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【インドネシア】インドネシアの幼児教育現場における男性教諭

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幼稚園教諭養成課程で教壇に立ち13年になるが、私のクラスに男性の生徒がいたことは殆どない。幼児教育の現場は、どの国においても長らく女性の領域とされてきた。男性が不足しているのは、言うまでもない。しかしこの状況が、自然なこととして受け入れられてきた。

何となく常識的に、幼児教育は母親業の延長であるとみな感じている。それ故、幼児教育の現場においても、子どもたちを教育するのは女性がいいと考えられることが多い。結果的に男性教諭は、いつの時代も非常に珍しい存在であった。とはいえ、今世界中で、男性教諭を幼児教育現場に取り込むことを勧める動きが広がっている。これは、研究者、政府筋、非政府組織など様々な方面から広がっている。こうした動きをしている団体には、オーストラリアの男性幼児教育者ネットワークグループ(Males in the Early Childhood Network Group)、ニュージーランドで幼稚園教諭養成課程への入学希望者に奨学金を提供するチャイルド・フォーラム(ChildForum 2014)、欧州委員会保育ネットワーク(European Commission Network on Childcare)などがある(Piburn 2010)。他に、国レベルで促しているのは、ノルウェー(Hauglund 1998)、デンマーク(Peeters 2007)、ベルギー、EU、イギリス、韓国(Piburn, 2010)などである。またNGOでは、スコットランドとアイルランドのメン・イン・チャイルドケア(Men in Childcare[MIC])、マラウィのムプンズィーロ財団(Mphunziro Foundation)、ケニアの国立ECEセンター(National Center for Early Childhood Education[NCECE])、アメリカとアルゼンチンにあるメン・ティーチ(MenTeach)、アメリカの全米幼児教育協会(National Association for the Education of Young Children)、カナダのメン・イン・ECEマニトバ支部(Manitoba Chapter of Men in Early Childhood Education[MECE-Manitoba])などがあげられる(Piburn, 2010)。また世界規模で、幼児教育に携わる男性をサポートするワーキンググループ(Working Forum on Males in Early Care and Education[WF MECE])がワールド・フォーラム財団内にある。

インドネシアでは、このように公的に男性の参加を促す組織はまだ存在しない。しかしながら、幼児教育現場で男性教諭の数は2001年の1.95%から2010年の3.34%と増加している(Central Education Statistic 2009/2010)。幼稚園教諭の指導者、教授として筆者自身も、研修現場で度々多くの男性研修員を目にすることが増えてきた。ジェンダー学を研究してきた身として、幼児教育は女性の専売特許という認識が圧倒的に多い中でも、何故インドネシアの男性の多くが幼児教育に興味をもつのか、知りたかった。そこでオーストラリアのメルボルン大学で、2013年から始めた博士課程の研究テーマにこれを据えた。実際の調査は、インドネシアの2都市(バンドン、ジョグジャカルタ)における草の根レベル~中規模の幼稚園計5園で、合計38本のインタビューと2か月にわたる現場観察を行った。本稿は、ジョグジャカルタの園において、筆者が1か月の参与観察の間に男性教諭4名、女性教諭4名、保護者4名および園の経営陣にインタビューをした、エスノグラフィック(民族誌的)調査にのみ基づいている。また、幼児教育行政に携わっており、今までに直接的に男性教諭とかかわりのない政府関係者3人にもインタビューをした。その幼稚園を選んだのは、多様性を育む方針を掲げており、男性教諭をあえて採用している数少ない園の中でも、教員の性別のバランスを取ろうと努力していたからである。本稿では、まず幼児教育現場における男性に対する社会的認識の分析について、まだ進行中ではあるが共有したい。更に、調査の現場で出会った中で、その幼児教育に対する心温まる姿勢に最も感銘を受けた男性教諭を紹介したい。彼が思う男性らしさの解釈を通して男性としてのロールモデルとなることで、社会の期待に応えられるということを示してくれた。

インドネシアにおいて支配的な「男性らしさ」への意識とは

インドネシアは、宗教的にも文化的にも非常に多様な国である。しかしながら、ジェンダーに関する覇権主義的な考えが公的機関、メディアや宗教的講話を通して強化されている。このジェンダーに関する覇権主義的な考えをコドラット(kodrat)と呼ぶ。この言葉自体は、アラビア語を語源としており、神の創造物がもつ不変的で先天的な特徴を指している。しかしながら、コドラットの解釈については、文化的価値に左右される。異性愛規範がインドネシアでは主流の価値観であるが、それがコドラットのジェンダーに関する解釈に影響を与えている。したがって女性性と男性性は、異性愛規範の家庭内における女性や男性の役割を基盤としている (Dewantara 1961, Kartodirdjo, Poesponegoro, and Notosusanto 1977, Yafie 1999)。第一に最も大切な女性の役割は、子どもの母として、保育者として、教育者としてのものである。彼女たちからすれば、男性にはリードしてもらい、養ってもらい、守ってもらうことを期待している。必然的に、男性は良きリーダー、大黒柱、庇護者のようなステレオタイプ的特徴を備えることを要求されている。そのステレオタイプに含まれる資質としては、理性的でしっかりしており、自制心があり、肉体的にも強く、経済的に安定していることが含まれている。

