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【カナダBC州の子育てレポート】第27回 児童の選択肢が重要視されるBC州のインクルーシブな教育

要旨:

BC州の公立校(小学校~高校)では授業の受け方、授業内容などにおいて児童の選択肢(Student Choice)が重要視されています。個人の学び方、学ぶスピード、学ぶ内容には、その児童にとってそれぞれの入り口と出口があってよいという考えが背景にあると思われます。複数学年のクラス、学習困難・障害のある児童も普通学級で受け入れるインクルーシブ教育、移民児童など、多様な児童を一つの教室で迎えながらこれを可能にするのは簡単なことではありません。たとえばどんな選択肢があるのかに触れながら、そこに垣間見た疑問点について、娘の話から感じたこと、実際に自分が現場で見た感想をレポートします。

キーワード:

個人に見合った学習、リテラシー、算数、カーペットラーニング、インクルーシブ、選択肢


<本稿について>
※CRN編集部より:インクルーシブな社会を目指すために、今年度は世界各国の子育て現場の事例を収集しています。日本で展開するインクルーシブ教育の現場の課題解決にヒントになればと願っています。
本コーナーでは、フィンランドカナダBC州ノルウェードイツNZ、インドなどの園や学校現場の取り組みをご紹介します。

BC州の公立校では昨今、児童の選択肢(Student Choice)を重要視する傾向にあります。個人の習熟度に合わせた学習をすること、複数年の混合クラスが存在することなどもその背景にあるのかもしれません。

ツールの選択肢

たとえば、公立学校のクラスには個人用の学習机がありません。あるのはテーブルで、テーブルを囲むように複数の椅子が配置されているため、児童は必ずしも教室の正面、つまり黒板や教員の方を向いて学習するとは限りません。椅子も、普通の椅子から、くるくると回転する椅子、ぐらぐら揺れる安定性のない椅子など、様々な種類の椅子があったりします。教員が立つ教壇もありません。盛んにおこなわれているのがカーペット上の学習(Carpet Learning)と呼ばれるもので、教室の一か所に大きなカーペットを敷き、そこに児童が全員集まって座り、インタラクティブに授業が行われる形態です。教員の立ち位置が、「教える」ではなく、「ファシリテーター」であることという背景が関係しているのでしょうか。

「子どもは個々の机に座って、教壇に立つ教員からの指導を受け、それに沿って学んでいく」という意識は教える側にもありません。カーペットの上に自由に座り、教員の読む本に耳を傾けたり、対話式な読み聞かせが行われたり、ナンバートーク(Number Talk)と呼ばれる算数の感性(math sense)を培う算数の授業を行ったり(第25回参照)、児童全員の意見に教員が注目したり、これから行われるライティングなどのアクティビティの説明を受けたりするなど、カーペットの上で全員が授業に参加する方法や内容は様々です。説明さえ受ければ、アクティビティをどこで行うかは児童に任されることも多く、児童は床に寝転がったり、テーブルの下に潜り込んだり、はたまた廊下に出て行うなど教室以外にも選択肢は広がっていて、どこでどのように学習するのかに対する自由度は高いです。

また小学校に限らず、こちらの学校では、一人で静かになれる場所(Quiet Corner)を設けている教室も多く、児童が集中できない、学習困難にある、休憩する必要があるなど、様々な理由からこの場所に身を置き、指で遊ぶおもちゃ(Fidget Toys)などを用いて気持ちが鎮まるまで授業から離れる、ということもあります。

また、先日娘の三者面談に出かけたら、教室にエアロバイクがありました。じっとしてられない児童用にエアロバイクでこぎながら本を読んだり、ノートに書いたりできるようなシステムだそうです。今では娘の学校のほとんどの教室に、ラーニングエイドとして導入されていると聞き、驚きました。

学習内容の選択肢

学習の内容に関しても児童の選択に任せることが多いです。たとえば、低学年のスペリング学習を行うにあたり、ノートやホワイトボード(黒板)に書いて覚えるようなことはあまりありません。粘土にアルファベットのスタンプを型押しする、白いクレヨンで画用紙に文字を書き、上からマジックペンで塗って文字を浮かびあがらせる、アルファベットの書かれたおはじきを板に並べる、針金に紙をまいたようなものをねじったり曲げたりして文字を作り出すなど、視覚や触覚に訴えてスペリングを学んでいく方法があります(何を選択するかは児童次第、また日によって用意される選択肢は変わる)。私自身は手で書き、目で覚えるという従来の学習方法に慣れており、それが自分にとっても最も効率がよいことを体感していますが、子ども、特に低学年の子どもにとって、この方法が効果が高いかどうかはわかりません。特に小さな子どもの視覚や触覚による記憶というのは私たちの想像を超えるものがあります。紙とペンがないことで記録としては残りませんが、記憶として残るのであれば学ぶ方法は一通りである必要はないという合理的な考えからでしょうか。

また、教科書がないことから児童全員が同じ教材を読むということはなく、低学年ではレベル分けされたグループでリーディング(Guided reading)という時間を設ける教員が多いです。レインボーテーブルという虹の形をした半円テーブルの片側に教員が座り、教員を取り囲むようにテーブルの反対側に同じレベル・グループの児童が並んで着席します。教員は児童のレベルに見合ったリーディング用の本を用意し、一人ひとりの読む練習に寄り添います。教員が1つのグループを見ている間に、他の児童はリーディング(電子書籍も含む)、ライティングなどを個々に自習します。算数を学ぶ教材もあり、読み書きと算数のスキル強化、いずれも個人のレベルに見合った学習内容を教員が提供する枠組みです。娘も「小学1、2年生」とレベル分けされたリーディング指導を受けていたようで、レベル番号が付いた本を自宅にも持って帰ってきて読むということを繰り返していました。小学3年生になってすぐにレベル分けされたリーディングのレベルを超えたため、その後はヤングアダルトを対象とした書籍へと移行しています。こうなってくると、もう教員の手助けはなく、本の内容理解を問うような設問を児童が自分で作ったり、答えたりするということも行われているようです。

また、ストーリー・ワークショップというライティングの学習形態があります。テーブルに並べられたテーマ(ビーチ、北極、ユニコーンなど)に沿ったルースパーツと呼ばれる素材から、児童は自由に素材を選び、それらを組み合わせて物語として組み立てることを目的としています。ストーリーを書くことが最終的な理想の目標であっても、この場におけるコンピテンシーの目標は、あくまで話を組み立てることであり、アプトプットは文字で記すライティングであっても、絵で描いたものであっても、あるいは口頭で素材を指さしながら誰かに伝える形であっても構わないということになります。

あるいは、小学校高学年(こちらでは4、5年生)の算数の場合、算数タスクカード(Math Task Card)というものが使用されることがあります。たとえば、割り算の練習をする場合に、使うタスクカードそのものに習熟度の違いが反映されています。もっとも難しい4桁割る2桁の割り算から、2桁割る1桁の問題、そして2桁割る1桁の割り算で割り切れる文章問題、といった具合にカードによってレベルが異なります。どのタスクカードを手に取り、何をどれだけ解答するかも児童が自由に選べます(ただし、最低2問は必ず解くなどの指示はある)。タスクは必ずしも一人で行う必要はなく、テーブルに複数のクラスメートと座ることで友人の助けを借りたり、先生に指導を仰ぐのも自由です。娘の在籍する小3、4年生のクラスでもこれを行っていて、娘もタスクカードの話をよくしてくれます。

選択肢を与えられる自由と責任

児童に選択肢が多く与えられるのは、好ましいことではありますが、当然ながら自分で選ぶという行為には責任が伴います。そのような責任感を低学年の頃から培うのはよいことなのかもしれませんが、責任という概念が理解し難い年齢では担わされている感も強く、「選択と責任の関係性に対して混乱することはないのだろうか」と私自身は疑問を抱くこともあります。

また、詰め込み式がよい、一律の授業がよいとは思いませんが、自由度が高過ぎるために学習に使われていない無駄な時間が増える気もします。たとえばカーペットラーニングですが、低学年の児童であるほど、机に座っているよりも隣の子とおしゃべりをしたり、手遊びをしたりという誘惑に負ける子は多く、教員の話に注意を向けずにカーペットのほつれを引っ張ったり、しまいには寝転がったりする子も出てきます。どのように座るかは児童に任されているとはいえ、明らかに話を聞いていない、あるいは他の児童の学習を妨げている場合には教員が注意を向けなければならず、そのたびに学習は中断されます。その注意の仕方も「グロースマインドセット(Growth Mindset)」と呼ばれる考え方に基づき、学習を妨げている児童を指摘するのではなく、学習に集中している児童を指摘して褒めることで、態度の改善を目指す工夫がされています。教員は教職課程で、学習に対する意識を育む方向性を保つように学んできているとはいえ、中断の頻度が増えれば、その効果よりも学習以外のことに時間がとられる点の方が私自身は気になってしまいます。

また、人間は楽な方へと流れていく性質をもっています。たとえば先ほどの算数タスクカードでも何をどれだけ学習するかにも自由が与えられているとすると、必然的に児童が自分にとって負担の少ない作業を選びがちになり、チャレンジする精神が失われるのではないかという心配が生まれます。学習効果は個人にとって少しだけチャレンジを強いられるときにもっとも引き出されるという点を考えると、せっかくの機会と時間が失われるのではと思うからです。

教員の負担

そしてこれらを総じて見えてくるのが、教室を担当する一人の教員への負担です。学習には様々な入り口があり、出口があってよいという考えは理想です。多様な背景、複数学年、学習障害、英語(外国語)学習者なども含めたインクルーシブな環境で児童が学ぶという点にも大きなメリットがあります(第11回参照)。ただ、それを実現するには20人、30人という児童に対して教員一人が相手をするのでは手が回らないだろうというのが、これまでに娘の話を聞いたり、実際に自分で現場を目にしてきた私自身の感想です。

そこで助けとなるのがEA(Education Assistant)と呼ばれる教員補助員の存在ですが、補助員はBC州では重度の学習障害(自閉症、ADHD、身体障害など多岐にわたる)がその程度によってランク付けされ、州から配分される学区への予算がそのランクの高い順から決定されます。この予算が潤沢とは言えず、一つの学校が雇える補助員の人数は、毎年厳しい問題であると指摘されています。

児童に自由な選択肢が与えられ、自分の責任を理解し、誰しも学習の入り口と出口があり、インクルーシブな環境で学べるというのは素晴らしいです。ですが、理想を実現させようとする現場の実情と、州政府等の理解や制度作りには大きなずれがあるのかもしれないとBC州の学校教室環境を見聞きして感じています。



  • 1971年に建築家サイモン・ニコルソンが「ルースパーツ理論」を提唱した。おもちゃだったり、自然の素材、布やボタンなど日常に使う小物などの素材で、動かしたり、デザインし直したり、作り直したりすることができるものを使うと、創造したり発明する機会、発見の可能性が、その数だけある、という考え方。想像力をかき立てるツールとして授業に取り入れられており、テーマ設定のないまま提供されることもある。

筆者プロフィール

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高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年秋、それまで15年ほど住んでいた京都からカナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、2018年には内陸オカナガン地方へと移住。現在、カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者(英日)[E-J Certified Translator, Society of Translators and Interpreters of British Columbia (STIBC), Canadian Translators, Terminologists and Interpreters Council (CTTIC)]として 細々と通訳、翻訳の仕事をしながら、子育ての楽しさと難しさに心動かされる毎日を過ごしている。

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