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コミュニティの核としての学校

山本 康正(駒澤大学文学部 教授)

2011年6月17日掲載

要旨:

防災問題を考える上で、学校は地域住民にとってきわめて重要な役割を担った存在である。阪神大震災後に、コミュニティに対して学校が果たした役割について考察した上で、災害との関連において今後学校が子どもたちだけでなく地域住民に対して果たすべき役割について示す。

季刊子ども学「子どもたちの震災復興」について(1996)


学校は誰のものか?

1970年代の最後の4年間を、私はアメリカのオハイオ州で過ごした。いくつもの貴重な体験をしたが、なかでも印象的だったことの1つは、地域住民の「学校」に対する意識が、日本の場合と大きく違っているという点である。

学校という施設が、地域の子どもたちのためのものであることは論をまたないが、それは昼間だけのことであって、夜ともなると学校は地域の大人たちのための施設に早変わりするのである。夜間の公開講座をやっているわけではない。学校の先生はもちろん、もう帰宅した後である。地域の住民たちだけで、いろいろな会合や趣味の活動に学校を使用しているのである。

こういう話をするとすぐに、「わが国でも学校開放をやっている」といった反論を受けそうであるが、制度として学校が地域住民に開放されているかどうかということを問題にしているのではない。そうではなくて、利用している地域住民たちが、使用している学校を自分たちの財産として、大切に利用し管理している点に感心をしたのである。

また、私が在籍したオハイオ州立大学では、構内と構外とを分ける塀や垣根がまったくなかった。構内の道路を、近隣の住民たちが通勤のために車を走らせたり、散歩やジョギングのために自由に使用していた。週末ともなると、アメリカン・フットボールの大学対校試合を見るために、それこそオハイオ州の近郷近在の住民たちが車を連ねて大学にやって来た。地域住民にとって、大学という施設は「東京スタジアム」や「国技館」と同じように、自分たちの生活に潤いや変化を与えてくれる大切な「生活施設」なのである。

帰国して数年後に、台風が紀伊半島を横断して静岡に抜け、三重県の美杉村や静岡市の梅ヶ島地区などが大きな被害を受けたことがある。台風から数日後に、この台風災害への応急対応や復旧活動について調査するために、梅ヶ島地区に入った。調査をしていて、アメリカのオハイオ州で観察したこととほぼ同じ様な事態に遭遇して、再び感激をした。

梅ヶ島地区では、台風の去った翌朝、地域住民たちは真っ先に地元の小学校に出かけ、土砂崩れや泥水の被害を受けた校舎の応急修理や教室内の清掃作業を終えてしまっていたのである。とくに市の教育委員会や先生方からの依頼があったわけではない。住民たちが自発的に行っていたのである。

住民たちの説明を聞くと、「台風一過、復旧活動をやるのに、子どもがちょろちょろしていたのでは危なくてならないから、まず学校をきちんとして、子どもたちを安心して預けておけるようにしたかった」というのである。

梅ヶ島でも学校は子どもたちの教育のためだけの施設ではなく、地域住民の生活に欠かすことのできない施設であり、住民は学校を自分の家屋敷と同じように、自分たちの手で修理したり掃除したりしているのである。

都市に住む私たちであれば、どんな対応をするであろうか? おそらく、市役所か区役所に電話をして、「いつから学校は使用可能になるのか」「急いで修理してもらわないと困る」といった要求や苦情を述べたてるにちがいない。なぜならば学校は市や区が所有管理する公的な施設であるから、市や区が修理したり掃除したりするのが当たり前だと考えているからである。そこには学校を「自分たちのもの」として捉えていこうとする姿勢は微塵もないと言えよう。学校は、教育委員会という専門機関が、子どもたちの教育という特定の目的のために使用する施設であるという常識が、住民たちを支配しているのである。

その結果、阪神大震災では、何が起きたのであろうか?

指定避難場所になっている学校で、夜明け前の地震の直後に、住民に対して文字どおり門戸を開いたところは、ほとんどなかった。多くのところでは、一定の時間差をおいて避難所が開設されたのである。そうでないところでは、避難してきた住民たちが学校の塀を乗り越えたり、窓ガラスを割ったりして学校を開放しているのである。

近年、宿直者を置いている学校が激減していることも、そうした事態を招いた一因であろう。しかし、それ以上に、行政の怠慢による部分が大きいと言わざるを得ない。

今回の被災地だけの話ではないが、わが国の地方自治体が作成している「地域防災計画」では、小学校などの指定避難場所の「開設」を、行政の職員や施設管理者である校長先生などの役割としている例が多い。そうした職員や校長先生が学校の隣にでも住んでいれば、今度のような夜明け前の地震でも、真っ先に学校を開放することはできよう。しかし、そうでないときには、住民が避難してきても、避難場所として指定されている学校は門を閉ざしたままという状況になるのである。

阪神大震災で、学校は何をしたか?

