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【教育学者の父親子育て日記】 第7回 小さな心の大きなお別れ

要旨:

名古屋における娘の保育園生活の最終日。仲良くなったお友達や、大好きな保育園のイケメン先生ともお別れ。そして娘の初恋(?)、クラスの男の子への「転校前の告白」。幼いながらも「お別れ」について理解しており、娘なりに小さな心で一生懸命さみしさと向き合っていた。引越しや転校という生活上の大きな変化が、大人には想像できないほどのストレスを娘に与えていたようだ。男性保育士にとって大変なことは、ロール・モデルとなる先輩がいないことだそうだ。子育て支援や待機児童問題については活発な議論がなされている昨今だが、保育士の待遇改善といった子育てを支える職務に就く人たちの問題に対して、世間の目はまだ十分に向けられてはいないと感じる。

保育園とのお別れ

3月19日、金曜日、午後6時00分。

いよいよ、この日がやってきました。娘にとって、名古屋における保育園生活の最終日です。私の東京への転職に伴い、娘も慣れ親しんだ保育園から去ることとなりました。名古屋での保育園生活は一年間で終わることになりましたが、初めての集団生活を経験した娘にとっては、家とは違う外の世界へ一歩を踏み出した、とても大切な時間だったと思います。

 

去年の春に保育園へ入れるとき、娘が保育園に一人で残されることを嫌がり、泣いて駄々をこねるのではないかと、妻と私はドキドキしていました。しかし、そんな私たちの心配をよそに、すぐさま他の子どもたちの輪のなかに溶け込み、あっという間に保育園を大好きになってくれました。初めての登園日に、娘の様子が気になって仕方がなかった私は、娘を保育園へ送っていった妻の携帯電話に連絡を入れたのですが、「最初はちょっと緊張していたみたいだけど、上手に先生が導いてくださり、あっという間にお友達のなかに入っていったわよ」との説明に、ホッと一安心。さらに、妻の話によれば、「私が先生と少しお話していたら、『ママ、バイバイ!』って元気に手を振ってきたのよ」といった具合だったようです。娘のたくましさに驚くとともに、保育園の先生方が温かい雰囲気をつくって、娘を迎え入れてくださったことを感じました。

名古屋の保育園で、娘の年齢クラスを担当してくださった先生は、若い男性の先生でした。さわやかなイケメンの先生が娘はすっかり大好きになり、保育園へ行くのがとても楽しみになったようです。ときどき私が、「サヤカ(娘の名前)は、誰が一番好き?」といった質問をすると、「ママとアンドウ先生(担任の先生)!」と答え、父親の名前はどこにも出てきません。重ねて訊くと、ようやく「パパ」と言ってくれるのですが、明らかに娘はアンドウ先生の方が良いようです。こんなとき、父親の気持は複雑です。ちょっぴり悔しいのですが、それ以上にそれだけ先生が娘の気持ちを惹きつけてくださっているということに感謝の思いでした。

ちなみに、3月上旬に保育園の遠足があり、他の保護者や先生方ともいろいろなお話をする機会がありました。そのときに、私はアンドウ先生に「男性の保育士として、一番大変なことは何ですか?」とお伺いしてみました。すると、「やはり男性保育士としてのロール・モデルがなかなかいないことが、一番大変なことですね」とのお答えでした。確かに、保育士としてのキャリアの積み上げ方や年齢ごとの仕事への向き合い方、公私のバランスのとり方等々、これまでほとんど男性保育士がいなかった現状では、お手本となる先輩をみつけることがなかなか難しいだろうことは、容易に想像がつきます。そのため、この保育園では、系列の保育園で勤務する男性保育士たちが一堂に集う機会を年に一回設けており、お互いの情報交換を行ったり、悩みなどを共有して解決策を考えたりしているとのことでした。

保育園に女性の先生と男性の先生方がいるということは、おそらく子どもとの接し方などにも何らかの違いがあるでしょうし、異なる性別の大人と日常的に接することは子どもにとっても良いことだと思います。また、昨今、教育施設の治安確保などへの関心が高まっていますが、男性の先生がいるということは心強い面もあるのではないでしょうか。もちろん、元気な女性の先生はたくさんいらっしゃいますし、女性だけでは危ないといったことでは全くありませんが、男性の先生がいて損になることはないと思います。

