※中国の基礎データ
現在の中国における就学前教育に迫る主要問題
(一)教育行政部門による関心度が低い
80年代以降、就学前教育の重要性が教育理論の研究とその検証により次第に証明、認識されるようになり、教育界の最高責任者に当たる李嵐清氏らからも重要視されるようになった。1998年、『21世紀に向けた就学前教育振興計画』に取り入れられるに至った。そして、1999年4月と6月に李嵐清氏が自ら司会をして、就学前教育をめぐる座談会を2回執り行った。その際、氏は素質教育は就学前教育から始まるものであり、高い素養を備えた人材の育成のためによりしっかりとした基礎を築かなければならないことを強調した。更に、1999年6月に開催された第3回全国教育事業会議において、中国共産党中央政府及び国務院は『教育改革の浸透及び素質教育の全面的な推進に関する決定』の中で、素質教育における就学前教育の第1セクションとしての基礎的性質を充分に認め、就学前教育事業を強化する方向を示した。但し、全国規模で見れば、就学前教育に対する教育行政部門の関心が未だに甚だ低いことを指摘せざるを得ない。それは主に以下に挙げる影響を与えると危惧される。
1. 教育部の年度計画要点の中には就学前教育が言及されていないことから、各省(市、自治区)の教育部門もそれを計画に取り入れることがなく、その発展に大きな制限を加えてしまうことになる。
2. 各省(市、自治区)における就学前教育機構は、北京、天津、上海等極限られた地域に残されているほかは、大部分が撤廃されたか、或いは基礎教育部所属の1人が兼任している。ひどい場合は、幼児教育部に専属の幹部さえ配置しない省(市、自治区)がある。或いは、専属幹部がいても、積極的に就学前教育事業を実施するための具体策や財源が足りないということがある。それらの理由により、当該地区の就学前教育における実際の指導力や権限が弱められてしまう。
3. 国レベルで幼児教師の人材育成が教師の再教育プロジェクトに取り入れられていないことから、各省(市、自治区)レベルにおいても年度計画の1セクターとして考えられることがないため、幼児教師の教養の向上に大きな妨げになるばかりではなく、教師自らの自己教育欲求に大きな抑制をかけることにもなっている。
4. 農村における幼児教師の待遇問題が未だに改善されていない。その多くは苦しい環境に耐えながら、幼児教育に携わっており、身分は国立にも公立にも属さず、賃金や肩書きの評定、研修等あらゆる問題で適切な解決策が得られておらず、教師チームの質の安定や農村就学前教育の発展に大きな妨害となっている。
(二)90年代以降の就学前教育の低下現象
1989年以降の全国就学前教育の発展に関する主な指標を分析すると、95年以降、低下傾向にあることがはっきりと見てとれる。
資料出典:『中国経済年鑑1999』,2000年版 | |||||
表1:1985年以降の全国就学前教育の主な発展指標 | |||||
発展指標 | 1985 | 1990 | 1995 | 1998 | 1999 |
幼稚園数(園) | 172,262 | 172,262 | 172,322 | 180,438 | 181,368 |
教職員数(万人) | - | - | - | 115.763 | - |
専任教師(万人) | 55.0 | 75.0 | 87.5 | 87.5 | 87.2 |
募集人数(万人) | - | - | 1,972.4 | 1,720.0 | 1,617.5 |
在学園児(万人) | 1,479.7 | 1,972.2 | 2,711.2 | 2,403.0 | 2,326.3 |
1人当たりの教育経費(元) | - | - | - | - | 846.90 |
上記の表より次のような結論を出すことができると思われる。
1. 幼稚園の数は1985年から1998年へと緩やかな増加が見られたが、1998年より徐々に減少し始めた。
2. 幼稚園専任教師の数は1985年から1995年にかけ、著しく増えたが、1995年以降、停滞ないし減少に転じた。
