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【データで語る日本の教育と子ども】 第6回 「貧困の連鎖」を防ぐには―大学進学をめぐる日本の現状

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日本における「貧困」問題

2014年、日本国民はある一つのニュースに衝撃を受けました。それは、子どもの6人に1人が貧困の状態にあるというものです。この年に厚生労働省は、平均所得の半分に満たない世帯で生活する18歳未満の子どもが2012年に16.3%となり、過去最悪を更新したと発表しました(図1)。この数値は、2015年に実施した調査では13.9%と改善しましたが、依然として高水準であることに変わりなく、OECDに加盟する国のなかでも上位に位置します。

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日本は今まで、「一億総中流」社会と言われてきました。とびぬけて裕福な人は少なくても、ほとんどの国民が一定の生活水準以上で暮らしていると感じています。内閣府の「国民生活に関する世論調査」でも、9割は自分の生活水準について「中流」だと回答しています。この傾向は1960年代から現在に至るまでずっと変わっていません。また、日々の生活の中では、住居や食べ物がなくて困窮している人を目にするわけでもありません。そのようななか、気づかないところで貧困状態にある子どもが増えている現実に、私たちは愕然としたのです。

しかし、その兆候は以前から表れていて、教員たちは、経済的に困窮する家庭が増えていることを肌で感じていました。それは、就学援助を受ける子どもの増加です。学校では、1990年代の後半から就学援助の対象となる子どもが大幅に増えています。家庭の収入が少ないために学校での学習にかかる費用の支援を受ける子どもは、1999年以前は8%を下回っていましたが、2011年には15.6%と倍増します(図2)。これは、冒頭に紹介した国民生活基礎調査の結果とほぼ一致していて、40人のクラスに6人くらいが在籍する計算になります。

さらに、研究においても、家庭の経済状況や文化的な背景によって「教育格差」が生まれている実態が明らかにされてきました。これまで日本では、優れた教育が平等に行き渡ることで、貧富の差が縮小していると考えられてきました。本人の能力と努力によって学校でよい成績を収めれば、貧しくても社会的な成功を得られるという信念を、日本人の多くは共有していたのです。

ところが、2000年代に入ってからの研究は、その信念を砕くものでした。私が専門とする教育社会学の研究では、子どもの成績や進学に家庭の経済や文化による格差があること、社会的な成功を目指す意欲にも階層差があることが明らかにされています。そして、近年、その格差が広がっていることが実証されています*1。そこで示されているのは、学校教育が貧富の差を縮小する効果(平等化機能)よりも、再生産したり拡大したりする効果(格差拡大機能)のほうが大きい可能性です。豊かな家庭の子どもは教育を介した地位の上昇や維持が容易なのに対して、貧困に陥った家庭では子どもに十分な教育を与えることができません。その結果、格差が広がりやすくなるということです。

政治がこうした状況にまったく無策だったかというと、そうではありません。2013年には「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が衆参両院において全会一致で可決され、2014年には「子供の貧困対策に関する大綱」が閣議決定されます。大綱では、子どもの貧困に関する指標を具体的に定め、関係省庁が連携して対策を総合的に推進することが明記されています。そこには、学力保障や教育費負担の軽減、保護者の生活や就労の支援、経済的支援など、格差を是正するための多様な観点が盛り込まれています。さらに、2019 年5月には「大学等就学支援法」が成立し、2020年から低所得世帯を対象に授業料の減免や奨学金の支給が行われることになりました。

大学進学をめぐる格差

このような努力は継続されるべきですが、しかし、まだ十分とはいえない現状があります。大学への進学をめぐる格差も、その一つです。

わが国では、高等教育にかかる費用が高いために、貧困にある子どもたちが大学に進学しにくい実態があります。図3は、高等教育にかかる費用をだれが負担しているかについて、国ごとに対GDP比で示しています。これを見ると、日本の高等教育費用の支出はOECD諸国のなかでほぼ中央に位置していますが、私費負担が大きく、公費負担が小さいことが分かります。対GDP比での公費負担は最低レベルであり、国は十分な支出ができていません。 その分、家庭の負担は増えることになります。大学の入学金や授業料などのほかに、受験や入学準備にかかる費用、下宿の住居費や生活費などを加えると、1000万円を超えることは珍しくありません。子どもが複数いる家庭では、さらに負担は重くなります。自分たちが理想とする数の子どもがいない夫婦にその理由をたずねると、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」という回答が多く返ってきます(国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」)。教育費が高すぎるというのは、国民の多くが共有する認識といえます。

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それでは、実際に大学への進学は、世帯年収によってどれくらい異なるのでしょうか。図4は、高校3年生に卒業後の進路をたずねた結果を世帯年収別に示しています。わが国の大学・短大進学率は6割弱なので、調査対象の母体は進学者が多いことに注意が必要です。しかし、世帯年収による進路の違いは明らかで、年収が低いほど「専門学校」や「就職」が、年収が高いほど「大学」や「進学準備」が多い傾向が表れています。「大学」と「進学準備」を合わせた比率は、年収が「1000万円以上」の世帯では90%を超えますが、「300万円未満」の世帯では50%を下回ります。年収の低い家庭の子どもは、高等教育を受ける確率が相対的に小さいのです。

さらに加えると、同じ大学進学者のなかでも、年収が高い家庭の子どもほど、難関大学に進学する傾向が見られます。たとえば、東京大学が実施している「学生生活実態調査」によると、学生の出身家庭の世帯年収は明らかに高い層に偏っています。学費が安いはずの国立大学だからといって、収入が少ない家庭の子どもが進学しているわけではありません。

背景にある家庭環境の問題

この問題が厄介なのは、単純に経済的な要因だけが大学進学を左右しているのではないという点です。おそらく、大学教育が完全に無償になっても、世帯年収による進学機会の格差は残ると思われます。それは、家庭の文化的な環境に違いがあるからです。

まず、世帯年収が高い保護者は、全体的に学歴が高い傾向があります。そのような保護者は、学校の文化に親和的であり、教育を受けること、そこでよい成績を上げることの価値をよく理解しています。図5は、それを示しています。

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図5の上は、「できるだけいい大学に入れるように成績を上げてほしい」と子どもに願うかどうかをたずねた結果です。これを見ると、年収が低い保護者ほど否定的な回答が多く、年収が上がるにつれて肯定的な回答が増える様子がわかります。同様に、下の図は、「多少無理をしても子どもの教育にはお金をかけたい」かどうかをたずねた結果です。やはり、年収が高い世帯では、肯定率が高くなっています。

このように、世帯年収と教育に対する意識には相関があり、それは実際の行動にも反映されます。相対的に見て低年収層は、教育に熱心ではない保護者が多く、子どもへの教育的な働きかけや学校外の教育投資などに消極的な傾向が見られます。その結果、子どもは大学進学に対する意欲を高めることができず、学習を回避し、成績を低下させ、大学に進学しない進路を選択していくのです。

構造的な課題としてとらえるべき

保護者の社会経済的な地位(Social-economic status)と子どもの進路選択の関連を考えるとき、ポール・ウィリス(Paul E. Willis)が著した『ハマータウンの野郎ども』(原題 "Learning to Labour: How Working Class Kids Get Working Class Jobs")が参考になります。この研究は、1970年代のイギリスを舞台にしたものですが、学校教育を通じた階層の再生産という重要なテーマを扱っています。

この先駆的な研究では、労働者階級の子どもたちが、学校教育(=中産階級の文化)を否定することで既存の社会体制を再生産してしまう逆説的な仕組みが存在することを明らかにしています。注目したいのは、「野郎ども」が自ら落ちこぼれ、進学しないことを積極的に選択しているという点にあります。彼らはその選択によって工場(自由のない牢獄のような職場)に就職し、最終的には社会のシステムのなかに取り込まれていきます。その牢獄から抜け出せる道は「教育」しかないのですが、それに気づいたときは手遅れ、というわけです。

