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競争文化のアメリカで生き残るための子育て:中産階級の親の役割と子どもの活動

ヒラリー・リービー(ロバート・ウッド・ジョンソン財団奨学生、ハーバード大学)

2011年1月14日掲載

要旨:

多くの親の労働時間が延び、すべきことや義務はかつてないほど増えてきている。そしてその子供たちもまた、放課後や週末をオールスターチームに入るために選抜試験を受けたり、トーナメントで各地を回ったり、車で夕食をとったりと忙しく過ごしている。家族の時間がこんなに少ないとき、親たちにスケジュールを組まれ、監視されながら子どもたちは、家の外の活動に励んでいるが、この傾向は加速する一方である。家族時間がこんなに少ないときに、この理由はいったい何であろう。親の第二のシフト*(second shift, Hochschild & Matchung 1998)が増大するにつれ、それと並び、子どもにおける第二のシフトも現れた。特に中産階級と上流中産階級では、単なる参加よりもむしろ競争になっている。これらの親は何に突き動かされ、自分の子どもを競争の激しい、教科外の活動に参加させているのか。著者は16カ月をかけてチェス、ダンスとサッカー活動の厳しい競争の現場で調査を行い、172人の親、教師/コーチそして子ども自身に対するインタービューを含むデータを集めた。本研究では、このデータを用い、子ども達がなぜこのような競争的活動に参加するのか、その原因と影響を分析する。
*就労する女性が生産労働から家に帰った後に家事や育児といった労働に再び従事する様子を「セカンドシフト」と呼び,女性にとって仕事と家庭の両立が大きな負担 となっていることを指摘した。

アメリカはしばしば競争の国と呼ばれ、多くの学者がアメリカ人は成果を重視する社会で生きていると主張している(McClelland 1967)。ウェーバーは、官僚社会では、社会的名声と地位は学歴によって決定される、その結果、試験の成績や特別な教育機関の学歴の有無が最も重要になると主張している(1978、999-1000)。このようにして、学校でいい成績を取ること、競争に打ち勝って極めて数の限られたスポットを確保することが最優先になる。Collins (1979)やEnglish (2005)などの学者たちは、実績というものが、いまだかつてなく物を言う社会に焦点を当てながら、ますます激化する競争が現在のアメリカにおいて、高等教育や企業の場、文化面をはじめ、さまざまな分野でどのような影響を与えているか説いている。

競争の激しいトーナメントはかつて高等学校に限られた。生徒は、運動競技に出場したり、ディベートチームに参加したり、高校新聞の編集者として「キャリア」を築く等、その他何百という方法で自分が目立つよう躍起になっていた。しかし、今のアメリカ中産階級の子どもにとって、自分の根性を証明するのに高校生になるまで待つなど、大きな間違いである。子どもたちが不安を抱き、直面していく壁は、はるかに早くからの準備を必要としている。

こうした競争への行き過ぎた没頭は、子どもを通して自分の人生を生きている神経症の親の強迫観念にかられた熱狂であると非難したい誘惑にかられる。そして、多くの専門家は、恥じらいもなく的の外れた分析を試みる。常にヘリコプターのように子どもの上空を旋回し、何かあったら直ちに降下して世話を焼く親はヘリコプターペアレンツと呼ばれている(e.g. Carroll 2005; Fortin 2008)。では、これらの親はクレイジーだろうか?たがが外れてしまっているのだろうか?答えはいいえである。彼らの子どもが、親と同じようなやり方で何かを達成しようとするならば、大きな壁に直面してしまう、彼らはこの壁を乗り越えていかなくてはならないのだ。そして、その障壁を乗り越えられる確率は、親からみて、かつてよりもずっと低く、しかもその予測は、それなりの根拠のあるものである。

子どもの学歴に関する将来の選択枝に対する保護者の関心は馬鹿げていると思われるかもしれない。なぜなら、ベビーブーム世代とエコブーム世代はこれまでアメリカで最も良い教育を受け、最も裕福な世代である。しかし、その人数が多く、女性を含む多くの人が初めて高等教育を受けようとした時代にあったため、ベビーブーム世代は乏しい教育予算を求め、異常なレベルの競争に直面した(Easterlin 1987, 30)。したがって、競争の文化的経験、彼らの規模に比べれば十分とは言い難い空きを獲得する競争を体験したことが、これらのブーム世代に人生は一連の競争だと考えさせた(Newman, 1994)。彼らの子どもの世代―エコブーム世代―は人数が多く、大学進学率も高いので、競争はさらに激しくなった。大学側の受け入れ率の低さ、特に名門大学のいまだかつてない低さを特集する報道は、多くの注目を集め、親の心配を煽り、競争の文化を強化する一方である(例:Parker-Pope 2008)。


大学入学の競争

親たちは、自分の子どもが実績を積んでいい大学に入り、上級学位を獲得できるよう早い段階からいろいろ働きかけている。子どもが属する社会階層が下降移動にならないようにと願ってのことである。何百万人もの教育を受けたホワイトカラーの人生において、不安定さの度合いは、歓迎できない要素であるが、誰もが無関係ではいられない時代となった。こうした不安定さに対し唯一抗える手段として、不確実であるものの、学歴の威信にさらに重みを置くのである。(例、Warren & Tyagi, 2003)。

競争的活動への参加は特に、これからのより重要なトーナメントに大いに関係するスキルに磨きをかけることに関し、殊に魅力的である。なぜなら、こうした活動の場がリクリエーションのように楽しく見えるからである。アジアでは多くの親が、子どもが外国の英語学校または国内の予備校で無数の時間をかけて猛勉強をするよう激励するが(例、Onishi, 2008; Dunn, 1995)、アメリカの親は厳しい努力のプロセスを楽しい活動の中に含ませることを好んでいる。アメリカ人の競争精神にとって、特に子どもたちには、必死に努力しているようにみえないことが極めて重要であり、筆者が子どもの美人コンテストと公文式放課後学習センターの調査についての最近の記事において議論している通りである(Levey 2009)。

同時に、7歳の小さな子供を持つ親が毎週土曜日にサッカー場で大学の入試ばかりを念頭に活動していると想像するのも間違いであろう。そうではなく、子どもが特定の性格を形成し、スポーツやダンス、チェスなどのより身近なトーナメントで成功の実績を積んでいけるように教育しているのだと親は自覚している。青年期でのそのような性格形成は何につながるのだろうか?答えは、大学の入学許可取得へ向けての長い道のりを歩む上で有利である(Kaufman and Gabler 2004)ということ、大学で学位を取得した後は良い人生が待っているということである。

だが、仮に大学の入学許可を得るに際し直接的にも有利であるという観点から親たちが考えるようになった言っても、ひどく的外れではないだろう。例えば、特に運動などの活動への参加は、入学に有利に働くのである(Golden 2006)。アメリカの大学が学問的な功績以外のものも入学許可の判断の一部とみなしているのには歴史的なルーツがあり、アメリカに独特なものである。ジェローム・カラベルは、いかにハーバード、プリンストン、イェールの「三大大学」が1920年代にユダヤ人や移民のような「好ましくない人々」を締め出すために新たな入学許可基準を考え出したかということについて明らかにしている(2006)。この新たなシステムはクラブ活動や運動に当然のように参加する「万能型人間」を評価した。カラベルは、その入学許可におけるメリットの決定が時を経て変化し続けており、親が子どもの大学入試に関心を持つことは、(以下引用)
・・・馬鹿げたことなどではないのである。特に学歴を得ることが、直接的な財産相続と同様に親から子へと社会からの恩恵を移行させる主要な手段である社会においては。そして、アメリカ人の中での勝ち組と負け組の間の格差が1970年代初期から始まり、今だ嘗てなく広がっていくにつれ、考えられ得るあらゆる優位性を得ようとする欲求がより強くなっていくのみである。(2006,3)。

私が会った親たちは特定の種類の性格を育成しようとしているという私の主張において、親たちがその結末については全く考えてないということを述べているつもりは全くない。インタービューによって、彼らが本気で長期的に考え、小学校での競争的な活動への参加が子どもたちに優位性を与える助けとなるように望んでいるということが明らかになっている。これはエリート大学の入学許可についてのミッチェル・スティーブンの研究と一致している。彼はその研究において「家族は、子どもたちに測定可能な長所が育成されるように、すべての生活をその目的に沿って構成する」と述べている(Stevens 2007, 15)。


家庭と競争

では、私がどのようにこれらの親を抽出したか、研究のデザインについてもう少し詳しく話をする。子どもの競争的活動は以下のタイプのいずれかに分類されることができる:運動競技、芸術あるいは、アカデミック。私のケーススタディではそれぞれのタイプから一つずつ、サッカー、ダンス、チェス、を選んだ。USユースサッカーには毎年300万以上の子どもが登録されている、最も人気のある若者のチームスポーツの一つとして、サッカーは自然な選択である。また、競争的ダンスも、特に「So You Think You Can Dance」のようなショーに伴ってダンスがテレビで復活して以来は、飛躍的に発展してきた。2004のニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、数万人が全国を回って多数のコンテストに参加している(Kinetz, 2004)。アメリカには14,500ものダンススタジオがあり、コンテストの盛況は、ダンス人口の多さを表す一つであると報じられている。最後にあげるのはチェスで、毎年、数千人の小学生がチェスの全国トーナメントに申し込んでいる。米国チェス連盟の児童/生徒の会員数は、過去10年間でほぼ倍増し(Heisman 2202, 4)、現在は会員全体の半分以上を占めている。つまり約40,000人は子どもである。

各活動に対して、二つのフィールドサイト、アメリカ東北部のある主要都市の都市部と郊外で調査を行った。マルチサイトエスノグラフィー、複数の調査地点による民族誌学の手法を用いたのには、目的が二つある。第一に、さまざまな経験を持つ人々を包含し、サンプル内の幅を保証するためである。第二には、調査地点における回答の有効性を調べるためである。初期の調査地点は、子どもが参加する各活動の専門家達と相談した上で選択した。これらの初期のインタービューから得た知識をもとに、さらに他の調査地点を拡大したものである。

二つのチェスクラブ、メトロチェス(Metro Chess)とウェストカウンティチェス(West County Chess)のどちらも、集団レッスン、個人レッスン、チェスキャンプと定期的にチェストーナメントを開催する組織であるが、メトロチェスはウェストカウンティチェスよりはるかに競争的で真剣であり、発展している。ダンスフィールドサイト、Metroville Elite Dance AcademyとWestbrook Let's Dance Studioも同じパータンである。Metroville Elite Dance Academyは都会の環境にあり、郊外にあるWestbrook Let's Dance Studioよりずっと競争的である。また、私が調査したWestfield Soccer ClubとMetro Soccer Co-opは、前者は郊外に位置し、非常に競争的で、後者は都会にあり、競争よりも協力をより強調している。二者とも、様々なサッカーリーグに参加し、トーナメントに出場する競争的な「トラベル」サッカーチームを組織している。

2006年7月から6か月から9か月をかけてそれぞれの活動に対する集中的な観察を行った。関係者と非公式に話したり、トーナメントに出席したりして、大量のフィールドノートを取った。その間に私が会った親、コーチ、子どもに対して、一連の半構造的インタービューを行った。172人をインタービューしたが、その中の95人が親、37人が子ども、残りが指導者、コーチと管理者であった。私が会った小学校に通う年齢の子ども(6~12歳)のいる家庭では、すべての子どもが、チェス、ダンスまたはサッカーに関わっていた。


競争社会で勝つ資質を養う――競争的ハビトゥスの習得

これらのデータを分析する際、話の内容から着こなしまで様々なタイプの好みとして表出し、性向の体系と定義されるブルデューのハビトゥス(ブルデュー、2007)という概念を参考にした。私は、子どもが競争的活動への参加から得た教訓とスキルに対して競争的ハビトゥスと名付けた。親が子どもに身につけてほしいこのハビトゥスに関係する性格は、最終的に子どもの日常生活と将来を決定していくことになる五つのスキルと教訓の獲得に基づいている。

勝利の重要性を習得することが競争的ハビトゥスの最も重要な目的である。競争的な子どもの活動は、トロフィーや他の賞品を与えることによって、しばしば学習プロセスをも含め他のものをすべて犠牲にしても勝つという認識を強める。このような姿勢は、大学許可を求めるプロセスや他の教育に関係した環境(Attewell 2001)、加えて勝者が全てを手に入れる環境(Frank and Cook 1995)において成功をもたらすものである。多くの活動で、小さい子ども達には特別に参加賞を与えているが、注目されるのは誰が最も大きいトロフィーやもっとも重要な賞を勝ち取るかということである。

競争的ハビトゥスの2番目の要素は、敗北から次には勝利することを学ぶということである。このスキルは忍耐力や集中力、時にはスポーツマンシップを含むが、重要なのはいかに敗北から次回の勝利へ向けて立ち直るかということである。多くの大人たちは競争的ハビトゥスのこの側面を、平凡な表現または、チャールズ・ティリー(訳注:アメリカの著名な社会学者)の言う"コンベンション(慣習):慣習的に受け入れられる表現"で表す。つまり、「彼は立ち直ってゲームに戻ることを学ばなければならない」のようなありふれた表現である。

競争的ハビトゥスの次の二つの要素もよくある表現でまとめることができる。たとえば、「彼女は時間との戦いの中でどのように実力を発揮するかを学ばなければならない」、または「他のことはすべて無視しなければならない」。与えられた時間の中でいかにしてうまくやるかを学ぶのは重要なスキルである。試合、トーナメント、ダンスのステップには時間の制限がある。その上競技のスケジュールも過酷であり、たくさんのイベントが週末または短い一週間の間にぎゅっと詰め込まれている。親はしばしば、時間制限でどのようにパフォーマンスするかを学ぶことを、上の学校に進むのに関係してくる「ザ・ビッグテスト(Lemann 2000)」やSATのような標準試験に臨むに際しての将来の試練、さらには子どもが直面するあらゆる中間テストと期末試験まで広げて、関連付けて考える。また、子どもたちは適応することが求められる環境においていかに力を発揮して、競争するかを学ぶ。競争する環境は準備の際に予想していたよりも騒がしかったり、気が散るものだったり、寒かったり、広かったり、狭かったりするが、ライバルたち、特に勝者は適応方法を学習するのだ。その適応には子どもたちにある種の能力、つまりパフォーマンスや最終的な成功のみに焦点を当てる能力を求める。

このようなプレッシャーに満ちた競争の環境において、子どもたちのパフォーマンスは既定の基準や他者との比較によって判断され、評価されるのである。子どもたちは、特定の競争において他者のパフォーマンスと比較されて、また、その活動の他の同年齢の子ども達との比較において、その両方でランク付けされる。これらの評価は、非公開で個人的に受ける標準テストとは対照的に公開される。他者の視線のもとでパフォーマンスができること、競争的ハビトゥスの最後の要素であるが、これが子どもを強くし、失意や高揚感などの感情を表に出さずに、自身を有能で自信に満ち溢れた競争相手として見せるのである。

子ども達が長期的に成功することに親たちが焦点を合わせていると仮定すると、これは根本的には社会的再生産、あるいは、子どもたちを思って親がする決断がどのようにして世代を超えて階級構造を再生産する手助けをしているか、その過程についての物語である。社会学においては伝統的にこの問題は下から上への動きと捉えられてアプローチされてきたが、当論文は階級構造の上の部分に社会学的視点を設け、親や子どもたちがどのようにしてその階級にとどまることを学ぶのかを問うことが同じように重要であることを指摘しているのである。


競争的未来?

ダルトン・コンリーは、現代アメリカ人家族についての最近の論文で、「結局は子どもたちが他の指標以上に自身の階級のステータスを反映するため、親たちにとっての利益が高い」(Conley 2009, 154)、ゆえに、親たちは子どもたちが色々な点で秀でるように強要すると述べている。ステータスを追求して多くの親たちが子どもたちに前述した競争的ハビトゥスを身に付けさせ、子どもたちの心や体、ことばや他の性格を形作るのである。親たちはこれらの性格が他人に対して彼らの子どもたちが自信にあふれた競争相手であるということを示すものであり、それがまた、その子どもたちが競争の障害を乗り越え、頂点に向けて、将来にわたって家族の階級における現在のポジションを維持する準備を助けると考えているのである。

これらの競争的な子どもたちが学ぶことの1つが、失敗は選択肢になく、アメリカの社会においては「敗者」は見下されるということである。歴史学者のスコット・サンデージは、19世紀のアメリカにおいて失敗とは、の答弁において、野望や意欲が低いことはアメリカ人の感性に背くことであると説明している。もちろん、勝者より敗者となる確率は、特に、多くの家族が職や資産(子どもたちの大学資金を含む)を失うこととなった経済環境の激変下にあった2008~9年において、かつてなく高くなっているのである。

この不況の間に共通して繰り返されたのは、中流階級は危機にさらされ、崖っぷちにいるということである。一方において、家族は確かに現実の物質的制約にぶつかっているというのは私も同意するところである。しかしながら、アメリカにおいて個々の機関や教育、勤勉を前提とした一つの概念としての中流階級は、これまでよりも拡大している。子どもたちの競争的活動を創造し、助け、維持する機関、組織の設立は、子どもたちが彼らの階級でのポジションに組み込まれていく複雑な手段を物語る証拠の一つである。さらに厄介なことは、大部分において、これらの活動への参加は、子どもたちの属する階級身分によって既に階層化されているということである。

加えて、幼少期に行われるこれら全ての競争の長期的な心理学的影響がどういったものであるかは全くわかっていない。子どもたちが中学生、高校生、さらには大人になったときに、何が起こるのであろうか。彼らは競争的活動や学業、もしくはその両方で燃え尽きてしまうのではないか。他に心理学的な影響はあるのだろうか。

その年に生まれた全ての子どもたちが競争的活動への参加を一緒に止めることに一斉に同意するか、すべての大学が試験の点数のみを入試の評価基準とすることを宣言するか、そのどちらか一方でも実現されなければ、子どもたちの競争的活動への参加がなくなるのを期待するのは非現実的である。今後さらにどれだけ競争のプレッシャーが高まるのか、そして競争がどれだけ早まっていくのか現時点ではまだわからない。しかし、アメリカの文化において勝利が重要である限り、勝つための遊びは多くのアメリカ人の幼少期の中心的なものでありつづけるであろう。
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