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阪神発 子どもの現場~それぞれの阪神大震災~Part 1 中学生編

松山 容子(医療ソーシャルワーカー)

2011年10月 4日掲載

要旨:

阪神大震災から約半年たった1995年8月20日、神戸市灘区と東灘区、宝塚市の中学3年生7人(男3名、女4名)に集まってもらい、グループインタビュー法で話を聞いた。彼らの日常生活は普通に戻ってきていても、心のストレスを思わせる発言もあり、まだ心に受けた影響を引きずっているようである。今後、彼らの中で、被災体験やそこから得られた学びなどがどう整理されていくか、そしてそのことを周りの大人がどう受け止めていくかが大きな課題となるだろう。

震災から約半年たった8月20日、神戸市灘区と東灘区、宝塚市の中学3年生7人(男3名、女4名)に集まってもらい、グループインタビュー法で話を聞いた。以下はそれらをまとめたものである。

なお、この企画のため中学生に呼びかけようとしたところ、震災に関してマスコミをはじめとした取材があまりにも多いため、神戸市の教育委員会では各中学校に個別の対応をさせず、すべて教育委員会を窓口にしてほしいとのことであった。そのため、出席者は生徒会の役員が多かった。また、話の内容は公開されて困るといったことではないかもしれないが、彼らとの約束で"誰が何を"話したかはここには記載しない。その代わり、彼らの言葉はそのまま載せたいと思う。

――グループインタビューとは――

「ある特定の目的のために用意された話題をその目的にそって集められた少人数のグループで話し合う過程において熟練した司会者のコントロール技術によって集団の利点を活用してグループメンバーが互いに影響しあう場面をつくり、主として非構成的なアプローチによって得られた個人個人の反応を統合して仮説の抽出や仮説の検証など、その時々の目的に従って観察、分析する手法である」(梅澤伸嘉著『実践グループインタビュー入門』より)

この方法を使用したのは、中学生が震災後をどう過ごし、どう思っているのかを知るためである。従来のアンケート調査では、彼らが一番応じにくい世代であること、震災後さまざまな調査が入っている中でアンケート法が多く、食傷気味ではないかと思えること、さらにその方法ではわからないことが多いためである。また、個別のインタビューといった方法もあるのだが、それではもっと答えが返ってきにくいと判断し、グループインタビュー法の採用となった。


それぞれの被災体験と時の経過の中で

震災の被害はさまざまである。同じ地域でも一様ではない。
  • 「震災の被害は、家が一部損壊ということになってるんですけど、たいした被害はなくて、今は震災前と変わらないような生活です」
  • 「家は全壊でなくなっていて、今は仮設の家でがんばっています」
  • 「被害は家のほうは全然なかったんだけど、学校が使用できない状態になっています」
  • 「神戸市の判定がはじめ一部損壊だったんだけど、もう一度来てもらったら、半壊になって。でも一応生活できてます」

当時の生活を振り返って、
  • 「震災直後は暗くて、明るくなってから避難しようとしたけど、家が四方八方倒れていて、逃げ切れないという状態で、避難所もいっぱいという感じだったから、車で1日生活してた。2日目に親戚の家へなんとか行って、水汲みとかやっていました」
  • 「避難所へ行かないで、近所の人たちで集まって、直後は家の前の道路で火をたいてご飯を作ったりしました。はじめ救援物資は来なかったんです。父が市役所とかに言いに行って、来るようになりました。近くの公園に届いたのを、みんなで取りに行って、それを近所の人たちで分けました」
  • 「周りがほとんど古い一戸建てで、それが倒れたので、震災直後は父と兄とで倒れている家に行って、人を助け出したり、避難所へ案内したりしてました」
  • 「震災直後は、瓦礫の中で亡くなられた人というのは山ほどいたんです。だから、3体も引き出しに行って、実際に触って持ち上げて。今考えたら背筋がゾッとしますけれど、でも、不思議とあの震災直後のときは、当然のことなんだと悟った感じで、違和感はなかったです」

どの話も、この震災が普段体験し得ないことを伝えてくれる。だが一方で、
  • 「半年前の話をしろと言われても出てこないんですよ。当時は周りが一変してしまい、それまでの平穏な生活から、すごい所に来たなという感じがしたんですけど、学校が始まってからは一気に元の感じになった気がするんです」
と話してくれた人もいる。これは、大きな災害に見舞われたときに起こる「回避反応」と言える。記憶の一部に膜を張り、とりあえずそのことには触れない。また、今を見つめて生きていくことで、負の部分をなるべく見ずに過ごすことも同じ反応である。


ボランティアを通じて見えたこと

学校の校舎が全壊したり焼失したり、避難所になったりして、2か月近くの休みになったため、その間、多くの中学生がボランティアの体験をしている。
  • 「私はボランティアに行って、避難所で物資の仕分けとかしたりしていました」
  • 「小学校に行ってボランティアをしたんです。そのときは、いろんな人が来たからいろいろ教わりましたけど、避難している人の人間的なものがよく見えたような気がするんです」

極限の状況で人間のいろいろな面が見えてくる。中学生らしく、正義感から憤慨している面も発言の中から見られた。さらに、
  • 「僕らも今だんだん記憶が薄れてきているという感じがするけど、今から考え直したら、そのとき自分がどれだけできたのかなと、いろんなときにそういうことを感じます。こういうときにこうすべきだったとか、このときだからこうしかできなかったということはたくさんあります」
という気持ちもある。これも心的外傷後ストレス障害(PTSD)から説明するとよくわかる。反省から後悔の気持ちが強くなり、それがうまく整理できないと「心の傷」になってしまうが、この発言のように整理されると、それが体験となって生きてくる。


