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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】 第6回-③「自己主張に関する私の体験エピソード」

山本 登志哉 (一般財団法人 発達支援研究所 所長)

2020年2月28日掲載

前回に続き、文化がどんなふうに私たちの前に現れるかを、自己主張に関するエピソードを踏まえて考えてみます。

私が最初に自己主張の文化差に驚いたのは、1990年頃、私がまだ奈良女子大学で助手をしていた頃のことでした。いや、正確にはその時はまだ文化差とまでは気づいていなかったのですが、それはこんなことです。

当時、私の教室の主任教授をされていたのは、この間惜しまれながら亡くなった野村庄吾先生でした。野村先生は発達心理学を専門とされていて、障がい児の問題にも深くかかわっていらっしゃいました。

当時は、それまで「無力」な存在として見られがちだった乳児に、大変な「能力」があることが次々に明らかになっていたころで、野村先生はその「有能な赤ちゃん」についての研究をまとめて「乳幼児の世界:こころの発達」という岩波新書で紹介されたり、さまざまに活躍された方です。

笑いに興味をもたれて自分のお名前も野村笑吾と書かれていたり、趣味の陶芸もプロはだしで、常識にとらわれることなく、本当に柔軟な発想で周囲の方たちを豊かに刺激する素晴らしい先生でした。

その「乳幼児の世界」を、ある一人の中国人研究者Cさんが読んで感激され、中国語に翻訳されるということがありました。彼女は北京師範大学で哲学を修めた方で、世代からいうと文化大革命真っ最中のころに青春を送り、雲南省の農村部に下放*された経験もおもちの方です。**

その彼女が、すでに中国では大学に勤め始めていらっしゃったはずですが、野村先生を頼って、奈良女子大学に留学したいと申し出てこられました。中国の一般の人が西側諸国に対してはそれまでほぼ鎖国状態に近かったところ、少しずつ外に出られるようになっていった、その流れの比較的早い方の一人になります。

助手だった私にも、詳しくはわからないままでしたが、「中国の人が研究生として本校に留学したいということなので、もし来ることになったらよろしく」と野村先生から頼まれていました。

ところがその後は音沙汰もなく、私もすっかりそのことは忘れてしまい、数か月したある日のことです。野村先生も不在の日に、研究室の電話が鳴り、私が出ると、知らない日本人の女性から「今関西空港にいて、Cさんが到着したところです。これからそちらに行きます」といきなり言われたのでした。

「????????・・・・・・」

何が起こっているのか、意味がよくわからないまま、とにかく留学に来られたことは間違いないでしょうし、でも泊まるところも決まっていないということらしく、私はまずは大学の事務の国際交流会館の担当に事情を説明して、無理を言って幸い空いていた一室を確保してもらいました。ほんとにラッキーでした。

数時間して、知り合いだという日本人の女性と一緒にCさんが大学に到着しました。その女性もなにやら当惑している様子で、その日に急に空港に呼び出されてここまで案内してきたということのようでした。そして「とにかくよろしくお願いします」とそのまま帰っていかれました。

Cさんは、たしか鍋釜まで持参した格好だったと思います。服装もまったく質素で、ほんとに田舎からひとり家財道具を背負ってやってきたという雰囲気です。私もそれまでパックツアーの海外旅行などは経験がありましたが、すべてのスケジュールが決まっている添乗員付きのそういう旅行でさえ、初めての渡航の時はとても緊張して大変でした。それがCさんの場合、先方にも渡航を事前に伝えていない、宿の確保もしていない、そんな状態でいきなり初めての海外とは。

なんだか映画の冒頭の一シーンを見ているかのようにドラマチックですよね? どれだけ度胸の据わったすごい人なのか、想像を絶すると思いました(笑)。

そのCさんが、私が初めて親しく接することになった中国人ということになります。それまで本やテレビなどで見てきた「紙の向こう」「ブラウン管の向こう」の遠い別世界の中国人とは全く違う、「総天然色の(笑)」生身の中国人第一号です。

さて、そのCさん、日本語の本を翻訳されるレベルの日本語の読み書きの力はおもちでした。けれども会話は向こうでは習う機会が少なかったようで、私の言うこともなかなか聞き取れず、何度も説明し直して少しずつ伝えていく感じでした。

