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【一人一人の違いに寄り添うために】第7回 競争で、学びの楽しさが埋もれてしまわないように

ヒロック初等部世田谷校では、小学校1年生から4年生まで、計28人の子どもが在籍しています。「無学年制」をとっており、子どもたち同士においては、お互いの学年はあやふやなままにしています。互いのことをファーストネームで呼び合い、敬語は使っていません。みんな同じ一つの空間で学び合い、学年で分かれるようなシーンも無いので、子どもたち同士もお互いの学年をよく分かっていません。正確に言うと、「よく分からないようにするために、あえて」あいまいにしています。

「学年」という枠で括ると、自ずと子どもたちや周りの大人たちは子どもの比較を始めます。「他の子よりできる」とか「勉強が遅れている」とか...。そもそも新生児としてこの世に生まれ落ちた時から、私たち大人は「成長の発達曲線」と照らし合わせて、「普通より体重が少ない」とか「言葉の発達が遅い」と一喜一憂してきているのですよね。

それをすべて悪いと否定しているわけではありません。子どもの心身の健康や発達を知る目安として、必要なものでもあるでしょう。しかし、このような基準を示されたとたん、親やその子の教育に携わる立場の大人は「できる限り平均、ど真ん中に近付けたい」とか「早ければ早いほどよい」とか「能力が高いほど優秀である」と思い込み、そこに縛られてしまうデメリットもあるのです。

そんな大人の価値観を、子どもたちは驚くほど敏感に察知するのです。「お家の人が喜んでくれている!」とか「不満に思われている...」とか。褒められたりたしなめられたりする経験を通して、外圧や心理的プレッシャーを受けながら、なんとか期待に応えようと言動を調整しようとする。そんな健気な子どもたちをこれまで多く見てきました。

競争には、楽しい要素もたくさんあります。相手と競り合いながら全力を出す爽快感、負けるかもしれないというアドベンチャー感、仲間から応援され、注目される高揚感、そして打ち勝った時の優越感。特にスポーツやアートの分野において、それは時に、見ている人の心を大きく動かし、夢や希望、勇気、感動を与えてくれるものでもあります。

我々大人は、どうしたって勝者の側の、サクセスストーリーに目を向けがちですが、競争の負の面も見過ごしてはいけません。負ける悔しさ、力の限界を知る怖さ、自分には価値がないと感じてしまう自信の喪失感、自分を嫌いになってしまうくらいの恥ずかしさ。これらは次に向かうバネになることもありますが、それはあくまで「自分で選んでこそ」のもの。それでいうと、学校での勉強はたいてい、子どもの立場から言えば「勝手に、いつのまにか競争に参加させられている」という状況なのです。何より恐ろしいのは、そこに疑う余地すら挟めないという点です。

社会の大人たちの中には「子どもが勉強が嫌いなのは当たり前。そこから逃げない根性を教育でつけるのだ」という意見があります。私は現場で子どもたちを見てきて、そんなことはないと断言できます。子どもたちは、学ぶのが嫌いなわけではありません。

同じように「いやいや、勉強が好きな子もいる」という意見に関しても、あえて疑問を投げかけたい。その子は本当に、学ぶのが好きなのでしょうか。他の人より優れている自分や、周りから褒められる自分、誰かにマウントをとれる自分が好きなのかもしれません。

「学ぶ」ことの本質的な楽しさは、そういうものではないと思います。自分が思ってもみなかったような新しい考え方に触れ、驚き、自ずと思考が巡り出す。これまでの知識や経験と繋がったり、思い込みが解きほぐされたりしながら、新たな回路が仮説となって生まれる。その眼鏡や視座で世界を見ると、学ぶ前とは全く違った風景が眼前に立ち現れる...。それこそが、本質的な学びの醍醐味なのではないでしょうか。

私たち教育者は、競争の楽しさを教えたいわけではありません。知識がマウントをとるための道具だとか、優れることで人の価値が決まると教えたいわけではないはずです。他の人より優れている子を選別し、そそのかして社会に役立ててやろうと思っているわけでもないでしょう。しかし結果として、日本中の子どもたちはそのようなことを学んでしまっているのです。

私は公立学校で働いていた時から、ずっとその違和感を抱えてきました。学びから、「全員参加の競争」という縛りをなくしたい。そんな思いから、独立して学校を創るに至ったわけです。自分で挑戦して飛び込む競争なら問題はありません。そこで得る達成感も劣等感も、価値ある学びとなるでしょう。問題なのは、学校の勉強においては、子どもたちは望んでいないのに全員参加させられているという点です。そしてその構造に、私たち大人も加担してしまっているのだと思います。

「人と比べなくていいんだよ」という大人も、周りにはたくさんいます。しかし、そう言われたところで子どもたちは比べてしまいます。子どもを取り巻く教育環境の全体が、比べやすい環境になっているからです。年齢でグループ分けし、同じタイミングで同じ質と量の学びを提供し、同じ評価軸で点数をつける。こんなにも「比べずにいられない」環境にしておきながら、「比べなくていい」というのはなんとも都合がいいよなとさえ思います。

だからヒロックでは、学年という枠をあえてあいまいにしているのです。下は1年生、上は4年生なので、当然身体の大きさは違うし、知識や経験にも圧倒的な差があります。しかし、これだけ多様な分野で圧倒的な差があると、子どもたちはもはや比べようとも思わないのですね。「比べても意味がない」ことを、日々の生活で表現してくれています。あの子は計算がすごくて、あの子は絵が上手で、あの子はポケモン博士で...。それぞれに「凄い」ところがあって、それ以上でも以下でもないというわけです。

もちろん通知表も無ければ、テストもありません。学ぶことも方法も、スピードも量もバラバラです。競争の楽しさに、学びの楽しさが埋もれてしまわないように。できる限り比べようのない環境で、今日もヒロックの子どもたちは、嬉々として自分の学びや成長の楽しさを味わい尽くしています。

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筆者プロフィール
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蓑手 章吾(みのて・しょうご)

HILLOCK(ヒロック)初等部 校長。元公立小学校教員で、教員歴は14年。教鞭を持つ傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士修了。プログラミング教育で全国的に有名な前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任。2022年4月、オルタナティブスクール・HILLOCK(ヒロック)初等部を開校。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(ともに学陽書房)、共著に『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書出版)などがある。
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