もしみなさんが、外国の人に「なぜ日本では、電車やバスの中で電話をかけてはいけないのですか」と質問されたらどのように答えますか。日本に住む私たちにとって、バスや電車で流れる「車内ではマナーモードに設定の上、通話はご遠慮ください」というアナウンスは非常に馴染み深いものですが、実は、これは万国共通の車内マナーではありません。車内での通話を控えることが車内マナーとされていない国も多くあります。
そのような国の人に次のような質問をされたら、みなさんはどう答えるでしょうか。
もし静かな環境をつくるためというなら、どうして乗客同士の会話は許されているのですか。これは矛盾していないでしょうか?
日本では閉じられた公共の空間での振る舞いを非常に気にするということでしょうか? 公共の場に多くの決まりごとがあると非効率になることもあるし、あまり自由ではない気がします。公共の空間である以上、それぞれの人が自分の事をする権利をもっているのではないでしょうか。デパートなども閉じられた公共の空間ですが、どうしてデパートでは携帯での通話が禁止されていないのですか?
どうでしょう。改めて考えてみると、意外に答えるのが難しいのではないでしょうか。
実はこれらの質問は、われわれの研究チームが日中の大学で実施した対話的異文化交流授業において、通話を控えることが車内マナーとされていない中国の大学生から実際に出された質問に少し手を加えたものです。こういった質問を受けた日本の学生は、非常に悩んだ末、例えば、「他の人に迷惑をかけないようにするということが根本としてあるのではないかと思います」、「公共の場で自分勝手な行動を慎んだり、相手、周りの人間に配慮するのが日本人の美徳なんだと思います」といった回答を絞り出すものの、対話終了後の感想では「なぜ私たちは、いつから、何のために通話を控えているのか」、「中国からの意見を聞いて、なぜ日本では車内で電話してはいけないのか、よく分からなくなりました」などと、当たり前だと思っていた認識が揺らいでしまったことを告白しています。
このように、当たり前と思っていた自文化のあり方が外国の人との対話の中で揺らいでしまうという経験は、それ自体がとても重要です。ただ、異なる文化の人々が様々な形で交流することがもはや珍しくない現代においては、自文化についての信念が揺らぐことだけでは十分ではなく、自分と異なる文化的信念をもつ人たちと実際にどのように関わっていくのか、ということが大きな課題となります。例えば、公共の場では他人に配慮することが重要だと考える日本人と、公共の空間であるからこそ人々に自由が認められるべきだと考える中国人が共同で公共空間のデザインを考えることになった時に、どのような具体的な解決策がありえるでしょうか。われわれの研究チームは2010年からこれまで、アジア各国の大学生を対象として、自文化の当たり前が揺らぎ、そこから生まれた戸惑いや葛藤を通して、相手の文化についての理解を深めていくことができる対話的異文化交流授業の開発を試みてきました*1。2023年度に新たに科学研究費の助成を受けてスタートしたプロジェクトは、ここからもう一歩進めて、学生たちが文化の違いによって生まれる違和感や対立に向き合い対話を深めることを通して、異なりながらも欠くことのできないパートナーとして互いを位置づけ直すことができるような授業の開発を目指しています。
このような関係づくりを、われわれは「共在的実践」と呼んでいますが、これはもちろん簡単に実現できるものではありません。自文化のあり方が絶対ではないと頭で理解できたとしても、すぐに相手のやり方に合わせられるかというと、それはかなり難しいでしょう。そこには、理解とは異なる感情の問題があるからです。例えば、先ほどの車内での携帯通話の例でも、対話終了後の感想として日本人学生が「あたり前と思っていたことに突っ込まれて、言い返すのが難しいことに驚いた。でもやっぱり静かな方がいい」と、理解よりもむしろ自分の気持ちとして受け入れられないという感想を語っていました。現実的な異文化対話を考える時にはこのような感情の壁を越えて、新しいお互いの関わり方を探していく必要があるわけですが、そういった経験を授業の中で学生にしてもらうにはどうすれば良いのか、それが今回の研究プロジェクトの最も大きな課題ということになります。
研究に取り組むメンバーは、日本、中国、韓国の研究者14名です。
研究代表者 | : | 榊原知美 | 東京学芸大学・准教授 |
研究分担者 | : | 呉宣児 | 共愛学園前橋国際大学・教授 |
高木光太郎 | 青山学院大学・教授 | ||
高橋登 | 大阪教育大学・教授 | ||
田島充士 | 東京外国語大学・准教授 | ||
渡邊忠温 | 東京学芸大学・研究員、発達支援研究所・主席研究員 | ||
横山草介 | 東京都市大学・准教授 | ||
研究協力者 | : | 崔順子 | 国際児童発達教育研究院・院長 |
姜英敏 | 北京師範大学・教授 | ||
片成男 | 中国政法大学・副教授 | ||
山本登志哉 | 発達支援研究所・所長 | ||
周念麗 | 華東師範大学・教授 | ||
チーム協力者 | : | 朴聖希 | 奈良女子大学大学院・博士課程 |
シム・ヒョンボ | 慶熙大学校大学院・博士課程 |
本プロジェクトでは、これらの日中韓の研究者が以下の4つのチームに分かれ、日中、日韓の大学でこれから4年間、試行授業を積み重ねながら、対話的異文化交流授業の開発に取り組んで行きます。開発する授業は、オンラインテクノロジーを活用するなどして、大学の通常授業の枠内で無理なく実施できる形にしていきたいと考えています。プロジェクトの後半では、開発した授業の試行を様々な大学にお願いしたいと考えていますので、その際は是非ご協力ください。
日本・中国チーム1:榊原、渡邊、片
日本・中国チーム2:横山、山本、周
日本・中国チーム3:高木、田島、姜
日本・韓国チーム:呉、高橋、崔、朴、シム
プロジェクトの成果については、学会などでの発表はもちろんのこと、研究プロジェクトのホームページ(日中韓の大学授業を結ぶ対話的異文化交流授業の開発―共在的実践の生成に向けて (ibunkakaken.com))や、この連載ページでも、随時、紹介していきたいと思いますので、お楽しみに。

2023年8月25日 東京会議にて
*1 チームメンバーが以前このサイトに寄稿した記事は、チャイルド・リサーチ・ネットの読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」のコーナーでお読みいただけます。
https://www.blog.crn.or.jp/lab/08/01/
参考文献
- 榊原知美・片成男・高木光太郎 (2012) 集団間対話を通した異文化理解のプロセス-日本・中国の大学間における交流授業の試み- 国際教育評論, 9, 1-17
- Sakakibara, T. (2017). Intercultural understanding through intergroup dialogue between Japanese and Chinese university students. Integrative Psychological and Behavioral Science, 51, 359-378.
東京学芸大学准教授。専門は発達心理学。認知発達と文化の関係について、特に幼児の数量発達と大人の支援に注目した研究を行っている。また、大人を対象とした研究として、文化的他者との対話を通した認識の変化過程に関する研究にも取り組んでいる。著書に『算数・理科を学ぶ子どもの発達心理学』(編著、ミネルヴァ書房、2014)、『発達心理学(第2版)周りの世界とかかわりながら人はいかに育つか』(分担執筆、ミネルヴァ書房、2018)、『保育の心理学』(分担執筆、中央法規出版、2019)など。