3. 園児の募集人数は1995年から1999年にかけて、激減した。
4. 在学園児の数は1985年から1995年の間は増加の傾向が顕著であったが、1995年以降減少し始めた。
上記のデータで示されたように、中国における幼児教育の伸びは1995年以降、量的に逐次減少する傾向にあることがわかるだろう。こういう状況をもたらした原因は多方面に求められると思う。
第一に、90年から95年の間の出生率は減少気味にあり、幼稚園に対するニーズの低下につながった。第二に、ここ数年来市場経済の下で、幼稚園の運営は政府への依頼型から経営型に変わってきた。業界内における競争が日増しに激しくなる中で、経営状態の悪いものは政府によって閉園、合併を強いられたり、或いは自ら倒産したりするケースもある。また、企業の経営の悪化により運営する幼稚園のやむを得ぬ合併や閉園もしばしばある。第三に、近年中国における幼児教育の発展は量的増加ではなく、質的向上、即ち幼児教育の発展を促進すべく教育の質を高めたことに表されると言えるだろう。総じて、教育の発展プロセスの法則から言うと、ある歴史的時期における国の教育は一定レベルに達すると、暫時の停滞や低迷状態に陥りがちである。しかし、その段階を脱することができたら、再び緩やかな上昇が現れる。現在の中国はまさにそういった低迷期にあると言えよう。北京、上海等の直轄市及び東部一部の省における教育水準は既にかなりのレベルに達しており、伸びが緩やかになった。つまり、出生率の低下により必然的に就学前教育が量的に減少した。西部と中部一部の省における発展は緩慢で、まだ高度成長の勢いが見られず、更に出生率低下という要因も加わり、就学前教育の発展は緩慢且つ停滞の傾向が現れている。東部、中部及び西部の発展は、1995年以降、数量上において緩慢ないし停滞、後退といった全体像を形作っているのである。
(三)不均衡な就学前教育の発展-農村、山岳地域及び貧困地域における発展の停滞
中国における就学前教育の発展は極めて不均衡な状態が続いている。東部の急速な発展と西部の緩慢な発展の間に激しい格差が存在する。経済成長の速い大中都市における急速な発展と対照的に、小都市や農村等経済的に立ち遅れた地域における就学前教育の発展は極めて緩慢である。経済状況がこの現状をもたらした主な要因なのである。
1997年7月に、国家教育委員会により、『「全国幼児教育事業・95計画」発展目標の実施に関する意見』が公表された。その文書には同時に、『各省(自治区、直轄市)幼児教育事業の「95計画」発展指標に関する統計』も添えられている[1]。当統計資料は各省(自治区、直轄市)が該当地区の事情に基づき定めたものであり、2000年までに達成すべき入園率の指標が記されており、ある程度、該当域における現状を浮き彫りにしていると思われる。当指標統計から、著しい地域差だけでなく、同じ地域内における都市と農村の差異化も窺える。
1. 地域差が極めて大きい
例えば、北京、天津、上海及び重慶等4つの直轄市の中で、「95計画」の発展指標が最も高い上海では「2000年までに全市3~6歳幼児の入園率を95%とする」とされ、重慶は70%で、最も低い。両者の間の差は25%に及んだ。そして、各省や自治区の間にも激しい格差が存在する。東部や沿岸地域の大部分の省、例えば江蘇省、浙江省、山東省、広東省、福建省等では2000年の入園率の目標は70~80%以上、中部の河南省、湖北省、湖南省、山西省、陜西省等では50%位と設定されている。西部の雲南省、チベット自治区、甘粛省、青海省、寧夏回族自治区等では35%しかされず、発展が順調な東部の省と発展状態の芳しくない西部の省との間の差は45%にも及んでいる。
2. 都市と農村の格差が極めて著しい
