CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 研究室 > Dr. 榊原洋一の部屋 > ベトナムの子どもたちを訪ねて(2)

このエントリーをはてなブックマークに追加

研究室

Laboratory

ベトナムの子どもたちを訪ねて(2)

中文

メコンデルタの村や幼稚園を訪問した後、地元の2つの病院を駆け足で見学しました。私が初めてベトナムを訪問した約20年前と比べると、地方病院とはいえその設備は格段に充実していました。写真はベッド数が20程度の診療所ですが、人でごった返す街中にあり、待合室は大混雑です。10人以下の医師で、一日400人近い患者さんを診ていると言っていました。一緒に見学した学生さんは10人で400人と聞いて驚いていましたが、私が研修医をしていた30年ほど前の日本でも、似たような状態があったことを思い出します。私自身も午前中に一人で120人の子どもを診察したことがあります。

lab_07_08_1.jpg
ベッド数が20程度の診療所

5時間ほどバスに揺られてホーチミンに戻り、一日長旅の疲れをいやした翌日は、今回のツアーの最終訪問先である2つの孤児院を見学しました。最初の孤児院は、仏教寺院が運営する私設の孤児院です。写真はその寺院の入り口です。仏教の説話をもとに巨大な仏像が境内につくられています。最初はその派手な彫刻にあっけにとられましたが、寺院を去る時にはその驚きは、この寺院に対する尊敬の念に変わっていたのです。

lab_07_08_2.jpg
孤児院を運営する仏教寺院の入り口

最初に通された倉庫のような事務所で、この寺院の活動について説明を受けました。倉庫のようだと感じた理由は、次の写真にあるように無造作に積まれた米袋を見たからです。しかし説明を聞くうちに、これらの米袋は孤児院の運営に対して信者(檀家)がお金の代わりに寄付したものだとわかりました。経済発展が著しいといわれるベトナムですが、年間の個人所得はまだ1,000ドル(8万円)前後です。現金による寄付ができない農民は、代わりにコメを寄進するのです。米袋の傍らには、お菓子や飲み物など孤児院にいる子どもたちへのプレゼントが山のように積まれていました。説明をしてくれたお坊さんから、政府などからの補助を受けずに行っている事業であるために資金がいつも不足していることや、外国からの多くのボランティアの力を借りて運営していることなどを聞きました。

lab_07_08_3.jpg
寄付された米袋

薄暗い建物の中に多数の部屋があり、そこに、ここで起居している孤児たちがいました。写真は年齢の小さい乳幼児の部屋の一つです。言葉の通じない赤の他人である私たちに対して、人見知りもせずに子どもたちは寄ってきます。抱っこをせがむ子どももいます。私は一瞬デジャヴ(既視感:どこかで見たことがあるという感覚)を覚えました。大学病院に勤務していたころ、毎週都内の完全看護(基準看護)の病院の当直のアルバイトをしていたころの思い出です。夜にシンと静まりかえった乳幼児の病室を回診すると、基準看護のため家族は夕方に帰宅してしまい、一人残された乳幼児が、まったく知らない私に対して、人見知りをするどころか、ベッドの柵に体を寄せ、時には手をさし出して抱っこをせがむのです。基準看護というと聞こえは良いものの、やはり可能なら家族の誰かが付き添えるようにすべきだと私に確信させた経験でした。この孤児院の子どもには、昼も夜も付き添ってくれる家族がいないのです。こちらを突き刺すように真剣に見つめる子どもたちのまなざしをよく見てください。初めてこうした孤児の状況をみた学生の中には、感情を高ぶらせて泣き出してしまった者もいました。

lab_07_08_4.jpg
乳幼児の部屋

そして、そうした子どもたちの中に、障害があった故に親に捨てられてしまった子どもたちがいました。写真は水頭症(頭の中に水がたまってしまう病気)の幼児です。日本では早期に発見され脳外科的な治療を行うことができますが、この子どもはそうした治療が行われずに、すでに治療ができない状態になってしまっています。この孤児院には大学病院の小児科が協力していますが、ここまで進行し寝たきりになった状態では根本的な治療はできないのです。この孤児院には、障害を持った子どもが大勢います。この仏教寺院は子捨て寺として有名なために、子どもに障害があると親がその世話をし切れずに境内に置いてゆくのです。ホーチミン市は亜熱帯ですので、夜中に境内に置いていっても凍えたりしません。朝になってお坊さんが子どもの泣き声を聞き、また新たな孤児が増えたことを知るのです。

lab_07_08_5_6.jpg

障害のある子が捨てられることも多い。左が水頭症のある子ども、右の子どもには四肢の奇形があります。この子は、背中と手足を使い、床を這って私に近づいてきてくれました。

 

この写真の子は、四肢の奇形があります。不自由な手足を使って私に近寄ってきました。やはり抱っこをしてもらいたかったのでしょうか。初めて見るおじさん(私のこと)を一生懸命に見ています。賢そうなまなざしの子どもですが、将来はどうなるのでしょうか。たまさかの訪問者である私にできたことは、寺院を去る時にわずかばかりの寄付金を置いてくることだけでした。

2つめの孤児院は、この写真にあるような瀟洒な建物です。最初の寺院と異なり、この孤児院は政府によって運営されている特殊な孤児院です。なにが特殊かといえば、ここにいる孤児たちはすべてHIVに感染している(エイズ)子どもたちなのです。子どものエイズはすべて母子感染によっておこります。ここにいる子どもたちは、親をエイズで亡くし、また自分自身も感染してしまったという二重の不幸のもとに生まれた子どもたちなのです。

lab_07_08_7.jpg
HIVに感染している子どもたちのための孤児院

lab_07_08_8.jpg
仲良く昼寝をしている様子

訪問したときは昼寝の時間だったので、子どもたちと触れ合う機会は残念ながらありませんでした。仲良く昼寝している様子だけを写真に収めることができました。 現在はエイズの治療は格段に進歩し、発病してもほぼ天寿を全うできるまで長生きすることができるようになったとはいえ、一生治療を続けなくてはなりません。この孤児院には中学生くらいの年齢の子どもも大勢います。中学生になれば当然自分の運命についても知ることになります。自分の未来に対してどんな思いを抱いているのだろうと思いながら歩いていると、孤児院の入り口に、孤児たちが描いた絵が展示されていました。そしてそこで最後の写真にあるような絵を発見したのです。この絵を他の人にも見てもらいたいと思い夢中でシャッターを切りました。

夜の庭で、天体望遠鏡で夜空に輝く星を見ている少女が描かれています。向こうに見える家は我が家でしょうか。その家の中から楽しい音楽が聴こえてきています。黒を基調にしていながら、この絵から私は作者の夢を感じます。真ん中の少女の明るい顔つきがその証拠です。

lab_07_08_9.jpg
孤児の一人が描いた絵、少女が天体望遠鏡で星空を見ています

筆者プロフィール
report_sakakihara_youichi.jpg榊原 洋一 (CRN副所長(2013年4月より所長)、お茶の水女子大学大学院教授)

医学博士。CRN副所長、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

研究室カテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP