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子どものための防災システムの確立に向けて~座談会「人と人とのつながりの中で、子どもたちはよみがえる」(後編)



学校で活躍する子どもたち

井野瀬 今回の震災では、学校の持っている意味についても考えさせられました。小学校や中学校など、平時の教育の場が、緊急時になると避難所になるというのは初めての体験ですよね。


中村(安) 普段、避難先○○小学校と書いてあっても、実際に避難することになるとは、誰も思ってませんからね。


井野瀬 先ほども24時間体制が危機管理という話がありましたが、みんなが行く平時の教育施設が緊急避難場所になる。そこで子どもたちにとって大事になるのは、平時の学校とのつき合い方ですね。
 避難所の子どもたちを見ていると、学校という場を常日頃どういう場所として意識しているのかによって、大きな差が出るように思います。勉強する場所なのか、仲間と楽しく戯れる場所なのか、簡単に言うと、遊び好きかそうでないかが、そのままフットワークの差になって現れているなと思いましたね。


中村(肇) 各家庭の子どもがそこに行くわけですから、一番地域のことをご存じなのは、小学校の先生ですよね。中学校になりますとよその学校に行きますけど、だいたい小学校は地元の小学校。今回の震災では、担任の先生がその地域の、それこそ自治委員というか、民生委員といった役割を現実に担われた。ですから、普段からそういう立場を小学校の先生に持っていただいたらどうなのかなと思いますね。


井野瀬 言うなれば、地震は行政単位をも崩壊させたんですね。行政が正常に機能しない以上、行政が持っている地域区分に頼ることもできなかったわけです。そんな状況の中で最も威力を発揮するのが、学校を拠点とする新しい集まり。そのことが、今回は本当に歴然としましたね。


中村(安) 避難所にボランティアとして行きますと、至るところに貼り紙がわんさと掲示されていて、それをみんなが見に来て、情報交換していくわけですね。そんなに地域に密着した場所というのは、ほかになかったですね。


井野瀬 マスコミの世界ではなくて、ミニコミの世界ですね。


中村(安) 地域の情報センターになっていました。それから、食料や水だけでなく、衣料や靴などの配給品も、学校単位で来て、近所の人は学校のマイクで呼ばれると、家から出て来たわけですね。つまり配給センターにもなっている。すごい役割でした。


中村(肇) 小学校の先生は子どもの家庭訪問などで地域を回られますから、その地域について非常に詳しいんです。たいていの先生は、あくる日には、子どもたちの安否を把握しておられました。そういう子どもを通じた輪が、さらに隣人たちの安否情報も提供してくるので、先生たちは地域の人々の事情に通じてらしたんだと思います。
 今の時代に、それだけ地域のことに詳しい人は、小学校の先生以外にいないんじゃないですか。


井野瀬 今のように地域に横の連帯がない時代には、子どもを中心とした親のネットワークが、情報ネットワークの役割も果たすんですね。


中村(肇) ほかには、それに類する組織はあまりありませんよね。


中村(安) 田舎だと、それに代わる町内会などがあるのかもしれませんけど、神戸のような都会だと、なかなかないですよね。よく、地域社会とか、コミュニティとか言いますけど、実体があるわけではないですから、結局学校がその役割を背負わざるを得ない。


中村(肇) そうですね。昼間地元にいるのは幼稚園児や小学生ぐらいで、あとはよそに行ってしまいますから、地域を支えているのは幼稚園と小学校ということになりますね。いくら緊急システムの想定図を描いたところで、コミュニケーションのないところでは役に立ちません。顔見知りの人々が普段から集まっている場が、非常に重要なポイントになってきますね。


井野瀬 今回のことでボランティアが市民権を得たとよく言われますが、忘れてはならないのは、被災者ボランティアと呼ばれる人たち、つまり、被災者でありながらボランティアをされた方たちの努力のように思います。同じ被災者として気持ちがわかる、そして地域がわかっているということが大きかったのではないでしょうか。
 また、小学校高学年から高校生までの子どもたちの働きが、大人以上に目立ったということも印象的でした。それは避難所が学校であったために、自分たちのフィールドとして動きやすかったのだと思いますね。


中村(安) 僕の行った長楽小学校なんかでも、震災後しばらく、問い合わせの電話が学校に頻繁にかかるんですが、その電話当番を卒業生の中学生がボランティアでやっていた。それは、卒業しても小学校の先生と個人的につながっているということがありますね。


井野瀬 大切なのは、やはり人間的な部分も含めた、つき合い方ですね。


中村(安) それなしで、突然おまえやれと言っても無理なんですよね。卒業生の中学生や高校生は、学校の事情をよく知っていますからね。また、弟や妹が通ってたりする場合もありますから。


井野瀬 そうそう。だから、何年何組と言われても、すぐわかるでしょう。理科室と言われても、外から来た者にはわかりませんから。私の訪ねた3つの小学校では、あたふたする大人と、子どもたちのスムーズな動きと、実に対照的でした。