当指標統計では都市と農村のデータを区別しない省、市と自治区があるが、それを分けて統計を行った地域だけを例として取り上げている。同じ2000年までの3歳以上の幼児の入園率の指標であるが、北京市の場合、都市部は90%とされているのに対して、農村部は80%となっている。即ち、北京都市部の3歳以上幼児の入園率の目標は90%以上であり、都市と農村の差は10%以上にのぼる。吉林省の場合は同じ時期、都市部小学校入学前3年間の入園率は85%を目標とするのに対し、農村部は入学前1年の入園率が85%である。つまり、都市部の幼児は3年保育が推奨され、幼稚園に入園できない幼児は3年保育で15%しかいないのに対して、農村幼児は1年保育しか受けられない上に15%は1年保育すら受けられないことを意味する。この格差もまた激しいものである。黒龍省小学校入学前3年間の入園率はそれぞれ都市部が90%、農村部は55%となっており、格差が35%に及んでいる。
(四)幼稚園経営システムの改革及び地域の発展に適応した就学前教育モデルの必要性
90年代以降、経済システムの改革が深まるに従って、幼稚園の経営システムも大きく変わった。それらの変化に対して、関係の政府部門では速やかに対応政策を打ち出すことができず、就学前教育の進路に大きな問題をもたらした。例えば、企業経営の幼稚園の多くは経済的トラブルにより、閉園、経営中止、合併、経営転向等の道を選ばざるを得ないという窮地に追い込まれた。更に、政府依頼型から経営型へという管理転換に適応できない多くの幼稚園も瀬戸際に立たされている。公立幼稚園は経済成長の速い地域では急テンポで発展をしているとは言え、政府機関による監督体制が整っていないため、その発展にもいずれ弊害が生じることになるだろう。農村部における就学前教育の進展は緩慢であり、都市部との格差がなお著しいが、それらの問題の解決はまだ手付かずのままである。
1996年に『幼児園工作規程』が国家教育委員会によって公布された。これは1981年に『幼稚園教育綱要』(試行版)が公表されて以降、就学前教育に関するはじめての国家機関による公的な文書である。1981年の文書では生活習慣、スポーツ活動、道徳教育、言語、日常的知識、計算、音楽及び美術を含め、幼稚園教育の諸領域について、比較的詳しく規程を定められている。例えば、園児の生活習慣の「食事」科目では、年少クラスの幼児には気持ちよく食事をすること、正確にスプーンを使うこと、食事の後口を拭うこと等、年中クラスの園児に対しては、静かに気持ちよく食事すること、よく噛んで食べること、偏食しないこと、食べ残しをしないこと、お箸の使い方を身につけること等、更に年長クラスの園児に対しては食事の時話しをしないこと、食事のごみをやたらに捨てないこと、食事の後きれいに片付けること等、それぞれ詳しい規程が定められている[2]。以上示したように、1981年の綱領はかなり具体的であり、社会主義モデルの特徴を浮き彫りにしていると言えよう。
しかし、1996年の規程は1981年のそれとは完全に異なり、地域の特殊性等を充分に考慮した上で、最も基本的な部分だけについて規程を定めた。園児の生活習慣等に関しては、「園児に良き生活習慣及び自立性を養うこと」という一言しか言及しなかった。2001年に教育部は『規程』の基本的趣旨に基づき、比較的詳しい『幼稚園教育指導綱要』(試行版)(以下『指導綱要』と略称する)を公布した。それは幼児教育を健康、言語、社会、科学と芸術等五つの領域に分けたが、具体的な内容に関しては詳しい規程がなされていない。例えば、園児の生活習慣については「食事、就寝、洗面及びトイレ等の良い生活習慣と自立性を養うこと」についてのみ触れている[3]。
こうした変化は要するに、中国の就学前教育に多様性と柔軟性が加わったことを示し、各省、市、各地域における就学前教育の発展に寄与するに違いない。とは言え、問題は依然として残っている。例えば、中国は国土が広いゆえに、就学前教育の発展が極めて不均衡であり、多くの地域では始動したばかりか緩やかな発展段階にある。また、中央政府による一括管理や具体的な指導が得られないため、茫然とした状況に陥り、その発展にマイナス影響を与えることになっている。このような状況は各省、市、各地域の模索と研究の進展、そして、当地域に最も適切な発展ルートの発見により改善されるに違いない。
(五)教育改革を浸透させ、家族や地域社会との連携を強める必要性
1996年の『規程』は就学前教育の改革を方向付けた点において意義を持ち、いくつかの新しい理念と観念が幼稚園教師の中で広く受け入れられた。しかし、実際の教育行為には依然として多くの問題が存在している。例えば、専ら園児に知識を授けることしか考えず、未だに正確な子供観や教育観を体得していない教師が多くおり、園児の素質教育を能力の養成と結びつけることができない。園児1人1人の進歩を第一に置くことができないのである。また、農村部には就学前クラスに関する認識が正しくされていない地域があり、多かれ少なかれそれを「小学校化」する傾向が見られる。『幼稚園教育科目に関する基準』はなお試行段階にあり、まだ各地域における就学前教育のためにマクロ的指導を果たすことができないのである。
就学前教育の果たすべき役割の一つは保護者のための情報提供である。したがって、家族との協力は必要不可欠である。しかし、わが国の就学前教育はまだ各家族に入り込まず、保護者との間には密接な連携が築かれていないため、就学前教育に参加させたいという保護者の意識はまだ希薄なものでしかない。場合によっては、激しくなりつつある社会競争に対応させるために、幼稚園或いは就学前クラスで小学校の学習内容を取り入れてほしいという保護者も少なからずいる。このようなことから、学習に対する就学前幼児の特性がまだ理解されていないことがわかる。それに対して、就学前クラスや幼稚園側は保護者に就学前教育とは如何なるものか説明したり、辛抱強く説得したりするどころか、保護者からの無理な注文に迎合するばかりである。或いは、せっかく協力関係を築いたとしても、実質的なコミュニケーションがとられておらず、形式ばったものになってしまうので、幼稚園や就学前クラスの特性に対する保護者の不理解ないし非協力をもたらし、就学前教育の発展の力どころか阻害の一因になっている。
こうした状況の中で、まず就学前教育の影響力を拡大することが先決ではないかと思う。教育部門では地域社会の資源を利用して、コミュニティベースで、例えば、玩具図書館、児童図書館、児童博物館、ゲームグループ、子供スポーツセンター等、さまざまなジャンルで就学前教育を展開することはそう困難ではないだろう。そうすれば、就学前幼児のためにより多くの教育の場を提供できるし、辺鄙な地域や過疎地域で生活する数多くの子供にも就学前教育を受けるチャンスを与えられるに違いない。したがって、保護者の教養度が低いことにより家庭教育が行き届かないという状態もある程度改善できるだろう。現在経済成長の速い地域では地域社会による就学前教育は一応の体制が整えられたが、中西部の遅滞地域ではまだいつ始まるかわからない状態である。その原因の一つは就学前教育の重要性に対する地域社会の認識が不十分なことにあり、もう一つは経済発展の遅滞により地域社会でそれなりの財源が確保できないからである。
現在の日本における就学前教育にまつわる主な問題
(一)出生率の低下による影響
21世紀の日本は言わば超高齢化社会と少子化社会の結合体である。医療技術や生活環境が一段と改善されたため、日本人の平均寿命は年々伸びている。総人口に占める65歳以上の人口の構成比率は1995年の14.5%から2025年の25.8%に上った。一方、少子化もなお進んでおり、特殊出生率(女性1人あたりの平均子ども数)は出生ピークの1974年より徐々に下降しはじめ、1989年には1.57になり、更に1995年で史上最低記録の1.43が記録された。出生率の激減により、就学前教育にも、停滞ないし後退の傾向が現れている。保育所の数からみれば、1992年の22,637ヶ所から1993年の22,583ヶ所に減少、さらに年々に下降し、1998年には22,332ヶ所に至った[4]。園児の定員人数も1992年の1,958,796人から1993年の1,945,915人となり、年々減少し続け、1998年には1,913,951人となっている[5]。
