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【カナダBC州の子育てレポート】第28回 インクルーシブ教育、英語学習者にまつわる点を中心に

要旨:

カナダは移民国家であり、ここ数年、移民の受け入れ数をさらに増やしています。これは英語を母語としない人たちがこの地に暮らし、英語以外の言語を家庭言語としている子どもたちが多く学校に通っていることも意味します。このレポートでは、英語学習者(English Language Learner:ELL、English as a second language:ESL)を通常クラスに受け入れるためのインクルーシブ教育の方法を見ながら、実はそれが英語学習者だけではなく、全ての児童生徒にとって選択肢が増え、学習にメリットの多い、インクルーシブ教育であることに注目した上で、BC州のインクルーシブ教育について、日本との違いや実践の難しさなどに触れました。

キーワード:

インクルーシブ教育、英語学習者、ELL、ESL、多様性


<本稿について>
※CRN編集部より:インクルーシブな社会を目指すために、今年度は世界各国の子育て現場の事例を収集しています。日本で展開するインクルーシブ教育の現場の課題解決にヒントになればと願っています。
本コーナーでは、フィンランドカナダBC州ノルウェー、ドイツ、NZ、インドなどの園や学校現場の取り組みをご紹介します。

インクルーシブ教育という言葉を耳にして、「身体的あるいは精神的障害による学習障害・困難のある児童・生徒を普通学級に受け入れること」というイメージを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。長く特別支援学校や特別支援学級という隔離の形式が存在してきた日本で育った私の中のインクルーシブ教育のイメージもそうでした。実際、文部科学省によるとその定義として「障害者の権利に関する条約第24条によれば、『インクルーシブ教育システム』(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な『合理的配慮』が提供される等が必要とされている注1とあります。

現在私はカナダのBC州に暮らし、娘は現地の公立小学校に通っています。BC州のインクルーシブ教育もまた、もともとは上記のような定義のもとに始まったのかもしれませんが、すでにこういった認識からは、かけ離れている気がします。「第11回 多様性への対応を見据えたインクルーシブ教育」と題したレポートでは、Inclusion BCという非営利団体が作成した図を示し、BC州のインクルーシブ教育の目指す「インクルーシブ」とは、障害の有無だけでなく、英語を母語としない学習者であるか、あるいはジェンダーの違い等、何かを基準に分け隔てていたものから分け隔てをなくす方向へと移行し、生徒児童個人のあらゆる面における違いである多様性を受け入れることを目標としていることを紹介しました。この点で、インクルーシブ教育を考えていく上でのそもそものスタート地点が、日本のそれとは異なってきているのではないかとも述べました。

つまり、BC州では上記の文部科学省にある定義の「人間の多様性の尊重等の強化」の点に重きが置かれているのです。これはカナダが1971年に多文化共生主義を唱えた移民国家であるという背景、また、2016年に行われたカリキュラム改革で「各児童生徒の長所とニーズに応じた学習の個別化を実現するために必要な柔軟性を教員と児童生徒の両方にもたせる」注2こととも関係しているのではないかと筆者は考えます。

カナダの移民受け入れ数は年々増加していて、2021年には過去最多の40万5000人を受け入れ、2025年までにはこの数を50万まで増やす予定だとカナダ移民局(IRCC)局長が発表しています。現時点(2023年6月)での移民の数はカナダ人口全体の4分の1にもなるとのこと注3。つまり、この国には英語を母語としない人が多数暮らし、家庭で英語以外の言語を使用している子どもたちが学校に通っていることを意味します注4。今回のレポートでは多様性を見据えたインクルーシブ教育の中でも、特に英語学習者に焦点を当てます。

かつて私が高校生でカナダに1年間の留学をした際には、ESL(English as a Second Language)というクラスが存在し、英語を母語としない短期および長期留学生や移民の生徒には、同じ英語学習を目的とした集団として、普通クラスとは別の英語学習の時間というのが設けられていました。隔離された(Segregation)スタイルです。現在ESLはEAL(English as an Additional Language)となり、英語を母語としない児童生徒はELL(English Language Learner)へと呼び名が変わり注5、英語学習をサポートする教員が英語の補助を必要とする児童・生徒のいる教室に入る、または少しの時間だけ児童・生徒を普通クラスの教室から取り出してサポートする形態に変わってきています。実際にELLを通常クラスに受け入れたインクルーシブな教室づくりではどんなことが可能なのでしょうか。

Jennifer Gonzalezは自身のブログ「Cult of Pedagogy」の中でELLを教室に受け入れる12の方法について話しています注6。文部科学省の言葉を借りるのであれば、ELLに対する「合理的配慮」に該当するであろうこれらは、よくよく考えてみるとELLにとってだけの配慮ではないことがわかります。

たとえば、話し言葉による指示から情報を拾うことに時間がかかる英語学習者に対し「指示をなるべく視覚に訴えるものにする」。実際のライティングの授業の中で出された一連の指示(1.テーマを決める。2.絵を描く。3.言葉で説明する。4.絵に色を塗る。5.ペアでフィードバックする。6.バインダーにしまう)は、例えば低学年の子どもにとっては、長く複雑です。私自身がELLであることも影響しているかもしれませんが、自分の子育ての経験からも、このような工程をその順番通りにこなす、すべての工程を一度の指示で理解・記憶することはELLでなくても難しいのではないでしょうか。それならば、ホワイトボードに番号を書き、その隣に絵を添えながら順序立てて説明することで、フローチャートのようにやるべきことを視覚化します。これはELLだけでなく、ADHDや自閉症、学習障害などを抱えた学習困難者、その他の児童生徒にとっても有効です。学びの途中で指示がわからなくなっても、視覚化されたものを確認することで、問題を自分で解決することができます。教員にとっても、何度も説明する手間やフラストレーションから解放される、メリットの多いアプローチです。

