CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 研究室 > インクルーシブ教育 > 【インクルーシブな社会の実現を目指して】インクルーシブ保育とは、あらゆる子どもにとって生活の選択肢を増やすこと

このエントリーをはてなブックマークに追加

研究室

Laboratory

【インクルーシブな社会の実現を目指して】インクルーシブ保育とは、あらゆる子どもにとって生活の選択肢を増やすこと

中文 English

東京都羽村市にある「太陽の子保育園」では、日本にインクルーシブ保育がまだ浸透していなかった10年近く前から、園長の大庭正宏先生を中心にインクルーシブ保育に手探りで取り組んできました。どのような思いから出発し、これまで具体的にどういった実践を重ねてきたのか、CRNの榊原洋一所長が大庭園長にうかがいました。

lab_13_01_01.png   lab_13_01_02.png
大庭正宏
(社会福祉法人陽光福祉会 太陽の子保育園園長)
榊原洋一
(CRN所長)
あらゆる子どもが生活をしやすい環境づくりを追究

榊原:大庭先生とは、10年近く前に、私がお茶の水女子大学で開講していた社会人ゼミに参加していただいて以来のお付き合いです。日本の保育は一人ひとりに寄り添って豊かに伸ばしていくという伝統があり、その考え方はインクルーシブに近いと言えます。しかし、現実には課題が多い中で、太陽の子保育園ではとても自然なインクルーシブ保育を実践されています。

大庭:ありがとうございます。本園では、発達障害などのある子どもに対して特別なケアを行うというより、どの子どもも生活しやすい環境づくりを大切にしています。もともとは療育の場で用いられる手法を特定の子どもに適用することから始めましたが、多くの場合、その手法はどの子にとってもよいと気づき、次第に保育全体で実践するようになりました。一般的な園では見られない環境も一部にありますが、全体的にはみんなが同じように生活していて、特別な取り組みには見えないかもしれません。

榊原:今の大庭先生のお話は、インクルーシブの本質だと感じます。日本では、インクルーシブが何らかの配慮を要する子どもに特別なケアをすることだと捉えられる場合がありますが、それは少しずれていると思います。大庭先生の実践のように、障害の有無などにかかわらず、誰もが自然に過ごせる環境こそ、インクルーシブと言えるはずです。大庭先生がインクルーシブ保育に目を向けられた経緯をお聞かせください。

大庭:本園の前身は、私の母が設立した小さな保育所です。私自身は以前、塾の講師や運営をしていましたが、母が亡くなった後、園を継ぐことになり、短大に入学して保育を学びました。そうして保育に携わり、保育の専門性について考え始めました。塾は様々な学力の子どもが集まり、どの子どもに対しても結果を出すことが求められます。それと同じように、子どもを選ばずに対応できることこそ、保育者の専門性ではないかと考えるようになりました。当初はインクルーシブとは考えておらず、発達障害などをもつ子どもに手探りで対応し、榊原先生のゼミにも参加して勉強をさせていただきました。

障害は環境との接点で生きづらさを感じるときに発生する

榊原:塾からスタートしているご経歴がとても興味深いです。学校教育では一律に同じ目標を目指しますが、塾では様々な学力やタイプの子どもをまず受け入れ、それぞれのニーズを満たすことが求められる、いわばサービス業ですよね。確かに塾における専門性は、保育と共通するものがありそうです。

大庭:榊原先生のゼミで学んだことでもありますが、障害について理解が深まるにつれて、障害とはその子の特性だけで決まるのではなく、環境との接点において生きづらさを感じるときに発生するのだと捉えるようになりました。つまり、子ども自身が障害を感じない環境を整える必要が、まず大人の側にあります。そうした考えから出発してインクルーシブについて意識して学び始めました。

榊原:大庭先生の実践には、フィンランドを視察した経験も活かされていますよね。

大庭:はい。インクルーシブについて学べば学ぶほど、どこか絵空事のように感じてしまい、それを日常として展開するフィンランドの実践を一度体感してみたいと思ったのです。コロナ禍の前まで、2年に1回のペースで計4回訪れました。間を空けて継続して訪問すると、実践の内容が大きく変化しているのが分かります。「あれは○○州の研究で効果が否定されたから、今はこうしている」などと次々に取り組みを刷新している様子がとても面白かったですね。現地で園や学校を視察する中で、インクルーシブ保育はあらゆる子どもや保育者にとってメリットが大きいと実感して、本園でも取り入れました。

