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【教育学者の父親子育て日記】 第5回 自分らしく生きるとは

北村 友人 (名古屋大学大学院国際開発研究科 准教授)

2010年2月26日掲載

要旨:

センター試験の試験監督を務めながら、娘の進路について思いを馳せる。「他者への視線、他者からの視線」というテーマで、イギリスの労働者階級の学校を舞台にした著書『ハマータウンの野郎ども』を紹介しながら、中産階級的な「学校文化」や、学校教育における社会的・文化的な「再生産」(=自分の親世代と同じような職業階層に入っていく)問題などについて語る。日本でも「格差社会」や「貧困」といった問題が頻繁に語られている現在、人々が社会に出ていく際の出発点となる学校教育のあり方について考える上で、多くの示唆を与えてくれる。また、教育研究者となるまでの思いや軌跡、留学で体験したアメリカの教育と日本で受けた教育との比較についても触れる。

子どもの進路

1月16日、土曜日、午前8時30分。

今日から始まる大学入試センター試験の試験監督を務めるために、早朝の寒風のなかを自宅から大学まで歩いてきました。真冬の寒さは身にしみますが、雪が降るなどしばしばセンター試験の日には悪天候になることを思えば、少なくとも今年は快晴の空ですから、受験生にとっては良かったなと思います。ただ、前回のこの日記でも取り上げた新型インフルエンザの影響で、受験をできない人がいるかもしれません。そういった人には追試の機会もありますので、とにかく受験生の皆さんには全力を尽くして欲しいです。

 

実は、私は自分が大学に勤めるまで知らなかったのですが、センター試験の監督は全国各地の大学の先生たちが行っています。年に一度のとても大切な日を迎える受験生の方々には申し訳ないのですが、週末の両日を朝から晩まで試験会場で缶詰になるのは、小さな子どもを抱える身としてはなかなか辛いものがあります。私の場合は幸いなことに、妻が娘の面倒をみてくれたのでまだ良かったのですが、夫婦共に大学教員である私の同僚は、二人とも試験監督に駆り出されたため、お子さんの預け先を探してとても苦労されたそうです。週末のため、普段通っている保育園に預けることができなかったようです。

試験会場では、緊張した面持ちの受験生たちが、試験の開始を待っています。やはり、例年と較べてマスクをしている受験生の数が多く目に付きます。マスコミの取材カメラも何台か会場には入っていましたが、廊下に置かれたインフルエンザ対策の消毒液のボトルを、我先にと映像に収めていた姿が印象的でした。

大学進学へ向けて、がんばっている受験生たちの姿を目にすると、10数年後には自分の娘もこうやって受験に挑むのだろうかと、やはり想像してしまいます。とはいえ、必ずしも大学に進学する必要はないとも思います。基本的に、娘には自分の好きなことを見つけて、それに一生懸命取り組んで行けるような人生を送ってもらいたいと思っているのですが、それは必ずしも簡単なことではないのでしょう。私自身もそうですが、世の中の多くの人は、自分の人生に迷ったり、悩んだりしながら生きているのだと思います。おそらく娘も、いろいろな壁にぶつかることがあるでしょう。そうしたときに、親は何をしてやれるのでしょうか。いや、何もせずに、そっと見守ってあげることが大切だ、といったこともよく聞きます。しかし、お節介やきの私は、ついつい口を出してしまい、娘に嫌がられそうな気もしています・・・

また、親が学校の先生をしていると、子どもは窮屈に感じたりすることがある、などといったことも耳にします。実は、全くの個人的な見解ではありますが、大学教員というのは他の教育段階の先生方と較べると、良くも悪くもいい加減な面をもった人たちが多いように見受けます。少なくとも私は、自分がきっちりとした、いわゆる「教師らしい」人間であるとは思いません(もちろん、「教師らしさ」とは、あくまでもステレオ・タイプ的なイメージの話なのですが・・・)。しかし、周りの人たちは必ずしもそのようには見ておらず、教師の子どもらしい振る舞いを娘にも期待されるのかもしれません。さらに、親が二人とも博士号をもっているというのは、子どもにとってはプレッシャーになるのだろうか、などといったことも考えてしまいます。妻の妊娠が分かったときに、「もし男の子が生まれたら、『博士(ひろし)』という名前にすれば、最初から『博士』だからプレッシャーもなくて良いのでは」と言ったら、妻に本気で叱られました。確かに、それこそプレッシャーをかけることになりますよね。

