子どもの情緒や創造性、人間性を豊かにする街づくり
レッジョ・エミリア市は、イタリア北部に位置する人口16万5,000人ほどの都市で、1945年の第二次世界大戦敗戦以来、乳幼児教育に力を入れています。1991年12月、アメリカ「Newsweek」誌に「世界で最も優れた乳幼児教育が行われている学校」として同市立ディア-ナ幼児学校が紹介されたことがきっかけの一つとなり、先進的な乳幼児教育都市として世界的な注目を集めるようになりました。私も強い関心を抱き、何度も同市に直接足を運んで子どもや乳幼児教育に携わる方々と対話を重ねてきました。
同市の乳幼児教育の概要をご説明しましょう。イタリアには乳幼児教育についての国定指針がありませんから、同市は独自の指針を設けています。それは、「教育はすべての子どもの権利であり、コミュニティの責任である」という宣言に始まります。この言葉通り、子どもの情緒や創造性、人間性がさらに豊かになるように、街全体で取り組んでいます。
例えば、公立リサイクルセンター「レミダ」を設立し、企業などから寄せられた廃材を市民に無償で配布しています。乳幼児教育施設では、子どもがここから自由に選んだ材料をさまざまな活動に充てています。さらに、毎年5月の土曜日・日曜日に行われる、市民による文化祭ともいえる「レッジョナラ」では、子どもと大人のために多彩なイベントが催され、誰でも自由に参加できます。保育者や各種専門学校の学生、聖職者など様々な市民が子どものために民話や自作の素話を語ったり、街のあちらこちらにある広場を舞台として劇団が演劇を上演したりといった具合です。2日間とも市内の美術館や博物館が無料開放されますから、子どもは貴重な収蔵品に間近で接することもできます。同市の乳幼児教育はよくアートに例えられますが、ここにご紹介した市としての取り組みにもその一端がうかがわれると思います。
また、自分の気持ちや考えを言葉によって他者に伝えることを尊ぶ風土があるため、人々が集まり、言葉によるコミュニケーションを図りやすいように街が設計されています。広場が多いことはその一例です。広場には週3日朝市が立ち、買い物客と商人、あるいは買い物客同士が談笑する姿がしばしば見られます。平日のお昼時には勤め先から多くの人が広場に出て、美術や政治など様々な話をしています。言葉を自在に用いて意思を疎通する大人の姿を間近に見ることで、子どもは思考力や表現力を大きく伸ばすと考えられます。
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子どもと大人とがともに気づき、共感し合う
「プロジェッタツィオーネ」*
レッジョ・エミリア市には2種類の乳幼児教育施設があります。1つ目は0~3歳が通う乳児保育所、2つ目は3~5歳児が通う幼児学校で、それぞれ公立のほかに私立や教会立などがありますが、先ほどご紹介した同市の教育方針はいずれにも尊重されています。また、公立の乳児保育所、幼児学校では、保育者の勤務時間は週36時間で、そのうち6時間を研修に充てられることが保障されています。つまり、有給で研修を受けられる制度が確立されているわけです。日々のふりかえりはもちろん、研修では実践哲学や内容、評価について、ペダゴジスタ(教育主事・コーディネーター)を交えて学びの時をもちます。
すべての乳児保育所、幼児学校では伝統的に、「プロジェッタツィオーネ」という活動を柱としています。その内容は様々ですが、遊びと学びとを対立するものとは考えず、両者を一体化させる活動であることは共通しています。公立乳児保育所における実践例を見てみましょう。
私が見学した『食』を探究する「プロジェッタツィオーネ」では、材料の収穫、調理、盛りつけ、テーブルのセッティングというように、料理にかかわるあらゆる作業を子ども自身の手で行っていました。そのどの工程にも子どもの自由な発想があふれ、子ども一人ひとりがキャンバスに好きな絵を描くように、生き生きと料理を作り、デザインしていました。これを支えているのが、子どもに対する保育者のかかわり方です。保育者やアトリエリスタ(芸術士)は活動に取り組む子どもに常に付き添っていましたが、子どもに「こうしなさい」と指導するのではなく、子どもと同じ視点に立ち、「凄いね!」「どうしてだろう?」と言葉を交わしながら、子どもとともに気づき、感動していました。
「プロジェッタツィオーネ」にかかわる大人は、保育者ばかりではありません。保護者はもちろん、活動内容に応じて調理師など多様な職業の人が参加します。そして誰であっても、子どもとの関係は対等です。つまり「プロジェッタツィオーネ」は、子どもも大人もともに主人公となり、対話を通して共感し合う活動なのです。その共感を言語化する過程で、子どもの気づきや感動が何倍にもなり、思考力や表現力、創造性などを包括的に高めることにもつながると考えられます。
大きな社会変化に応じて
乳幼児教育をいかに改めるかは日本と共通の課題
1945年の第二次世界大戦敗戦を機に始まったレッジョ・エミリア市の乳幼児教育には、今日までいくつかの変遷がありました。例えば、以前は子どもの認知的な発達などを評価していましたが、「プロジェッタツィオーネ」によって伸びる子どもの多様な力を計量化することの危険性が認識され、現在ではそうした評価は行われなくなりました。ただし、乳幼児教育の根底にある保育観、子ども観は揺らいでいません。
同市における乳幼児教育実践の創始者の一人であるローリス・マラグッツィは、子どもが想像力や創造性、知的好奇心にあふれ、無限の可能性を秘めた研究者であることを訴えたほか、子ども一人ひとりが声をもつ市民であることを強調しました。この「子どもは市民である」という考えが、子どもの教育を受ける権利を保障し、それをコミュニティの責任である、とする乳幼児教育方針はもちろん、子どもと大人とが市民同士として対等な立場でかかわる教育実践にも生きているのです。
近年、同市の先進的な乳幼児教育が世界中に紹介された影響からか、同市には各国からの移住者が目立つようになりました。そのため人口が増え、多民族化が進んでいます。広場の朝市に行くと、スワヒリ語、フランス語、ドイツ語、中国語、中国語の中でも北京語も聞こえれば広東語も聞こえるというように、実に様々な言語を耳にし、文化的な背景の異なる人々が共存していることを実感しますから、市民の気質などにも変化が生じているでしょう。そこで、このような大きな社会変化に乳幼児教育がどのように対応するかが、新たな課題となっています。根幹となる保育観、子ども観は維持しながら、変わりつつある市民の求めに応じて新しい教育実践をつくっていく必要があるのです。これは、多様性が課題となっている日本の保育現場と相通ずることでもありましょう。
優れた乳幼児教育の伝統をいかに守り、いかに改めるか。レッジョ・エミリア市と日本の保育者同士の対話はこの問いに答えるための鍵となると、私は考えています。
* プロジェッタツィオーネ(progettazione)はイタリア語で、あらかじめ決められたカリキュラム、プログラム、方法通りに展開する実践と相反する意味の言葉です。日本、欧米やアジア諸国では「プロジェクト」と紹介されています。(参照:『レッジョ・エミリアからのおくりもの』森眞理著)
※写真は著者が特別な許可を得て撮影したものです。
※この原稿は、第4回ECEC研究会「世界の保育と日本の保育~遊びの中に学びを探る~」の講演録です。
編集協力:(有)ペンダコ