(二)就学前教育機関の二元性問題
周知の如く、日本の就学前教育機関は幼稚園と保育園の二つから構成される。幼稚園は学校教育法の下で設立された幼児教育機関であり、文部科学省の管下に属する。それに対して、保育園は児童福祉法に基づき、子供向けに設置された福祉施設であり、厚生省がその管理に責任を持つ。両機関は設立の宗旨から教育対象、募集年齢、就業と仕事の時間制度まで異なるところが多いため、発展途上の日本幼児教育に解決しがたい難問を引き起こしている。
まず、両者はそれぞれ異なる管理機関に属しているので、募集年齢に関する規程も従って異なり、相互に関連がありながらも、大きな違いを同時に有している。それは直接、日本における幼児教育の多様性と複雑性に繋がり、幼児教育における系統性や同調性の欠落をもたらしている。例えば、二元性は必然的に教育経費の二重投入を導き、両機関の間における投資関係や調和をはかるのに問題が生じやすく、ある種の不公平を引き起こしがちである。更に、幼稚園と保育園はそれぞれの別の法規や制度が定められているため、幼児教育制度に混乱を引き起こしかねないので、幼児教育自体の発展にも不利である。
第二に、保育と教育という二つの役割のバランスを取ることが難しい。幼稚園は文部科学省の管下にある学校教育機関の一つであるので、当然教育的機関としての役割が強調されるはずである。それに対し、保育園は厚生省に所属する社会福祉機関の一つであり、保育的機能が重要視される。したがって、保育より教育のほうを、或いは教育より保育を、というどちらかに偏らざるを得ないという難しい局面を導いた。一方、幼稚園教師の資格は保育士より上なので、教育の側面だけから見れば、幼稚園のほうがある意味では優勢であるような気がする。
第三に、幼稚園は共働きでない保護者も子どもを預けることができるが、保育園は共働きでないと利用することができない。しかも、子供が幼稚園にいる時間は日に4時間と限られており、休みも多く、その上昼食の手配もしてくれない。また、年齢制限的にも保育園のように3ヶ月からではなく、3歳以上でなければ入園できないので、親が子育てに取られる時間も少なくないだろう。
第四に、こういう半日制の幼稚園制度は日本女性の再就職を難しいものにしてしまう。日本社会において、ほとんどの家庭では夫は仕事、妻は家庭という役割分担が普通のようである。母親はほとんどの時間と精力を家事や育児に費やしてしまうので、就職や再就職するための準備、例えばトレーニングや研修等に時間を割くことがほぼ不可能に近い。それ故、子供が大きくなって再び仕事をしようとしても、技能のなさから諦めてしまう女性も多い。現在では、育児期間を終えて再就職する女性の数がいくらか増えたが、全体に占める割合は決して多くはないと思う。子供の面倒を見るのにかかる時間を減らすのに保育園を利用したいという母親が少なくないが、その福祉施設としての性格から、入園基準が厳しく、簡単には利用することができない。このような幼児教育機関における二元性問題の存在により、幼稚園と保育園がそれぞれ各自の経営システムを保持するか、統一するか(いわゆる「幼保の二元化」と「幼保一元化」)という問題をめぐり、長期にわたって論争が絶えることがなかった。
(三)低年齢幼児の入園率が低い
言うまでもなく、3~5歳幼児を対象とする就学前教育に対する日本政府の高い関心が日本の就学前教育を急速に発展させた要因の一つである。第1回幼稚園教育振興計画(7年計画)が1964年に文部省によって打ち出された。5歳児の入園を図るものであった。当計画では人口が10,000以上の市、村、町で5歳児の入園率を60%と目標が設定された。その結果、1971年に63.5%となり、目標達成を遂げた。そして、1972年に第2回幼稚園教育振興計画(10年計画)が実行に移された。当計画は4~5歳の幼児の入園を促進し、1982年までに4~5歳児を全員入園させることを目標とされたが、実際には実現できなかった。更に、1991年3月に第3回幼稚園教育振興計画(10年計画)が再度文部省により公布、実施された。当計画は2001年までに3~5歳の幼児を全員入園させることを目標として定められた。
