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【被災地レポート】第10回 被災地の子どもたちのことを考える~日本子ども学会学術集会での取り組み~(前編)

要旨:

10月1日、2日に武庫川女子大学で、第8回子ども学会議学術集会「育ちと学びを支える」が開催されました。二日目のテーマは「東日本大震災の子どもたちを支える」です。筆者もシンポジストとして参加し、「乳幼児の被災現場から:妊産婦への支援が震災復興に与えるインパクト」をテーマに講演しました。その内容をご報告します。
2011年10月1日、2日に武庫川女子大学で、第8回子ども学会議学術集会「育ちと学びを支える」が開催されました。
この学術集会、二日目のテーマは「東日本大震災の子どもたちを支える」です。この日は秋篠宮妃紀子さまがご臨席し、 会場になった本学中央キャンパスは緊張感にあふれ、私も身の引き締まる思いでした。
http://www.dignet.jp/~koho/topics_news_monthly_10.html

日本プライマリ・ケア連合学会、東日本大震災支援プロジェクト(PCAT: Primary Care for All Team)の派遣で、4月1日より、石巻市および南三陸町で行った医療支援活動をベースに、私も赤ちゃんと子どもの支援学についてお話をさせていただきましたので、一部学会でのスライドと合わせてご報告いたします。

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シンポジストとしてこの場に参加をさせていただけるのは本当に誇らしいことであり、この7カ月間の疲れが吹き飛ぶような気がしました。被災地の支援、とはいえ、中身は組織作り、人間関係の調整、お金が絡むことなど多岐にわたります。家族との時間にも電話を受けたり、夜中までメールのやり取りをしたり。子どもたちから「電話禁止令」が出されたこともありました。3歳の子どもまで私が電話をしていると「やめて!」と言って怒って邪魔をしようとするのです。ワーク・ライフ・バランスと言いますが、お給料の発生しないボランティア活動は必然的に仕事以外の家庭時間を割くことになり、また、時間や場所の制約がない分もっとバランスのとり方が難しく、ボランティア・ライフ・バランスの方が難しい、と思いながら続けてきました。

講演の中で、私は下記の点をお話ししました。

◎災害後、妊婦さんの把握が難しかった

1)災害後の医療支援で直接現地に入った医療従事者の中に産婦人科医や助産師がいなかった

例1:ある被災病院の訪問時
 災害支援医師:まぁ、ご覧の通り様々な医療チームでごった返している。それにしても昨日はお産を取らなければならなくて大変だった。
 医師:こんなに医療チームがいるのに産婦人科医はいないんですか?
 災害支援医師:それもそうだな・・・そういや災害医療団の中では、一度もみたことないな・・・

例2:ある中核病院の産婦人科
 医師:出産後は退院日数を半分にして、 大学からの支援でいつもの倍の医者がいて十分回せてます。
 支援医師:でも地域に取り残された妊婦さんは?
 医師:それは、病院に来ていただかないと・・・。こちらでは何ともできません。
 (病院勤務医の視点で考える産科医が多い)

例3:ある県庁の子育て支援課
 私:妊婦さんの避難や救助はどうなっているんですか?
 職員:おそらく...ちゃんと逃げていると思いますよ。

結局、妊婦さんは何処にいるのか?ということに対し責任を持つ部署がありませんでした。災害時でも平時でも、出産は止められません。しかし、国際的な災害医療現場でも
 ・お産は自然で日常的な営み
 ・災害時に救うのは非日常に苦しむ人々
とされ、緊急人道援助の世界、災害医療・紛争医療の中でも"Reproductive Health"はつい最近までなおざりになってきました。『(社)日本助産師会 災害対策委員会報告書2010』によれば、阪神・淡路大震災の経験でもニーズとして以下のことが挙げられています。

<ニーズ>
 1)早期の妊産婦の把握
 2)物資の援助としてマタニティウェアや育児用品、外陰部洗浄綿の調達
 3)安全な場所の確保と配慮
 4)優しい声かけと笑顔
 5)母乳育児への援助
 6)災害時の過ごし方や健診の情報
 7)母親学級などの同じ仲間の集い

しかし、この教訓が今回の災害後に活かされることはなかったのではないでしょうか。

災害後、宮城県女川に支援に入ったイスラエル軍災害援助隊は内科、外科、小児科、産婦人科、耳鼻科などで構成される"移動診療所"でした。私たちのメンバーが一緒に活動させていただいた時に驚いたことは、彼らが国外の災害援助経験があり、豊富な機材を持参していたことです。特に産科では、ポータブル超音波診断装置や内診台のみならず分娩台、新生児蘇生設備まで空輸してきており、被災地でもお産があることを当然としていました。

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災害時には、病気があろうとなかろうと、怪我をしていようとなかろうと、妊婦さん及び乳児を特別に扱うことが必要です。では、今回、妊婦さんが特別扱いされなかったのはなぜでしょうか?妊娠は病気でないからでしょうか?それとも、妊婦さんを診察できる医者がいないからでしょうか?自分の専門外の病気は診られない医師が、重症者を探して妊婦さんに気付かず通り過ぎて行ったのだとすれば、本当に残念なことです。


◎妊婦さんが必要としていたもの

本当に妊婦さんは安全な場所に逃げているのかと、われわれの先発隊は3月17日より4日間で南三陸町・石巻市の遠隔地域である雄勝地域・女川町といった交通アクセスの大変悪く、また広範囲の地域にて捜索をしました。結果、7名の妊婦さんを確認し、その中にはリスクの高い妊婦さんや日本語のコミュニケーションが難しい外国人の妊婦さんもいました。女川や石巻では避難所に入れず、避難先や自宅にいる妊産婦さんもいました。診察を行った方の中には妊娠高血圧、妊娠糖尿病、帝王切開後などリスクのある方が多数いらっしゃいましたので、早めの受診を勧めました。しかし、臨月にも関わらず、かかりつけの産科も被災し、震災後2週以上受診できておらず、お産場所も決まっていなかったため、自衛隊に病院の産科受診のための輸送を要請したというケースもありました。

いつでも、どこでも、妊産婦さんの体は1人だけのものではなく、必要とするエネルギーが大きく、安心して母乳をあげたり、ゆっくり休息したりできる空間が必要です。しかし、本能で子どもを守ろうとするため外界からの刺激や言葉、ストレスに敏感、ということが周りの方々に認識されていませんでした。ほかの被災者の方々も大変ですが、その中でも特に、寒さや騒音、照明や外の光などを気にせずに済む特別な空間を作ってあげなければ、妊婦さんにはストレスが大きく、苦痛に感じます。このことは一般的にはあまり知られていないようで、妊婦さんでも他の方々と同じように一日一つのおにぎりを食べて飢えをしのいでいる方がいらっしゃいました。

このような中、私たちの妊産婦支援プロジェクトは3月29日より被災妊婦さんのアセスメントを行い、4月1日、宮城県の行政に妊婦さんたちの情報・およびニーズを届け(これが初の情報でした)、4月12日より石巻市中心に地域の妊産婦さん支援システムを整備し始めました。また、携帯電話メールマガジンによる被災妊婦さん、子どもをもつ母親向けへの情報提供を始め、コミュニティセンターでの育児相談を行いました。避難所を回って集めた妊婦さんの情報(健康状態・妊娠週数・生活環境)を市レベル・県レベルの行政に上げ、赤十字・医師会・各地の医療ステークスホルダーと情報共有を行いました。この妊婦の詳細調査が、本地域の周産期保健医療の早期回復につながったこと、この活動が産褥期・新生児のFollow Upシステムの構築につながったことは、狭い地域での活動ではありますが、産婦人科医と助産師、小児科医とが力を合わせて行った妊婦さんをターゲットにした非常にニッチな災害支援となりました。

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また、石巻地区は震災後1ヵ月半から2カ月の間、産後の新生児訪問が行われず、電話による安否確認のみだったことを知ってから東松島市へ毎週2名の助産師、1名の医師を派遣しました。それにより、出産直後の母乳率が8割から3割に落ち込み、産後うつが急増していたことが、訪問を通じて判明しました。赤ちゃんを産んだ母親すべてが心のこもったケアと産後の育児相談を受けられ、児童虐待、ネグレクトなど、負の連鎖を生まないように、現在でも新生児訪問や子育て支援センターでのお母さん相談会が続いています。

石巻市では震災後、分娩を扱う施設が市全体で5施設から2施設へ減少してしまいました。市の中核病院である石巻日赤病院は高次医療を扱うハイレベルな病院ですが、周りにはもともとお産ができる施設が少なく、南三陸、東松島からの妊婦さんも石巻赤十字病院に集中していました。ここには日本国内の大学から支援医師が派遣されていましたが、それ以外では唯一、震災直後の4月1日からお産ができるようになった開業医には手伝いの医師が派遣されず、院長の先生が震災以後、一日も休めずに一人でフラフラになりながらお産を取り、妊婦さんの検診を行っていました。PCAT(日本プライマリ・ケア連合学会、東日本大震災支援プロジェクト)は、産婦人科当直医を派遣し、この先生をはじめ、地元の開業医の先生に休んでもらうという活動を6月末から始め、現在も続いています。

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筆者プロフィール
report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
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