宿舎に案内し、いろいろな設備の使い方を何とか説明し、当面の生活に足りなさそうなものはあとから持って行ってあげたりしました。

とりあえず一通りを終えて、本人は大丈夫というものの、これでちゃんとご飯とか食べられるだろうかとか、いろんな不安を残しながら私は宿舎を出ました。改めて一日を振り返り、思いがけない出来事の連続に、呆然という感じでした。

そんなこんなで始まったCさんの留学生活です。

野村先生は彼女を早くみんなになじませてあげようともされて、ゼミで発表の機会も提供したりしていました。そういう会話の中で、ある時儒教についての話になり、当時大阪大学の教授だった加地伸行氏という中国哲学の専門家が、儒教は宗教だという説を唱えて話題になっていた話を野村先生がもち出しました。

その時です。Cさんは目を丸くして、「いや、そんなことはありません。儒教は政治哲学です。宗教とは全く違う」と、とつとつとした日本語で断固として主張し始めました。野村先生はいろんな視点を出して、議論をやわらかく楽しむタイプでしたけれど、Cさんの勢いは私たちから見れば初めから喧嘩腰の議論にも感じられるものでした。もちろん本当に喧嘩をしようとしているとは全く思いませんでしたが、何か自分の一番大事な信念を否定されて「絶対に許せない!」と激しく抗議しているような、まあそんな感じでした。

私も新聞記事で加地さんの主張を読んで、「これ、宗教の定義がおかしくない?」と思っていたので、別にCさんの主張を特別変だとは思わず、まあ妥当な考えと感じていました。けれどもその反論の勢いを見て、そこまで彼女にとって大事な信念がそこにかかわっているのだろうか、などと思いながら、その勢いが、突然大学に押し掛けてきた留学初日のあの時とも重なり、いやあ、この人本当にすごい人だなあと改めて感じさせられた一コマでもあります。

と、ここまでは、まあびっくりではありますが、「その人の生き方」の個性の問題として「そういう激しくもすごい勢いの人なんだな」という理解の枠で収められました。

ところがです。しばらくして今度はこんなことがありました。

先に書いたように、彼女は日本語の文法などはちゃんと身についていますし、読み書きの基本は大丈夫ですが、会話がまだ十分ではありません。というか、とてもたどたどしかったのですが、それも急速に進歩していきました。私自身の今でもへたくそな中国語の進歩の仕方と比べてもびっくりするくらいのスピードです。

とはいえ、言葉には、文法的には正しくても不自然に感じられる表現があります。慣用的な表現といったもので、これは実際にネイティヴの使い方からひとつひとつ学ぶしかありません。ということで、Cさんに対しても気が付けばそういう面でも日本語の援助をしていました。

ところが、もうその時の場所まではっきり思い出せるくらい強烈な印象なのですが、あるときそうやって彼女の言葉の使い方について、「そういうときはそういう言い方ではなくて、こういう風に言った方がいいですよ」と話した途端、Cさんはまたあのゼミの時のように大きな目をさらに大きく見開いて、「そんなことはありません!」と断言するんです。

「????????・・・・・・え? 私は誰? ここはどこ?」

私は瞬間的にめまいがする感じでした。これは人の信念にかかわる問題ではありません。単にそういう言い方が実際にネイティヴの間で使われているかどうか、という事実の問題です。もちろんここでいう事実は統計的に調べてのそれではなく、ネイティヴの感覚として自然に聞こえるかどうか、という私の判断なわけですから、私のその感覚が実はずれている場合も可能性としてはあり得ますが、実際にはそれはほとんど想像できないような例でした。

さすがに私もちょっとむっとして、「いや、日本では実際にそうは言わないんです」などと何度か押し問答のようになりましたが、そのうちCさんは「いえ、私の言い方が正しいです。中国で先生にそう習いました」とその根拠をもち出されました。それを聞いて私はまた愕然としました。冷静に考えればCさんの主張は理屈にかなっていないわけですし、私はそれまでこういう堂々たる「理不尽な」主張の仕方には出会ったことがなかったので、Cさんという人はどれだけ強引な人なんだろう、と、とにかく私の中の「困ったCさん」像はさらにレベルアップしたのでした(笑)。

と、ここでひとつお断りを入れておかなければならないのですが、ここまでは説明の必要上、私から見て「驚きのCさん」、「困ったCさん」のエピソードを集めて並べただけで、それでCさんの全体像を理解することもできません。私はCさんに親しみを感じこそすれ、拒絶感や嫌悪感を感じたことは全くありません。とても誠実で、真摯な方なのです。

実際、その後もずっとお付き合いは続き、彼女の執筆した本の出版のお手伝いもさせていただきましたし、彼女も私の研究への協力に何度も何度も誠心誠意取り組んでくださいました。私が最も信頼し、また尊敬もする中国の友人の一人なのです。一見「理不尽」にしか見えないその強引な主張も、少し見方を変えると、本当に真剣に思ったことを相手に伝え、いい加減なところでごまかそうとしない誠実さの表れとも感じられるものでした。まっすぐな方という言い方もできるかもしれません(そうでなければ私はこういうことも書けませんよね)。

さて、これを読まれたみなさんは、Cさんについてどんなイメージをもたれたでしょうか? 「強烈な人」「激しい人」「強引な人」といった印象が強くなかったでしょうか。私自身は日本の中では自己主張の強い方で、頑固な方で、強引と見られるかもしれない方ですが、その私から見ても、そういう印象が強かったわけです。「どんだけ~?」という感じ。

では、なんでCさんはそうなのでしょうか? そういう性格の人だから? 中国人だから?

実はこの体験を私がした当時と今とでは、全く状況が異なっています。というのは、私自身が「生身の中国人」と接触したのが初めてのことだったように、当時、中国人と親しく接する日本人は極めて限られていました。

ですから、私もそういうCさんの姿を見て、まずはそういう個性なのかな、という思いがより強かったのですね。少なくとも中国の人はみんなそうだとは思わなかったのです。

けれども、その後大学にもCさんのように留学してくる中国人がどんどん増え、少なくとも大学の中ではたくさんの留学生と普段から接触するようになりました。

逆に日本から中国に留学や仕事で行く人も多くなりましたし、最近は観光客として日本に来る中国人も増えています。東京を歩いていると、聞こえる言葉が中国語か韓国語、みたいな場所もいくらでもある、という感じです。職場に中国人がいる風景も別に珍しくありません。

このCさんとの出会いの数年後、私も野村先生に大変にお世話になって、文部省(当時)の在外研究員として10か月間中国に滞在できることになったのですが、とにかく毎日が驚きの連続でした。Cさんとの間に何度も体験した驚きを数倍にして、それを24時間体験し続けるような、そんな印象の毎日を送っていました。それほど「違った社会」だったのです。

自分の常識から言って考えられないことが起こり、ショックを受ける体験も何度も繰り返しました(実際は、私の常識が中国の人にショックを与えることもたくさんあったということが、のちに少しずつ理解されていくのですが)。その時の、中国の人たちとその社会を身をもって知り始めたころの私にとっての驚き、ショッキングな体験を、今後日本の人たちが多く身近に経験するようになるとしたら、みんな日本の状況とのあまりの違いにびっくりしてしまうだろうと、結構真剣に思いましたし、実際に今そうなっていますね。

という状況なので、Cさんについて私が「困ったCさん」を語れば、今ならそれを「やっぱり中国人は」ととらえる人が多いのではないかと想像します。

この話、「文化とはなに?」という問題につながっていくのですが、それは第6回-④に続きます。

  • * 下放(XiaFang)は中国では中華民国以来複数回行われているが、ここでは文化大革命時代に、知識人・エリート・学生は「労働者・農民に学べ」というスローガンで進められた、一種の政治思想運動。学生は大学での座学をやめて、工場や農村に「下放」され、そこで労働に従事しながら思想を鍛えることを求められた。この時期は大学入試もなくなり、工場や農村などの職場単位から推薦されたものが入学を認められるようになっている。「革命無罪、造反有理」のスローガンに象徴されるように、「下」が「上」を激しく批判する展開が全国で進められた時代の出来事。
  • ** 結果としてその時の経験が、のちに「客家」民族の形成に関する独創的な研究を生む基にもなりました。文化とは何か、民族とは何かをダイナミズムの中で考えるうえでも大変に刺激的な本です。

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筆者プロフィール

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山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。(一財)発達支援研究所 所長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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