とは言え、3歳未満の幼児の教育に対する関心度は明らかに充分ではない。幼稚園は3~5歳の幼児しか対象としないので、3歳未満の幼児の募集は保育園に頼ることになる。1999年4月に行われた統計によれば、全日本の保育園の入園率は1歳未満の幼児は62,882人で3.6%に過ぎず、1~2歳児は440,281人の25.4%となっている。[6] 3歳未満幼児の入園率はなぜ低いか、主な原因には次の二つが考えられる。まず、保育園が両親共働きの幼児しか募集対象としないという福祉的性格上のものであり、日本女性の多くは働いてないので、そこから3歳未満幼児の入園率が低いという現象が生じる。次に、日本には子供を3歳まで家庭で育てるという伝統がなお残っていることが挙げられる。そして、それが若い両親の育児観にも大きく影響を及ぼしているからである。
(四)保育士の資格は幼稚園教員より低い
この問題に関しては日本就学前教育の発展史に遡らなければならないのである。明治維新以降、欧米にならい、史上最初の幼稚園、東京女子師範学校附属幼稚園が、1876年に設立された。その後、幼稚園事業は徐々に発展したものの、女性の就職率が上がるに従って、とうとう社会ニーズに対応できなくなった。こういう状況の中で、貧困女性向けに最初の私立保育所が赤沢鐘美夫婦の企画により、1890年に新潟市で開園した。
よって、幼稚園と保育園はスタート当初から本質的に異なるものであることがわかる。先に創立された幼稚園は政府機関(文部省)によるものであり、幼児の人格的成長を促進することを眼目としている。一方、後から始められた保育所は個人によるものであり、低所得者層へのサービス提供が主旨となっている。教員は両方とも保育士と称されるが、実際には資格上格差があるのである。
1947年に公布された『学校教育法』で、幼稚園が学校教育の一環として位置づけられ、教員の名称も戦前の保育員を小中学校のように教諭と助教諭に改めた。即ち、小中学校と一致させたのである。戦後、教師の育成機関である高等師範学校が廃止され、従って、幼稚園や小中学校の教師育成は4年制大学と短大の1セクターになり、大学に教育学部や教育学科が設置された。一方、1948年に『児童福祉法』が公布され、幼児の保育に従事する女性に保母の資格を与えることが定められた。以来、保育園で保育に携わる人員は共通の資格を与えられ、幼稚園の教諭と区別されるようになった。その後、保父の増加にともない、1999年4月に厚生省はその名称を保育士と改めた。保育士の教育は主に保育士育成所(一般に短期大学)で行われるが、高卒或いはそれに相当する者を募集対象としていた。1994年の統計によれば、短大卒の保育士が全体の84.7%[7] に及ぶことがわかる。
一般的な社会認識から言うと、教育的機能については保育園が幼稚園に劣り、そして、保育士の資格が教諭より下だという見方がある。それは主に保育所の福祉的性格によるものと考えられる。こうした問題への取り組みとして、関係部門では幼稚園の教諭と同格にさせるべく、保育士の資格向上を図ると同時に、大学で保育士を育成するために、幼稚園教諭と保育士を共に育てる学部や学科の設置を提案した。これにより、保育士の資質を高め、保育園に対する社会的偏見を正そうと努めた。
(五)就学前教育と小学校教育の連携
就学前教育機関が設立された当初から、小学校教育との関連性が問われ、日本幼児教育界は大きな注目を集めてきた。それは100年あまりの経験の蓄積及び数多くの教育者たちの努力が実り、大きな成果を収めた。例えば、5歳児を対象に積極的に保育時間を増やし、更に小学校見学や小学校1年生との触れ合い等の項目を導入した。目的はこれらの活動を通して、小学校の環境に早く適応できるように、前もって園児たちを小学校の生活に慣れさせることにある。そのほかに、近年は幼稚園や保育所の教諭、保育士と小学校教諭との間に密接な関係を結ぶことを目的とした「幼・保・小連絡協議会」が設置され、幼稚園から小学校への架け橋に良好な基礎付けがなされた。