災害に強い街の基本はコミュニティ

中村(安) よく「災害に強い街づくり」と言いますが、それはどんな街づくりかといろいろ考えているんです。
 今回のような大きな災害のときには、どうしても震災直後は外部から孤立しますよね。よそと連絡をとろうとしてもすぐには通じない。そのときは、みんなが歩いていける範囲で、顔見知りの範囲の中で、一応何とか、しのいでいくしかない。その大きさはちょうど小学校の校区ぐらいの規模ですね。災害の起こった直後に、政府に大きな緊急援助機関を作るという話が出てましたが、どんなに大きな機関を作っても、現場に有効なことはできないでしょう。むしろ、小さいコミュニティでまとまっていたほうが動きがいいはずです。


井野瀬 「災害に強い街づくり」を目指して、兵庫県も神戸市も一生懸命やっているけれど、大半はハード面の話でしょう。しかし、災害とは常に予想を超えるものですから、どんなに頑丈なハードでもいつかは必ずつぶれる。ですけど、災害が起きてもつぶれないものがあって、それは目に見えないもの、形のないものなんです。たとえば、災害に負けない心や人々の絆。そういうものをどう作っていくのかが、これからの課題だと思いますね。


中村(肇) 大切なのは、人と人とのつながりですから、そういうコミュニティづくりを、どういう単位で進めていくのか、ということになってくるのではないでしょうか。
 たとえば、救急医療に関しても、医療機関は災害医学ということで、研究は重ねていますが、こういう災害の場合は、その場に居合わせた人が、まず最初に物事をやるわけですから、底辺がしっかりしていないと、最高の医療機器を備えても役に立たない、ということになりますね。


中村(安) 瓦礫に埋まった人を助けるには、まず誰かが「あそこに、おばあちゃんが埋まってんねん!」と言わなければならない。そして、瓦礫の山を取り除くには、近所の人間がすぐに動かないといけない。そういう人と人との助け合いの気持ちがなければ、いくらよい救急センターを作っても、すべて手遅れになってしまいますよね。


井野瀬 ハードというのは、常にそうですよね。使う人にとっていかに使いやすくあるか、あるいは使えるか使えないかということが大事になってくる。


中村(安) 今回みたいに、子どもの心のケアが叫ばれた災害というのは初めてだったんでしょうが、それでは精神科医がたくさんいれば解決するかというと、もちろん、そんな問題ではない。
 災害が起きたときに、子どもの周りに子どものことを大切に思っている人がいるというのが基本にあって、その上で解決できない問題を抱えた人が、相談に行くべき場所があるということ何だと思います。


井野瀬 気にしてもらっているというのは、愛してもらっているというところにつながりますよね。周りが心配してくれることが、子どもたちにとっては、ものすごく大きなパワーになるのだと思います。


中村(安) 子どもがいろいろな思いを訴えたときに、それをお父さんやお母さんがよく聞いてくれて、学校でも先生が子どもの気持ちを受け止めてくれたら、だいたいそれで解決するんです。精神科医を用意することが対策ではなくて、予防と言いますか、子どもの周りに、その子を見守っている大人がいるかどうかが原点ですね。


井野瀬 子どもたちの心の復興のポイントはそこなんでしょうね。いかに優秀な専門家が集まっても、子どもたちを常に身守ろうとする空気、つまり共同体としての土壌があるところにはかなわないという部分がある。先ほどのボランティアの話にも通じるかもしれませんが、日頃を知っているということが大切なのでしょうね。


中村(肇) 震災後1か月たって、子どもたちが学校へ行きだして、仲間と会って話し始めたら、とっても明るくなったと言いますよ。見違えるように顔つきが変わったそうです。医療機関の支援も大切かもしれませんが、むしろ親御さんと子どもさん、あるいは子ども同士のコミュニケーションの場を、うまくサポートしてあげるのが一番大切なのかもしれませんね。




※季刊子ども学「子どもたちの震災復興」1996より掲載しています。
筆者プロフィール
中村 肇(なかむら はじめ)
神戸大学医学部小児科教授。1940年兵庫県生まれ。64年神戸医科大学卒業。69年神戸大学大学院医学研究科修了。70年フランス政府給費留学生として、パリ大学医学部新生児研究センターに学ぶ。89年より現職。専門は小児科学とくに新生児学。新生児の神経発達と脳障害予防のための研究を進めている。現在は災害に強い医療を目指し、情報ネットワークづくりに努力している。

井野瀬 久美惠(いのせ くみえ)
甲南大学文学部助教授。1958年愛知県生まれ。京都大学文学部英文学科・西洋史学科卒業。同大学院博士課程(西洋史学専攻)修了。専門はイギリス近代史。著書に『子どもたちの大英帝国』(中公新書)、『大英帝国はミュージックホールから』(朝日選書)、『「受験世界史」の忘れ物』(PHP文庫)など。女性や子どもの視点から、イギリス近代史の見直し、とくに大英帝国の調査・研究を進めている。

中村 安秀(なかむら やすひで)
東京大学医学部小児科講師(外来医長)。1952年和歌山県生まれ。77年東京大学医学部卒業。都立府中病院小児科、東京都三鷹保健所などを経て、86年から2年間インドネシアの地域保健に従事。その後もアフガン難民医療など開発途上国の保健医療活動に積極的に取り組む。子どもの発達、母子保健、国際保健など関心は幅広いが、どこの国に行っても子どもが一番好き。著書に『ハンディキャップをもつ赤ちゃん』(主婦の友社)、『ゆがむ世界ゆがむ地球』(共著、学陽書房)などがある。

(※全て1996年当時のプロフィールです)
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