学校生活の日常化に向けて

開校以来の災害に、教職員が必死に対応している姿が、何度もマスコミに登場した。3学期がほとんどなかったことから、授業の遅れを取り戻すため、いろいろ工夫されている。
  • 「テント教室というか、ビニールを張った中で授業をやってて、やっと春休みに入って、プレハブを建てて新学期から普通に始めようとしたら、水道から水が出なくて......6月もだいぶ過ぎてからやっと水が出たので、トイレが使えるようになってから7時間授業を当初やろうと言われていたんです。けれど、お弁当を食べるのにも水道が2個しかないので、全校生徒が殺到したら、衛生的にも悪いということで、午前中だけになった」
  • 「プレハブが建って、そこに通って勉強するのは慣れてきた。修学旅行あるんかなあという心配もできるようになって、あるということが決まってからは、だいぶ落ち着いた」
  • 「(クラブ活動は)去年なら体育館でやっていたんですが、全壊でなくなった。運動場にも避難している人がいるため半分も使えないので、曜日ごとに使用するクラブを決めてます」
  • 「勉強が遅れてるということで、取り戻すために、週に2日、7時間授業があるんですけど、自分たちの教室しかないから、副教科の授業ができない。テストも2か月分を取り戻すためのスピードでやらなきゃいけないということで、いろいろ削って授業の時間にあてて、ほとんど授業という感じになってるんです。夏休みも、授業はしないけど補習が前期と後期にあります」

受験と生徒会活動が一番気になる

学校もかなりのダメージを受けている。3年生としてはクラブや生徒会に全力を出し、その次に受験に臨もうと思っていたのだが、そういう状況にないため大変である。
  • 「今、学校で生徒会活動というのが行き詰まってるんです。入学式だとか卒業式だとか、そういう最低限の行事しか学校側もできなくて、生徒会が活躍する場がほとんどなくなってる状態です。僕たちが生徒会活動をやっていけるのはあと3か月ぐらいしかないんです。その間に何か1つでも特色のあることを残すべきだと。それがやはり......」
  • 「残ってる校舎の教室を使わせてもらったりして、話し合いとかはやってます。活動はあまりできないから、新聞をつくったりしてます」
  • 「実は生徒会がむちゃくちゃ忙しいんです。震災関連のことで春休みに冊子を制作したんです。いろんなところから物資が来たので、何かお礼をしようということと、それを僕らの学校に記録として残しておこうということで作ったんです。でも、それを作ると、それに関しての取材とか、マスコミ対応も全部からんだりとかして、ちょっと忙しかったりもしたんです」
  • 「本当は塾に行かないで高校へ行こうと思っていたんですけど、震災があってから、塾に行くことに決めました。受験が大丈夫かなという不安はあります」
  • 「受験のことに関しては、自分なりに構想を立ててたつもりだったんですけど、これから先どうなっていくのかなという感じです」

震災で考えたこと・将来のこと

この震災を体験したことによって何を考え、それが将来の希望にどう影響するのかを知りたいと質問した。
この時点では、とりあえず、今を生きており、将来のことまで考えられないのは当然である。思春期の心理から見ても、将来に対しての不安はあるだろう。
  • 「将来どういう職に就くかということは、震災前は時たま考えたりしたんですけど、とくに震災直後は、その日の生活が大変で、とにかく今日どうなるのかというのがわからない生活をずっとしていたので、今ここで言われても......」
  • 「将来なりたいものはあるんですが、もしそれになれなかったとしても、地震のせいには絶対したくない。勉強とかもマイナスのことだらけだったんだけど、別の何かを見つけられたと思うから」
  • 「震災後から新聞とかで、今回の震災でボランティアの協力など助け合いがあって、感動のなんとかという報道をよく目にするんですけど、実際、震災の状況のなかに身を置いた一人としては、そんなに人間のよいところばかりが出たとは言えないところがあるんです。不良外国人が泥棒をしたという噂がたったとき、若い人たちはそんなものは根も葉もない噂だと諭したんですけども、大人は聞こうとしないんです。最近歴史の勉強で関東大震災について学んだんですけど、そのことがダブって、不気味な思いをしました」
  • 「今朝あったことをまたテレビで見るのも不思議な感じがしました。でも、そういうのを見ていると、いかに映像が事実を伝え切れないものかということがわかりました」
  • 「亡くなられた方の遺体を間近に見たとき、ほんのさっきまで生活していたあとをまざまざと見せつけられまして......。死というものはそんなに美しいものではない、命を大切にしなければと思うようになりました」
ほぼ全員が心のストレスを思わせる発言をしている。しかし、それは、この災害を考えると、きわめてノーマルな反応である。

また、被害の状況に応じて、その内容が異なっていた。被害の大きな子は発言が相対的に少なく、被災体験が現実的であり、将来については漠然としている。日常生活は普通であるが、まだ、心に受けた影響を引きずっているようだ。

しかし、中学生たちはこの体験から実にいろいろなことを学び、考え、模索している。

今後、自分たちの中で、これらがどう整理されていくか、そしてそのことを周りの大人がどう受け止めていくかが大きな課題となるだろう。


※季刊子ども学「子どもたちの震災復興」1996より掲載しています。
筆者プロフィール
松山容子(まつやま・ようこ)
医療ソーシャルワーカー。1950年生まれ。日本福祉大学社会学部卒業。都立府中病院の相談室から重症心身障害児施設である、都立府中療育センター医療社会事業係に勤務。障害のある子どもとない子どもが共に過ごす、“ししのこキャンプ”を仲間と実施し、国際協力活動も行っている。 (※1996年現在)
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