しかし、21世紀に入った今日では、もはや小学校とのつながりではなく、それをいかに義務教育全体とかみ合わせるかが問題である。知識教育や知力啓発の分野においては、教授科目、内容及び方法等の連携を強めなければならないし、社会教育や対人能力の育成等の面においてはいかに小学校と協力し、義務教育と統一させるか等一層検討する必要があるが、それらに関しては、日本就学前教育は充分な対応をしているとは言えない。
就学前教育における主要問題の中日比較
(一)主要問題の共通点
中国と日本は共にアジアの国であり、21世紀という特殊な背景に置かれ、抱えている問題に共通点が少なくない。
1. 就学前教育は停滞ないし下降の傾向にある
前述の如く、中国の就学前教育には90年代から下降の兆が現れたが、日本にも似たような現象が見られる。こういう現象をもたらす原因は日本の場合は主に出生率の低下であるのに対して、中国は人口が多いという要因のほかに、市場経済による激しい競争等も大きく働いた。
2. 就学前教育機関の二元性問題
上記に言及したように、日本の就学前教育機関は幼稚園と保育園からなり、教育宗旨や教育対象等の違いから解決しがたいさまざまな問題が起こっている。中国にも同じような二元性問題が存在している。就学前幼児を年齢により0~3歳と3~6、7歳の2段階に分けられており、前者は託児段階とされ、衛生部が管理に当たるが、後者は幼稚園段階であり、教育部の管理範疇に属する。厳密に言えば、中国における託児所・幼稚園の構成では募集幼児の年齢が重なるところがないので、二元性とは断言しがたい。というのは、託児所と幼稚園は全くと言えるほど実質的な連携がないからである。
3. 低年齢幼児の入学率が比較的低い
前にも触れたが、日本では就学前教育機関における3歳未満の幼児の入学率が大変低い。同様に、中国においてもそのパーセンテージは高くない。3歳未満の幼児を対象とするのは主に託児所であり、その利用率が比較的低いからである。したがって、中国では幼児教育或いは就学前教育と言えば、おおよそ、3~6、7歳幼児の教育を意味する。幼児教育者たちはもとより3歳未満の幼児の教育の重要さを認識しており、「託児所・幼稚園の一体化」との提案も出され、多くないがそれを実験する試みもされた。例えば、入園年齢を2~2.5歳までに制限を緩めた幼稚園もあった。それにもかかわらず、全体から見れば、これらの努力は託児所の入所率の低下の局面を改善するに至らなかった。目下、一部の経済成長の速い大中都市を除いて、大多数の中小都市では託児所の数は急速に増大するニーズに対処しきれず、衛生状態や設備の悪い私立託児所が市場シェアを占めているため、多くの3歳未満の幼児は家庭にとどまっており、共働きの家庭は困難や不便に悩まされている。また、託児所が衛生部の管下に置かれることから、教育より保育のほうへ偏ることにもなりかねない問題もある。
4. 小学校と幼稚園の連携の問題
中国も日本と同様に小学校と幼稚園の連携の問題を抱えている。ある意味では、中国の方が問題は大きいかもしれない。日本と比べれば中国の小学校教育は知識の教授に偏りがちで、幼稚園教育や就学前クラスの教育法と大きな違いがあるからである。日本では小学校教育、特に低学年における教育は生活態度や対人能力の育成を重要視するため、幼稚園や保育園での教育と大きなさほど差は見られない。現在、中国では小学校教育の改革を進めており、素質教育と言って子供の教育負担を減らすことに努めている。
(二)主要問題の相違点
日本の就学前教育は世界でもハイレベルに達している。まださまざまな問題を抱えてはいるが、就学前教育の大半が安定して浸透しているようである。出世率の低下により生じる子どもをめぐる諸問題及び教育機関の二元性等、解決しがたい問題以外の比較的小さな問題は他国と共有している。総じて中国における問題は日本より多い。日本が抱える問題の中で、幼稚園教師に対して保育士資格が低いという点を除くと、ほかの問題、例えば、小学校と幼稚園や保育園との連携問題、教育機関の二元性、3歳未満の幼児の入所率の低さ等の問題は中国も共通して抱えている。しかし、中国はまだ根本的な問題に対処している段階なので、これらの問題はまだ中国では、重要視されていないのが現状である。
中国における主要問題は次のいくつかにまとめられる。第一に、経済成長の遅滞により政府機関が就学前教育を軽視する傾向をもたらしている。第二に、経済体制の改革が就学前教育に与える影響が大きく、その浸透に影響を及ぼす。第三に、就学前教育の発展が不均衡であり、地域差が大きい。第四に、新しい趨勢の下で、幼稚園の経営システム、教育様式、教育改革、家庭と地域社会の連携等、就学前教育の領域で開発、検討しなければならない課題がまだ山積みされている。
主要問題の原因分析
1. 就学前教育に対する両政府の取り組みの度合を比較した。発展途上国である中国は経済がまだ弱いゆえに、義務教育以外の段階に対する気配りが遥かに足りないと言える。それに対し、先進国の日本は強い経済力を備えたため、義務教育が迅速な発展を遂げたと同時に、就学前教育にも目が行き届くようになった。これは中日における主要問題の差異を導いた要素でもある。
2. 就学前教育に対する中国政府の取り組みは日本よりずっと遅れている。前述のように、日本では幼稚園の普及プログラムが全国規模で3回実行され、その発展を促進したが、中国ではそのようなプログラムどころか、それを教育部の年度計画に取り入れることすらなく、就学前教育に対する認識は不十分の極みである。
3. 日本では就学前教育の発展は全国的にバランスよく進んでいるのに対し、中国では地域により不均衡が見られる。それは経済発展の地域差によるものだと思われる。中国は国土が広いため、経済発展の地域差が著しい。広い農村、山岳地帯等、いわゆる貧困地域においては就学前教育の遅滞が、生産力の低さと平行して、発達地域との間に大きな格差の溝が横たわっている。それと対照的に、日本は経済成長により工業化が進み、また島国で都市部と農村部の格差が小さいため、経済的要因による就学前教育の地域差があまり見られなかった。
4. 中国の就学前教育は発展途上にあり、なお抜本的な改善が必要であるのに対して、日本は既に 穏やかな成長段階に入っている。日本は1989年に公布された『幼稚園教育綱要』で1964年のそれに大きな修正を加え、健全な心身の発達を図ることを目的とした「健康」、「社会」、「自然」、「言語」、「音楽」と「絵画」という六つの項目を「健康」、「人間関係」、「環境」、「言語」と「表現」の5つに改め、幼児の社会性、積極的に学習したり考えたりする能力の養成を強調するようになった。1999年に公布された新しい『綱要』は1989年のそれと全体構成、内容には、大きな変更がなかったことから、日本の就学前教育が一貫して効果的に機能していることが窺える。
一方、中国は1996年に公布された『幼児園工作規程』は改革開放10数年来の幼稚園教育者の経験を踏まえたうえのもので、時代的な特徴をよく反映しており、1981年の『幼稚園教育綱要』とは大きく異なったものである。公布されてわずか5年しか経ってないので、徹底的に実行されるまでまだ長い道程を歩まなければならない。中国の就学前教育はまだ発展途上にあり、確実な成長段階に至るまではまだかなりの歳月が要するであろう。
参考文献
[1] 中国学前教育研究会 『中華人民共和国幼児教育重要文献総編[M]』北京師範大学出版社1999年P473~475
[2] 中華人民共和国教育部 『幼児園教育綱要(草案)[M]』人民教育出版社1981年
[3] 中国国家教育委員会 『幼児園工作規程[R]』1996年
[4][5][6] [日]厚生省 厚生白書(平成12年版)[M]東京株式会社2000年 P437、22、436
[7] [日]丸尾譲等 『保育原理[M]』福村出版株式会社1997年 P124
*『雲南師範大学学報(哲学・社会版)』2002年(6号)P64-69より転載