2008年10月から始まった「子育ての脳科学」の連載も3年目に入りました。最初の約20回は子どもの笑いについて、笑顔の消えつつある現代っ子の現状を「サイレントベビー」と対照しつつ、脳神経科学的・発達心理学的な考察を加えました。第25回から第33回までは赤ちゃんの脳と心の発達について、私見を交えながら新しい発達心理学のモデルを模索してきました。第35回から第47回までは、ホモサピエンスである人類特有の高度な脳神経機能のメカニズムの謎に乳児期の発達と系統発生・原始生物からヒトへの進化の道のりを交えて、現人類の高度な脳機能が前頭葉のワーキングメモリの働きと、意識とメタ意識を使った思考システムから成り立っている全体像のモデルを提出しました。第48回から第58回までは脳内の神経伝達物質の働きと高次脳機能について実験結果に基づいた解説をしてきました。これまでの連載で、私たち人類の心の働きが全て脳神経(ニューロンとシナプス)の働きで営まれていることが理解できたと思います。ここからの連載では、この脳神経という「物質」の中で「ヒトの心」という非物質的な機能がどのようにして生まれて育つのか、そしてその「ヒトの心」の成長に障害が出るのはどのような場合で、そこからどのようなことが考えられるのかをより具体的な実例を挙げながら、「子育ての脳科学」の集約へと話題を進めていきたいと思います。今回は、藤永保著「ことばはどこで育つか」(大修館書店 2001年刊)を参考図書として、養育不全が子どもの心の発達を障害し、さらには人類社会との隔絶が人の脳神経機能を大きく後退させる事実を通して、子育て環境が人の心を育む上で決定的に重要である点を強調したいと考えています。
第6回「サイレントベビーは今もいる」の中で私は次のような問題提起を致しました。《私はこの問題をもう一度深く考えるうえで、depressing baby という本来の用語に戻して「コミュニケーションに失望した赤ちゃん」と呼ぶべきだと考えています。言葉はどうであれ、パーソナリティーに問題の芽を持ちながら育っている「サイレントベビー」は今も増え続けているのです。そしてその共通の初期現象が笑わない赤ちゃんの増加であると、私は考えています。》笑わない赤ちゃんが増え続けているという、20年以上の私の小児科外来からの印象が間違いでなければ、現代社会には「コミュニケーションに失望した赤ちゃん」が育ち、「コミュニケーションに障害のある大人」が急増する土壌が出来つつあるということです。なにがこのような好ましくない土壌を生み出し、どうすれば我々人類が幸せなコミュニティー(社会)を作っていけるのかについて、これからの連載の中で深く考察しようと思います。
育児放棄や虐待といった心の痛むニュースが報道される頻度が年々増加しています。親から十分な身体的養育と社会的養育を授けられなかった場合、赤ちゃんは一体どのように育つのでしょうか?この謎に対するかなり実際的な回答は、養育不全で放置された子どもの実例から議論することが出来ます。虐待などのニュースは子どもが保護された時点でプライバシーへの配慮から一般には知らされなくなり、その後の子どもたちの成長の記録なども一般には知られることはありません。この貴重なデータを集約した書籍が今回の参考図書「ことばはどこで育つのか」です。おそらくほとんどの読者に知られていない事実で、小児科医である私自身が大きな驚きを持って読ませていただきました。
1970年にアメリカで発見保護された通称ジニーは2歳の頃から便器の上に縛り付けられて13歳7ヶ月に発見救出されるまで、話すこと、泣くことを周囲から厳しく禁止され、狭い部屋で監禁されて育ちました。父親はジニーが泣くと怒り狂って棒で殴りつけていたようです。母親は視力を失って世話が出来ず、兄が食料だけをジニーの口に無言で放り込んで育てたと記録されています。救出時のジニーの体格は身長135㎝体重25㎏で、アメリカ人女児では6歳から7歳程度と身体発育障害がありました。運動的な遅れも合併し、まっすぐ立つことが困難で、手足を伸ばす、歩く、飛ぶなどは不可能でした。ただし活発さと好奇心は維持され、良好な視線の接触(アイコンタクト)を持っていましたので、自閉症の傾向はないと診断されました。虐待傾向を持つ母親に対して、子どもは逆に強い愛着をいだくという報告もあり、子どもにとって養育者から完全に見放されることは死を意味するので、虐待があればかえって必死に愛情を求めるのだと解釈されています。この点は日本の子どもでも同じで、被虐待児が不憫にも親を慕う状況として、子どもが親を慕っているから虐待はないのだと勘違いしないよう心に留めておくべき事項だと思います。救出直後に行われた知能テストではジニーは1歳をわずかに超える程度でしたが、救出2ヶ月後にはジニー、お母さん、等の固有名詞、歩く、行く、等の動詞、ダメ、イヤ、止めて、等の否定語とその他に少なくとも15語程度は理解でき、5歳手前まで大きく回復していました。数ヶ月後には身長、体重もかなり増加し、乳房発達の二次性徴が出現しています。救出の8ヶ月後には既に数百語を獲得し、二語文を話すようになり社会的な発達も部分的にですが、著しい回復を示したと記録されています。しかしながら、統辞法(文法規則のこと)についてはその後の獲得にはアンバランスな点が残り、救出5年後にも自発言語に乏しく、身振り手振りを交えないと正しく会話が出来なかったようです。
また、1967年にチェコスロバキアで発見保護された一卵性双生児の事例では、1歳半まで正常に育った後、父親によって地下室に監禁され虐待を受けました。7歳で救出された時には体格は3歳程度で、酷いクル病のために歩行が不可能で、全く大人の言語を理解できず、双子同士で独自の身振り手振りの言語会話を行っていました。救出4ヶ月後のテストでは言語発達は1歳半程度、全体の発達水準は3 歳程度、IQは40程度と重度の精神遅滞と発達遅滞がありました。小児科医を含めた当時の担当者は双生児の発達に絶望的な意見をいだいていましたが、救出後の再発達はめざましく、8歳でIQ80、10歳でIQ90まで回復し、救出2年後に愛情豊かな家庭に養子として引き取られると、特殊学校に進学し、次年度には成績優秀で普通学級に移籍しています。その後はさらに順調な発達が得られて、13歳でIQが100に追いつき、18歳では2人ともIQが110を超えていました。社会発達も完全に回復し30歳の時点では2人とも結婚し、1人は2児の父となっていました。この事例から学べることは、激しい虐待状態で精神発達遅滞があっても愛情豊かな環境に戻されると子どもは冬眠から覚めたように急速に再発達できるという事実であると思われます。
1972年に本邦で発見保護されたFとGの6歳の姉と5歳の弟は藤永保先生が直接関与した事例ですので、詳細な記録が残されています。救出時の身長は2人とも80㎝で、体重はFが8.5㎏、Gが8㎏とせいぜい満1歳程度の体格で体型も5頭身の幼児体型でした。発達年齢を暦年齢で割って100倍した指数をDQと呼んでいますが、従来の世界的定説ではDQの下限は45だと言われていましたので、FとGが示したDQ20という数値は世界最小の記録となりました。この前例のない悲惨な状況からFとGは果たして回復できたのでしょうか?救出当時の言語能力ですが、Fは10数語を持っていたがGは完全に0であったと記録されています。運動能力も歩くことは出来ずつかまり立ち程度と記録されていますので、10ヶ月児相当だったようです。2人は乳児院で1歳代の子どもたちと一緒に養育されましたが、入所当時は1歳代の子どもたちと全く区別がつかないくらい発達遅滞があったようです。入所後姉のFは1ヶ月間で3語文をオウム返しに模倣するようになり、Gも不完全ながら2語文を模倣できるようになりました。身長も1ヶ月間で2人とも4㎝も伸び、体重も約2 ㎏増加していました。姉のFは保育士に直ぐになつきましたが、弟のGは容易になつかなかったため、FとGを別の一人の保育士が同時に担当するように変更しました。その効果が良い方向に現れ、Gも今回は保育士との愛着形成に成功し、そこから急速に言語発達が出現してきました。その後20年間にわたり観察された2人ですが、小学校には2年の修学延期後に入学し、多くの困難を乗り越えて立派な社会人に成長しました。しかしながらGは書き言葉の完全な獲得が困難であったと記録されています。これら3つの事例からわかることは完璧な言語や社会性を習得するための臨界期は6歳前後であろうと想定されることで、三つ子の魂百までとの3歳児神話は正しくない、子どもの脳神経の可塑性はもっと大きいということであります。また、私が過去20年間に自分で治療を手伝った自閉症スペクトラムと思われた症例でも、可能であれば2歳から3歳以前にアイコンタクト訓練から再発達を促し、遅くても6歳から7歳までに始めればかなりの症例で社会性の発達が認められるとの印象を持っております。また、FとGと同様に、女児では回復が早く男児の方が時間がかかるとの印象も持っております。
さて、上記の3事例は子どもの心の発達は隔絶や虐待等の養育不全状態では著しく遅滞して、環境が子どもの心を育てる上でいかに重要で強い要素であるかを物語る一方で、6歳ぐらいまでに救いの手が伸べられれば遅滞していた子どもの発育と発達は、まるで冬眠から醒めたように急速に回復する可能性を保持していることも物語っています。このように脳の可塑性は私たちの想像以上にしなやかで力強いものです。このことが「子育ての脳科学」の一番の主旨であることは第2回の「脳は生涯成長を続ける」で例に出した60歳になって初めて手を使えるようになった女性の例からも推論できることです。また一方で、脳の可塑性はマイナスに働くこともあります。次に示すのは成長後に大人になってから隔絶されて言語を失った事例です。
1947年にアメリカで発見保護された39歳の女性M.L.は母親に溺愛されて高校の送り迎えをされながら卒業しました。母親はM.L.が友人や外部の人と会うことを嫌い、自宅から外に出そうとしませんでした。高校卒業後21年間ほぼ自宅の1室に閉じ込められて生活したM.L.は、発見時にはベッドに縛り付けられて薬剤で安静にさせられて垂れ流し状態で寝させられていたそうです。救出直後のM.L.は完全にコミュニケーション不能で、意味不明の呟きが漏れるだけでした。しかし数時間後には飲み物や食べ物を要求する発語が回復し、今までの状態を質問されると身振りで手首と足首を縛られていたことを示したそうです。救出半月後には病院での言語能力テストで13歳半まで回復し、入院5週間後には言語能力、理解能力は最大限まで回復しました。しかしM.L.は人間性全体に問題を残し、社会性の未熟さが大きく自立への道は厳しいと記録されています。この事例から学べることは一旦高校卒業程度まで発達した精神と知能であっても、周囲の社会から全く孤立するとその機能が廃絶すると言うことです。ですからロビンソンクルーソーのように無人島で話し相手もいない状態で長期間過ごすと、ヒトの脳は人類であることを忘れ、人間性までもが廃絶してゆく可能性があるということです。脳は常に刺激されてこそ機能を維持できるわけで、周囲の人間社会からの刺激が無くなると一度完全に獲得した言葉でさえも機能しなくなる危険性があることを忘れてはなりません。
ホスピタリズム(施設病)とは近世の孤児院や乳児院で子どもの発達障害や情緒障害、その他の病気が多発した状況を指す言葉で、近年ではルーマニアの孤児院で機械的な授乳育児環境で育った乳児での成長記録と報告があります。近年の高齢化社会の中で、孤独な高齢者の問題がクローズアップされてきていますが、社会から隔絶されて孤独な生活を長期間続けることは、現代社会のネオホスピタリズムと呼ぶべき精神的退化現象を生み出しかねないと危機感を覚えます。また核家族化、両親の共働き、テレビゲームなどの一人遊びで周囲の人間社会から孤立する子どもたちの脳の中でも、同様にネオホスピタリズムの芽が育まれてきていると思います。ヒトは社会的な存在で社会からの刺激を受けないと人間らしく生きることが出来ないことを、「子育ての脳科学」最大の提言としたい気持ちがします。
私がとても心配しているのは、一つ屋根の下で暮らしている親子や家族の中でさえ、心が通い合わない、感情の交流がない孤立した人たちが増えているのではないかという危惧です。笑わない赤ちゃんの増加が何よりその事実を表しています。一緒に暮らしていても目と目を合わせない家族、話すときに子どもの背中に向かって命令口調で語りかける親たち、こんな家庭の子どもたちは、虐待や養育不全とまでは言いませんが、人間社会の基本的なコミュニケーション手法を正しく覚えることなく育っているように私には感じられます。いまいちど自分の家庭では心の通うコミュニケーションが出来ているかどうか、健全なアイコンタクトが成立しているかどうかを問い直してみることが必要だと思われます。
本稿の作成には藤永保先生のご著書から多くの啓示を与えられ、また貴重なアドバイスも頂けました。藤永保先生に大いなる敬意と感謝を表します。
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