ただし、さまざまなデータをみてみると、平均年齢が若くて20~30代の保育士さんたちが多いという点を差し引いても、保育士の平均年収は決して十分な額であるとは言えない現状があります。そのために、途半ばで保育士としてのキャリアを諦める人たちも少なからずいるといった話も、しばしば耳にします。そのため、とくに男性の保育士の人数を増やしていくうえでは(もちろん女性の保育士を増やすためにも)、給与をはじめとした待遇面の向上が不可欠だと思いますが、この問題については必ずしも広く社会的な課題として共有されていないように見受けます。この日記でも以前に取り上げたように、子育て支援や待機児童問題については活発な議論がなされている昨今ですが、保育士の待遇改善といった子育てを支える職務に就いている人たちの問題に対して、一般の人たちの目はまだ十分に向けられてはいないと感じます。こういった点も含めて、子育て支援のあり方を論じていくことがこれからさらに必要だと思います。


お別れのとき

名古屋の保育園では、娘のクラスに他に女の子が2人いたのですが、娘はこの子たちともすぐに仲良くなり、3人ではしゃぎ回っては周りの男の子たちを圧倒していたようでした。保育園から帰ってくると、いつも彼女たちの名前を挙げては、その日にあった出来事をいろいろとお話してくれるようになりました。お話の内容も徐々に具体的かつ複雑になってきて、娘の成長ぶりを実感するとともに、他の子どもたちや先生たちとともに過ごす社会生活を通して、日に日にたくましくなっていく娘の姿を確認することができました。

しかし、仲良くなったお友達とも、今日でお別れです。このことについて、私は2歳の娘がどの程度理解しているのか、よくわからずにおりました。まだ幼いので、あまりよくわかっていないのではないかと勝手に思っていたのですが、実は娘なりに何となく理解をしていたようです。引っ越しの日が近づいてくるにつれて、普段の様子とは少し異なる面が出てきました。たとえば、それまで保育園ではおもらしをほとんどしなくなっていたのですが、タイミングよく先生にトイレへ行きたいという意思表示ができず、おしっこをもらしてしまうことがしばしば起こったようです。また、あと1週間ほどで引っ越しの日という時期には、先生に向かって娘が、「お引っ越しで、東京へ行くの。さみしいね・・・」とつぶやいていたと聞かされました。それでも家では、普段と変わらぬ様子をみせており、私はしばらく娘がそんなことを感じているなどとは気づかず、後から知ったときには娘に対して申し訳ない思いになりました。娘なりに、小さな心で一生懸命さみしさと向き合っていたのですね。

いよいよお別れの瞬間がやってきました。思ったよりも手間取った自宅の引っ越し作業もようやく終わり、娘を保育園へ迎えに行き、その足で新幹線に乗って東京へと旅立ちます。保育園では、先生方も別れを惜しんでくださり、娘のためにお別れ会まで開いてくださったとのことでした。そんな、しんみりとした雰囲気のなかで、お友達や先生方とのお別れの挨拶をしていたときのことです。突然、娘は同じクラスの男の子のところへ歩み寄り、「○○くん、大好き!」といって手をつないだのです。一瞬、先生方も私も何が起こったのかわかりませんでしたが、これこそ定番の「転校前の告白」ではありませんか! わが娘も、3歳にもならないうちから、なかなかやるものです。娘の「告白」だと理解した先生方と私は、思わず笑ってしまいましたが、本人は至って真剣です。しかし、相手の男の子は娘の「告白」にもあまり心を動かされた様子もなく、お迎えに来ていたその子のお母さんと手をつなぎたがり、あっけなく娘の初恋(?)は終わりを告げたのでした。2歳の春も、なかなか厳しいものです・・・


