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第3回-③「『おもちゃの使い合い』自由記述について」(2)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第3回-③「『おもちゃの使い合い』自由記述について」(2)

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◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


6.まとめ 「所有権」と「所有権の行使」問題での分かれ道
―姜英敏(山本登志哉訳)

自由記述から見ると、日中の学生の意見はだいたい「Aを肯定しCを否定する」「Cを肯定しAを否定する」「どちらも肯定あるいは否定する」という三つに分けられるでしょう。もちろん回答者の意見が最も大きく分かれるのはおそらくCに対する評価です。ここで私たちは主に皆さんの意見が分かれる部分に焦点を当てて検討してみます。

(1)おもちゃの所有権について
「おもちゃの所有権はAに属する」という点では、どちらも実質的には違いがありません。一人の中国人回答者が「物は分かち合うべき」とし、Aの所有権に関する立場にははっきり言及しなかったのを除けば、他のみなさんは全てAに所有権を認めています。Aのやり方に反対の人でも、「おもちゃの所有権がAに属している」ということには異議がないのです。

にもかかわらず、自由記述を見ると、日本の回答者がCを批判し、彼女を理解できないとした時に、「Cは所有権をあいまいにしようとしている」といった警戒心が突出して語られるようになります。つまり、Cを批判する日本の回答者はCがAに対して今回のような批判をしたのは、CがAの所有権を理解していないからだとか、あるいはおもちゃがAに属していると認めていないからだとか考え、そのことを日本の学生が容認も理解もできないからなのだ、という風にも言えます。

けれども、中国の回答者のCに対する態度を詳しく見れば、「人はそれぞれだから(C22)」「悪意はないから(C13)」等多角的にCを理解しようとしていることがすぐにわかります。彼らは、Cが決して所有権の帰属という問題の根幹を脅かしているのではないと思っています。「誰もおもちゃがAのではないと言ってはいないのに、そんなに構えてどうするの?」と考え、こんなことは大したことじゃないし、そんなに大仰に騒ぎ立てることじゃない、と思っているのです。

 

(2)おもちゃの所有権の行使について
中日双方の回答者はこの問題で本質的なところで大きく意見が分かれ、それは「所有権はどう行使されるべきか」というところに現れています。日本の回答者から見ると、「私のもの、あなたのものということを明確に区分けすることがすなわち所有権という区切りをつけることであり、所有権を行使する時にもこの区分けが保たれ、それが所有権が保障されることの証であり、人と人が円満に付き合うことの前提でもある」ということになります。

それゆえ8割以上の日本人回答者はAのやり方を認め、そのような人が周囲には「多い」とか「ある程度いる」と答えるのです。また日本の回答者は「どの集団においてもそうだと思うが、借りたら返すのは当然(J28)」とも言います。日本の回答者の多くはCがこの所有の境界線をあいまいにしようとすることに怒り、Cのことを「理解できない、傲慢、むしが良い、だらしない......」と感じるのです。

ところがCに賛同したり理解を示す人の多い中国の回答者から見れば、「所有権を行使する過程で始終その境界線をはっきり表明する」ということは、かえって緊張感を生み出し、お互いの関係をどうやって維持したらいいか分からなくなります。それゆえ、中国の回答者は日本とは正反対に、周囲にはAのようにおもちゃに名前を書く人は「多くない」とか「ほとんどいない」と答える人が半数ほどになり、Cに賛成する人とAに賛成する人がほぼ同じになります。

こういうところにも中国の回答者の、この問題への矛盾した心理が現れています。すなわち「おもちゃがAのものであることはまちがいないし、Aが名前を書きたいと思うことも間違いなく彼女の権利であるのだけれど、そんなふうにするのはやりすぎだと言うCもまた間違ってはいない」と感じることです。この矛盾した心理はC17の学生の自由記述「(おもちゃは)もともとAのものだから、Aのやりかたは理解できる、Cのやりかたはおもちゃの値段からみて理解できる(A:ある程度いる、C:あまりいない)」にもよく表れています。

それはこんな風にも言えます。中国の回答者の自由記述の背景にある意味は、「友達間の距離や所有物の価値によって、適切な<共有>と<私有>の距離を把握することで、初めて人と人との円満な付き合いの前提ができる。」というものです。中日の間にあるこの前提についての本質的な差異が、今回の議論を分ける一番大きな原因ではないでしょうか?

(3)Cに対する日本の回答者の態度
日本の参加者がCに対してこれほど厳しい評価をする(理解できない、傲慢、むしが良い、物を返さないのはだらしない...など)ということは、私は想像しませんでした。批判内容の大部分はCの人格を直接問題視するものでした。そのことはもうひとつの角度から、日本の回答者が「自他を分けない」人に対して警戒心を抱き、嫌悪するということを表しています。反対に中国の参加者のCに対する評価は「言い方が理不尽」「状況をよく分かっていない」といった、今回の出来事に対する振る舞い方についての意見も多く、さらに彼女に対し、どう振る舞うべきかを具体的に提案したりしています。おそらく人間関係の維持において「所有権と所有権の行使」がもつ重要性について、お互いの認識もまたかなり異なっているのでしょう。(以上 姜:山本訳)

次回はこの結果について、みなさんからのご意見も参考にしながら、姜と山本ですこしその意味について議論をしてみたいと思います。

<資料:回答者の自由記述
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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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