2月23日、火曜日、午後8時30分。
「おとうさん、行ってきます!」
あれっ、何か変です。明日から私が2週間の海外出張に行くため、「パパに『行ってらっしゃい』を言ってあげなさい」と妻が娘に促したところ、出てきたがこのセリフです。嬉しそうに同じ言葉を繰り返す娘に、「君がお出かけするの?」と尋ねると、「ううん、パパがお仕事に行くの」と答えた様子からは、娘のなかで状況は正確に理解されていることが窺えます。それでは、なぜこのセリフなのでしょうか...。
今年の4月で3歳になる娘は、ものすごい勢いで新しい言葉や情報を手に入れています。そして、ときに、とても論理的に物事のあり様を捉えているようです。教育心理学の教科書を開くと、多くの幼児が3歳ごろまでに三語文(3つの単語を並べた文章。最初のうちは、助詞や助動詞を付けずに単語の羅列となりやすい。)を話すようになることが説明されています。そして、3つの単語をつなげられるようになると、その後はどんどん単語の数を増やし、徐々に文章を作ってお話ができるようになっていきます。また、この時期は「命名期」とも呼ばれ、「これ何?」、「あれ何?」といった具合に質問を重ね、そのなかから多くのボキャブラリーを身につけていきます。こうした教科書のなかで学んだようなことが、娘の成長を見ていると実際の経験として理解することができるようになります。
たとえば、ハイチの大地震の後、多くの子どもたちが孤児となり、日々の食べ物にも事欠く状況がテレビのニュースで流れていました。それまで夢中で積み木遊びに興じていた娘が、小さな子どもたちが辛そうにしている映像に気づき、この子たちはどうしたのかと訊いてきました。そこで、「この子たちは、食べる物がなくて、とってもお腹を空かせているんだよ」と説明すると、「どうして食べる物がないの?」と重ねて訊いてきたのです。この質問に答えるのは、なかなか難しいことです。基本的に、世界でも最貧国のひとつとして数えられるハイチには、十分な食糧を入手するための経済的な蓄えがないことは明白です。しかし、問題は財政的な面だけではありません。国際社会からの食糧支援などが実施されても、それらの食糧が適切に人々の手に渡るシステムが構築されていません。その他にも、政治的・経済的・社会文化的なさまざまな問題が絡み合っているなかで、結果として孤児たちのような社会的弱者への食糧供給がスムーズに行われないといった状況が起こっています。
このような状況を、どのように娘に伝えれば良いのでしょうか。結局、「この国には、十分なお金がなくて、食べる物を買うことができないんだよ」としか、答えることができませんでした。すると、畳みかけるように、「どうしてお金がないの?」と訊いてきました。この質問に答えるには、植民地時代の歴史も含めて説明しなければなりません。何とか娘が理解できそうな言葉で説明を試みましたが、さすがに娘にとっては訳の分からない話になってしまったようです。テレビの画面もすでに次のニュースに切り替わっており、娘は私とのおしゃべりを切り上げて、積み木遊びへと戻っていってしまいました。
娘の政治意識
こうした娘とのやりとりを通して、2歳児といえども、いかに論理的に、そして好奇心旺盛に、世の中で起きている出来事について理解をしようとしているのかを、とても強く感じます。 とくに、どうやらこの2歳児は、政治的な問題に対して大きな関心を寄せているようです。こんなことを言うと、「何と親バカなことを言っているんだ」と言われてしまいそうですが、政治に関わるいろいろな現象に対して、娘はこちらが思いがけないほどの関心の高さを示すことがしばしばあります。
たとえば、昨夏に行われた衆議院選挙のころのことです。テレビで政党名や名前が連呼されていたためだと思うのですが、新聞、テレビ、街頭の選挙ポスターなどで民主党の小沢一郎氏や自民党の麻生太郎氏の姿を目にする度に、 「民主党、オザワ!」、「自民党、アソウ!」、とそれぞれの政治家の顔を指差しながら言うのです。確かに、選挙期間中はこの二人がよくテレビに出演していたため、娘のなかに刷り込まれたようです。しかし、それでは民主党党首の鳩山さんの立場がないのではないかと思うと、鳩山由紀夫氏が出てくるときには、「民主党!」とだけ叫ぶのでした。おそらく「ハトヤマ」という苗字は、長すぎて、娘には発音しにくいのかもしれません。あるいは、民主党における実力者の存在を実は娘なりに理解していて、小沢さんの名前を言っているのかもしれませんが。
また、毎日、保育園の送り迎えのために近所の交差点を車で通り過ぎるとき、必ずといって良いほど娘が「民主党、オザワ!」と言うのですが、妻も私もなぜそんなところで民主党と言いだすのか、何ヶ月間も大きな謎でした。最初は、昨夏の衆議院選挙のときに、その交差点に民主党のポスターでも貼ってあって、それが記憶に残っているのかと思ったのですが、妻も私もそのようなポスターが貼ってあったという覚えがありません。そんな両親の疑問にもかかわらず、娘は相変わらず「民主党!」と叫び続けるのでした。
そんなある日、仕事を終えた私が帰宅すると、妻が嬉しそうな顔をして、「謎が解けたわよ」と言うのです。何のことかと思うと、娘の「民主党」ファン(?)の理由が分かったというのです。実は、件の交差点にはいくつかの街灯があるのですが、1本の柱ごとに4つの白くて球形状のランプが取りつけられています。それらのランプのうちの2つが、角度によって縦に半分ほど重なって見えるのですが、その重なった形が民主党のシンボル・マークとそっくりなのです。白い円形と赤い円形が縦に重なっている民主党のマークは皆さんもご存知だと思いますが、確かにこのランプも同じような形に見えます。その日は、たまたま車ではなく、妻と娘が歩いてその交差点を通り過ぎようとしたときに、ランプを指差した娘が「民主党!」と教えてくれたのだそうです。
さらに、娘の政治に対する関心は、国内だけにとどまりません。
「バン キン カーン!」
これって、何だと思いますか。娘は、路上やテレビで黒人の方を見かける度に、この言葉をしばしば発します。実は、わが娘は、「Yes, we can!」と言っているつもりなのです。皆さん、覚えていますよね。アメリカのオバマ大統領が大統領選挙を戦ったときのスローガンでした。以前のこの日記でも触れたように、当時、私たちは家族でワシントンD.C.に滞在していました。まだ1歳だった娘は、テレビで流れるオバマ氏の演説を神妙に聞いていたかと思うと、演説の最後に聴衆とともに連呼されるこのセリフを、なぜか興奮しながら一緒に叫んでいました。これも、多くの人が社会の変化を期待して、一昨年の大統領選挙が大きな盛り上がりをみせたことを、娘なりに何となく肌で感じた結果かもしれません。私も、アメリカ滞在の期間を通して、人々が閉塞感を打ち破るための変化を求めていることを強く実感しました。それを思い起こすと、現在のオバマ政権による経済政策や外交政策に対する批判の高まりは、あまりにも人々の当初の期待が大き過ぎて、その反動がきている面もあるように思われます。(同じことは、日本の民主党政権にも言えますね。)
ところで、どうやって聞いても、「バン キン カーン!」にしか聞こえないのは、私の耳の感度が悪いからなのでしょうか。いずれにしても、いまだにニュースなどでオバマ大統領が映し出されると、一生懸命にこのセリフを叫ぶ娘です。そんな政治意識の高い(?)娘の様子をみながら、血は争えないものだと、政治社会学者の妻は満更でもなさそうです。
感情のコントロール
2歳になったころから、娘はおしゃべりが大好きです。私も、絵本を一緒に読んだり、積み木遊びをしたりしながら、いろいろな話を娘とします。これは、おしゃべりをし出した子どもをもつ親の多くが感じることだと思いますが、日に日にボキャブラリーが増えて、話の内容も複雑かつ論理的なものになってくる様子には、感動すら覚えます。さらに、娘と話をしていると、単に論理的に考えようとしているのみならず、自らの感情との折り合いなども懸命につけながら、状況を冷静に捉えようとしている一面にも気づきます。
たとえば、妻が2泊3日の出張で留守にしていたときのことです。この子育て日記の第1回で、娘を産んでから初めて妻が出張に出かけたときの私の動揺ぶりをお伝えしましたが、それから半年が経ち、1泊程度のことならば平気で対応できるように私も成長しました。しかし、2月上旬に、初めて2晩にわたって娘と二人で過ごすことになり、私も少々緊張しました。初日は、娘も平気そうな様子で元気に遊び、食事もモリモリと食べてくれて、私もすっかり安心しきっていました。ところが、その夜のことです。そろそろ寝ようかというころになって娘が、「ママ、明日帰って来る?」と訊いてきました。「ママはね、明後日、帰ってくるんだよ」と答えたのですが、まだ「明後日」の意味が分からないようです。そこで、「明日の明日」と言い替えると、やはり意味は分からなかったようですが、それでも分からないなりに、明日はまだ帰って来ないということだけは理解したようです。「ママと、明後日、遊ぼうね。絵本、読もうね。かるた、やろうね」と、娘は自分に言い聞かせるように何度も繰り返していました。
そんな健気な娘の様子をみていると、それではせめて声だけでも聞かせてあげようと思い、妻に電話をしました。すると、受話器を握りしめた娘は、元気そうに「今日はこれをして遊んだ、あれを食べた」といったようなことを報告して、「ママに会いたい」とか、「さみしい」といったことは一言も言いません。しかし、電話を切った途端に、「ママに会いたいね」と一言ポツリとつぶやきました。あっ、この子は、ママに会いたいという思いを必死に我慢して、ママに心配をかけてはいけないんだと思っているのだなと、鈍感な私もさすがに気づいたのです。
血は争えない?
ところで、こんな風な娘とのやりとりを書いてくると、さも私は熱心に娘と遊ぶ父親だと想像してくださる方もいるかもしれません。しかし、その実態は大したことありません。娘に絵本を読んであげても、かるたで遊んでみても、おままごとや積み木、さらには公園でのボール遊びなどをしても、基本的に、どのぐらいの時間を一緒に過ごせば娘に満足してもらえるかといったことをしばしば考えており、あわよくば少しでも早く切り上げようと思っている自分がいます。もちろん、だからと言って、娘と遊ぶことが嫌いなわけではありません。いえ、むしろとても好きです。休日には、できるだけ娘と一緒にいたいと思っている自分がいます。
しかし、娘はひとつの遊びをし出すと、その遊びに強いこだわりをもって、いつまでも止めようとしません。これは、集中力を養うという面では良いことだと理解をしてはいるのですが、それに付き合わされる身としては堪りません。ついつい、私は同じ遊びをし続けることに飽きてしまい、他の遊びに手を出そうとしては、娘から「パパ、ダメ!もっと、これをやるの」と、叱られてしまいます。こんな風ですから、妻からも、「あなたは教育学者なんだから、娘とじっくりと一緒に遊んだり、娘が遊んでいる様子を丁寧に観察したりして、子どもの成長についてもっと研究したら」と言われてしまいます。確かに、私より辛抱強く娘の遊びに付き合ってあげている妻に言われると、私は何も言い返せません。妻にも聞こえないような小さな声で、「教育学者だからといって、いつもいつも子どもを観察なんかしてられないよ・・・」などと、モゴモゴ言い淀んでばかりです。
私が小さかったころのことを思い返すと、私の父も、あまり辛抱強く子どもの遊び相手になることができない人でした。前回の日記で、父の仕事に対する姿勢などから私も多くのことを学んだと書きましたが、どうやら余計なところも父に似てきてしまっているようです。そういえば、私の父は理屈っぽいところのある人で、それが私にも引き継がれているのですが、娘が発する言葉の端々にもそうした遺伝子を感じるのは、私の気のせいでしょうか。