「季刊子ども学1996. Vol.10」では、阪神・淡路大震災の復興に向けた動きを、子どもを中心にすえてまとめた「子どもたちの震災復興」を特集しています。
今回の東日本大震災を受けて開設した新コーナー「東日本大震災の子ども学:子どもの心のケア」は、この「子どもたちの震災復興」から参考になる情報を一部掲載しています。随時、情報を更新していますので、ぜひご活用いただければ幸いです。
※記事やプロフィール等は1996年発行当時のものをそのまま掲載しております。
ご了承いただければ幸いです。
なお、「季刊子ども学」は既に休刊をしておりますが、バックナンバー等については
以下をご覧ください。
https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KODOMO/index.html
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阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 2 母親編 (要約) (全文)
阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 1 中学生編 (要約) (全文)
子どものための防災システムの確立に向けて~座談会「人と人とのつながりの中で、子どもたちはよみがえる」(要約) (全文)
震災後の子どものPTSD (要約) (全文)
震災から立ち上がる子どもたちへ (要約)
子どもを守るもう一人の母たち―保母の調査から (要約) (全文)
自分の言葉を忘れたらあかん (要約)
都市災害の中の障害児たち (要約) (全文)
家庭での危機管理―時間的経過によるニーズの変化と問題点 (要約) (全文)
コミュニティの核としての学校 (要約) (全文)
今回の東日本大震災を受けて開設した新コーナー「東日本大震災の子ども学:子どもの心のケア」は、この「子どもたちの震災復興」から参考になる情報を一部掲載しています。随時、情報を更新していますので、ぜひご活用いただければ幸いです。
※記事やプロフィール等は1996年発行当時のものをそのまま掲載しております。
ご了承いただければ幸いです。
なお、「季刊子ども学」は既に休刊をしておりますが、バックナンバー等については
以下をご覧ください。
https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KODOMO/index.html
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阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 2 母親編
医療ソーシャルワーカー 松山 容子
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神戸市が災害救助法に基づく避難所を閉鎖した8月20日、乳幼児から小学生の子どものいる4人の母親にグループインタビュー法で話を聞いた。前回行った中学生のインタビューに比べて、話題の中心は現在よりも震災当時のことであった。それは小さな子を抱える母親であり、主婦である立場が現実の問題に瞬時に対応を求められていたためと言える。また、震災直後に親戚の所に身を寄せたりするなどで大家族で暮らした経験による子どものストレスに対しても、客観的に判断し対処しようとした様子が見られた。
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阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 1 中学生編
医療ソーシャルワーカー 松山 容子
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阪神大震災から約半年たった1995年8月20日、神戸市灘区と東灘区、宝塚市の中学3年生7人(男3名、女4名)に集まってもらい、グループインタビュー法で話を聞いた。彼らの日常生活は普通に戻ってきていても、心のストレスを思わせる発言もあり、まだ心に受けた影響を引きずっているようである。今後、彼らの中で、被災体験やそこから得られた学びなどがどう整理されていくか、そしてそのことを周りの大人がどう受け止めていくかが大きな課題となるだろう。
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子どものための防災システムの確立に向けて~座談会「人と人とのつながりの中で、子どもたちはよみがえる」
中村 肇(神戸大学医学部小児科教授)
井野瀬 久美惠(甲南大学文学部助教授)
中村 安秀(東京大学医学部小児科講師)
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阪神大震災後、神戸大学医学部小児科教授 中村肇氏、甲南大学文学部助教授 井野瀬久美惠氏、東京大学医学部小児科講師(外来医長) 中村安秀氏が、「子どものための防災システムの確立に向けて」をテーマに話された座談会である。
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震災後の子どものPTSD
埼玉県立小児医療センター付属大宮小児保健センター保健指導部医長 奥山真紀子
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「日本全体にとって阪神大震災は戦後50年目に起きた新たなトラウマ(心の傷)であったのかもしれない」と、精神科医の奥山氏はいう。そうであるならば、直接被害を被った人びと、なかでも子どもたちの受けた精神的ショックは想像を越えるほど大きいだろう。
PTSD(Post Traumatic Disorder・心的外傷後ストレス障害)は、非常に強い恐怖体験をした後に起きてくる障害である。震災後多くの子どもたちにも見られた症状としては、「内容のはっきりしない悪夢を繰り返し見る」「精神混乱状態に陥る」「ある活動に対する興味ややる気が極端に低下する」「引きこもり、感情の幅が少なくなりぼーっとする」「未来のことが考えられなくなる」「友達との関わりや学習に問題が生じる」などの他、夜尿や腹痛、嘔吐、自傷行為などの身体症状も現れたという。なかでも氏は子どもの「赤ちゃん返り」が多く見られたことを強調する。「子どもの場合には、基本的信頼を確認できる、より赤ん坊に近い時期に返ることによって再び安心感を得ようとするメカニズムが働く。それが退行である。つまり、一般的に退行とは子どもが自分を守るために無意識に選んだ手段であり、その退行を周囲が十分に受け止められれば、再び安心感を得て乗り越えていける可能性も高い」
こうした障害は、子どもが不安から自分を守るための当たり前の反応であり、大切なのはそれを軽減し、長期化を防ぐための環境作りだと氏は言う。「子どもはもともと身近な大人たち、とくに家族に守られているから安心しているのであり、自分がそれらの人々から守られていると感じることが最も重要である」「子どもにとって自分の不安などの気持ちを表現するのは主として遊びの場である、できるだけ早く安心して遊べる場を確保することは大切な支援である」
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震災から立ち上がる子どもたちへ
東京大学医学部小児科講師 中村安秀
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1995年1月17日午前5時46分。神の振ったサイコロの一撃は、一瞬のうちに阪神地区のすべての人を「平等」に襲った。中村氏は阪神大震災の起こったこの日を、「日本が第3世界になった日」と言う。
確かに、被災地には日本中からボランティアが駆け付け、使い切れないほどの援助物資が集まっていた。しかし、震災後2週間目に避難所での小児検診のボランティアとして被災地入りした氏は、被災者が自助努力を余儀なくさせられている現実に直面したという。「被害の大きかった子どもたちの多くは、すでに個人的なツテで疎開しており、避難所の小学校に泊まっている子どもの多くは、一時的な疎開先を持たない家庭事情を抱えていた」。つまり、震災前の生活における個人的なサポートネットワークの有無が、震災後の生活にも直接影響したのである。誰もに平等に起った震災は、その後人びとの持つ階層性を際立たせ、さらに行政の画一的な復興の枠組みの外に追いやられた人びとは、長い間瓦礫の下でサバイバルを体験せざるを得なかった、と。
そのような現実の中、氏は目の前にいる子どもたちの姿をまなざす。震災後の厳しい環境の中、最もけなげに振る舞っていたのは子どもたちであり、彼らは今まさに「復興」の渦中にいる、と。「大きな災害からまだ1年も経過していない現時点で、子どもたちは立ち上がりつつあるとかストレスに悩んでいるとか、早急に結論づけられるはずもない。今は、地震で家族や親をなくした子どもたち、自宅が全壊した子どもたち、地震後の不安や興奮を呈した子どもたち、ボランティアで活躍した子どもたち、今は家族の対話が増えたという子どもたち、地震が子どもたちにもたらしたプラス面とマイナス面を素直に見つめ、子どもたちと気長につき合っていくことが求められている」。
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子どもを守るもう一人の母たち―保母の調査から
藤森 和美 (聖マリアンナ医学研究所カウンセリング部部長)
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阪神大震災での筆者らの『危機介入ハンドブック』の作成と配布は、北海道南西沖地震から得た教訓から始まった。災害後のつらい時期を乗り越えてもらうためには、子ども自身の力だけでなく保護者や周囲の大人たちが正しい知識を待ち、子どもたちの傷ついた心を理解し、愛情のこもったケアをしていくことが大切である。「むしろその方法でしか癒やせない」と言っても過言ではない。
子どもの災害体験は、親や家族との関係性やその災害体験と密接にからみ合っている。両親の就業やさまざまな理由で保育所に通う子どもたちは、大震災後に保育所でどのような反応を示したのだろうか。
そこで筆者らは、阪神大震災を体験した幼児が示すストレス反応および保母の対応、そして保母自身のストレスについて、阪神大震災から4か月後の1995年5月に、兵庫県下の保育所に勤務する保母に調査を実施した。
災害後の幼児の示す反応はさまざまであり、また、情報不足の中、問題解決に奔走する保母のストレスは大きく、特に自宅に被害のあった保母のストレスは深刻であることが判明した。災害後に専門家の対応が必要なケースを選別し、早期の危機介入を行うことが重要である。
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自分の言葉を忘れたらあかん
神戸新聞社会部記者 宮沢之祐
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阪神大震災は、在日ベトナム人の人びとにも襲いかかった。差別や偏見、生活苦に耐えながら身を寄せるように形作っていたコミュニティも、そして彼らの心休まる居場所であった教会さえも、一瞬のうちに倒壊してしまったのだ。
宮沢氏の伝える、震災を経験したベトナム人の子どもたちの生きざまは、日本が抱える外国人問題を浮き彫りにする。災害という場面では、人の感情はむきだしになり、そして弱い者へと叩きつけられる。「ベトナム人は汚い」「なんでベトナム人の世話をするんや。追い出せ」。避難所でのトラブルは絶えなかった。
しかしながら、こうした大人たちのいさかいの中で、自分のアイデンティティを必死に再構築していく子どもたちの姿を、氏は描き出す。幼い頃に日本にやってきて、言葉も生活も考え方も日本人と変わらないベトナム人の子どもの中には、「ベトナム人であること」を肯定的に受け入れられない者もいた。そんな彼らが、震災後の混乱の中、慣れないベトナム語と流暢な日本語を使って避難所で通訳を行ったり、外国人へ震災情報を提供するミニFM局でDJを行ったりと、国籍や人種を越えたネットワークを勝ち得ている。人びととのつながりの中で、日本から見た祖国ベトナムや、ベトナム人である自分という存在は、新たな形を帯びて彼らの目の前にあった。
「私立女子校3年生のユンさんも、高校を卒業したらベトナムに語学"留学"しようと思っている。震災前にはそんなことになるとは夢にも思わなかった」「『自分の国に誇りを持て』と言う男の子がいた。ふつうにそう話せる同世代の存在がとても新鮮だった。少しずつベトナム語が上達した。きちんと話せるようになりたいと思うようになった。『自分の言葉を忘れたらあかん』と感じている」
地域社会の中で「見えない」存在であったベトナム人が、震災後少しずつ見える存在になってきた、という言葉を氏は受け取る。子どもたちが築いた架け橋は、近い未来にわれわれを共生の道へと導いてくれる予感を感じさせてくれる。
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都市災害の中の障害児たち
筑波大学心身障害学系助教授 宮本信也
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「子ども」「老人」「障害を持つ人」などをいわゆる「災害弱者」とすれば、障害を持つ子どもたちは2重の意味で災害弱者となると宮本氏は言う。氏は被災地の特殊学級で聞き取り調査を行い、震災後の障害児の状況と、今後の援助の可能性を示す。
「障害を持つ子どもたちは、体力的にも余力が少ない。このことは、肢体不自由児の場合、とくに当てはまる。そのため、災害後の劣悪な環境下での生活は、こうした子どもたちにとって健康に対する大きな脅威となる。普段なら風邪ですむところが、あっという間に肺炎にまで進み、最悪の事態になるケースもある」。日常使用している薬の名前や量がわからずに困ったというケースや、発熱、嘔吐、けいれんなどの身体的不調を訴えるケースも多くあったという。さらに、震災後の学校生活においては、精神遅滞児にパニックや興奮、幻覚や妄想などの症状が、肢体不自由児に依頼行動などが多く見られた。また、授業中騒々しい、給食を食べない、次の行動になかなか移れないといった傾向もあったと氏は指摘する。
実際に学校や児童福祉施設などでは、震災後に障害を持つ子どものための家庭訪問や出張授業、給食を食べやすくする工夫などが行われていたが、今後起こり得るあらゆる都市災害の際に、われわれが取るべき対応策を氏は提案する。それは、一人ひとりの子どもの状況や背景を適格にとらえたきめ細かなケアと、地域に根差した援助ネットワークに収斂される。「少なくても学校再開までの間、障害を持つ子どもの扱いに慣れたボランティアに、そうした子どものいる家庭を訪問させ、子どもの面倒を見てもらえるような援助体制を作ることが望ましいと思われる」「障害児援助専門のボランティアグループを作り、地域の特殊学校・療育施設を基点として家庭訪問を行うのはどうであろうか」「障害児および障害者のための避難所として、地域性や設備、対応するスタッフの質から言って、各殊学校が最も適切であり、今後そうしたシステム作りが必要である」。
