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【比較から考える日中の教育と子育て】 第2回 学校の中の「事」と「物」

要旨:

日本と中国の学校の中で起こる様々な「事柄」や学校の中にある設備などの「物」には、教育制度や社会文化的背景の違いを反映して、違いがある。同時に、我々がお互いの国の学校の様子を具体的に見る時、それまでの理解の間違いに気づくことも多い。それらは往々にして小さな違いであることが多いが、それでも子どもたちの学校での生活や心理に重要な意味を持つものもある。本論では、学校での全体集会、「眼保体操」、机の形など、両国の学校における「事」と「物」の違いについて、具体的な事例を紹介する。
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近代化以降の学校制度において、各国の学校の中で行われる「事(イベント)」、学校の中にある「物」については、似たものが多い。そのため、例えば日本の学校で生活したことがなく、日本の学校についてあまりよく知らない中国人でも、日本の学校がどのようなもので、学生がどのような生活を送っているか、おおまかなところで想像することは可能であろう。しかしながら、「同じイベント」「同じ物」として理解されているものも、よく見たり聞いたりしてみると、微妙な違いがあったり、全くその国独特のものになっていることもある。

私が北京に留学したばかりのころ(8年前)、ある日、中国人の教育学部の学生と話していて、ふと「学校で朝に全校集会を開くかどうか」という話題になった。私は、日本でも一週間に一度程度、朝に全校集会があるということ、それからその時には学校全体の連絡や校長先生の話などがあること、などについて話した。すると、彼女は私に「ところで国旗掲揚はいつやるんですか?国旗掲揚もしますよね?」と不思議そうに聞いてきた。

私の現在住んでいる北京の部屋からは、中学校(日本の学校制度では中学校と高校にあたる)の運動場が見えるのだが、そこで行われる学校行事などで国歌を耳にすることは非常に多い。また、週に一度程度は、全校生徒が集まって、国歌を流しながらの国旗掲揚の時間もある。一方、日本の学校の場合、学校で国旗を掲揚する場面も国歌を耳にする機会も中国に比べれば限られたものである。公立の学校においては、入学式と卒業式において国旗掲揚と国歌斉唱を行うように文部科学省から指導されているが、実施率が100%近くになったのも、ここ15年ぐらいの間でのことではないだろうか。また、日本には私立の学校も多いが、私立の学校では、さらに実施率は低いと思われる。まして、毎週の朝の全校集会でこれらの儀式が行われることは、ほぼないだろう。

また、当然日本と中国の学校では、そもそも学校の中でどのようなイベントが行われるかについても多少は違いが見られる。両国の学校の時間割表を比較してみると、その国独自の学校の中でのイベントがいくつか存在することが分かる。 たとえば、中学校の授業見学に行った時のこと。授業が終わって、私が記録のためのビデオを止めて、片付けをしていると、学校の中に落ち着いた曲が流れ始めた。すると、それまでざわざわしていていた教室の中が急に静かになり、女の子の学生が教壇に進みでた。女子学生は突然音楽に合わせて(その当時の私にはそう見えたのだが)「奇妙な動作」を始めた。クラスの生徒達全員も同じような動きをしている。

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「眼保体操」の様子

これが、私の「眼保体操」初体験であり、中国の学校にはそういうものがあると聞いたことはあったものの、直接自分の目で見ると、止めたビデオのスイッチを驚いて思わずもう一度入れなおした。「眼保体操」は、中国の学校で行われている目の健康を考えた体操であり、旧ソ連の教育の影響を受けていると聞いたことがある。すなわち、歴史的背景があるイベントなのである。日本の学校の時間割表の中には存在しないイベントであり、昔から今でも多くの学校で、毎日一定の時間(授業と授業の間)に行われる。中国の学校の場合、午前中に全校集まっての体操(日本で言うラジオ体操のようなもの。全校集会も多くはこの「課間操」の時間に行われる)の時間があり、また「眼保体操」の時間もあり、全体的に学校による児童・生徒の健康管理が統一的に図られている印象がある。それに対して、日本の学校の場合、学校全体で体力向上を図ることは中国に比べれば少ない印象がある。

逆に、日本の時間割表を中国の人に説明する際には、中国にはない「朝読書(似た名前のものはあるが、大抵は教科書などの学習を指すことが多い)」や「給食の時間」について説明が必要になってくる。また、たとえば「掃除」などについても、どの範囲を生徒が掃除するのか、どのように掃除の分担を行なっているのか、については説明が必要だろう。中国では児童・生徒以外にも掃除を行う大人が学校にいるからである。

