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【一人一人の違いに寄り添うために】第5回 時間って守らなきゃいけないの?

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「時間を守りなさい!」

もしかするとこれは、子どもたちが親や教師から言われる言葉の第一位かもしれません。「時間は守って当たり前」という認識が、大人や社会全体に常識として行き渡っているし、時間を守らなければ権利を剥奪されても文句を言えない感じすらあります。

子どもたちの中には(もちろん大人たちの中にも)、時間を守ることが苦手な人がいます。不真面目だとかやる気がないとか評価されがちだけれど、そういう理由ではなくて、単に「時間を守ることが苦手」な子も多いはずなんですよね。

私がまだ若手教員だった頃、毎日遅刻してくる子がいました。学校の中では「無断遅刻はご法度!」という空気でしたし、私も足並みを揃えて、遅刻しないよう指導していました。反省文などを課していた時期もあります。文章を書く面倒臭さを、学校に来る前に思い出して遅刻が無くなればいいな、と期待しながら。そんな試行錯誤の日々を過ごしていました。

でも、結果として一向に遅刻は無くなりませんでした。それ以上に特筆すべきは、その子はとても素直な子で、思いやりもあり、クラスでも明るく前向きな発言をする子だったということです。私との関係も良好で、遅刻に関してもちゃんと反省していたし、反省文も嫌がらずに毎回書いていたのです。

それでも遅刻は無くならなかった。それが私にとっては衝撃でした。

実は最近、成人したその子に再会する機会があったんです。そこで当時感じていたことを、謝罪ついでに尋ねてみたんですね。すると、
「覚えてます! 遅れちゃだめだと頭では分かっていたんですが、なぜかいつもギリギリまで家でゆっくりしちゃうんですよね。今でも不思議なんですが。あれは私が悪かっただけで、先生は当然の指導をしてくれていたと今でも感謝しています。謝らないでください!」
と返ってきました。ちなみに、今は遅刻することなく会社に行けているそうです。とても立派な好青年になっていました。

この経験が、今でも私の中に残っています。そして、思うのです。時間って、絶対守らなきゃいけないんだっけ?と。もう一度、考え直してもいいことの一つかもしれません。

学校では、遅刻は厳禁です。何故でしょう?

「遅くなると不審者などに襲われるかも」というのはありそうです。ただ、それは大幅に遅れて、人通りが少ない時間帯に登校することになってしまった場合くらいかもしれません。

「授業のスタートに参加できないから」というのも、きっとそうだと思います。しかし、病気や家庭の都合で遅刻したり、休んだりする子へのフォローは大してされないですよね? 何故無断遅刻だけ、取り立てて心配されるのでしょう?

「将来遅刻して仕事で困らないように」ということであれば、確かに仕事で遅刻を重ねるのはまずい気がします。でも、高校生でも働いている場合、アルバイトは絶対に遅刻しないんですよね。遅れたら給料を減らされる。それは自分に直接降りかかってくる問題なので、学校が躍起にならずとも、働くときになれば、本人は気を付けるのかもしれません。

「安否確認のために連絡する手間が発生する」、「みんなが真似して遅刻するようになると困る」。このあたりが本音のような気がします。でもこれって、大人側の都合ですよね?

家庭でも、子どもに時間を守ってほしいのは、スケジュール通りに動きたい大人の都合であることが大半ではないでしょうか。そこに「子どもの都合」は考慮してもらえないのでしょうか。そんなことをふと考えてしまいます。

私が勤めるヒロック初等部では、始業の時間は決まっているものの、遅刻しても特にとがめだてはしません。毎日ちょっとだけ遅れる子もいれば、10時半ごろに登校してくる子もいます。

もちろん、安全面の管理はしなければならないので、生徒から連絡がないのに姿が見えない場合は、私から保護者との連絡ツールでダイレクトメッセージを送って確認します。ちょっと手間ではありますが、電話に比べればそんなに大したことでもありません。

遅刻した子どもたちは普通に「おはよう」と笑顔で入ってきます。大人も他のお友達も、「あ、おはよう」と言って受け入れます。みんな学校が楽しいから登校して来ているので、「遅れることはズルい」という概念がそもそも無いようです。

学習は、途中からでも入れるようにと、午前中の早い時間は自由進度学習にしています。それぞれの生徒が自ら課題を選んで学ぶ時間なので、「途中からでは入れない」というようなことは起こりません。それどころか、家や登校中の電車の中で学習している子もいます。

朝が苦手な子もいれば、なんとなく遅れてしまう子もいます。でも、それだけで人格を否定する必要もなければ、ましてや学習権を奪うようなことがあってはいけないと思います。遅れても大丈夫な環境にする。学校側が譲歩してみてもよいところかもしれません。

一方で、やはり遅れるとみんなに迷惑がかかることもあります。集団生活をしていると、移動の時間や活動の開始など、早く準備できた子が待たされる場面は、どうしても出てきてしまいます。

その場合は、遅れがちな子にも何が起きているかをちゃんと伝えるようにしています。「今Aちゃんは君のことを待っているよ」「約束を守っている子が損をして、守ってない子が得をするのは、私はあまりいいとは思わないな」、そんな声かけをすることもあります。遅れがちな子というのは、早い子を待たせているという認識がなかったりするのですよね。待っている子の姿は見えないわけですから。何が起こっているかを事実として知らせることは、子どもにとってフェアだと思っています。

その上で、こう言います。「もしあえて待たせたいと思っていたり、待ってもらってでも、自分にやりたいことがあるなら、時間は守らなくてもいいんじゃない?」と。

早く準備した子が待つことになる、という結果は予測できるけど、その上でどうするかを決めるのは自分。その自分の判断によってもたらされる結果を受け止めるのも自分なんだよなぁ、と。

自分の選択した行動が、何をもたらすかを考えた上で、自分で判断する。たとえば登校中に、道端におばあさんが倒れていたとして、「学校に遅刻しそうだったから見て見ぬふりして学校に来ました」、なんて子には育ってほしくないですよね? 子どもたちは友達が大好きなので、友達の気持ちを考えるようになると、結果として大人以上に時計を見て動けるようになります。また、待つ側も遅れた子に対して寛大な気持ちでいられます。

大人が過剰に指導するから、問題がいつまでも解決しなかったり、周りの友達からネガティブに見られてしまうこともあるんじゃないかと思っています。

私が言いたいことは「時間は守らなくていい」ということではありません。「絶対守らせなくてもいいんじゃない?」と、それくらいみんなが寛大でいられる環境を考えてみてもいいんじゃないか、という提案でした。

筆者プロフィール
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蓑手 章吾(みのて・しょうご)

HILLOCK(ヒロック)初等部 校長。元公立小学校教員で、教員歴は14年。教鞭を持つ傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士修了。プログラミング教育で全国的に有名な前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任。2022年4月、オルタナティブスクール・HILLOCK(ヒロック)初等部を開校。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(ともに学陽書房)、共著に『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書出版)などがある。
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