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【米国】アメリカの保育者養成の授業の例(3)~貧困・逆境的な体験をしている子どもたちについて

今から15年以上前、米国の大学院で学び始めた時、貧困(Poverty)という言葉が含まれた授業が開講されていることに驚きを感じたことを記憶している。ちなみに私が所属したこのミズリー大学人間発達家族研究学科(現在の名称は、人間発達家族科学学科)では、現在では3つの貧困に関した関連科目がある―「Poverty(貧困)」「Children and Families in Poverty(子どもと家族の貧困)」「Stress and Resilience in Families(家族のストレスとレジリエンス)」)。

日本でも、子どもの貧困や経済格差が随分前より話題になっているが、米国の統計を少し紹介したい。US Census*1によると、2020年では、16.1%の18歳未満の子どもが「貧困」のカテゴリーに属するとされている。これは国民全体の貧困率11.4%よりも高いことから、子どもが貧困のターゲットになっているといっても過言ではない。貧困率は、2020年の場合、4人家族(親2人、子ども2人)で年間所得26,246ドルを下回る所得である。しかしそれ以上に「Extreme Child Poverty(子どもの極度貧困)*2」の割合が、16人に1人と報告されている。これは、家族4人(親2人、子ども2人)の場合、世帯収入が月に1,080ドル 以下というレベルである。

しかし貧困だけではない。子どもたちは、虐待などの様々なトラウマとなるような経験をしていることが報告され、逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experiences, ACE)として紹介されている(仲, 2017)。この用語は、米国の疾病予防管理センター(CDC)でフェリッティ(Felitti)らが行った疫学研究に基づいており、子ども時代に 経験した精神的または身体的なストレス要因がいかに成人期以降の心身の健康に影響し、健康上のリスクに関連しているかについて報告されている(Felitti et al., 1998)。ACEの例は、虐待、親による暴力、家族の機能不全、薬物・アルコール依存やうつ病など精神疾患などが含まれ、合計で10項目紹介されている。これらの項目のうち、18歳までに体験した項目数を合計した数がACEのスコアである。CDCの報告では、61%が幼少時代に、リストの中の1つの逆境的な体験をしたことがあると述べ、また6人に1人が、4項目以上の逆境的な体験をしたことがあるという結果である*3

前回紹介したDan Gartrell著の「Guidance for Every Child : Teaching Young Children to Manage Conflict」(すべての子どもへのガイダンス:幼児の対立の対処法について)の序章によると、幼児教育者らの知見によると、問題なく良好な関係を築くことができる子どもの割合は95%や80%であり、特に貧困層の子どもたちを保育している場合は、40%という低い数値であるといわれている。さらにその「問題なく良好な関係を築くことができる」にあてはまらない子どもたちに、教師は自分のリソースを費やすことになると述べている。これは正直な見解であり、日本の教育観では子どもを差別することになると抵抗感を感じる読者もいるのかもしれない。以前、私の学科長が「授業を教えるというのは、10%の(ニーズや問題のある)学生に90%の自分の時間が割かれてしまうものだ」と話してくれたことがあるが、実際に米国の大学で教えているとそのように感じることも少なくない。ヘッドスタートプログラム*4などの補償教育にお金がつぎ込まれるのも、ニーズの高い子どもたちに配慮した教育制度が当然の権利として子どもや家庭の側からも求められていることと関連している。

前回紹介したGartrell著では、葛藤(対立や衝突)ゆえに生じる子どもの問題行動を「あやまった行動(Mistaken Behavior)」とし、3点のレベルで説明している。その3つ目のレベルが、「生存(満たされていない強い欲求)が原因で引き起こされた誤った行動(Survival (strong unmet needs) Mistaken Behavior)」であり、今回の原稿のテーマである貧困・逆境的な体験をしている子どもたちなど、非常に困難な環境で育っている子どもたちがその対象である。

これらの非常に困難な環境で育っている子どもたちを理解する手立てとして、本書の中ではマズローの「欲求5段階説」、ボウルビィ やエインズワースの「愛着理論」を紹介している。まずマズローの理論では、特に乳幼児の場合、最初の二つの欲求「生理的な欲求」と「安全の欲求」が満たされていることが最も重要であるとし、虐待を受けていたり、貧困家庭で育ったり、家族と愛着関係が形成されていない場合などでは、これらの2つの欲求が満たされなくなってしまうと述べる。そしてこれらが満たされてこそ、学習や心の成長への内的動機づけが高まるものであるとする。また「愛着理論」においては、家族の最低でも1人(特に母親)と安定した愛着関係を築いていることが、もっとも基本的なニーズであり、このような信頼関係や所属感なしでは、子ども自らコントロールできないストレスを経験し、自分の安全ニーズを守ることに固着してしまい、その結果けんかなどのトラブルにつながると説明する。またこれらの2つの理論だけでなく、近年注目されている「実行機能」研究の知見から考えると、子どもは自分が脅かされていると感じる時、ストレスホルモンが分泌され、実行機能を低下させるという。このことにより、自分の周りに起こる出来事に過敏になり、自分に危害を加えるものと解釈し、自分を守るためにけんかや攻撃行動として表れるということである。