異性愛規範性においては、異性愛者の男性の方が同性愛者の男性や女性よりも優位だと位置づけられている。 男性らしさは、女性らしさや同性愛と対立するものとして定義されている(Seidler 2006)。女性的な特徴を見せたり行うような男性は、インドネシア語で異性装という意味のバンシ(banci)として非難されることが多い。バンシは大抵、社会の「クズ」としてみられ、更生の対象とされてしまう。したがって、男性は大体、「バンシ」とみなされるようなリスクのある行為は避ける。エリック・アンダーソン(2009, p. 7)はこのような文化を「ホモヒステリア」文化と呼んでいる。

幼児教育現場にいる男性を見る社会の目

西洋社会において、女性の領域内で少数派として存在する男性教諭は、否定的な烙印を押され、その「男性性」について疑われることも多い (Sargent 2005, Sumsion 1999参照)。 インドネシアの男性教諭も、同じような事態に直面している。インドネシアの中央ジャワで行われたスヤタノによる調査(2004)では、幼児教育現場にいる男性は、男らしくない、あるいは女々しいと認識される、との結果を示している。筆者の継続中の調査では、スヤタノの研究結果を確認しつつも異議を唱えることも意図している。幼児教育現場にいる男性教諭と交流があったり、見たことがある人は、男性教諭を女々しいとは認識していないが、幼稚園で男性教諭を見たこともなければ交流したこともない人は、スヤタノ研究(2004)で見られたような認識をもつ傾向にある。認識の違いはあれど、殆どの回答者は、男性に女らしさはない方が良く、あった場合には、否定的に扱うべきだと考えている。

インドネシアにおける男性の女らしさを敬遠する動きは、何も新しいものではい。とはいえ、2014年3月にジャカルタの名門インターナショナルスクール幼稚園で起きた児童への性的虐待事件は注目を集め、社会にモラル・パニックを引き起こした(JIS事件)。この事件は、6歳の息子が学校の清掃職員5人(男性4人、女性1人)に性的暴行を受けたことに母親が気付いたことで明るみに出た。そして更なる出来事が重なり、事件は拡大した。別の保護者が、自分の子どもも学校の敷地内で男性教諭に性的虐待を受けたと主張したのだ *1。裁判により、清掃職員5人は有罪となったが、2015年、教諭による事件の有罪判決は覆された。裁判の判決がどうであったかにかかわらず、国民の不安はそれにより誘発され、幼児教育現場で働く男性教諭に対する世間の目に影響を与えた。モラル・パニックとは、特定の集団や社会の人々(この場合は子ども)を社会全体で守るという名目で、ステレオタイプから発せられる非難対象(この場合は男性)に対する語りや敵対心、誇張された認識から起こるものである(Goodeおよび Ben-Yehuda 2009)。「ホモヒステリア」文化において、最も非難されやすい対象は、異性愛規範に従わない男性である(Anderson 2009)。したがって、幼児教育現場のように女性の多い職場で働く男性は、女らしく、同性愛の傾向があると疑われ、最悪の場合、子どもへの性的虐待者の予備軍のように見られてしまう。

モラル・パニックの出現に関する本稿の結論は、筆者が保護者や政府関係者、男性の同僚である女性教諭へのインタビューや、実地調査前に男性らしさについてインターネット上の議論などから分析した内容から導きだしたものである。多くは、不安を正当化するのにJIS事件を拠りどころとしていた。

しかしながら、モラル・パニックの影響は、一様ではない。二つのパターンがみられ、幼児教育現場であまり男性教諭を見たことのない回答者は、男性教諭が幼稚園にいるのはリスクがあると答えている。例えば、幼児教育の分野で働く政府関係者の女性からの回答を見てみよう。

いいえ、幼稚園で男性が教えるのは勧められません。(幼児を教える)男性は、女らしさがあるに違いありません。心が二つあるのでしょう。しぐさや話し方、立ち居振る舞いが非常に女性らしく、男性ではないのでしょう。 また、(男性教諭を雇ったら)何か起きるのではないかと思うし、男性にはコミュニケーションの上手な取り方を子どもに教える能力がなく、責任感もなく、規則を守り自制心があるようには思いません。(仮名:ニーナ)