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家庭での危機管理―時間的経過によるニーズの変化と問題点
林 春男(京都大学防災研究所地域防災研究センター助教授)
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阪神大震災では「災害時には自分のことは自分で守る」という自助原則が見直された。被災者の数が膨大すぎることもあり、個々の被災者が満足できるような援助を提供できるだけの人的余裕も資金的余裕も行政にはなかったからである。防災対策の実態から言えば、自助原則とは、それぞれの「家庭」の単位で防災をしっかり見直そうという意味になる。
また、防災には被害の予防重視のリスク・マネージメントと、大災害が発生した際の被災者の苦しみや社会の混乱を極小化するクライシス・マネージメントの双方が必要であるが、わが国の防災体制はこれまで「被害の予防」を重視したリスク・マネージメント中心の防災であり、個々の被災者の苦しみや社会の混乱を極小化するクライシス・マネージメント対策がほとんど考えられてこなかったことが明らかになった。
これらの観点から、本稿では、家庭での危機管理のあり方を「被害防止」「事前準備」「事後対応」「復旧・復興」という四つの局面からとらえ、時間的経過によるニーズの変化と問題点を明らかにしていく。
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コミュニティの核としての学校
駒澤大学文学部教授 山本康正
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災害時に「学校」の果たす役割は大きい。しかし、その役割を最大限に生かせるかどうかは、平常時に地域住民が学校を「自分たちのもの」と認識し、自分たちの財産として管理し、利用しているかどうかにかかっている、と山本氏は言う。
震災後の学校は、避難所・仮設住宅用スペース・復旧対策の拠点などの「スペースとしての学校」と、子どもたちへの心身両面の援助という学校本来の持つ「教育の場としての学校」の2つの役割の間で葛藤し続けた。「こうして教職員は、一方で、子どもたちの安否を確認し、心身両面での支援活動を展開しながら、他方で、避難所の管理運営に携わるという、きわめて過酷な状況に追い込まれたのである」。
今後、万一の災害に備えて学校に求められるものを、氏は次のように指摘する。(1)短期・長期両方の避難生活を想定した地域の防災拠点としての役割(2)子どもたちへの心身両面のケアのためのノウハウ、教員の活動能力の向上(3)地域を舞台とした実践的な防災教育。「このような防災教育は地域密着型の学習活動になるため、地域住民との協力体制も必要となろう。親や一般の住民たちが、子どもたちの学習活動へ協力していくことで、子どもたち自身の防災能力を高めるだけでなく、地域住民全体の防災意識を高めることにもつながるのである」。
こうした活動の根底には、何よりも学校が地域に「開かれた場」となる必要があることは言うまでもない。学校を「教育委員会という専門機関が、子どもたちの教育という特定の目的のために使用する施設」ではなく、「地域住民の自助活動の拠点」「自分たちの生活空間の延長線上の場」と住民自身に認識してもらうことが大切だと氏は言う。それがあってこそ始めて学校はハード面・ソフト面の両方で、有効な役割を果たすことができるのだ、と。
阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 2 母親編
医療ソーシャルワーカー 松山 容子
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神戸市が災害救助法に基づく避難所を閉鎖した8月20日、乳幼児から小学生の子どものいる4人の母親にグループインタビュー法で話を聞いた。前回行った中学生のインタビューに比べて、話題の中心は現在よりも震災当時のことであった。それは小さな子を抱える母親であり、主婦である立場が現実の問題に瞬時に対応を求められていたためと言える。また、震災直後に親戚の所に身を寄せたりするなどで大家族で暮らした経験による子どものストレスに対しても、客観的に判断し対処しようとした様子が見られた。
※全文はこちらをご覧ください。
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阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 1 中学生編
医療ソーシャルワーカー 松山 容子
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阪神大震災から約半年たった1995年8月20日、神戸市灘区と東灘区、宝塚市の中学3年生7人(男3名、女4名)に集まってもらい、グループインタビュー法で話を聞いた。彼らの日常生活は普通に戻ってきていても、心のストレスを思わせる発言もあり、まだ心に受けた影響を引きずっているようである。今後、彼らの中で、被災体験やそこから得られた学びなどがどう整理されていくか、そしてそのことを周りの大人がどう受け止めていくかが大きな課題となるだろう。
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子どものための防災システムの確立に向けて~座談会「人と人とのつながりの中で、子どもたちはよみがえる」
中村 肇(神戸大学医学部小児科教授)
井野瀬 久美惠(甲南大学文学部助教授)
中村 安秀(東京大学医学部小児科講師)
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阪神大震災後、神戸大学医学部小児科教授 中村肇氏、甲南大学文学部助教授 井野瀬久美惠氏、東京大学医学部小児科講師(外来医長) 中村安秀氏が、「子どものための防災システムの確立に向けて」をテーマに話された座談会である。
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震災後の子どものPTSD
埼玉県立小児医療センター付属大宮小児保健センター保健指導部医長 奥山真紀子
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「日本全体にとって阪神大震災は戦後50年目に起きた新たなトラウマ(心の傷)であったのかもしれない」と、精神科医の奥山氏はいう。そうであるならば、直接被害を被った人びと、なかでも子どもたちの受けた精神的ショックは想像を越えるほど大きいだろう。
PTSD(Post Traumatic Disorder・心的外傷後ストレス障害)は、非常に強い恐怖体験をした後に起きてくる障害である。震災後多くの子どもたちにも見られた症状としては、「内容のはっきりしない悪夢を繰り返し見る」「精神混乱状態に陥る」「ある活動に対する興味ややる気が極端に低下する」「引きこもり、感情の幅が少なくなりぼーっとする」「未来のことが考えられなくなる」「友達との関わりや学習に問題が生じる」などの他、夜尿や腹痛、嘔吐、自傷行為などの身体症状も現れたという。なかでも氏は子どもの「赤ちゃん返り」が多く見られたことを強調する。「子どもの場合には、基本的信頼を確認できる、より赤ん坊に近い時期に返ることによって再び安心感を得ようとするメカニズムが働く。それが退行である。つまり、一般的に退行とは子どもが自分を守るために無意識に選んだ手段であり、その退行を周囲が十分に受け止められれば、再び安心感を得て乗り越えていける可能性も高い」
こうした障害は、子どもが不安から自分を守るための当たり前の反応であり、大切なのはそれを軽減し、長期化を防ぐための環境作りだと氏は言う。「子どもはもともと身近な大人たち、とくに家族に守られているから安心しているのであり、自分がそれらの人々から守られていると感じることが最も重要である」「子どもにとって自分の不安などの気持ちを表現するのは主として遊びの場である、できるだけ早く安心して遊べる場を確保することは大切な支援である」
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震災から立ち上がる子どもたちへ
東京大学医学部小児科講師 中村安秀
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1995年1月17日午前5時46分。神の振ったサイコロの一撃は、一瞬のうちに阪神地区のすべての人を「平等」に襲った。中村氏は阪神大震災の起こったこの日を、「日本が第3世界になった日」と言う。
確かに、被災地には日本中からボランティアが駆け付け、使い切れないほどの援助物資が集まっていた。しかし、震災後2週間目に避難所での小児検診のボランティアとして被災地入りした氏は、被災者が自助努力を余儀なくさせられている現実に直面したという。「被害の大きかった子どもたちの多くは、すでに個人的なツテで疎開しており、避難所の小学校に泊まっている子どもの多くは、一時的な疎開先を持たない家庭事情を抱えていた」。つまり、震災前の生活における個人的なサポートネットワークの有無が、震災後の生活にも直接影響したのである。誰もに平等に起った震災は、その後人びとの持つ階層性を際立たせ、さらに行政の画一的な復興の枠組みの外に追いやられた人びとは、長い間瓦礫の下でサバイバルを体験せざるを得なかった、と。
そのような現実の中、氏は目の前にいる子どもたちの姿をまなざす。震災後の厳しい環境の中、最もけなげに振る舞っていたのは子どもたちであり、彼らは今まさに「復興」の渦中にいる、と。「大きな災害からまだ1年も経過していない現時点で、子どもたちは立ち上がりつつあるとかストレスに悩んでいるとか、早急に結論づけられるはずもない。今は、地震で家族や親をなくした子どもたち、自宅が全壊した子どもたち、地震後の不安や興奮を呈した子どもたち、ボランティアで活躍した子どもたち、今は家族の対話が増えたという子どもたち、地震が子どもたちにもたらしたプラス面とマイナス面を素直に見つめ、子どもたちと気長につき合っていくことが求められている」。
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子どもを守るもう一人の母たち―保母の調査から
藤森 和美 (聖マリアンナ医学研究所カウンセリング部部長)
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阪神大震災での筆者らの『危機介入ハンドブック』の作成と配布は、北海道南西沖地震から得た教訓から始まった。災害後のつらい時期を乗り越えてもらうためには、子ども自身の力だけでなく保護者や周囲の大人たちが正しい知識を待ち、子どもたちの傷ついた心を理解し、愛情のこもったケアをしていくことが大切である。「むしろその方法でしか癒やせない」と言っても過言ではない。
子どもの災害体験は、親や家族との関係性やその災害体験と密接にからみ合っている。両親の就業やさまざまな理由で保育所に通う子どもたちは、大震災後に保育所でどのような反応を示したのだろうか。
そこで筆者らは、阪神大震災を体験した幼児が示すストレス反応および保母の対応、そして保母自身のストレスについて、阪神大震災から4か月後の1995年5月に、兵庫県下の保育所に勤務する保母に調査を実施した。
災害後の幼児の示す反応はさまざまであり、また、情報不足の中、問題解決に奔走する保母のストレスは大きく、特に自宅に被害のあった保母のストレスは深刻であることが判明した。災害後に専門家の対応が必要なケースを選別し、早期の危機介入を行うことが重要である。
※全文はこちらをご覧ください。
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自分の言葉を忘れたらあかん
神戸新聞社会部記者 宮沢之祐
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阪神大震災は、在日ベトナム人の人びとにも襲いかかった。差別や偏見、生活苦に耐えながら身を寄せるように形作っていたコミュニティも、そして彼らの心休まる居場所であった教会さえも、一瞬のうちに倒壊してしまったのだ。
宮沢氏の伝える、震災を経験したベトナム人の子どもたちの生きざまは、日本が抱える外国人問題を浮き彫りにする。災害という場面では、人の感情はむきだしになり、そして弱い者へと叩きつけられる。「ベトナム人は汚い」「なんでベトナム人の世話をするんや。追い出せ」。避難所でのトラブルは絶えなかった。
しかしながら、こうした大人たちのいさかいの中で、自分のアイデンティティを必死に再構築していく子どもたちの姿を、氏は描き出す。幼い頃に日本にやってきて、言葉も生活も考え方も日本人と変わらないベトナム人の子どもの中には、「ベトナム人であること」を肯定的に受け入れられない者もいた。そんな彼らが、震災後の混乱の中、慣れないベトナム語と流暢な日本語を使って避難所で通訳を行ったり、外国人へ震災情報を提供するミニFM局でDJを行ったりと、国籍や人種を越えたネットワークを勝ち得ている。人びととのつながりの中で、日本から見た祖国ベトナムや、ベトナム人である自分という存在は、新たな形を帯びて彼らの目の前にあった。
「私立女子校3年生のユンさんも、高校を卒業したらベトナムに語学"留学"しようと思っている。震災前にはそんなことになるとは夢にも思わなかった」「『自分の国に誇りを持て』と言う男の子がいた。ふつうにそう話せる同世代の存在がとても新鮮だった。少しずつベトナム語が上達した。きちんと話せるようになりたいと思うようになった。『自分の言葉を忘れたらあかん』と感じている」
地域社会の中で「見えない」存在であったベトナム人が、震災後少しずつ見える存在になってきた、という言葉を氏は受け取る。子どもたちが築いた架け橋は、近い未来にわれわれを共生の道へと導いてくれる予感を感じさせてくれる。
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都市災害の中の障害児たち
筑波大学心身障害学系助教授 宮本信也
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「子ども」「老人」「障害を持つ人」などをいわゆる「災害弱者」とすれば、障害を持つ子どもたちは2重の意味で災害弱者となると宮本氏は言う。氏は被災地の特殊学級で聞き取り調査を行い、震災後の障害児の状況と、今後の援助の可能性を示す。
