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【日本】 迷走する日本の乳幼児教育保育

白川 蓉子 (甲南女子大学 教授)

2009年11月27日掲載

要旨:

本論文は、まず幼稚園や保育所が成立した社会的背景とその歴史を辿ることによって両施設の本質を探る。幼稚園は幼児期にふさわしい「遊びから学びへつなげる」教育施設であった。保育所は家庭の保護を欠いた乳幼児に家庭的な養護を行う施設であった。戦後の日本では、児童福祉施設としての保育所と学校の基礎段階としての幼稚園が、車の両輪として乳幼児教育保育を担ってきた。しかし、乳幼児の教育保育を担当する所管の省が異なるため、二元的制度が固定したまま今日に至っている。乳幼児の育ちと発達を考えると、乳幼児が家庭、保育所、幼稚園のいずれで生活しようとも、「養護(Care)と教育(Education)」が必要なのである。また、少子高齢化社会の到来によって、親である女性と男性の子育てを含むライフ・コースも変ってきた。次社会の担い手となる乳幼児の教育保育は、大きな変換を迫られている。

Keywords;
保育所, 幼保二元的制度, 幼児教育, 幼稚園, 教育, 日本, 白川 蓉子, 養護
English
※日本の基礎データ

日本においては戦後64年にわたって、就学前の教育保育を担う施設として、幼稚園と保育所という二元的な制度が確立してきた。幼稚園は学校教育法(1947年)に定められ、文部省(現文部科学省)所管の学校であり、保育所は児童福祉法(1947年)に定められ、厚生省(現厚生労働省)所管の児童福祉施設である。学校教育に関する法律は諸外国に必ず制定されているものであるが、保育所を含む児童福祉施設を法律で明確に規定し、児童福祉施設最低基準まで定めているのは、諸外国に類を見ない先進的な保育行政であったといえる。幼稚園と保育所はどちらかと言えば幼稚園がリードしながら車の両輪の形で普及してきた。しかし、戦後64年のあいだに日本の社会は大きく変容した。一つは、少子高齢化の成熟社会の到来であり、二つめは、女性の社会参画とともに女性の子育て中心のライフコースが変化してきたことである。

1. 日本における幼稚園と保育所のはじまり

1) 幼児に理想的な教育施設としての幼稚園

幼稚園(キンダーガルテン)は、明治政府の近代化政策のなかで、欧米の進んだ文化導入の一環として海外から取り入れられたものである。明治4年(1871)~明治6年(1873)、岩倉具視使節団が欧米各国の教育制度を調査研究するために外遊した際、文部理事官として随行した田中不二麿は、女子師範学校とフレーベルの幼稚園に関心を抱いて帰国した。明治7年(1874)、田中不二麿は太政大臣三条実美に東京女子師範学校設立の伺書を提出し、翌8年(1875)、文部大輔(たいふ)に昇任した田中は「幼稚園開設之儀」の伺を7月と8月の二度にわたって提出している。こうして明治8年11月29日に東京女子師範学校が開校し、翌9年(1876)、東京女子師範学校付属幼稚園が開園した。

ドイツのフレーベル(Friedrich W. Frobel 1782-1852)が創設したキンダーガルテン(Kindergarten)は、フレーベルの没後ヨーロッパとアメリカに普及した。アメリカでは1870年代に幼稚園運動が活発に展開され、1873年にはセントルイスの公立小学校の最下学年に幼稚園が組み込まれるほどであった。1876年には米国建国百年記念万国博覧会がフィラデルフィアで開催され、明治政府は多人数の要員を派遣したが、これに田中不二麿も随行し米国の幼稚園に強く惹かれた。内務省が明治7年末頃から収集して準備をした日本からの出典物(子どもの教育玩具)のなかに、four boxes of Kindergarten giftsとあることから、明治政府の文部官僚が、早くからキンダーガルテンの資料を収集していたことがうかがわれる。田中の東京女子師範学校付属幼稚園設立の趣旨は、①幼稚園教育が有益であると認められること、②幼稚園の模範を公示し、教育の発展を企図すること、③女子師範学校生徒の実験実習に資すること、であった。同じ頃、自由民権思想家の中村正直も、幼稚園を紹介し、幼児たちが集団で交わることの意義を唱えていた。初代の園長は、英語の堪能な関信三であり、アメリカで出版されたアドルフ・ドウアイの幼稚園教育の指導書を翻訳し、『幼稚園記』(明治9年)や『幼稚園法二十遊嬉』(明治12年)を著している。実際の保育にあたっては、ドイツ人の主任保母松野クララが、英語で初代日本人保母の豊田芙雄と近藤濱に教えていたようである。

以上のように、日本の幼稚園はフレーベルの理想主義的な幼稚園教育がアメリカに渡ってフレーベル主義となったものの導入であり、政府主導で国立の幼稚園が創設されたこと、という二点で諸外国に比して特徴的であった。明治20年(1888)には国立1、公立52、私立14、計67の幼稚園が公立主導で設立されたが、明治42年(1909)には、国立1、公立208、私立234、計443と、私立が公立を上回ることになった。大正15年(1926)には幼稚園令が制定され、幼稚園は国民のなかに広く浸透した。しかし、幼稚園就園率が次第に高まったとはいえ、昭和18年(1943)に最高の9.62%であり、およそ1割の子どもが幼稚園に通っていただけであった。


2) 保護を失った乳幼児の保護救済としての保育施設の興り

保育所はヨーロッパの産業革命の進行のなかで、婦人労働者や貧困階層の出現により、保護を失った乳幼児の養護の必要性から生まれた。日本においても女子を「子守」労働から解放するために学齢前の乳幼児を保育する託児施設や、貧困のため親の保護を失った乳幼児を保育したのが保育所のはじまりであった。

明治23年、新潟県に赤澤夫妻が私塾静修学校に開設したものが最初であった。日本の産業革命はヨーロッパに遅れて、日清戦争(明治27年)、日露戦争(明治37年)を通して進行し、女子労働力の確保のために、各地に工場内託児施設ができた。東京紡績株式会社に明治27年(1894)、東京鐘ヶ淵紡績株式会社に明治35年(1902)、福岡県三井田川鉱業所に明治39年(1906)、その他神戸のマッチ工場にも託児所が設けられた。日露戦争時には、出征軍人家族や遺族を対象にした戦時託児所ができ、戦争終結後も託児施設として残ったものもあった。日本の急激な産業経済の発展は婦人労働力の需要を高めるとともに、新たな貧困階層をも生み出した。そのようななかで1900年には東京女子師範学校保母練習科を卒業した若い女性の野口幽香と森島峰が東京の四谷に保護を失った貧困児を対象に二葉幼稚園を開設した。後に(大正4年)二葉保育園と改称した。

乳幼児の保護救済の必要性が叫ばれ、民間人によって保育所づくりが行われるなか、明治41年(1908)、政府内務省は、民間の保育事業を「感化救済事業」として些少の補助金をだすにいたった。やがて公立の託児所が、大正8年に大阪に、9年に京都に、10年に東京に、というように都市部を中心に設置された。公立託児所は大正15年には65所、昭和4年には100所を越えるに至った。農村地域では、政府の農業政策の後押しもあり、農繁期季節託児所が開設され、昭和15年(1940)には、22,758ヵ所あったといわれている。幼稚園については幼稚園令が制定されていたが、託児所には何ら法制的な定めがなかった。

幼稚園と保育所の成立過程の違いがあきらかであった。戦前にも幼稚園と託児所の関係をどうすべきかについて議論がなされていたが、一元化の発想へは程遠いものであった。


2. 戦後の幼保二元的制度確立と社会変容に伴って生じた矛盾

1) 戦後、車の両輪として社会を支えた保育所と幼稚園

戦後、憲法と教育基本法のもとで、幼稚園は学校教育法(1947年)に定められた文部省(現文部科学省)所管の学校の基礎段階となり、保育所は児童福祉法(1947年)に定められ、厚生省(現厚生労働省)所管の児童福祉施設となった。

幼稚園は義務教育の基礎段階として幼児を保育し、心身の発達を助長することを目的とし、保育所は保護者の委託を受けて「保育に欠ける」乳児又は幼児を保育することを目的とするとされた。幼稚園教諭は小・中・高校の教員に等しく教員免許法に定められた教育課程により大学及び短期大学で養成され、保育所の保育士(当初は保母の名称)は厚生省(現厚生労働省)の指定する養成校で養成されることとなった。

保育所は当初から幼稚園と同じく、公的な制度として確立していた。すなわち、国が児童福祉施設最低基準で保育所の設置基準を定め、この設置基準を満たして認可された保育所には、保護者が払う所得に応じた保育料で賄えない運営費を国と地方自治体(都道府県と市区町村)が補助するという仕組みである。さらに保育の内容についても幼稚園教育要領と並んで「保育所保育指針」でガイドラインを定めている。このような保育所の公的な制度は、社会主義国を除いて他に例を見ないものであった。

戦後の復興から高度経済成長を迎えて、幼稚園と保育所はまさに就学前の乳幼児の教育保育を推し進める車の両輪であったといえる。


2) 少子高齢化社会と女性のライフコースの変化―保育所需要の高まりと幼稚園の減少

多くの先進工業国の例にもれず、日本も少子化が進行している。出生数は昭和48年(1973)第二次ベビー・ブームで戦後第二のピークの209万人であったが、それ以降は減少し続け、平成18年には109万人となっている。子どもの人数の減少は、当然、幼稚園の園児数に反映される。1980年代までは、私立幼稚園が3年保育(3歳児から入園させる)を導入し、公立幼稚園は2年保育と若干の3年保育を導入することで園児数を維持してきた。しかし、90年代に入ると園児数は減少を続け、廃園や、統廃合される幼稚園が各地で出てきた。

一方で、少子化と反比例するように保育所の在所児数は増大している。保育所への需要を高めているのは、言うまでもなく就労母親の増大であり、その背景には女性の社会参画が推進されていることがある。長いスパンで考えれば、女性のライフコースが昔とは大きく異なってきており、昔は数人の子どもを育て上げるのが女性の人生の主要な目的であったのに対して、現代では長寿化した人生のなかで少ない子どもを育てるのは女性の人生のすべてではなくなってきたことである。また共働きで家計の収入源を複数持たざるを得なくなる経済状況も男女性別役割分業意識を変えざるを得なくしているのであろう。保育所増設の要求は大中都市の若い核家族の間で特に起こっている。保育所に入所待ちをしている待機児童数は全国で現在2万人といわれているが、その数は大都市に集中している。


3) 公的教育保育の後退

明治時代に国をあげて幼児教育の重要性をとらえ、その模範を示そうとして創設された幼稚園は、明治の終わり頃から民間の力に支えられて発展し、国民のなかに普及してきた。幼稚園は義務教育ではないため、保育料や入園料で幼稚園を運営して行かなければならない。公立幼稚園はその公的な性格から高い保育料を徴収することができず、その運営費は市区町村の予算で賄っている。最近では地方自治体の財政難から、公立幼稚園を縮小して、私立幼稚園に幼児教育を移管させようとする民営化の動きがみられる。しかし、私立幼稚園も財政的に困難であり、経営だけを追求して運営すれば、幼児教育の本来の真髄を失うことになりかねない。公的な支えのない幼児教育は危機的な状況に陥るのである。平成20年の学校基本調査(文科省)によれば、全国の幼稚園児数は167万4163人で、そのうち32万4924人が公立幼稚園に、134万9236人が私立幼稚園に在園している。この公私の開きは年々広がっている。

一方、保育所は公営か私営かに拘わらず認可保育所は公的な補助を受けるため、公的支援はある程度維持されている。しかし、運営費に関しては、昭和60年までは、子ども一人の措置費から保育料を引いた費用について国が10分の8、都道府県が10分の1、市町村が10分の1を負担していたのに対して、現在では、市町村が支弁した費用から保育料を引いたものを国が10分の5、都道府県が4分の1、市町村が4分の1を負担することになっている。国は公的助成を引き上げてしまったのである。地方自治体の財政難から公立保育所の民営化も幼稚園以上に進行している。


3. 現在の日本の乳幼児の状況とさまざまな修正施策

1) 現在の乳幼児の教育保育状況

では、現在、就学前の乳幼児はどこで生活しているのであろうか。表1は平成17年度の年齢別保育所在所児数と年齢別人口に対する在所率を表したものである。厚生労働省の調査では平成17年度が最新のものであったためこの年度に合せた。