日本ではそれほど階級が明確ではなく、文化的な衝突は顕在的ではありません。この点は、ウィリスが描いた時代のイギリスとは異なります。また、高校卒業者(もしくは同等の者)のすべてに大学進学の機会は開かれており、一見すると平等です。だからなおさら、貧困にある子どもたちが大学に進学しないのは自らの選択の結果だと、子ども自身も周囲も思いがちです。しかし、彼らが「非進学を選択」するのは、彼らに高等教育の価値が伝達されにくく、進学意欲が冷却されやすいようなメカニズムがあるためかもしれません。

選択の責任を彼らに帰するだけではなく、家庭環境や学校教育が複雑に影響する構造的な課題としてとらえるべきだと感じます。そして、学校教育がそれに加担しないように、貧困にある子どもたちへの格段の配慮が必要です。教育が貧困という牢獄を脱する道の一つであることを彼らに教えるのは、社会にとっても大きなメリットをもたらします。

貧困の連鎖を断ち切る

わが国では急激な少子高齢化を迎えていることに加えて、国民の生産性がなかなか高まらないという課題があります。それでは、国力が維持されません。いくつかの先進国では、同種の問題を抱えています。この問題を解決するには、切れ目のない出産・子育て支援(とそれに並行する働き方支援)と教育の充実が重要だと考えられます。貧困の連鎖は、そのいずれに対してもマイナスの影響を与えます。

冒頭で、日本では子どもの貧困率が高まっている状況を紹介しました。この状況を放置すれば、将来のさらなる少子化と社会の不活性を生むことになるでしょう。まず、貧困の状態では、結婚して子どもを産み、育てることが困難になります。さらに、教育によって格差が再生産される状況では、その利益を享受できないと感じる層は積極的に教育を受けようとしなくなります。それらは、社会全体での生産性の低下や、社会保障などのコスト増加を招くと考えられます。

貧困の連鎖を断ち切ることは、出自によって成否が決まるのではなく、能力と努力によって成果を上げれば正当に報われる社会を創ることにつながります。これは、近代社会が理想とする原則です。私たちは、そのような理想に近づけているのでしょうか。日本だけではなくすべての国や地域が、この問題に真剣に取り組まなければならない状況と言えるかもしれません。


※大学進学には、家庭の経済的な要因と文化的な要因が複雑に影響しており、貧困の家庭の子どもは大学進学機会が得にくい状況があります。このことを、次の論文でまとめました。よろしければ、参考にしてください。
木村治生、2019、「低所得世帯の高校生の進路選択 ―パネルデータを用いた『貧困の連鎖』に関する検討―『チャイルドサイエンス』18号、p.15-20。


  • *1 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』有信堂、2001年。
筆者プロフィール
Haruo_Kimura.jpg 木村 治生(きむら・はるお)

CRN主席研究員、ベネッセ教育総合研究所主席研究員。
ベネッセコーポレーション入社後、子ども(乳幼児~大学生)、保護者、教員を対象とした意識や実態の調査研究、学習のあり方についての研究、教育市場(産業)の調査などを担当。文部科学省や経済産業省、総務省から委託を受けた調査研究にも数多く携わる。東京大学客員准教授(2007年、2014~16年)、追手門学院大学客員研究員(2018年~)、横浜創英大学非常勤講師(2018年~)、文部科学省「中高生を中心とした子供の生活習慣づくりに関する検討委員会」委員(2013年)、「中高生を中心とした生活習慣マネジメント・サポート事業」における選定委員会委員(2017年)、光り輝く「教育立県ちば」を実現する有識者会議委員(2014年)、富山県学力向上対策検討会議アドバイザー(2014年)、草加市子ども教育連携推進委員会専門部会委員(2014年~)など。専門は社会調査、教育社会学。
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