として、カンボジアの識字教室で使われている教科書について紹介します。最新のデータによれば、カンボジアでは15歳以上の成人の識字率が74%(男性:85%、女性:64%)であり、とくに農村部の女性の多くには教育を受ける機会が限られているため、十分に文字を読み書きすることができません。そこで、多くの村では、農作業などが終わった夕方や週末を利用して、村の集会所や村長さんの家で識字教室が開かれます。こうした識字教室の目的は、もちろん読み書き能力の向上も目指しているのですが、それだけではありません。文字を学ぶことを通して、生活に役立つさまざまな知識を身につけてもらうことも、識字教室の重要な役割です。たとえば、カンボジアでは1,000人中125人の子どもが5歳未満で亡くなっているのですが、これは先進諸国の平均(1,000人中7人)と比べると非常に高い割合ですし、途上国の平均(1,000人中86人)と比べても高い割合です。このように乳幼児死亡率が高い理由のひとつとして、公衆衛生に関する親の知識不足を挙げることができます。そこで、教材を使って、きちんとトイレが整備されていなかったり、生ゴミの処理が適切に行われていなかったりすると、ハエなどを媒介として食事に黴菌が付着し、結果としてそれらを食べた子どもがひどい下痢に苦しむことになるといったことを、絵と文字を通して説明しています。身近な題材を通して、単に文字を覚えるだけではなく、子どもの体調管理をするうえで、生活環境の改善がいかに大切であるかといったことを理解してもらおうというのです。こうした、カンボジアの識字教材にみられるような試みは、多くの途上国で行なわれています。

今日の世界には、ちょっとした知識や、先進国では簡単に入手できるような医薬品などがあれば、守ることのできる命がたくさんあります。その意味で、少し励まされる話を聞きました。2010年1月になって、欧米諸国では、新型インフルエンザのワクチンが、当初の見込みと異なり供給が需要を上回ることが明らかになりました。これは、当初はワクチンを2回接種しなければならないとされていたところ、1回でも効果があるということが分かったり、見込まれていたよりも接種希望者の人数が少なかったことなどが、理由として考えられるそうです。こうした状況を受けて、世界保健機関(WHO)では欧米諸国で余ったワクチンを、財政的な理由からワクチンを十分に購入できない途上国へ回すように、調整を行う予定だそうです。

このように、ワクチンのみならずさまざまな医薬品を、一つの国あるいは少数の先進国で抱え込んでしまうのではなく、国際的なレベルで共有できるようなメカニズム作りがもっともっと進むことを期待しています。たとえば、今日の先進国では、さまざまな薬の開発が進んだことによって、HIVエイズに感染した人でもかなりの年数を生きられるようになりました。しかし、多くの途上国ではそのための高い薬を買うことができずに、結果として亡くなってしまう人たちが大勢います。もちろん、多額の費用をかけて医薬品を開発した製薬会社が保有する権利料をどうするのかといった問題は、簡単に答えが出るものではないかもしれませんが、こうしている間にも薬さえあれば生きていられる人々が次々に亡くなっている事実から、私たちは目をそむけてはいけないと思います。妻や私が、高熱を出した娘のことをとても心配したように、カンボジアの農村でも、子どものことを一生懸命思っている親たちの姿があります。そうした親たちの手助けが少しでもできればと願いつつ、途上国の教育のあり方についてこれからも考えていきたいと思っています。


追記 あれほど焦った新型インフルエンザのワクチン接種ですが、本稿を書き終えた1月中旬の報道では、日本でもワクチンの接種回数の基準が緩和されたことなどにより、実は国内に十分な量のワクチンを既に確保できていることが明らかになりました。いずれにしても、一般市民への情報提供のあり方も含めて、ワクチンをよりスムーズに供給するメカニズムをきちんと確立することが大切ですね。それにしても、11月の時点での騒動は、一体何だったのでしょうか・・・。

筆者プロフィール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。
現在、上智大学 総合人間科学部教育学科 准教授。

共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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