表1 年齢別在所児数と在所率
0歳児(人)
1歳児(人)
2歳児(人)
3歳児(人)
4歳児(人)
5歳児(人)
乳幼児人口*
1,074,000
1,103,500
1,132,500
1,157,000
1,174,000
1,181,500
保育所児**
129,169
254,905
352,794
436,026
462,899
458,406
在所率
12%
23%
31%
38%
39%
39%
*国勢調査による推計人口(平成17年10月1日現在)「年齢各歳別人口(平成17年)」を平成17年4月1日に換算した概数。
**厚生労働省「社会福祉施設等調査」より平成17年10月1日現在の在所児数を平成17年4月1日に換算した数。



次に、平成20年度の幼稚園について設置者別在園者数と就園率を表2に表した。


表2 設置者別・年齢別園児数と就園率
3歳児(人)
4歳児(人)
5歳児(人)
公立(国立も含む)**
43,964
123,400
157,560
私立
383,171
478,705
487,363
427,135
602,105
644,923
(就園率)**
(38.6%)
(53.1%)
(55.7%)
*文部科学省 平成20年 学校基本調査
**就園率の母数となる年齢別人口は、国勢調査による推計人口(平成19年10月1日現在)「年齢各歳別人口(平成19年)」を平成20年4月1日に換算した。


上の二つの表から、現代では3歳未満児(0歳、1歳、2歳)でも平均10人に2人の子どもが保育所に在所していること、3歳以上では3歳児の77%、4歳児の90%以上、5歳児の95%が幼稚園か保育所で家庭外の教育保育を受けていることになる。


2) 中央政府の施策

保育所不足と幼稚園の園児数減に対して、文部科学省と厚生労働省は合同の協議をし、対策を打ち出してきた。1998年には両省により「幼稚園と保育所の施設の共用化等に関する指針」が出された。幼稚園では保育時間を保育所並に延長する「預り保育」や、園の施設を地域に開放して未就園児を集めた子育て支援が進められている。幼稚園が長時間保育を行うことや、満3歳児を受け入れるなどの年少児保育を行うことは、幼稚園が保育所の機能も担って行く「幼稚園の保育所化」ともみなされる。

一方、保育所は、保育所の設置認可の基準を緩やかにし、入所の円滑化をはかる施策を打ちだしている。同時に保育所の教育機能を強調し、新保育所保育指針(平成20年)では保育所の二つの機能として「養護」と「教育」をあげ、教育の部分では幼稚園教育要領と同じ5領域で教育するように保育の内容が定められている。また保育所と小学校との関係もうたわれている。保育所が教育機能を重視してくるのは「保育所の幼稚園化」とみなすことができる。

この事態のなかで、文部科学省・厚生労働省合同検討会議が審議をした結果、平成18年6月に「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律」が制定された。「認定こども園」に関する法律である。

認定こども園には「幼保連携型」(認可幼稚園と認可保育所とが連携して一体的な運営を行う園)、「幼稚園型」(認可幼稚園が保育に欠ける子どものための保育時間を確保するなど保育所的な機能を備えた園)、「保育所型」(認可保育所が、保育に欠ける子ども以外の子どもを受け入れるなど幼稚園的な機能を備えた園)、「地方裁量型」(幼稚園・保育所いずれの認可もない地域の教育・保育施設で認定こども園として必要な機能を備えた園)、の四タイプがある。

法律の制定後、平成19年8月には全国で105の認定こども園が認可された。しかし、両省の合議で国会に提出され法制化までしたわりには画期的な制度改革には至らず、結局は二元的な制度のまま第三の施設を認めただけに終わってしまった。平成21年4月時点では全国に358の認定こども園ができている。この第三の施設の数が伸び悩んでいるのは、幼保連携型に若干の財政的援助が加わるのみで、既設の施設を認定こども園にするにあたって何らメリットがないことが理由であると言われている。現在、両省をあげて認定こども園制度の見直しをしているところである。

この間、政権を担当していた自由民主党から「幼保一元化案」や「3歳以上の幼児教育無償案」が出されたが数日で引き下げられた。


3) 地域の取り組み

幼稚園教育、保育所保育、家庭での子育て、等は地域によって大きく異なっている。核家族の比率、乳幼児の人口、幼稚園の公私比率、保育所待機児童数、等の都道府県別・市町村別の統計を見ると、如何に地域によって違っているかがわかる。地域の教育保育ニーズに合わない施策は実現が難しい。東京都では、保育所不足が著しいため、国の認可基準とは別に認証基準を定めて認証保育所に補助金を出している。