「逃げる」ことから自分と向き合えるようになる

榊原:大庭先生がインクルーシブ保育を実践する上で大切にされている考え方を教えてください。

大庭:最も大切にしていることの1つは、子どもに「逃げ方」を教え、実際に逃げられる環境を用意することです。子どもが自分の特性について知り、しんどい場合は逃げてもよいと理解し、実際に逃げる方法が分かっていると、パニックを起こしそうになる前に、少し冷静になって自分の置かれた状況に対応できるようになっていくからです。

榊原:「逃げる」という考え方は、非常に子ども中心であり、インクルーシブを考える上での重要なキーワードの1つですね。

大庭:そう思います。本園には、集団生活にしんどさを感じたら1人になれる「リソースルーム」を設置しています(写真1〜3)。そこに子どもを連れて行き、「しんどいときはここで過ごしていいんだよ」と伝えると、次第に安心できる場所があると分かり、心に余裕が生まれます。すると、子どもが自分で、「周りが気になるから行ってくる」と理由を説明したり、「給食はみんなと食べたいから、時間になったら呼んでほしい」と要望を伝えたりすることができるようになります。そうした経験を重ねるうちにリソースルームを利用する回数が減り、パニックを起こすことが少なくなっていきます。それは、自分の気持ちをモニタリングして、本当につらいときにはリソースルームを利用しようと判断できるようになるからです。最初は物理的に逃げることから始まり、次第に自分の気持ちと上手に向き合えるようになっていきます。

lab_13_01_03.png 写真1 いつでも1人で過ごせるリソースルーム。最初は保育室内に段ボールでつくったが、子どもがより落ち着いて過ごせるよう、押し入れを改造したり、空きスペースに壁を取り付けたり、空間を有効活用して設置している。この写真は、保育室内に設置されたリソースルーム。ほかの子どもの雰囲気を感じながら1人で過ごせる。

lab_13_01_04.png 写真2 保育室から離れた階段スペースにもリソースルームを設けた。ついたてで仕切っており、1人の空間で過ごせる。

lab_13_01_05.png 写真3 廊下に設置したリソースルームは、最も静かな環境で1人になれる場所だ。

榊原:子どもが自分自身を理解して対処する力を身につけていく過程がとても伝わってきます。自分と向き合える場所があるからこそ、安心して状況に対応できるというのは、本当にその通りですよね。小学校などにも、子どもが自主的に一時避難をできる空間が必要ではないかと感じました。

大庭:本園にリソースルームは3か所あります。初めは保育室内に設けましたが、もう少し静かになれる場所が必要だと思い、廊下と階段スペースにも設置しました。「1人になりたいけど、ほかの子どもの雰囲気も感じていたい」「静かな環境で、完全に1人になりたい」など、子どもが自分の気持ちや状態に応じて使い分けています。1人の子どもが1日の中で別のリソースルームを使う様子も見られます。

子どもの目に入る情報を可能な限り減らす

大庭:各保育室に数個ずつ置いている「イヤーマフ」も、子どもが逃げられるようにする環境の1つです(写真4)。主に聴覚過敏の子どもが周囲の音を遮断できるように置きましたが、面白いことに、ほかの子どもたちも積み木や読書に集中したいときの耳栓代わりにしたり、変身アイテムにしてみたりと、自然な形で使うようになりました。

lab_13_01_06.png 写真4 イヤーマフは、音の刺激に敏感な子どもが、周囲の雑音を遮断するために使う。ほかの子どもが積み木やパズルなどに集中したいときにも自由に使っている。

榊原:特定の子ども専用のものと決めてしまうと、きっと周囲から浮いてしまうこともあるでしょう。皆が使えるようにする配慮がとてもよいですね。

大庭:環境整備では、「減らす」ことも意識しています。作品や壁面装飾に囲まれると、情報過多で落ち着かなくなる子がいるからです(写真5)。まずは極限までそぎ落として、本当に必要なものを検討しています。さらに保育室内の物を収納するスペースはカーテンで目隠しをするなどして、なるべく子どもの視界に入る情報を減らしています(写真6)。

lab_13_01_07.png 写真5 視覚情報が多すぎないよう、保育室内の掲示はできるだけシンプルに。子どもの作品は、保護者が見られればよいので、子どもの視界に入らない高さにつるしている。

lab_13_01_08.png 写真6 収納スペースはカーテンで隠して、中の物が子どもの目に入らないようにしている。

榊原:視覚過敏の子どもなどへの配慮として、掲示物を減らす必要性は以前から指摘されています。なかなか園で広がらないのはなぜでしょうか。

大庭:保護者に子どもの作品を見せる目的もあると思います。当法人の別の園では、保育室内の掲示を極力減らし、代わりに廊下をギャラリーにして、子どもの作品を展示していますが、これは主に保護者に向けたものです。また、子どもだからかわいらしい装飾を喜ぶかというと案外そうでもなく、保育者が頑張って制作をしても、たいてい数日で飽きてしまいます。掲示をするなら、ある程度の力強さのある作品が必要と考え、別の園では、「保育園美術館」と称し、武蔵野美術大学と共同で、子どもと話し合ってアート作品を選んで展示する試みを行っています。