実際、「アメリカ進歩センター*5」の2016年の分析報告によると、推定5万人の就学前児童が、攻撃行動などの理由で、少なくとも一度はプリスクールの停学処分を受けているそうである。また未就学児の退学率は、学童児の退学率よりも3倍以上高く、特に男児やアフリカ系アメリカ人の子どもたちの割合が高いとされている。これらのプリスクールの停学処分を受けた子どもの割合は、貧困や虐待を受けているなどの困難な環境と深く関係があることも、研究の中で報告されている(Zeng et al., 2019)

Gartrellはこのように問題行動や他の理由により、教師や他児、園から排他され、それゆえにスティグマを経験する子どもたちに対して、「Liberating Teaching (解放教育) 」が重要であると述べる。これは意図的な指導であり、肯定的な関わりによって、子どもが周りから受け入れられていることを認識させるものである。また子どもは自分に弱さがあること(攻撃的行動など)を受け入れることも重要であるが、同時にそれは自分のアイデンティではないということに気づくことを助けるものである。このような働きかけにより、子どもは他者を受け入れることを学んでいくと語っている。授業の参考図書「The Guidance Tradition. A Guidance Approach for the Encouraging Classroom 」(Gartrell, 2014)」の中では、Liberating Teachingとして、具体的には、次の項目が紹介されている。

  • 子どもを価値ある個人として、またグループの一員として受け入れていることを明確に示す。
  • 子どもの能力を引き出す。
  • 子どもとクラスの両方が、拒絶するのではなく、他者の反応を受け入れる方向へ向かうように指導する。
  • すべての子どもが参加できるように、物理的・社会的環境を整える。
  • 子どもたち一人ひとりが成功体験をもてるように、協力的な活動や個人的な活動を促進する。
  • 子どもの家庭環境に配慮する。
  • 子どもの家族的な背景や言語的な要素を積極的にプログラムに取り入れる。
  • 子どもが民主的な生活技術を学ぶ力をつけるために、罰するのではなく、導く。
  • 個々の子どもの挑戦的な行動をクラスが理解し、対処できるようにする。

さらに、これらの子どもたちがレジリエンスを身に着けていくよう援助することが重要であるが、このことについては、また別の機会に紹介したい。

今回の原稿では、「貧困・逆境的な体験をしている子どもへのかかわり」をテーマに授業の内容を紹介した。このような「貧困・逆境的な体験」をしているのは子どもやその家族だけでなく、保育者自身もその対象に含まれる場合が多い。以前紹介した「米国における保育の質研究―保育者の離職について」のレポートの中では、保育者らが厳しい労働環境に置かれていることについて報告した。私生活ですでにトラウマやストレスを経験している保育者らが、貧困・逆境的な体験をしている関わりをもつのが難しい子どもたちに、辛抱強く、愛情をもって接することができるかと言われると、難しい場合も多いと考えられる。貧困の連鎖反応が、家庭だけでなく、このような保育の場でも起こりうることが予測されるが、プロフェッショナルとして何が期待されるのか、授業の中でできるだけ学生たちに伝えたいと考えている。これは米国だけでなく、日本の保育者養成においても考えていかなければならない課題ではないだろうか。




    文献
  • Felitti, V. J., Anda, R. F., Nordenberg, D., Williamson, D. F., Spitz, A. M., Edwards, V., Koss, M. P., & Marks, J. S. (1998). Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults: The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study. American Journal of Preventive Medicine, 14(4), 245-258.
    https://doi.org/10.1016/S0749-3797(98)00017-8
  • 仲真紀子(2017) 「子ども時代の逆境的体験(ACEs)」と貧困―逆境的体験から子どもを救う目と耳と心 学術の動向 39-43
  • Zeng, S., Corr, C. P., O'Grady, C., & Guan, Y. (2019). Adverse childhood experiences and preschool suspension expulsion: A population study. Child Abuse & Neglect, 97, 104149.
    https://doi.org/10.1016/j.chiabu.2019.104149

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筆者プロフィール
noriko_porter_202208.jpgポーター 倫子(Noriko Porter)

金沢市出身。1987年より11年間北陸学院短期大学で保育者養成に携わり、国際結婚を経て1998年に渡米。2008年にミズーリ州立大学人間発達家族研究学科博士課程を卒業。ワシントン州立大学人間発達学科のインストラクターを経て、現在は北陸学院大学子ども教育学科教授。2015年より安倍フェロ-として日本における調査研究を実施。テキサス大学医学部の精神医学行動科学学部客員研究員。立命館大学の人間科学研究所客員協力研究員。
保育の分野で幅広く研究を行ってきたが、最近では日米の子育て比較研究が主な専門領域。自閉症児を抱える子どもの親としての体験をもとにして執筆した論文「高機能自閉症児のこだわりを生かす保育実践-プロジェクト・アプローチを手がかりに-」で、2011年日本保育学会倉橋賞・研究奨励賞(論文部門)受賞。
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