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子どもの課題を貧困の視点から考える

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1.はじめに

子どもの貧困と大人の貧困には、どのような違いがあるのだろうか。どのような年齢であっても貧困は過酷なものであるが、とくに子どもの貧困が大人の貧困よりも痛々しいのは、たとえ困窮状態から脱したとしても、発達期に被った負の影響から、場合によっては一生免れることができないことにある。栄養不足に陥れば健全な発達が阻害される。愛情が剥奪されれば自我の形成にゆがみが生じる。学力に著しい遅れが出れば、それを挽回するのは難しい。すなわち、子どもの貧困は、現在だけではなく、未来にも影を落とす。その点が子どもの貧困と大人の貧困の大きな違いである。

また、子どもは大人と違って、貧困から抜け出す術をもたず、ただその困難な環境に甘んじるしかない。もちろん、大人の場合も貧困から脱するのは、本人の努力だけでは難しいが、子どもの場合はなおさらである。その意味からも、私たちの社会は、貧困状態にある子どもたちを救うべく、さまざまな手段を講じる必要があるだろう。

この10年近く、にわかに貧困について語られることが増えてきた。そのことによって、長い間放置されていた子どもの貧困を再発見するための視座が提供され始めている。子どもを貧困状態から救い出すためには、これらの言説を一過性のものにとどめることなく、多くの人々が社会常識として共有化していくことが求められるだろう。

2.日本の子どもの6人に1人は貧困状態

そもそも、貧困とはどのような基準に基づいているのだろうか。OECD(経済協力開発機構)は、「等価可処分所得」の中央値の半分以下の値を貧困線として、それ以下の生活を「貧困」と定義している。等価可処分所得とは、所得から支払うことが義務とされる税金と社会保険料を差し引いた額、いわゆる手取り収入を世帯の人員数で調整したものである。日本の貧困線は、年によって多少変わるが、4人家族で年収250万円あたりになる。

この貧困率の定義は多くの国際機関や研究者に用いられており、先進諸国の貧困を測る上では、一般的なものである。この考え方をもとに、17歳以下の子どもについて、貧困状態にある子どもが子ども全体の何%いるのかを測った数字が子どもの貧困率である。

厚生労働省が発表した日本の子どもの貧困率は、2009年の時点で15.7%、約6人に1人が貧困状態ということになる。2009年に民主党政権が子どもの貧困率を初めて発表したときに、14.2%(2006 年時点)が大変ショッキングな数字として取りざたされたが、さらにその値は上昇しているのである。

2012年5月に、国際連合のユニセフの研究所が、先進諸国における子どもの貧困率について、国際比較の結果を発表している。この発表によれば、日本の子どもの貧困率は、OECD35か国中、9番目に高い値を示している。日本は世界第3位の経済大国でありながら、子どもの貧困率もきわめて高いのである。

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図1 貧困率の年次推移(厚生労働省:平成22年国民生活基礎調査)

注:1)平成6年の数値は、兵庫県を除いたものである。
2)貧困率は、OECDの作成基準に基づいて算出している。
3)大人とは18歳以上の者、子どもとは17歳以下の者をいい、現役世帯とは世帯主が18歳以上65歳未満の世帯をいう。
4)当価可処分所得金額不詳の世帯員は除く。

3.バブル期にも貧困率は高かった

これらの貧困率は長引く景気の低迷の中で発表された数字のために、経済の停滞の証しのように思われがちだ。「不況なのだから仕方がない」「苦しいのは子どもだけではない」という、あきらめ気分も漂っている。しかし、実は、過去においても日本の子どもの貧困率は諸外国に比べて高かったのである。1985年には10.9%、バブル期の1988年においても12.9%、小泉政権下の好景気の時代にも14%を超えていた。日本の政治は景気の良し悪しにかかわらず、貧しい子育て家族に冷たい政策を執り続けてきたのである。

子どもの貧困率というのは、先のOECDの定義で見た通り、相対的な手取り収入の比較によって測られる。すなわち、その国のGDPとかかわりなく、子育て世帯の経済環境や社会のサポートのあり方によって異なる数字なのである。

ユニセフの統計によれば、世界で2番目に貧困率が高いのは、世界1位の経済大国であるアメリカ(23.1%)である。同じ経済大国であっても、ドイツ(8.5%)、フランス(8.8%)は日本よりも貧困率はずっと低い。子ども手当や教育の無償化などの福祉政策が充実している。フィンランド(5.3%)、ノルウェー(6.1%)、デンマーク(6.5%)、スウェーデン(7.3%)などの北欧諸国では、さらにその値が低くなる。