障害の有無にかかわらず、あらゆる子どもの選択肢が広がる

大庭:時間や空間の「構造化」も心がけていることの1つです。時間の構造化とは、時間の流れを見えやすくすることです。例えば、どの年齢でも朝の会で、1日の流れを分かりやすい言葉で説明し、絵カードをホワイトボードに掲示して、いつでも確認できるようにしています。聴覚と視覚の情報を併用して伝達することで、多くの子どもの理解を支え、活動の場面をスムーズに切り替えられるようにするためです(写真7)。絵カードは、場面を細かく分け過ぎると逆に分かりづらくなったり、終わった順にカードを隠さないと混乱をしてしまったり使い方がなかなか難しく、クラスによって工夫をしています。

lab_13_01_09.png 写真7 1日の流れを確認できる絵カード。文字情報だけでは理解しづらい子どもが、見通しをもてるようにしている。年齢に応じて、場面の分け方や絵柄などの工夫をしている。

大庭:子どもが時間の流れを把握しやすいよう、タイムタイマーも必需品です(写真8)。子どもによっては、事前に終了時間を伝えても、次の場面にスムーズに切り替えられず、パニックを起こしてしまうことがあります。タイムタイマーを使うと、残り時間が減っていく感覚を持ちやすく、子ども自身で時間管理ができるようになります。

lab_13_01_10.png 写真8 時計の横にタイムタイマーを設置。残り時間が減っていく様子が視覚的に把握できる。終了時刻にアラームが鳴る。

榊原:空間の構造化というと、どのような事例がありますか。

大庭:子どもの動線を目に見えるようにすると、安心して行動しやすくなります。例えば、物の置き場所に写真を貼っておくと片付けをしやすくなったり、トイレの入り口の床にスリッパのマークを付けておくとスムーズに出入りができたりします(写真9)。

lab_13_01_11.png 写真9 空間の「構造化」の一例。トイレの入り口の床にスリッパのマークを付けておくことで、整頓を意識しながらスムーズに出入りができるように促す。

榊原:実に様々な取り組みを展開されていますね。一つひとつが試行錯誤によって生み出された、素晴らしい実践だと思います。

大庭:インクルーシブ保育を目指す本園の様々な実践は、あらゆる子どもにとって生活の選択肢を増やす取り組みと捉えています。選択肢が増えると、障害などの有無にかかわらず、誰にとっても過ごしやすい環境になります。例えば、視覚過敏の子どもを想定して掲示物を減らしていますが、クリエイターが周囲の雑音をシャットアウトしてクリエイティブな思考を生み出すように、ほかの子どもにとっても集中をしやすい環境が生み出されます。また、療育では肯定的な言葉がけが大切だとよく言われますが、それはどのような子どもにとってもプラスになるはずです。

榊原:インクルーシブ保育とは、障害などのある子どもが定型発達の子どもの側に入れるように配慮をするものではなく、一人ひとりが伸び伸びと生活できる範囲を拡張していく試みであること、そしてその対象は決して障害などのある子どもに限られず、あらゆる子どもが含まれることが、大庭先生の実践から伝わってきました。

筆者プロフィール
Masashiro_Oba.jpg 大庭 正宏 (おおば・まさひろ)

学習塾の副代表を経て、社会福祉法人陽光福祉会理事長兼太陽の子保育園園長。2012年より続けているフィンランドの保育園視察で学んだインクルーシブ保育をモデルに、東京都羽村市にて運営している2つの保育園にてその実践に取り組んでいる。さらに、児童発達支援事業所「発達支援Kiitos羽村」を通じてインクルージョンを地域へと広げる活動を行うとともに、白梅学園大学では非常勤講師としてインクルーシブ保育に関する講義を担当している。


sakakihara_2013.jpg 榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。小児科医。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「はじめて出会う 育児の百科」(小学館)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)、「子どもの発達障害 誤診の危機」(ポプラ新書)、「図解よくわかる発達障害の子どもたち」(ナツメ社)など。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

研究室カテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP