はじめに
2019年10月1日からの消費税率引き上げに合わせ、いよいよ保育料無償化が実施されようとしている。1989年の「1.57ショック」といわれる合計特殊出生率の低下を契機に、国は「エンゼルプラン」を打ち出し、少子化対策を進めてきた。しかし、出生率は2005年には過去最低である1.26まで落ち込んだ。その後、微増傾向にあったが2017年は1.43注1、中でも都道府県別でみると東京都は1.21注2と全国で最も低く、前年の1.24からさらに下がっている注3。そのため、少子化問題に歯止めをかけるべく、2017年12月8日に、「新しい経済政策パッケージ」注4が、2018年6月15日には、「経済財政運営と改革の基本方針2018」注5が閣議決定され、幼稚園、保育所、認定こども園等を利用する3歳から5歳までのすべての子どもたちの利用料の無償化がすすめられようとしている。
しかし、「少子化」が社会問題になっているにも拘らず、保育の受け皿は十分ではない。女性の就業率の上昇により、両親共働きによる保育を必要とする家庭が増えている。全国で2万人近くの待機児童注6がおり、低年齢からの入所希望にともなう待機児童問題は、特に都市部において深刻な問題になっている。政府は、すべての子どもに質の高い幼児教育を保障するため、幼児教育にかかわる保護者負担を軽減するとともに、待機児童を解消しつつ、出産、育児で職を離れるM字カーブを解消することを掲げている(「子育て安心プラン」, 2017)注7。しかし、保育士の過酷な労働環境による保育士不足を解消する取り組みや、保育の質の向上に関する課題は解決されていない。池本(2018)注8は、この保育料無償化が、経済的負担軽減の少子化対策としてのねらいが強いことや、幼児教育の内容や質の確保についての議論に欠けていること、無償化することが保育時間の長時間化を助長する懸念があると指摘している。内閣府の「結婚・家族形成に関する意識調査」(2014)注9において、「どのようなことがあれば、あなたは(もっと)子供がほしいと思うと思いますか」の問いに対し、「将来の教育費に対する補助」が68.6%で第1位、「幼稚園・保育所などの費用の補助」が59.4%で第2位となった結果を受け、政府は「子育てや教育にお金がかかりすぎる」ことが、若い世代が子どもをもたない最大の原因であるとし、この保育料無償化が重要な少子化対策の一つに挙げられた。
確かに子育てにはお金がかかる。しかし、「幼稚園・保育所などの費用の補助」があれば、もう一人子どもがほしい、という単純なものでもない。「子どもの人数が多いので、子どもたちの将来のため、少しでも稼ぎたい」という保護者の声もある(関・西脇・戸次2019)注10。柴田(2016)注11は、「子育て支援」の拡充の重要性を指摘し、子育て支援に力を注ぐことで、日本の労働生産性と経済成長は高まり、出生率の向上も期待できると主張している。保護者は、子育てや自身のライフコースについてどのような生活を思い描き、何が満たされることで、その思いに近づけると感じるのだろうか。そしてこの保育料無償化については、どのような思いを抱いているのだろうか。親になって間もない保護者が、子どもといつまで家庭で過ごすか、いつから仕事をはじめ、どのような保育施設に入れたいか、という子どもの生活の場の『選択』と自身のライフコース選択に、保育料無償化はどのように影響するのだろうか。石黒(2011)は、S.J.ボールのブルデュー理論のさらなる展開について触れ、「国家レベルの政策は、保育・教育選択の実際的な選択肢を用意する。教育・保育選択とは、これらの選択肢と父母の育児意識が出会う場面であり、したがって、『選択』とは、まさに、マクロな政策動向と、行為者によるミクロな実践が接合する契機である」注12としている。