「障害を持つ子どもたちは、体力的にも余力が少ない。このことは、肢体不自由児の場合、とくに当てはまる。そのため、災害後の劣悪な環境下での生活は、こうした子どもたちにとって健康に対する大きな脅威となる。普段なら風邪ですむところが、あっという間に肺炎にまで進み、最悪の事態になるケースもある」。日常使用している薬の名前や量がわからずに困ったというケースや、発熱、嘔吐、けいれんなどの身体的不調を訴えるケースも多くあったという。さらに、震災後の学校生活においては、精神遅滞児にパニックや興奮、幻覚や妄想などの症状が、肢体不自由児に依頼行動などが多く見られた。また、授業中騒々しい、給食を食べない、次の行動になかなか移れないといった傾向もあったと氏は指摘する。
実際に学校や児童福祉施設などでは、震災後に障害を持つ子どものための家庭訪問や出張授業、給食を食べやすくする工夫などが行われていたが、今後起こり得るあらゆる都市災害の際に、われわれが取るべき対応策を氏は提案する。それは、一人ひとりの子どもの状況や背景を適格にとらえたきめ細かなケアと、地域に根差した援助ネットワークに収斂される。「少なくても学校再開までの間、障害を持つ子どもの扱いに慣れたボランティアに、そうした子どものいる家庭を訪問させ、子どもの面倒を見てもらえるような援助体制を作ることが望ましいと思われる」「障害児援助専門のボランティアグループを作り、地域の特殊学校・療育施設を基点として家庭訪問を行うのはどうであろうか」「障害児および障害者のための避難所として、地域性や設備、対応するスタッフの質から言って、各殊学校が最も適切であり、今後そうしたシステム作りが必要である」。
※全文はこちらをご覧ください。
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家庭での危機管理―時間的経過によるニーズの変化と問題点
林 春男(京都大学防災研究所地域防災研究センター助教授)
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阪神大震災では「災害時には自分のことは自分で守る」という自助原則が見直された。被災者の数が膨大すぎることもあり、個々の被災者が満足できるような援助を提供できるだけの人的余裕も資金的余裕も行政にはなかったからである。防災対策の実態から言えば、自助原則とは、それぞれの「家庭」の単位で防災をしっかり見直そうという意味になる。
また、防災には被害の予防重視のリスク・マネージメントと、大災害が発生した際の被災者の苦しみや社会の混乱を極小化するクライシス・マネージメントの双方が必要であるが、わが国の防災体制はこれまで「被害の予防」を重視したリスク・マネージメント中心の防災であり、個々の被災者の苦しみや社会の混乱を極小化するクライシス・マネージメント対策がほとんど考えられてこなかったことが明らかになった。
これらの観点から、本稿では、家庭での危機管理のあり方を「被害防止」「事前準備」「事後対応」「復旧・復興」という四つの局面からとらえ、時間的経過によるニーズの変化と問題点を明らかにしていく。
※全文はこちらをご覧ください。
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コミュニティの核としての学校
駒澤大学文学部教授 山本康正
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災害時に「学校」の果たす役割は大きい。しかし、その役割を最大限に生かせるかどうかは、平常時に地域住民が学校を「自分たちのもの」と認識し、自分たちの財産として管理し、利用しているかどうかにかかっている、と山本氏は言う。
震災後の学校は、避難所・仮設住宅用スペース・復旧対策の拠点などの「スペースとしての学校」と、子どもたちへの心身両面の援助という学校本来の持つ「教育の場としての学校」の2つの役割の間で葛藤し続けた。「こうして教職員は、一方で、子どもたちの安否を確認し、心身両面での支援活動を展開しながら、他方で、避難所の管理運営に携わるという、きわめて過酷な状況に追い込まれたのである」。
今後、万一の災害に備えて学校に求められるものを、氏は次のように指摘する。(1)短期・長期両方の避難生活を想定した地域の防災拠点としての役割(2)子どもたちへの心身両面のケアのためのノウハウ、教員の活動能力の向上(3)地域を舞台とした実践的な防災教育。「このような防災教育は地域密着型の学習活動になるため、地域住民との協力体制も必要となろう。親や一般の住民たちが、子どもたちの学習活動へ協力していくことで、子どもたち自身の防災能力を高めるだけでなく、地域住民全体の防災意識を高めることにもつながるのである」。
こうした活動の根底には、何よりも学校が地域に「開かれた場」となる必要があることは言うまでもない。学校を「教育委員会という専門機関が、子どもたちの教育という特定の目的のために使用する施設」ではなく、「地域住民の自助活動の拠点」「自分たちの生活空間の延長線上の場」と住民自身に認識してもらうことが大切だと氏は言う。それがあってこそ始めて学校はハード面・ソフト面の両方で、有効な役割を果たすことができるのだ、と。
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