4.子どもの貧困率は改善できる

国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩は、日本の子どもの貧困の特徴として、政府による貧困削減効果の少なさを挙げている。すなわち、再分配前と再分配後で子どもの貧困率がほとんど改善されることがないというのである。再分配前と再分配後というのは、政府が国民から受け取った税金や社会保険料を、生活保護や児童手当などの社会保障給付として国民に返す前と後という意味だ。ふつうは再分配後には、その値が改善されて、貧困率が低くなるのが普通なのに、日本の子どもの貧困率はほとんど改善されない。子ども手当が支給される以前の自民党政権下では、再分配後に上昇さえしていた。つまり、日本社会は国民が収める税金や社会保険料を、ほとんど高齢者福祉などに使ってしまって、子育て家族には見返りを与えていなかったことになる。

また、阿部彩は、母子家庭の貧困率が突出していることも、日本の子どもの貧困率の大きな特徴のひとつとして指摘する。日本の母子家庭の貧困率は約6割にもなるが、先進国でこのような国は日本だけである。日本の雇用は仕事に応じてではなく、会社に従属することを条件とする身分雇用であることが通例なので、育児に時間を割かれる母親たちの安定した就労の場は、限られてしまう。母親たちの多くは、パートやアルバイトなどの安い賃金で、昇給もなく、いつ首を切られるかもわからない不安定な雇用形態で働いている。厚生労働省の平成23年全国母子世帯調査によれば、母子家庭の平均就労年収は181万円に過ぎない。これは父子家庭の平均就労年収である360万円の約半分の値である。

さらに、近年は若年層の貧困が問題になっている。総務省統計局の労働力調査によれば、15歳から24歳の若年層の非正規雇用者率は、男性45%、女性は55%と、10年前の2倍以上になっている。これらの事情から若年層の婚姻率が急激に下がるとともに、若くして子どもをさずかった夫婦の多くが、貧困に苦しむ状況にあろうことは、想像に難くない。

これらのことからわかるのは、子どもの貧困率というのは、政府の政策や国の制度、社会のあり方を変革していけば、改善できる数字だということである。貧困対策の処方箋は経済成長、市場の活性化しかないというのは偽りであって、その社会が何を大切にするのか、何を優先するのかの価値観に負っているのである。

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図2 子どもの相対的貧困率
(ユニセフReport Card 10-先進国の子どもの貧困)

5.子ども学に貧困という視点を

ところで、私たちのように「子ども学」について学ぶものにとって、子どもの貧困について考えるのは、どのような意味があるのだろうか。

私は編集者として、長年子どもの問題を論じる雑誌を編集してきた。そして、現在は日本子ども学会の事務局長として、学会の運営全般に携わっている。この20年近く、教育学や発達心理学、小児医学の先生方と、さまざまな子どもの課題について話し合い、雑誌で特集を組み、シンポジウムや講演会を開催してきた。しかし、それらの課題について貧困の視点からとらえようとしたことはほとんどなかった。

しかし、ここ数年来子どもの貧困が、にわかに論じられるようになり、それらの研究者たちの著作を読むにつけ、実は、過去に扱った子どもの課題の多くは、貧困という視点が欠けていたために有効な論議にならなかったのではないかという思いにかられている。例えば、不登校、虐待、非行、低学力などのテーマに貧困という視点を加味すれば、もっと実態に即した奥の深い議論ができたのではないかと、残念に思っている。

6.貧困が論じられにくい理由

子どもの課題を論じる際に、貧困というテーマが浮上してこなかった理由はいくつかある。ひとつは、貧困と子どもの課題を結び付けるのは、貧困家庭を追い込んだり、貧困家庭の排除につながる恐れがあるので避けるべきだという暗黙の了解があったためだ。とくに教育関係者はそのようなことに敏感だった。近年になって、学力と経済力についての社会学的な調査結果が発表され、「貧困の連鎖」という言葉が一般的にも語られるようになったが、そのような発想をもつことは長くタブー視されてきた。

また、貧困家庭のことを研究・調査するのは、大変手間暇のかかることである。家計の様子を細やかに聞き出すことはプライバシーの観点から難しいし、貧困家庭と決めつけられることや子どもの課題を貧困と関連づけて語られることに、怒りさえ覚える親もいることだろう。貧困問題をメインテーマとして研究している社会学者や児童福祉の立場から日常的に貧困家庭に接している現場寄りの研究者でもなければ、なかなか貧困というテーマを扱うのは難しい。