こんな風に、どうも私は余計なことをあれこれと考えてしまうのですが、娘に対して最も強く願っていることは、他人(ひと)の心を思いやれる子に育って欲しい、ということだけです。これは、とても単純なことですが、実に難しいことだとも思います。そもそも、自分自身を振り返ったときに、自己中心的な自らの姿にしばしば気づき、本当に他者のことを深く考えているのだろうかと、反省をせずにはいられません。


他者への視線、他者からの視線

他者を見る目、あるいは他者のことを思う気持ちというのは、まことに複雑なものです。ましてや、他者から見られる目というのは、もっと複雑なものなのではないでしょうか。

私がとても好きな本に、『ハマータウンの野郎ども』(ポール・E.ウィリス著、ちくま学芸文庫)という、非常に興味深い本があります。1970年代のイギリスの工業都市で、主に労働者階級の子どもたちが通う中等学校(11歳-16歳の子どもたちを対象)において行われたフィールド調査の結果を分析した同書は、「荒れ」ており、「落ちこぼれ」である労働者階級の生徒たち(=「野郎ども」)が、学校や将来の職業に対してどのような考え方をもっているのかを明らかにしています。この本のなかでは、こうした「野郎ども(the lads)」が、実は単に「落ちこぼれている」のではなく、彼らがもっている「反学校の文化」にもとづき、自ら進んで「落ちこぼれている」のだということを、鮮やかに描き出しています。

当時の、そして今日でも、教育社会学では、学校教育における社会的・文化的な再生産という問題が、重要な研究テーマのひとつとなっています。「学校の文化」というのは、基本的に中産階級的な文化であり、社会のなかのマジョリティが有する価値観と親和的であると考えられています。そのため、労働者階級やマイノリティの生徒たちは、学業達成の面で不利な条件におかれ、学校教育を受けていくなかで彼らの「アスピレーション(やる気・向上心)」は次第に冷やされていってしまいます。そうしたなかで、労働者階級の子どもたちは、労働市場に出ていく際に、自分たちの親世代と同じような職業階層に入っていく(つまり「再生産」されていく)ということが、指摘されています。

こうした「再生産」という現象の一因として、たとえば、多くの教師は中産階級の出身であり、教師たちの話す言葉やもっている文化が、労働者階級の生徒たちよりもホワイト・カラー階級の生徒たちにずっと近いものであることが指摘されています。つまり、無意識のうちに、教師のなかでホワイト・カラー階級の生徒たちへの接し方と、労働者階級の生徒たちへの接し方とが、異なったものになったりします。一例を挙げると、ある生徒が忘れ物をしたり、何か不始末をした際に、「今度から気を付けなさい」と言うか、「ダメでしょ」あるいは「またやったの」といった言い方をするかの違いです。往々にして、ホワイト・カラー階級の生徒たちへは前者の言い方をするのに対して、労働者階級の生徒たちには後者のような言い方になってしまいます。もちろん、ほとんどの教師たちはすべての子どもたちと平等に接しようとしているのですが、本人たちも気づかないうちに先入観を抱いてしまっており、こうした態度をとってしまう傾向があるようです。

かつては、このような社会的・文化的な再生産に関する理論において、労働者階級の生徒たちはあくまでも「受け身」な存在であると捉えられていました。つまり、たとえば教師-生徒間の人間関係を構築していく過程などで、学校によって「落ちこぼれさせられている」のだと理解されていたのです。そうした見方に対して、ウィリスは『ハマータウンの野郎ども』のなかで、実は労働者階級の子どもたちは「学校の文化」のあり方をよく理解したうえで、あえて「反学校の文化」を強調することで、自ら「落ちこぼれている」のであり、決して「受け身」なだけの存在ではないのだということを主張しています。つまり、教師をはじめとする他者から、自分たちがどのように見られているのかということを十分理解したうえで、「どうせ俺はこうなるのだろうとみんな思っているんだろう」といった思いをもって、自分たちの振る舞いや意思を決定しているのです。ただし、そのように自ら進んで単純肉体労働を中心とした職業階層に入ることによって、結果として既存の社会秩序を再生産してしまっていることが問題なのだと思います。

1970年代に書かれた本書は、今日の視点で読んでもなお新鮮な見方を提示してくれる、貴重な本だと思います。確かに、歴史的に階級社会が日本よりも明確に存在するイギリスの事例ですから、そのまますべての議論を日本の文脈にあてはめることは難しいでしょう。しかし、とりわけ、「格差社会」や「貧困」といった問題が、現実味をもって語られることの多くなった現在、人々が社会に出ていく際の出発点となる学校教育のあり方について考えるうえで、多くの示唆を与えてくれるとも思います。本書を読むと、自らが他者に対してもつ視線のあり方について考えさせられるとともに、他者からの視線をどのように意識して、その視線のなかで自らの立ち位置を決めてしまう人間の性(さが)のようなものについても考えざるを得ません。

それと同時に、人間の可能性に対して、希望ももちたいと思います。イギリスの炭鉱町に住む少年が、ボクシングをやって欲しいという父親の望みに反して、プロのバレエ・ダンサーを目指す姿を爽やかに描いた『リトル・ダンサー(Billy Eliot)』という映画があります。日本でもヒットした映画ですので、ご覧になった方も多いかと思います。他者の視線と葛藤しながらも自らの意思を貫く少年が、最後には保守的な家族の考え方までも変えてしまう、とても勇気づけられる素敵な映画ですね。こうした人が、少しずつ増えていくことで、社会も少しずつ変化していくのではないでしょうか。


研究者への道

娘の進路について考えるうちに、他者への視線のあり方、さらには他者からの視線のあり方へと思いを馳せていき、学校(ならびに学校文化)というものを改めて見つめ直すことの重要性を感じました。これも、土曜・日曜の両日にわたり、朝の9時から夕方6時まで試験監督を務めるなかで、たっぷりとある時間を使って思索にふけった結果かもしれません。(もちろん、監督もきちんとしていました!)

ところで、私自身の経験を振り返っても、他者からの視線を知らず知らずのうちに強く意識しながら、学校生活を送っていたことに気づきます。私が、途上国の教育について研究をしたり、実践に関わったりしたいと思ったのは大学生のときでしたが、「教育」という営みに関心をもつようになったのは、おそらく小学校5年生のころだったと思います。当時の担任の先生が強い信念をもった方で、教室における秩序を形成するうえで、他の生徒の模範となる「優等生」の役割をとても重視されていました。そのため、クラスのなかで比較的成績もよく、活発であった、私の親友と私の2人が、クラスのリーダーとして模範的な行動をとるように期待されたのです(自分でこんなことを書くのも恥ずかしいのですが、お付き合いください)。そして、クラスのなかで何か問題が起こる度に、その問題を起こした当事者のみではなく、必ず私の親友と私の2人が放課後に残されて、「あなたたちがもっとしっかりしないといけない」と、叱責を受けたのでした。いまから思い返すと、なかなか強烈な体験だったのですが、当時の純朴な私たちは、一生懸命、クラスのなかのロール・モデルになろうと努めていました。このころからでした。私が他者からの視線を気にするようになり、人から期待されるように自らの行動を律しようと、常に心を砕くようになったのは。(いまとなっては、その彼ともお酒を飲みながら、思い出話として笑いながら振り返っていますが、当時の私たちにとってはとても大きな責任を感じる役割でした。)

ところが、そんな毎日を過ごしているうちに、自分では自覚していなかったのですが、何だか学校へ行くことが辛く、苦しくなってきました。授業を受けていても気分が悪くなり、保健室で休んでは母に迎えに来てもらったり、学校へ行くために家を出ても途中で吐いてしまい、家に戻ったりといったことが起こります。そうして家で休んでいると、たいてい11時半を過ぎるころには、不思議とすっかり元気になってしまいます。いま考えると、「もう今日は学校に行かなくても良いな」という判断を、無意識のうちにしていたのですね。こうした状況は、いまでいう不登校(当時の言い方では登校拒否)というほどではなかったのかもしれませんが、結局一年ぐらい続いたのでした。

このときの経験を、高校3年生のときに交換留学生としてアメリカの公立高校に1年間通うなかで思い出したのでした。アメリカへ初めて渡り、現地の高校に通い出すと、それまでに受けてきた学校教育とは全く異なる教室の形態に驚きました。私が通ったカリフォルニア州の公立高校では、単位制が導入されていたため、日本の高校でいう「学級」がありませんでした。それぞれの生徒は個別の時間割で授業を履修し、教室も科目別に分かれているため、数学の教室や英語の教室に先生が待っており、そこへ生徒たちが集まってくるというスタイルをとっていました。このスタイルは、私にとって衝撃でした。

こうした学校文化のなかでは、教室のオーナーは先生であることが明確です。それに対して、日本の学校では生徒たちが教室の主であり、そのために私の担任の先生は、生徒のなかにリーダーを置くことが重要だと考えたのでしょう。これもある種の個人主義の表れかもしれません。私が、アメリカでこのことに思い至ったとき、単純な発想かもしれませんが、もし私がアメリカで学校に通っていたら、学級におけるロール・モデルとしての役割を求められることもなく、あんなに苦しい思いをしなくても済んだのではないかと考えたのです。(ただし、これもアメリカ滞在中に気づいたのですが、アメリカでもミドル・スクール(中学校)までは学級があり、たとえ私がアメリカに生まれ育っても、同じような経験をした可能性はあったようです。)

いずれにしても、このような経験から、国ごとに異なる教育のあり方、学校のあり方といったものに関心を覚えるようになり、異なる社会における教育の意味といったものについて考えるために、大学で教育学を専攻しようと決めたのでした。しかし、大学進学にあたり、教育学を専攻して、将来は研究者になりたいということを私の両親に話したところ、父親(つまり私の祖父)が教育心理学の研究者であり教育者でもあった母は「血は争えないのね」と賛成してくれましたが、父からは「大学の先生などには、なりたいと言ってもなれるものではないし、そもそも男ならば経済や法律を勉強すべきではないか」といって厳しく反対をされました。いまになってみれば、社会のなかでビジネスマンとして長年にわたりさまざまな経験を積んできた父の、親心からのアドバイスだったのですが、当時の私は真っ向から反発し、意地でも教育学の研究者になってみせるといった思いで、大学に進学しました。

その後、紆余曲折はありましたが、いまこうして曲がりなりにも教育学者として仕事をできるのも、実は大学進学の際に父から厳しく反対されたお蔭だったのではないか、と思っています。と言うのも、私が専門としている途上国の教育開発に関する研究は、日本での研究の蓄積が浅く、私が大学院に進学したころ、さらには大学院を修了する間際になっても、なかなか大学でのポストがないといった状況であり、職探しに苦労したからでした。そのような状況でしたから、もし大学院に進学することを最初から父に諸手を挙げて賛成されていたら、どこかに甘えが生じて、途中で諦めていたかもしれません。しかし、意地でも研究者になると主張して、父の反対を押し切って選んだ道でしたので、簡単に引き下がることなどできません。結果として、それがいまに繋がっているのではないかと思います。


 

自分らしい生き方

2月を迎えて、受験シーズンが本格化しています。いま必死でがんばっている受験生の皆さんにも、また私の娘を含めた将来の子どもたちにも、ぜひ自分の好きな道をみつけて、自分らしい生き方をしていって欲しいですね。そのために、受験というハードルも、自らの願いを実現する道程の一つのステップとして、思いきり挑戦することが大切だと思います。

とはいえ、自分らしく生きるというのは、とても難しいことでもあります。他者からの視線を受けるなかで、ハマータウンの「野郎ども」のように、社会秩序に合わせて自分を枠にはめて、自らの立ち位置を規定してしまうことがあるかもしれません。

また、あるインタビューで反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが、ホームレス支援を通して、「『捨てられた物を食べたとき、何かを失ったと感じた』という言葉を何度も聞いた。頑張れと言うのは簡単。そうではなく、みんなが堂々と生きられる社会にするのが大事なんだ」(朝日新聞「be」、2009年6月27日掲載)と語っています。社会から切り捨てられたホームレスの人々の姿は、私たちにとっても決して他人ごとではありません。みんなが堂々と生きられるような社会を築いていくためには、たとえば学校のなかで自ら「落ちこぼれ」ていくような道を選ばずに済む、「学校の文化」のあり方というものも、改めて問い直していくことが必要だと感じています。

娘が大きくなったときに、私自身はどのような父親でいられるのでしょうか。単に物分かりの良い親でいるのではなく、ときには娘にとっての壁のような存在になることも必要なのでしょう。私の父の背中をみても、10代後半のころには理解できなかったことが、30代後半になってようやく分かり始めてきたような気がします。私の娘にとっても、そんな父親となれるよう、まずは私自身が自分らしく生きていきたいと思います。

筆者プロフィール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。
現在、上智大学 総合人間科学部教育学科 准教授。

共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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