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【一人一人の違いに寄り添うために】第6回 椅子に座って話を聞くのはマナー?

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「椅子に座っていられなくて困ってるんです...」

学校に通う子をおもちの親御さんからよく寄せられる悩みです。授業中に立ち歩いてしまう、座っていても姿勢が崩れてくる、何度も椅子を引きずり寄せる...程度の差こそあれ、担任の先生から苦言を呈されがちなことです。

反対に、背筋をピシッと伸ばし、微動だにせず授業を受けている子は「みんなのお手本」として褒められ、認められます。

大人は「ちゃんと大人しく座ってなさい!」と指導してしまいがちですが、そのようにできない子どもにも言い分はありそうですよね。授業が簡単すぎてつまらない、難しすぎてつまらない、友達のそばに行きたい、どうしても気になるものがある。そのあたりの理由は、なかなか聞き入れてもらえないものです。そもそも各自の特性に関係なく、子どもというものは常に動き回っているのが当たり前。むしろじっとしている方が心配な気もします。

では、どうして学校の先生は、子どもに椅子に座っていてほしいのでしょう?
「人の話を聞くときに動き回っているなんて無礼だ!」
という意見がありそうです。確かに、自分が話している最中に動き回られたら気になるし、授業を続けるモチベーションが下がるかもしれません。マナー違反で失礼だ、と感じる気持ちも理解できます。しかし、この「マナー」というものは厄介だなぁとも思うのです。

というのも、私たちも子どもの頃から「人の話は座って聞くべし」と教わってきたわけです。言うなれば後天的に、文化としてできたルールを押し付けられてきたわけです。自分の感じる快や不快の根源は、誰かに教育されたものが多いのかもしれません。私も授業をするときなどに、歩き回られたり聞いてないような素振りをとられたりするなど、教室内で起こる様々な出来事に対して脊髄反射のように快や不快が押し寄せますが、論理的に考えると、その自分の快や不快は「あてにならないなぁ」と感じることが多々あります。

例えば、筋ジストロフィーなどで椅子に座れない子が教室にいたとき、その子には学ぶ権利がなくなってしまうのでしょうか。そんなことはありませんよね。では、みんな寝そべっていてよいでしょうか。どうやらそういうことでもなさそうです。「あの子は特別だから」そんな対応をしてしまうから、いつまで経っても溝が埋まらないような気がしてしまいます。

とはいえ、他にも機能的な問題もありそうです。例えば、「他の子の集中が途切れてしまう」という問題。確かに、集中して話を聞いている最中に自分の前を横切られたり、視界の端で跳びはねたりしている子がいたら、気が散りそうです。

ただ、これも環境によって大きく変わる気もします。椅子が並べられ、全員が同じ方を向いていなければならない環境だと、どうしたって動き回る子は「みんなの集中を奪う悪い子」と映ってしまうかもしれません。

一方で、図書館のような公共の場では、歩き回る人が実際にいますが、特段気にはならないですよね。カフェやファミレスで勉強していても、他のお客さんのことをそこまで邪魔だとは感じません。そこはどうやら、環境による影響が大きいような気がします。

学校の教室も、もっと多様な机の並べ方でよい気がします。日本では、全員が並んで同じ黒板の方向に向く、というスタイルがほとんどですが、海外に目を向けると、ロの字やコの字の会議型だったり、班に分かれたグループ型だったりと多種多様です。

集中力だって人それぞれです。多少視界に気になるものが入っても集中し続けられる子もいれば、ちょっとの音でも気になってしまう子もいます。隣に誰が座るかによっても集中の持続には差がありそうです。

今の教室の席の並びは、先生が決めたり、くじ引きで決まることが大半ではないでしょうか。しかし、本当に集中しやすい環境は本来、自分で選べた方がよいと思うのです。教室の前の方が集中できるのか、壁側の方が集中できるのか、動いてしまうから後ろに座った方がいいのか。実際にやってみて、うまくいかなければ変えてみる。そうやって、子どもが自己調整できるだけのゆとりや許容が、もっとあってもよいように感じます。

別の観点で言うと、教師からの指示や説明を45分〜50分、画一的に聞き続けるという授業スタイルも、変わっていくべきだと思います。今やタブレット端末が一人一台ある時代。先生の発する言葉からでなくても、学ぶ手段は幾通りも存在します。

私が公立学校で教えていた頃は、授業の都度、好きなところに机を動かしてよいことにしていました。友達の近くに行く子、壁向きに机をくっつける子、班の形にする子...それぞれが自分の集中しやすい場所を選んでいました。授業も、教師がしゃべる時間は3分の1程度。あとは自分で学習を進められる形態にしました。落ち着きがない子が多いという学年ではありましたが、歩き回る子がいても特段問題にならない場になりました。

今勤務しているヒロック初等部では、床がカーペットということもあり、寝っ転がりながら学習する子もいます。

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ぎょっとされる見学者も多いですが、立ちながらPC仕事をする大手企業もあれば、寝ながら小説を執筆する作家もいる時代。集中力の面から考えても、あながち悪くはないように感じます。その子たちもずっと寝そべっているわけではなく、ときには椅子に座ったり、床に正座したりと体勢を変えることで集中力を持続させている様子です。

誰かが全体の前で話しているときは、他の人の集中を邪魔しないようにすることが共通理解となっています。そのためには、集中が難しい子は前の方に来るし、スクイーズのおもちゃなど何かを触りながら聞きたい子は他の人に見えないように触り、動きながら聞きたければ後ろの方に座ります。音を出したくなったら部屋から出てもOK。集中できないときはちゃんと伝えられるように配慮しています。

そもそも、マナーというのは気遣いのことです。訓練して、思考停止状態で行う行動はマナーと言えるのでしょうか。誰かにとっての都合の良い行動なのではないでしょうか。

教室に座っていられない子がいたときに、座っていられない子に甘えて責任と努力を押し付けるのではなく、座っていられなくても問題にならないような環境設計を考える。そうやって、私たち大人の「当たり前」を見つめ直していきたいですね。

筆者プロフィール
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蓑手 章吾(みのて・しょうご)

HILLOCK(ヒロック)初等部 校長。元公立小学校教員で、教員歴は14年。教鞭を持つ傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士修了。プログラミング教育で全国的に有名な前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任。2022年4月、オルタナティブスクール・HILLOCK(ヒロック)初等部を開校。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(ともに学陽書房)、共著に『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書出版)などがある。
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