地域の取り組みは様々であるが、神戸市の一例をあげて参考に付したい。

『神戸市の住宅地に長い歴史を持ち地域に密着して親子代々に親しまれた神戸市立遊嬉幼稚園がある。住宅地域にあって広い園庭と二階建ての園舎に遊戯室がある。しかし、この園も園児数が減って空き教室ができていた。一方、神戸市では保育所待機児童の解消施策に取り組んでいた。そこで平成15年に「市立幼稚園舎を活用した幼保連携事業実施要領」を策定し、市立幼稚園の空き保育室を利用して私立夢保育園を誘致することになった。

遊嬉幼稚園では平成16年4月より、幼稚園の一部(保育室2室)に保育園の分園(1~3歳児30名)を設置した。その中心保育園は公園を隔てて斜め向かいにあり、徒歩で往来できる位置にある。開園してから5年間の実践を通していくつかの成果が得られた。一つは園庭での遊びや行事のなかで1歳から5歳までの子どもの縦のつながりができ、異年齢で交流する姿がみられるようになった。さらに保育園の保育士と幼稚園教諭が互いに保育参観をして保育のあり方について学びあえるようになった。これには私立保育園の園長が元市立幼稚園長であったことが関わっている。最後に両園の保護者をはじめとして地域の住民がこのことを通して両園に信頼と安心感をもつようになったことがあげられる。』

この事例は地域で取り組んで成功している一事例に過ぎない。その地域によっていろいろなやり方があるはずである。


4. 迷走から脱却のための一私案

ここで敢えて思い切った考えを提示してみたい。

1) 3歳未満児―集団保育か家庭保育か=乳幼児の発達のニーズから考える

3歳未満児の約2割の子どもが保育所に在所している。3歳未満の乳幼児が長時間、保育所で生活することは子どもの発達のニーズから考えて適正なことだろうか。答えは否である。

生後6、7ヶ月から2歳にかけて、子どもは養育者(母親であることが多い)との間に強い絆を結ぶ。愛着といわれるものである。愛着形成は養育者を抜いて保育士との間に形成されるものではない。保育所では、この年齢の子どもの親子関係がいかに大切かをわかってもらえるように保護者に働きかけている。残り8割の在宅の3歳未満児についても同じである。子育て支援では、家庭でこの年齢の子どもの育児に奮闘している親に対して保育の専門家から助言することこそ肝要である。そこで3歳未満まではできる限り家庭で保育をできるように、長期(最長3年)の有給育児休暇を父親も母親も取れるようにするか、3年間は共働きをしないですむぐらいの育児手当を支給するか、といった施策を提案したい。国の労働力政策や経済政策から検討しなければならない問題もあろうが、あくまで子どもの発達の目線から考えるとこのような結論に導かれる。現に北欧諸国ではこの方向で進められている。


2) 3~5歳の準義務教育化

3歳から5歳の8、9割の幼児が幼稚園や保育所に通っている。3歳頃から子ども同士の人間関係を体験することが必要になってくる。少子化できょうだい数の少なくなった現代こそ、幼稚園や保育所で子どもが集団で思いきり群れて遊ぶことが貴重な経験になるのである。3歳以上を準義務教育とみなせば、公立私立を問わず保育料を無料にすることはもちろん、園の運営費(人件費・設備費・研修費等)も公費で支弁するべきであろう。


CRN編集部より
この問題については、様々な見解があります。一例として、アメリカ国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)が行っている大規模縦断研究があげられます。CRNでは2000年にシンポジウムを開催し、その研究報告を中心に、日米の研究者が子育てのあり方について意見交換をしました。詳細はこちらから。

この研究は既に10年以上続いており、世界的にも非常に大きな注目を集めています。その研究結果をまとめた報告書が刊行されていますので、以下にご紹介します。
「保育の質と子どもの発達 アメリカ国立保健・人間発達研究所の長期追跡研究から」(日本子ども学会編、菅原ますみ 松本聡子訳、赤ちゃんとママ社、2009年9月発行)
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