二つ目のパターンは、自分の子どものクラスを男性教諭にみてもらったことがある人である。こうした回答者は、性的虐待のリスクについては不安視しておらず、それよりも男児が女性化してしまうことを危惧している。

ホモヒステリア文化は、男性教諭を同性愛者と疑い、幼児を教えることから排除させやすくしてしまうが、それにより家庭や学校に男性が不在となり、逆に男児の女性化に対する不安を引き起こしてしまうことに繋がっている。男児の女性化への不安により、今度は男性のロールモデルとしての役割を求め、幼児教育現場における男性の需要を増やしている。以下の引用には、その不安が表れている。

女性らしい男性がますます増えていると感じる。女性のように振る舞うことを心地よく思っている若い世代にその傾向がみられる。彼らは、フェイスパウダーや櫛、鏡を持ち歩いているのだ。これには3つの原因があげられるでしょう。まず、幼稚園における男性教諭の不足。女性の先生がウマル・イブン・ハッターブ *2の話をするのを想像できますか?ウマルの性格を説明するとき、どんなでしょうか...『ウマルはとても強く頼りがいがあります!』強さの表現がとても柔和になる。このイメージが子どもの心に残り、大きくなったらその柔和さが残って性格に影響する。(191,342アクセスあり、57件のコメントがついたインターネット上の議論 *3からの抜粋)

男児の女性化を不安視する声は、女性教諭や保護者からも聞かれた。以下にその回答を紹介する。

そう、たとえばジャックという男の子は、家庭に女性像しかないのです。母親、伯母と妹だけです。そして問題を抱えています。バービー人形ばかり欲しがり、バービー人形で遊んでばかり...『まぁ困った、この子は一体どうしちゃったのでしょう』...そこで次の学期にクラスにアレックス先生を配置したのです。アレックス先生が彼に男性像を示してくれることを期待しています。えぇ、男の子が車のおもちゃで遊ばなければいけないとか、ピンクの洋服を着ることを拒否しなければいけない訳ではないことは分かっています。でも男性とは何であるか、男性らしくするにはどうしたらいいのかを示すには、男性像が必要です。男性も悲しんで泣くこともあるでしょうが、男性が悲しい気持ちになったらどうするのでしょう?悲しい気持ちとどう向き合うのでしょうか。そこを男性教諭に教えてほしいのです。(仮名:プリティー校長)

上記のコメントは、幼児教育現場における男性教諭の必要性を説いている。筆者の調査においては、子どもが男性教諭に教わった経験のある回答者は、その必要性に触れていた。回答の中には、以下のようなものもあった。

はい。(男性の先生は)こうすれば男性らしいんだよ(と教えてあげられる)...(そして男の子は思うのです)そうか、ボクは男なんだ、アレックス先生みたいに強くならなきゃ...警察官になろうと思ったら、アレックス先生みたいにならなきゃ...女の先生みたいにではなく。男性教諭がいて初めてクラスが完結するのです。もっとガガー(インドネシア語で「威厳のある、男性的」)な絵を描かせるために。女性の先生しか教室にいなければ、先生はお花の絵ばかりを描かせてしまいます。男性の先生は威厳があり、女性の先生は柔和です。身体を動かしたかったら、そうです、アレックス先生のところに行ってください...そうなんですよ、男性の先生がいて初めて園が完結するのです。(仮名:ジェーン)

男の子が男らしくなるためには、男性教諭が必要だとコメントしていたからといって、女性らしい特徴をもつ男性に批判的ではないということにはならない。幼児教育現場で教える資格があると思う男性には、やはり基準を課している。彼らは「真の男性」でなければならない、とコメントしている。幼児教育現場において「真の男性」であることを要求されれば、幼児教育現場にいる男性教諭は常に男性的な特徴を見せ続けなければならないことになる。これが男性教諭の活動にどのような影響を与えるのか見るために、筆者は詳細に観察し、実地調査の現場となった園で教えていたアレックス先生にインタビューをした。

