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【実録・フィンランドでの子育て】 第12回 フィンランドのインクルーシブ教育(1)

要旨:

この連載では、教育・福祉先進国と言われ、国民の幸福度が高いことでも知られるフィンランドにおいて、日本人夫婦が経験した妊娠・出産・子育ての過程をお伝えしていきます。フィンランドに暮らすって本当に幸せなの? そんな皆さんの疑問に、実際の経験を踏まえてお答えします。第12回の今回は、フィンランドにおけるインクルーシブ教育について、その根底にある考え方や歴史的背景などについてご報告します。

キーワード:

フィンランド、インクルーシブ教育、特別支援、教育、福祉

<本稿について>
※CRN編集部より:インクルーシブな社会を目指すために、今年度は世界各国の子育て現場の事例を収集しています。日本で展開するインクルーシブ教育の現場の課題解決にヒントになればと願っています。
本コーナーでは、フィンランド(本稿)、カナダBC州ノルウェードイツNZ、インドなどの園や学校現場の取り組みをご紹介します。

近年、「インクルーシブ教育」という言葉を耳にする機会が増え、その意味を理解する人も増えてきているのではないかと思います。インクルーシブ教育とは、性別や人種、障害の有無や家庭の社会経済的・文化的背景にかかわらず、全ての子どもが同じ学校で等しく教育を受けることができることと広く定義されます。日本は2014年に、フィンランドは2016年に障害者権利条約を批准し、その他多くの国と同様、インクルーシブ教育を教育施策として推し進めることとなりました。「インクルーシブ教育を進めていく」ということは世界共通の目標ではありますが、その概念的定義や進め方は、その国の文化的歴史的背景や、経済、法律などさまざまな要因に影響され、大きく異なっています。筆者は、臨床心理士として特別な支援を要する子どもたちと関わってきた経験から、フィンランドのインクルーシブ教育に興味をもち、研究してきました。そこで、フィンランドのインクルーシブ教育について、数回にわたりお伝えしたいと思います。今回は、フィンランドのインクルーシブ教育の根底にある考え方と歴史、インクルーシブ教育の対象は誰なのかについて考えていきたいと思います。

根底にある考え方「ソーシャル(社会)モデル」

ソーシャルモデルとは、個人がもつ障害(ここでいう障害とは、身体的な機能障害の意味の障害に限らず、社会参加する上での障壁を指します)は、個人の問題ではなく、個人に障害を負わせている社会あるいは環境の問題であるとする考え方です。ソーシャルモデルに発展する前までは、障害はメディカル(医学)モデルで捉えられてきました。すなわち、障害とは個人の身体的、機能的問題であり、それを治療や訓練することによって、社会に適応できるようにするという考え方です。もちろん、メディカルモデルが悪いというわけではありません。治療や訓練で本人が生きやすくなるのであれば、医学の力を借りることはとても重要なことです。しかし、障害を「個人が克服しなければならないもの」「本人(およびその家族)の問題」と考えるのは違うのではないか、という考えから、ソーシャルモデルが生まれました。

フィンランドでは、このソーシャルモデルに基づいて、インクルーシブ教育が進められています。フィンランドのインクルーシブ教育について調べ始めて一番驚いたことは、フィンランドでは、特別な支援を学校やデイケア(保育園)で受けるために医師や心理士の診断や意見書が必要ない、ということでした。もう日本でも状況は変わっているかもしれませんが、少なくとも私が臨床心理士として勤務していた10年前までは、特別な教育的支援を必要とする子が何らかの支援(例えば、加配*1の人をつけてもらう、通級*2に通うなど)を受けようと思った場合には、医師の診断や心理士の発達・知能検査の結果が必要だったからです。私も心理士として、お子さんが支援を受けるための意見書を書いてきました。しかも病院や心理士のいる支援センター・教育センターは予約がなかなか取れないのが日常茶飯事で、数ヶ月待ち、ということもよく耳にしました。予約が数ヶ月取れないということは、それだけその子への支援も遅れるということです。「今」支援が必要な子たちが数ヶ月待たなければいけないというのは、聞いていても辛い状況でした。

フィンランドでは、ソーシャルモデルに基づいているため、その子が「医学的に障害と診断されるかどうか」は支援を提供するかどうかを決める上では絶対条件ではありません(もちろん必要に応じて医師や心理士がアセスメントに入ることはあります)。フィンランドの通常学校では、クラス担任をもたない特別支援教員が常駐しているため、担任と特別支援教員、子どもと親とで困りごとを話し合って、支援が必要となれば、すぐに支援が開始されます。ソーシャルモデルを軸に考えると、困り事やつまずきがある、ということはすでに社会参加への障壁の現れであり、できる限り早期にその障壁がなくなるよう介入する、そこに医学的診断がつくかどうかは、極端なことを言えばあまり関係ない、といえるのです。

 
フィンランドのインクルーシブ教育の歴史

フィンランドに限らず、「北欧」というと教育や福祉が手厚い、というイメージをもつ方も多いかと思います。上述したように、フィンランドでは通常学校にクラス担任をもたない特別支援教員が常駐しているなど、人的・物理的資源は日本と比べ充実している印象を受けます。しかし、フィンランドが障害者権利条約を批准したのは、2016年です。「そこから急ピッチでこのような体制を整えてきたの?」と疑問に思う方もいるかもしれませんが、そういうわけではありません。

1950年代にデンマークで発祥したノーマライゼーションという考え方は、フィンランドを含む北欧を中心に世界各国に広がっていきました。さらに、1970年代には、これまでドイツなどに見られるような小学4年生から学術コースと職業訓練コースに分岐する学校制度だったものを、全ての子どもが小学校と中学校の9年間、同じ学校で学ぶ学校制度へと、大きな転換を行いました。

ここで焦点となったのが、これまである程度、学力やスキルで分けられてきた子どもたちが、一つの学校で学ぶにあたり、その多様性にどう対応するのか、ということでした。そこで開始されたのが、各学校にクラス担任をもたない特別支援に特化した教員を常駐するという方策でした。クラスに何らかのつまずきや教育的支援が必要そうな子どもがいた場合、クラス担任は特別支援教員に頼んでその子どもをアセスメントしてもらったり、その子の苦手な分野だけ取り出して個別または小グループで指導してもらったり、特別支援教員にも授業に入ってもらってコ・ティーチング*3をするという実践が行われるようになりました。

さらに2011年には、教育基本法の改定に伴い、これまでの通常支援と特別支援という二段階の考え方から三段階支援というシステムを導入することとなりました(こちらについては、今後また改めて詳しく紹介します)。このように、フィンランドでは、サラマンカ宣言や障害者権利条約の批准を行う以前から、インクルーシブ教育を行う素地があったと言えるかと思います。

インクルーシブ教育は誰のためのもの?

日本でインクルーシブ教育の話をする際は、「障害や病気のある子をどのようにインクルージョンするか」に焦点が当てられていることがほとんどではないかと思います。実はフィンランドでも、主に障害のある子をどうインクルージョンするか、という議論が中心でした。上述したように、ユネスコなどで定義されているインクルーシブ教育は性別や人種、障がいの有無や家庭の社会経済的・文化的背景にかかわらず全ての子どもが対象であるはずなのに、なぜでしょうか。両国に共通するのは、すでに男女平等に教育を提供することが定着していて、かつ他国に比べて移民が少ない、ということかもしれません。こちらで研究を始め、様々な国のインクルーシブ教育研究者と話す機会を得て、インクルーシブ教育の定義や対象、苦慮していることは、その国の背景によって非常に異なるということを知ることができました。

例えば、移民の数がフィンランドと比較して多いオーストリアでは、異なる文化的背景や言語をもつ子どもをどうインクルージョンするか、が大きな課題になっているそうですし、まだ女子が平等な教育的機会を与えられていない国では、どのように男女平等に教育の機会を保障するかということが課題になります。そこには、その国の宗教的な価値観や歴史、文化なども複雑に関わり合っているため、インクルーシブ教育について「これが正解」という答えはないのだな、と改めて実感しました。その国の様々な背景を考慮し、独自のインクルーシブ教育を作り上げていくプロセスがインクルーシブ教育と言えるのではないかと思います。

一方で、そもそも「インクルーシブ教育」という言葉を使いたくない、あるいは便宜的に使っている、という研究者もいます。インクルードする、という議論を始めた時点で、そこにはエクスクルードされている側とインクルードする側という立場が生まれてしまうからです。そうではなくて、「全ての子どもに良い教育を提供することがインクルーシブ教育なんだ(Good education for everyone)」ということを言う研究者や、「特別教育ではなく、教育は全ての子どもにとって特別なんだ(Not special education but education is special for all)」と言う人もいます。インクルーシブ教育は誰のためのものなのか、日本にはどのような背景があって、どのように私たちなりのインクルーシブ教育を展開していくのか、海外の事例から学びながら日々考えています。


*1 配置基準より教員や職員を多く配置すること。
*2 小・中学校において、通常学級に在籍している軽度の障害のある児童生徒に対し、その障害に応じた特別な指導を別の場で行うこと。
参照記事:長田 有子「第12回 通級による指導に活用できる、デジタルメディアを取り入れたSST(ソーシャルスキルトレーニング)の紹介」チャイルド・リサーチ・ネット
https://www.blog.crn.or.jp/lab/04/12.html
*3 ティーム・ティーチングが主に授業を主導するT1とそれを補佐するT2という形に役割を分けることが一般的なのに対して、コ・ティーチングでは二人の先生が等しく授業の指導に責任をもち進める形のことを言う。


参考文献

  • Mitchell, D. (2005). Introduction: Sixteen propositions on the contexts of inclusive education. In D. Mitchell (Ed.), Contextualizing inclusive education: Evaluating old and new international perspectives (pp. 1-21). London: Routledge.
  • Savolainen, H. (2009). Responding to diversity and striving for excellence: The case of Finland. Prospects, 39, 281-292.
  • UNESCO. (2009). Policy guidelines on inclusion in education. Paris, France: UNESCO.
  • Yada, A. (2020). Different processes towards inclusion: A cross-cultural investigation of teachers' self-efficacy in Japan and Finland. JYU dissertations.
    https://jyx.jyu.fi/bitstream/handle/123456789/67827/978-951-39-8073-3_vaitos_2020_02_28.pdf?sequence=1

筆者プロフィール
Akie_Yada.jpg
矢田 明恵(やだ・あきえ)

フィンランド・ユヴァスキュラ大学博士課程修了。Ph.D. (Education)、公認心理師、臨床心理士。現在、ユヴァスキュラ大学およびトゥルク大学Centre of Excellence for Learning Dynamics and Intervention Research (InterLearn) ポスドク研究員、東洋大学国際共生社会研究センター客員研究員。
青山学院大学博士前期課程修了後、臨床心理士として療育センター、小児精神科クリニック、小学校等にて6年間勤務。主に、特別な支援を要する子どもとその保護者および先生のカウンセリングやコンサルテーションを行ってきた。
特別な支援を要する子もそうでない子も共に同じ場で学ぶ「インクルーシブ教育」に関心を持ち、夫と共に2013年にフィンランドに渡航。インクルーシブ教育についての研究を続ける。フィンランドでの出産・育児経験から、フィンランドのネウボラや幼児教育、社会福祉制度にも関心をもち、幅広く研究を行っている。
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