大地震の直後から、学校は被災住民の避難所として大きな役割を果たした。これが第一の役割である。

神戸市教育委員会の調べでは、1月末の神戸市内の避難者数の約58%が、幼稚園や専修学校などを含む「学校」に避難していたという。その後も「学校」で一時的な避難生活を送っている人は、全避難者数の約60%を占めていた。

日本の市町村が作成する地域防災計画には、地域内の避難場所が指定されている。この、いわゆる「指定避難場所」は、行政機関による指定ということから、現状では、どうしても公共機関に限定されている。地域の公共機関ということになると、圧倒的に多いのが「学校」ということになる。それも、市町村立の小、中学校が中心となるのである。したがって、これが、災害時に学校の果たすべき代表的な役割ということになろう。

しかし、阪神大震災の場合には、「学校」を含む避難場所での住民の生活が長引いたため、後述するように、学校本来の役割(教育)と非常事態下における避難場所としての役割とが深刻な葛藤を引き起こしていた。事態を打開するため、校庭に仮設校舎を建てるなどの対応がとられている。

学校が果たした第2の役割は、仮設住宅のためのスペースの提供である。過密都市では、仮設住宅のためのスペース確保がきわめて困難であり、そのため学校の校庭が使用されることとなった。学校に建てられた仮設住宅は被災住民の生活現場に近いので、概して入居者には好評であったが、戸数は限られていた。今回の地震で初お目見えをした「障害者のための地域型仮設住宅」を建てたところもある。

また前項で指摘したように、授業を再開するために、校庭に仮設校舎を建設したところもある。生徒と避難住民の双方が、お互いに気を遣いながらの生活が続いたのである。

第3の役割は、応急対策や復旧対策の拠点スペースの提供である。自衛隊やその他の応援部隊の活動拠点として校庭を提供した学校は少なくない。仮設住宅の場合と同様、都心部でのスペースの少なさから、こうした大人数の応援部隊は、避難住民と同じ場所に活動拠点を置かざるを得なかったのである。

以上の3つの役割は、学校の持つ本来の機能が災害時に役立ったというものではなく、単に、「そこにあったスペースが役に立った」というだけのことである。

これに対して、学校が果たした第4の役割は、どちらかと言えば、学校本来の機能であると言えよう。すなわち、子どもたちに対する心身両面に対する援助活動である。

いずれの学校でも、この第4の機能とそれ以外の3つの役割の、いずれを優先すべきかという問題に頭を悩ませた。本来、子どもたちへの援助活動に専念すればよいはずの教職員達が、否応なしに避難住民たちと関わらざるを得なかった。こうして教職員は、一方で、子どもたちの安否を確認し、心身両面での支援活動を展開しながら、他方で、避難所の管理運営に携わるという、きわめて過酷な状況に追い込まれたのである。

今後の災害においても、学校は、避難所や応急対策のための拠点として利用されることになろう。そのとき、やはり学校が地域住民にとって隔絶した世界であるとすれば、再び同じ事態が発生することになろう。

今後、学校はどうすればよいか?

今後、災害との関連で、学校は3つの役割を果たさなくてはなるまい。

第1は、「地域の防災拠点」としての役割である。

昨年の9月、埼玉県は県立高校約30校を防災拠点化する方針を発表している。校舎やプールの耐震補強、太陽発電装置・防災無線・備蓄倉庫・耐震貯水槽などの整備を行い、災害時の一定期間、住民の避難生活を支援しようという構想である。優れた構想であるが、「なぜ高校だけなのか?」という疑問は残る。

本来は、そうした地域の防災拠点化は、二段構えで行われなくてはなるまい。高校や中学のように広域に散在している施設は、3、4日以上から仮設住宅完成までの"長期にわたる"避難生活を余儀なくされた住民のための施設として整備し、小学校や幼稚園のように比較的狭い範囲にある施設は、1日から3日程度までの短期避難生活に備えておくべきであろう。学校が防災拠点として効果的に機能するためには、現行の多くの地域防災計画に見られる中途半端な分散備蓄の発想を変えて、地域住民にとって必要な基本的備蓄品を、すべての学校に備えておくというところまで徹底することが不可欠であろう。

また、平常時に学校が地域住民にとって隔絶された世界であってはならない。平常時から地域住民たちが学校を防災拠点として使用する訓練を繰り返し実施しなくてはなるまい。

しかし、教職員によるそうした「防災拠点としての活動」への関わりは最小限にすべきであろう。学校を防災拠点として利用し、災害からの少しでも早い立ち直りを可能にするのは、教員やボランティアたちではなく、地域住民自身なのである。「地域の防災拠点」という言葉の意味は、「地域住民の自助活動の拠点」という意味でなくてはならない。

阪神大震災における教職員たちの過酷なまでの犠牲的献身は、二度と繰り返されてはなるまい。学校を防災拠点として位置付けていく場合には、この点についての配慮が同時に行われていなくては、効果的に学校を活用することはできない。