男性教諭の役割:男らしさを教え、男らしさを育む包容力をもつ

アレックス先生は子どもが大好きだ。子どもを教えることが天職だと話していた。エネルギーに満ち溢れ、人懐っこく、生き生きとしていて遊び心がある。子どもたちも彼が大好きで、行動をともにすることを楽しんでいる様子がうかがえた。多くの場合、何か手伝ってもらうのであれば、他の先生よりもアレックス先生が好まれていた。子どもとの交流の仕方、子どもたちの反応を見れば、彼が子どもをみるのが得意であるのは一目瞭然。女性の同僚よりも能力が劣るとは思えなかった。モラル・パニックについては、世間の不安が彼に影響を与えていたかどうか聞いてみたところ、次のように答えた。「最初は影響がありましたが、保護者が僕のことを分かってからは、全く問題ありません!」。彼にとって、幼児教育現場における男性に対するネガティブな烙印も、子どもを教えることへの使命感や意義に比べれば、重要ではないのである。世間の期待に沿って、アレックス先生は男の子に男らしく振る舞うことを教えるという役割を認識していた。だがしかし、筆者はある特別なことにも気が付いた。アレックス先生は、男性らしさの典型的な指標である理性と、女性らしさの典型的な指標である愛情と思いやりを併せもっているのである。ジョー・ワリンは、これを「思いやり、包容力のある男性らしさ」と呼んでいる(2015, 95)。アレックス先生にとって、男の子に男らしさを教えるということは、競争、自制心、筋力、肉体的な強さ、特定の色やおもちゃについて教えるのではなく、身体をコントロールし、明晰な頭脳と理性を保つことを教えることである。また、愛情、良心、他者に対する尊敬や思いやりは、女の子であろうが男の子であろうが全ての子どもに大切であるとも話していた。

まとめ

他の国々でもそうであるように、インドネシアの幼児教育現場で教える男性は、男性としてのアイデンティティを問われている。インドネシアのホモヒステリア文化により、幼児教育現場にいる男性は、パラドックス的状況に置かれている。前述した通り、人によっては男性としてのアイデンティティに疑問を呈し、子どもと働くことを拒否する人もいるかもしれない。また、人によっては、子どもの男らしさを育み、維持するため、男子は男子らしく、大きくなったら男性らしく育つように、男性教諭に子どもと働くように求める人もいる。幼児教育現場における男性の拒絶も要求も、男性の同性愛に対する不快感という同じ要素が根底にありそうだ。男性教諭は、社会が求める子どもに対する男性としてのロールモデルを満たしているのだろうか。どのような「男性らしさ」を子どもに見せるのだろうか。もちろん、こうした疑問への答えは一つというほど単純なものではない。しかし、今回の調査回答者であるアレックス先生は、社会が期待する男性としてのロールモデルとなることは、必ずしも社会的によくみられる「男性らしさ」を体現することではない、と示してくれた。男の子たちに、社会的に「男性らしさ」とみなされているような振る舞いを教えるだけでなく、感情、思いやり、良心を育むといった、これまでは女性的な特徴と位置付けられてきたことをも教えていた。インドネシアのホモヒステリア文化を変えるという意味では、それほど貢献はできないかもしれないが、アレックス先生のケースを見るにつけ、幼児教育現場にいる男性教諭の存在がジェンダーのステレオタイプに変革をもたらすだろうと、楽観視している。


    筆者注:

  • *1 この事件の詳細については、以下のリンクをご参照ください: http://www.dailymail.co.uk/news/article-2883640/Five-cleaners-including-four-men-woman-jailed-raping-six-year-old-boy-prestigious-Jakarta-International-School-popular-wealthy-ex-pats.html;
    http://www.thejakartapost.com/news/2015/04/04/ri-draws-ire-over-teachers-verdict.html;
    http://www.theguardian.com/world/2015/aug/14/jakarta-international-school-teachers-to-go-free-after-conviction-overturned
  • *2 ウマル・イブン・ハッターブは、イスラム預言者ムハンマドの教友(最も近い者)である。イスラム帝国の第二代目カリフであり、非常に大きな影響力と権力をもっていた。見識、敬虔さと正義をもちあわせていることで知られ、彼の時代にはイスラム世界の影響力は急速に拡大した。彼はササン朝とビザンチン帝国の大半を統治し、 身体的にも長身、強健でレスリングも強かった。彼の容姿は、「理想的なイスラムの男性らしさ」を体現している。
  • *3 記事の全文は以下で読むことができる(インドネシア語): https://rangtalu.wordpress.com/2012/08/05/cerita-ramadhan-13-generasi-gemulai/

  • 参考文献:

    • Anderson, Eric. 2009. Inclusive Masculinity: The Changing nature of masculinity. New York and Oxon: Routledge.
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筆者プロフィール
Hani_profile1.jpg ハニ・ユリンドラサリ(インドネシア教育大学)

ハニ・ユリンドラサリ氏はインドネシア教育大学、保育者養成課程の講師で、政府の保育者の力量向上プログラムの公認査定者・指導者でもある。研究分野は幼児教育及びジェンダー研究である。また、同大学女性研究センターの活動メンバーで、教育、子どもの権利擁護や人身売買反対キャンペーンにおけるジェンダー・メインストリーミングの活動に従事し、幼児教育とジェンダー間の公平/平等の改善に尽力している。
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