こうした学校の中の「事」や「物」の違いは、単に「国が違えば学生を取り巻く生活環境が違っている」だけではなく、子どもたちの学校生活や心理に大きな違いを生み出したりもする。

例えば、中国の大学生に中学や高校時代の思い出を語ってもらう時、「同卓」という言葉はよく耳にする言葉である。「卓」は机の意味だが、「物」としての机を指すのではなく、「同じ机を共有する同学(クラスメート)」ぐらいの意味である。「同じ机」といっても、(日本の学校にあるような)小さな机ひとつを二人で代わる代わるに使うわけではなく、ちょうど二人分の机がくっついてひとつになっているのである。それだけ近い距離で一日中過ごすため、同卓の間の人間関係は濃いものとなる。日本でも小学校などでは、二つの机をくっつけていたりするが、中学校や高校になると、そういう机の配置にすることは少ないのではないだろうか。

以下は、中国の大学院生に大学受験の思い出について語ってもらった時のインタビューデータの一部である(渡辺,2007)。このAさんにとっては、同卓は切磋琢磨する競争相手であり、同時にストレスの源でもあったようだ。

A: 私と同卓とは、クラスメートの関係で、でも、宿舎では関係は決してよくなかったの。関係がよくなかった原因は、私たちがいつもお互いに競争していて、実際私たち二人のレベルは同じぐらいだったので、成績が同じぐらいであればあるほど、より比較したくなるものでしょう。特に一度試験が終わって、彼女が90点とって、私が89点とって、そうすると気分が悪いわけ。親友との間ではこういう風ではないの。

しかし、もちろん関係がよければ、大親友になる可能性もある。また、男女で同卓になる場合もある。

B: あ、それからもう一人親友がいた。男の子で、同卓で、後の私のボーイフレンドなんだけどね。
I: 高校三年生の時?
B: その時はまだ恋愛してなかったの。大学に入ってから恋愛したの。

つまり、関係が競争関係であれ、親友の関係であれ、学校生活の中で、同じ机を共有する人は、学校における人間関係の中でかなり重要な位置を占める存在なのである。同時に、学校生活の思い出においても、忘れられない、重要な存在となる。

そもそも、なぜ机がその形でなければならないのか、については日本人の私にはよく分からないところである。試しに中国人の友人に聞いてみたが、彼もなぜかは分からず、ただ「クラスメートと話をするのに便利だよ。離れて座っていたらおしゃべりできないし。」とのことであった。彼いわく、「中国人は協力して一緒にいろんなことをするのが好きだし、それを学ばせるためかもしれない」とのこと。意外なところで、教室の中の机の形は、人と人との物理的・心理的な距離の取り方など、 両国の人間関係の根本的な違いを反映しているのかもしれない。

我々が日本と中国の子どもたちの生活や心理について比較する時、こうした子どもを取り巻く具体的な「事」や「物」に注目して比較することで、見えてくるそれぞれの国の子どもたちのリアルで活き活きとした生活の様子もあるだろう。また、それらの「物」や「事」のあり方は、社会の成り立ち方と相似形であることも多く、また、その社会の経てきた歴史を映し出していることもある。従って、「物」がその形でそのように配置され、それらの「事」がそのやり方、その時間に進められることを深く追究して行く時、その国の教育や社会の特徴が見えてくることもあるだろう。ただし、こうした「事」や「物」の読み取りにも、一定の「リテラシー」や背景知識のようなものが必要だと思われる。そのためにも、我々はお互いにお互いの「事」や「物」について、普段から対話のなかでそうしたものを蓄積していく必要があると思われる。


≪参考文献≫
渡辺忠温(2007).中日比較:高考生人際関係的質性研究.第十一届全国心理学学術会議論文摘要集.174.

筆者プロフィール
Watanabe_Tadaharu.jpg渡辺 忠温(中国人民大学教育学院博士後)

東京大学教育学研究科修士課程修了。北京師範大学心理学院発展心理研究所博士課程修了。博士(教育学)。
現在は、中国人民大学教育学院で、日本と中国の大学受験の制度、受験生心理などの比較を行なっている。専門は比較教育学、文化心理学、教育心理学、発達心理学など。

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