また、「グループワークを増やす」というやり方は、21世紀を担っていく全ての子どもたちに培われるべきコラボレーションスキルを育ててくれます。これはELLのために限らず多くの教室で全ての児童生徒のために実践されている学びへのアプローチです。これまで重要視されてきた、正確かつ速い計算力のようなスキルはコンピューターが解決していく時代へと世界は変わってきており、思考や協力、問題解決の力というものが今後大切になってくるからだと言われていいます注7

こういったグループワークには、リソース教員注8やELL教員がつき、少人数で学びが行われることで、ELLにとって他の生徒児童との横のつながりでの言葉の練習になるだけでなく、少人数グループに参加したすべての学習者に大人の目が行き届くメリットも生まれます。ELLの子どもが言葉を発しない時期を認識する、母語の使用を許可する(たとえば、ライティングなど英語で書ける部分は英語で、書けない部分は母語でもよしとする)などの12の方法には、英語学習者にとって特有なものだけでなく、よくよく見てみると教室における誰にとってもメリットがあり、決してデメリットにはならない配慮が含まれています。全ては多様な児童生徒への対応につながるからです。

ここBC州では教育の現場で必要なのは、平等性(Equality)ではなく、公平性(Equity)であることが重要視され、公平さの例として「バンドエイド、包帯、ギプスのうちどれが必要なのかは個人によって異なる」という表現をよく聞きます。この公平性を提供することは、手助けを必要としている児童生徒だけでなく、周囲の多様な児童生徒にも好影響を及ぼすことが分かっており、学業面だけでなく、実社会を学んでいく上での精神面でも役立っているというのです。

CRNに掲載されている大庭正宏先生と榊原洋一先生の「インクルーシブな社会の実現を目指して」と題したインクルーシブ保育の記事の中でも「誰にとっても少し余裕のある環境を追求する」「あらゆる子どもにとって生活の選択肢を増やすこと」として同様の内容が詳細に指摘されています。

なぜ日本では保育以外の教育現場ではこういうことがより難しく、BC州ではそれが可能なのでしょうか。移民国家であるためにELLの児童生徒が多いことだけでなく、カリキュラムの改革もあるのではないかと最初に述べました。2016年に改革されたカリキュラムでは、学ぶ内容や方法に対し、大幅な自由が教員にも児童生徒にも与えられている印象を受けます。学習目標を達成するために、個人に見合った方法を児童生徒が選ぶ自由と責任があり、教科内容の習得ではなく、大幅に「コンピテンシー」を基盤としたカリキュラムであるということを第25回でも触れましたが、解決していくスキル、コラボレーションするスキルなどの学習目的の到達方法等にも重きが置かれています。これに加え、生徒児童が自らの意思と選択で学ぶ責任を担う(Student Agency)、ユニバーサルデザインを目指した授業を行う(UDI)注9、児童生徒の多様性に応じた指導をする(Differentiation)注10といった教室を作るよう、教員は教職課程で教育を受けます。

BC州には日本社会のように受験が存在しないということも影響が大きいのではないでしょうか。教科書が存在し、暗記が重要となる漢字文化があり、中学、高校、大学受験があり、学習のプロセスやコンピテンシーではなく、教科内容の習得を目指して教員が教壇に立ち一律な授業をする限り、インクルーシブ教育というのは非常に限られた部分でのみ可能なことなのかもしれないと筆者は感じています。また、BC州の昨今の教室内ではELLを始めとして学習困難な児童生徒の数が増え、その割合が8割にも上ると言われています注10。そもそもの「通常クラス」の「通常」の意味が移り変わっているのが現状であり、平均を目指す教え方では授業が成り立たないのです注11

とはいえ、BC州のインクルーシブ教育が完璧だとは到底言えません。「第27回 児童の選択肢が重要視されるBC州のインクルーシブな教育」では、教室内における児童全員の選択肢に大きく焦点を当て、インクルーシブ教育の実際の現場の難しさや疑問点について述べました。受験は存在しませんが、高校での成績が大学進学を定めるため、小中高で行われている4段階のゆるい評価注12から高校1年生で突如として評定のような数値評価が現れます。また、大学の授業は知識の詰め込みや暗記力が問われるなど日本の高校の授業と似ている点もあり、点数によって評価がつき、その評価は厳しいものが多いのです。それ故、こちらの大学では入学は難しくなくとも、卒業することがとても難しいと言われています。結局のところ、教科内容を暗記して、それが大きく点数へと反映される教育方法は、日本だけでなくこちらにも存在するのです。BC州のインクルーシブ教育の中にいる娘の様子を見聞きしつつも、高校・大学と日本の受験を経験した筆者自身は今、BC州の大学にも在籍し、さらにはBC州の教育現場に立ち始めたので、この切り替えが高校生になった生徒にとって、よいのかどうかはすぐに答えを出すことができません。大学に進学した後にも精神的に苦しいとなると、本当にこれでよいのでしょうか。

 

筆者プロフィール

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高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年秋、それまで15年ほど住んでいた京都からカナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、2018年には内陸オカナガン地方へと移住。現在、カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者(英日)[E-J Certified Translator, Society of Translators and Interpreters of British Columbia (STIBC), Canadian Translators, Terminologists and Interpreters Council (CTTIC)]として 細々と通訳、翻訳の仕事をしながら、子育ての楽しさと難しさに心動かされる毎日を過ごしている。

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