2016年、2017年に筆者が実施した保護者へのインタビューによる保育施設選択の質的調査(関,2018a/2018b)注13では、それぞれの家庭の状況は実にさまざまで、選択時の保護者のこだわりや、願いもそれぞれ異なることがわかった。施設選択に関連が深いものとしては、家庭の経済状況、母親の就労、身近な人のサポートの有無、利便性や保育内容に関する関心などがあげられるが、これらを一律に考えることはできない。保護者は、そのときに最も必要と考える、どうしても外せない事情を優先し、施設選択を行う結果、そこしか選びようがない、そうするしかない、ということも起こっている。仕事をもっている、もっていないに拘らず、小さいうちは一緒に過ごしたいと願う人もいれば、いつまで一緒に過ごすか、ということにそれほどこだわらない人もいる。広い園庭で思い切り走り回れる環境を望む人もいれば、英語を身に付けさせたいと願う人もいる。いつまで家で一緒に過ごすか、いつから保育施設に入れるのか、という乳幼児期の施設選択は、保護者にとって、それまで漠然としていた子どもへの思いや子育てに対する思いを自覚化させるとともに、保護者自身のライフコースも自覚化させる。そして、それぞれが生活する諸条件のなかで、家族や子どもの実情に合わせた選択がなされていくことになる。調査では、「子どもが3歳になるまでは家で一緒に過ごしたい」と語っていた保護者が、第2子の妊娠がわかると「次は子どもが1,2歳になったら働きに出たい」、という気持ちに変わっていく様子が見られた。またこれから子どもが増えることで感じる経済的な不安や、母親と子どもだけで過ごす閉塞的な生活に、精神的にも体力的にも疲れを感じるという保護者の声も聞かれた。保護者は子どものどのような姿をとおして、1,2歳まで一緒に過ごせれば充分と思うようになるのだろうか。保育料無償化は、現在0歳から2歳についても、検討がすすめられており、当面は住民税非課税世帯を対象に実施されることになっている。低年齢児の保育料無償化は、これまで「小さいうちは一緒に過ごしたい」と望んでいた保護者の子育て観や、ライフコース選択の考え方に変化を与える可能性がある。そこで、保育料無償化が0歳から2歳についても拡大された場合、「子どもをいつから保育施設に入所させたいと思うようになるのか」「仕事はいつからどのようなかたちで開始したいと思うのか」「無償ならば0歳から入所させたいと思う保護者が増えるのだろうか」という点に着目して、量的調査の統計分析に詳しい、発達心理学が専門の戸次佳子と、保育の歴史研究が専門の西脇二葉と共に、保育料無償化が子育てや保護者のライフコース選択にどのように関連するのかを調査するため、共同で研究をすすめることにした。
方法
【対象者】 認定こども園、保育所(首都圏1都1県にある人口20万人以上の都市のうち、待機児童の多い1地域と待機児童数ゼロの2地域から5園を抽出)を利用する保護者680名。
【手続き】 2018年7月、各保育施設の施設長に調査の説明をし、同意を得た上で保護者に質問紙を配布し回答してもらった。回答は無記名とし、同意書と質問紙を別々の封筒で回収した。回答者は309名(回収率45%、 地域A : 117名、 地域B : 106名、 地域C : 86名)であった。
【質問内容】 対象者の属性の他、第1子、第2子入所時期、及び無償化になったらいつから入所させたいかを「産休明け」「6ヶ月未満」「6ヶ月以上1歳未満」「2歳」「3歳」「4歳」のいずれかから選んでもらった。また、無償化になったらいつから入所させたいか、の質問に対しては、自由記述で理由を書く欄を設けた。
【分析方法】 結果は全てデータ化し、地域別に比較した。統計分析は、IBMのSPSS Ver.25を使用した。
なお、本研究調査は、東京福祉大学・大学院の研究倫理審査を経た上で倫理規定に則って行なった(承認番号;2018-03)。
結果と考察
【対象家庭の子どもの人数】
調査対象者の家庭の子どもの人数を比較したところ、図1に示したような違いが見られた。地域Aは子どもが3人以上いる世帯が26%で、他の2地域(地域B:12%、 地域C:7%)に比べて多いことがわかる。地域Bは、子どもが2人いる世帯が57%で、3地域(地域A:43%、 地域C:36%)のなかで最も多く、地域Cは、1人っ子が57%と多く、 2人の世帯36%と合わせると、全体の93%で子どもが2人以下であった。
【3地域の比較について】
子育て家庭における母親の就労状況や、両親の学歴、収入などの差は、地域による違いが大きく、子育てに関する意識の違いにも地域差があることが報告されている(ベネッセ教育総合研究所,2008注14/鈴木,2015注15)。そこで、筆者らは、無償化に伴う保護者の意識の違いを3地域で比較検討した。
地域A:継続的な人口増加が見られる地域で、在住外国人の人口比率が高い(国勢調査,2017)。回答者の就業形態は非常勤職員の割合が高い(表1)。待機児童はゼロ。地域B:都心へのアクセスがよい地域で、保育施設数が多く、入所希望施設に入所しやすい。回答者の就業形態は専業主婦の割合が他の地域よりも高い(表1)。待機児童はゼロ。
地域C:首都圏にある地域で、回答者は正規職員の割合が高く、育休が取りやすい環境にある(表1)。保育施設入所を待つ待機児童も多く、希望施設入所が困難である(厚生労働省,2018)。
【第1子入所時期】
調査はまず、実態を把握することから開始した。
図2は、第1子をいつから保育施設に入所させたかを尋ねた地域別の結果である。地域Cは、他の2つの地域より預ける年齢が早く、6ヶ月未満での入所割合は、他の2地域の約2倍にもなる。(地域A:10%、地域B:12%、地域C:21%)また、1歳未満での入所についても、地域Cが最も高かった(地域A:32%、 地域B:39%、 地域C:56%)。
一方、地域Aでは4歳での入所が7%程度おり、これは他の地域には見られない傾向であった。
【第2子入所時期】
図3は、第2子をいつから保育施設に入所させたかを尋ねた結果である。いずれも第1子に比べ、1歳未満での入所割合が増えている。地域Aと地域Cにおいては、特に6か月以上1歳未満での入所が増え、地域Bでは、産休明けからの入所割合の増加が目立つ。また、地域Aと地域Bについては、2歳児、3歳児からの入所が減り、地域Bではことに、1歳からの入所割合が高くなっている。
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- 注1. 厚生労働省「平成30年(2018)人口動態統計の年間推計」
- 注2. 厚生労働省「平成29年(2017)人口動態統計(確定数)の概況 都道府県別」
- 注3. 内閣府「都道府県別合計特殊出生率の動向」
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/shusshou.html - 注4. 内閣府「新しい経済政策パッケージ」
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/meeting/kodomo_kosodate/k_33/pdf/s2.pdf - 注5. 内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2018」
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2018/2018_basicpolicies_ja.pdf - 注6. 厚生労働省「保育所関連状況取りまとめ(平成30年4月1日)及び『待機児童解消加速化プラン』と『子育て安心プラン』集計結果」
- 注7. 厚生労働省(2017)「子育て安心プラン」
- 注8. 池本美香(2018)「幼児教育の問題点―財源の制約をふまえ教育政策としての制度設計をー」.日本総研≪税・社会保障改革シリーズ≫,34
- 注9. 内閣府(2014)「結婚・家族形成に関する意識調査」
- 注10. 関 容子・西脇二葉・戸次佳子(2019)「『保育料無償化に対する保護者の働き方の意識』-3地域比較より-」.第72回保育学会ポスター発表
- 注11. 柴田悠(2016)「子育て支援が日本を救う」.勁草書房.38
- 注12. 石黒万里子(2011)「都市部における父母の保育選択-中産階級の文化に着目して」.早稲田大学学位請求論文概要書,pp.1-15
- 注13. 関容子(2018a)「保護者はどのように保育施設を選択しているのか」.「大学院生研究助
成(B)」International Journal of HUMAN CULTURE STUDIES.大妻女子大学人間生活
文化研究所. 328-337,
関容子(2018b)「保育施設選択に見える保護者の子育て観」. 大妻女子大学大学院修士 論文. - 注14. ベネッセ教育総合研究所(2008)「第3回子育て生活基本調査(幼児版)」
- 注15. 鈴木富美子(2015)「子育ての楽しさを規定するもの―個人的要因と居住地域要因からの検討」. 2015 年度 参加者公募型二次分析研究会 子育て支援と家族の選択 研究成果報告書,pp. 161-179(2016.3)