新たな出会い

こうして娘の名古屋での保育園生活が終わり、新たに東京での保育園生活が始まることとなりました。すでにこの日記(第3回「当事者意識に目覚める」)でもご紹介したように、引っ越し先である江東区の認可保育園への入園を申し込んでいました。しかし、予想通りと言いますか待機児童問題の壁は厚く、結果として認可保育園には入ることができず、引っ越しも間近の3月になって、区役所から入園不可という通知が送られてきました。この通知を受け取ったとき、別に受験ではないのですからそんなことを考える方がおかしいのですが、何となく「不合格」だと言われた気がして、保育園受験(?)に失敗したような気分になってしまいました・・・(とくに、私が申込書を区役所にもっていったこともあり、何だか自分の力不足で受け入れてもらえなかったのではと、一瞬、考え込んでしまいました。)

しかしながら、考えてみるまでもなく、保育園の数が足りないためにこうした状況が起こるのであって、こんな風に感じる必要は全くないと思うのですが、そこが親としての複雑な心境です。現在の民主党主体の政権に限らず、自民党を中心とした政権のころから子育て支援の重要性が政策課題として掲げられてきましたが、こうした親の気持ちというものを果たしてどこまでリアルに実感したうえで、政治家や官僚といった政策立案者たちは子育て支援策を打ち出してきたのか、少々疑問に感じざるを得ない面があります。

今回、私たちの場合は幸いなことに、自宅の最寄り駅から1駅ほど行ったところにある認証保育園に娘を受け入れてもらうことができたので、それほどショックを引きずらないで済みました。しかし、あの「不合格」通知を受け取った保護者たちのなかには、どこにも子どもを預けることができず、本当に困った状況に陥っている人たちも、きっと少なからずいるのではないかと想像してしまいます。


家族に感謝!

3月末に東京へ引っ越してきて、新たな生活を始めることとなりました。しかし、この時期になってもケニアや韓国といった海外への出張に加えて、国内出張も絶えることのなかった私は、随分と妻に負担をかけてしまいました。出張と引っ越しでバテ気味となった私の体調を気遣ってくれた妻が、引っ越しに伴う諸手続きや娘の保育園入学の準備などを一手に引き受けてくれたお蔭で、私は引っ越し作業の最中も研究を中断することなく続けることができました。それと同時に、同じ研究者である妻も、きっともっと研究に集中したいはずなのに、かなり自分を抑えて娘や私のために時間を割いてくれていることを強く感じました。そんな妻には、感謝の言葉しかありません。そして、こうした妻が研究を続けるためには、やはり保育園の存在が不可欠であることを、改めて認識せざるを得ませんでした。

さて、新しい保育園に通うようになった娘ですが、通園を嫌がることもなく、スムーズに新生活を始めた様子でした。しかし、保育園に通い始めてからしばらく経ったころ、39度以上の熱を出して数日間、保育園をお休みすることになりました。幸い大事には至らず、数日で元気になりましたが、おそらく引っ越しや転校といった生活上の大きな変化が、大人には想像できないぐらいのストレスを娘に与えていたのだと思います。親の都合で住む場所が変わり、仲良しの友達や大好きな先生たちからも離れなければならず、先にも書いたようにおそらくいろいろな思いを娘なりに抱えていたと思うのですが、とりたてて我儘になるわけでもなく元気な姿をみせてくれていた娘にも、やはり感謝です。

こうして妻や娘に支えられ、私たちの東京生活がスタートしました。妻も私も、実家が東京にあるため、それぞれのおじいちゃんとおばあちゃんの手も借りながらの、子育て生活となりそうです。とくに、妻の実家の近くに住むこととなったため、妻と私が引っ越しの荷ほどきなどをしている間にも、娘の世話を妻の両親に頼りきってしまいました。そんな両親たちにも、心から感謝をしています。

家族をはじめ、名古屋と東京の保育園の先生方に支えられ、ご近所の方や子育て世代の仲間たちにも励まされながら、何とかここまでやってこられました。きっと、これからも多くの方々に助けられて、子育てと向き合っていくのだと思います。そうしたなかで、娘とともに、親としての私たちも成長していければと願っています。

この子育て日記で、これからも私たちの子育ての様子をお伝えするとともに、教育学者として日々感じることなどを記していきたいと思います。引き続き、お付き合いのほどをどうぞよろしくお願い致します。

筆者プロフィール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。
慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。
現在、上智大学 総合人間科学部教育学科 准教授。

共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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