第2の役割は、災害時の子どもたちに対する心身両面での援助活動を迅速かつ効率的に実施するということである。そのためには、緊急にそうした活動のためのマニュアルづくりと、教員の活動能力の向上が図られなくてはならない。

震災後、登校拒否児童が学校に戻って来たと言われている。神戸市教育委員会の調査では、5月の時点での長期欠席(連続7日間以上)児童の数は、昨年の12月に比べて約55%に減少しているという。

また、読売新聞の報道によれば、神戸市の「心のケア相談室」に寄せられた子どもに関する相談件数は、4月22件、5月17件、6月26件、7月35件と増えているという。

こうした数字は、第1に災害直後、親も被害を受けて子どもに十分配慮する余裕がない状況で、子どもたちが拠り所とする場所が学校であったことを示しているし、第2に家庭生活が少しずつ落ち着き始めるとともに、子どもたちの心の傷が表面化し始めていることを物語っている。

どちらにせよ、災害直後の教員の対応が、子どもたちに大きな影響を持っていることは確かである。それだけに、たとえば作文や絵を描くことが子どもたちの精神的な立ち直りに有効であるとするならば、そのためのノウハウが、平常時からしっかりと教員に習得されていなくてはなるまい。

また、子どもたちに限ったことではないが、被災直後の精神的ショックが大きい時期に、日々の目標もなく、ただ漫然と生活することは、かえって心身の衰弱につながる。毎日きちんと目標を持ち、活動的な毎日を送ることが、災害からの立ち直りを早くすると考えられている。とすれば、災害直後から、子どもたちにどのような活動目標を与えることができるのか、そうした点でも、教員の適切な対応がきわめて重要となるのである。

第3の役割は、子どもたちへの防災教育の実施と、それを通して地域住民の防災意識の昂揚を図ることである。

地域の防災マップやハザードマップは、行政機関が住民に配布するだけでは、その効果は知れている。そうしたマップの作成を、生徒たちの学習課題とすべきであろう。保健体育の授業では、心臓マッサージや人工呼吸などの救急救護法を教え、また、とくに、幼稚園や小学校低学年では、消火器を水鉄砲として使用しながら競技するようなことを工夫して、消火器の操作を習得させるなどといったことを、今後正規のカリキュラムとして組み込んでいくことを考えてみる必要があろう。

高学年では、地域の災害履歴を整理したり、災害に関わる民間伝承などの掘り起こしなどを課題として取り上げたり、地域住民の持っている災害文化(過去の経験に基づく災害への対応の知恵や知識の総体)の洗い出しとその妥当性のチェックといった学習活動なども考えられてよい。

こうした防災教育の実施には、教員自身がそうした防災教育を実施できる能力を身につけていることが前提となる。そのためには、教員養成カリキュラムに、こうした防災教育のためのノウハウが盛り込まれていく必要がある。

このような防災教育は地域密着型の学習活動になるため、地域住民との協力体制も必要となろう。親や一般の住民たちが、子どもたちの学習活動へ協力していくことで、子どもたち自身の防災能力を高めるだけでなく、地域住民全体の防災意識を高めることにもつながるのである。

学校を子どもたちだけの施設にしないために

以上述べたように、防災問題を考える上で、学校は住民にとってきわめて重要な役割を担った存在である。しかし、学校は、必ずしも住民に開かれた存在ではないし、住民の側でも、学校を自分たちの施設として身近に感じるといった状況にはない。

近年では、市民センターやコミュニティセンターがあちこちで整備され、いきおい、大人の住民にとっては、そうした施設での活動が主体になって、学校はますます子どもたちだけの施設として専門分化し、その分だけ大人たちから縁遠い存在となってしまうのである。

校区が狭く、生徒が学校周辺に居住している公立の小・中学校では、状況はまだそれほど悲観的ではないが、校区が広い高校や大学あるいは私立の小、中学校などは、地域住民にとって必ずしも好ましい施設ではない。現状では、そうした一部の学校は、地域内で比較的広大なスペースを占有するだけで、災害時の住民にとって必ずしも役に立つ施設ではないのである。

過去の災害事例でも報告されているように、実験室から火災が発生したり、いざ逃げ込もうとしても立ち入りを拒絶したりといった形で、地域住民に対してむしろマイナスの施設となってしまう可能性を、学校は持っている。

今後は、学校と地域住民とが、お互いにプラスになるような関係を構築していくことが大切であろう。
筆者プロフィール
山本 康正(駒澤大学文学部 教授)

駒澤大学文学部 教授。1944年熊本県生まれ。68年千葉大学文理学部卒業。東京都立大学大学院博士課程(社会学)修了。オハイオ州立大学で社会学のPh.D修得。専門は災害社会学、組織社会学、都市社会学。神戸市・防災会議地震部会専門委員。著書に『まちづくり読本』(八王子市コミュニティ振興会)『地域防災ハンドブック』(東京法規出版)など。

(※季刊子ども学「子どもたちの震災復興」1996より掲載しています。)
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