ただ、ほとんどの研究者は、そのような明確な理由によるのではなく、たんに貧困者のイメージそのものが希薄なのだと思う。もともと大学の研究者は、成育歴において貧困家庭と接点を持つ人は少ない。長い教育期間を経て、大学院まで出て、高等教育機関の教員になるためには、豊かな親の経済力が必要とされる。また、子ども時代は成績優秀で、進学校に進み、後にも高学歴の友達に囲まれて育った人がほとんどのはずだ。たとえ子どもの課題を前にしても、そこで極貧の家庭の様子や、低学歴の親たちのことが、自然と意識に上るという人はまれなのではないだろうか。さらに教育学や心理学が設定するのは、最低限の経済環境は確保されている平均的な子ども像なので、ますます貧困家庭の子どもは意識から遠のいていく。

7.排除される先進国の貧困者

実は、この意識に上りにくいというのは、貧困の本質に深くかかわっている。とくに先進国の貧困を考える上では重要になる。

よく、日本の貧困者が増えているといっても、途上国の貧困に比べればはるかにましなはずだ、という問題提起をする人がいるが、実は先進国の貧困の方が、途上国の貧困よりも過酷な面もあるのだ。

例えば、途上国では、貧困者はあふれかえっている。道には、さまざまな物乞いがいて、暗がりには娼婦がいる。子どもたちは旅行者を土産物屋に導いて、チップをもらおうと画策する。飢えた人間はレストランの間を回って、パンのかけらをもらおうと試みる。そこら中に貧しさが蔓延していて、隠されることもないし、貧しいという理由だけで、排除される者は少ない。

しかし、先進国では貧しさは見えにくく、排除されやすい。豊かな社会では、貧困は特殊なことであって、できれば目を背けたい事象であり、みんなの共通課題ではないのだ。とくに、日本社会のように清潔と同質を重んじる社会では、貧困者は貧困であることを明かしにくい。貧しさそのものではなく、貧しさを恥じることで、命を絶つものまでいる。

例えば、目の前にごちそうを食べている人がいながら、飢えた自分には、まったく与えられないどころか、そばに寄ることさえ許されず、余った食べものはごみ箱に捨てられてしまう社会。それに対して、みんな激しく飢えてはいるが、食べ物を取り合う競争には堂々と参加できる社会。どちらも過酷であるが、その厳しさの質は違っている。

すなわち、先進国では途上国よりも貧困者を社会から排除しようとする圧力は強い。貧困に陥って生活が破たんした人間は、労働から、制度から、家族から、社会から排除されて行き場を失う。そして、普通に生活する人たちの意識の中から消去されてしまうことにもなる。そして、その子どもたちも親同様の危うさにさらされているのである。だからこそ、私たちは意識的に子どもの貧困をこれからも問題にしていくべきなのである。

8.貧困の見えにくさを超えて

元内閣府参与で、ホームレス支援の活動を続けている湯浅誠は、「問題や実態がつかみにくい"見えにくさ"こそが、貧困の最大の特徴だ」と述べている。そして、「貧困を見る、可視化するとは、同時に目に見えないその人の境遇や条件を見る、見るように努力するということを不可欠に含んでいる」とも述べている。

貧困というのは、経済的な困窮だけではなく、貧困から派生するさまざまな課題も抱え込む。そのために、生活上のトラブルの原因は貧困ではなく、本人の人格上の問題へとすり替えられたりする。そして、社会から救済の手を差し伸べられるのではなく、排他的な扱いを受ける場合さえある。例えば、親が生活に汲々としているために子どもがネグレクトの状態にあっても、単に不潔な子ども、だらしのない子ども、頭の悪い子どもというように負のレッテルを貼られるだけの場合もある。

児童福祉の世界では、「困った子どもは、困っている子ども」という優れた考え方がある。

子どもの課題について論じる際には、つねに困った子どもの存在が浮上するはずである。その時に、子どもの貧困という視点をもつことで、同じ問題がまったく違ったものに見えてくる場合もあるのではないだろうか。

私たちはそのような想像力を今後も鍛えていく必要があるだろう。


この記事は、小児歯科臨床2012年12月号(第17巻第12号)の連載「小児歯科医が知っておきたい子ども学Ⅱ」の第2回を転載したものです。


参考文献

筆者プロフィール
木下 真 (日本子ども学会事務局長、CRN外部研究員)

日本子ども学会事務局長。CRN外部研究員。フリーライター。1957年生まれ。早稲田大学第一文学部人文学科卒業。1993年-96年子どもの学際的な研究誌『季刊子ども学』(ベネッセコーポレーション)の企画編集に携わる。障害者のための就職情報誌『クローバー』スタッフライター。現在、震災復興についてのテレビ番組のリサーチを担当。
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