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忘れられた国際支援

木下真 (フリーライター、日本子ども学会事務局長、CRN外部研究員)

2011年5月30日掲載

要旨:

東日本大震災では世界から温かい、感動的なメッセージが寄せられましたが、実は過去にも同じように、日本の被災に対して、世界中から支援の手が差し伸べられたことがありました。それは関東大震災の時です。アメリカ、中国をはじめ、世界40か国が、「日本を救え」と声をあげました。その後の第2次世界大戦で救済国の多くが日本の敵国になったこともあり、その美談は語り継がれることはありませんでしたが、今回の震災への世界の友情に感謝するとともに、その事実を忘却することのないよう、改めて振り返りたいと思います。
東日本大震災は、日本国家がこのまま崩壊してしまうのではないかと思えるほどの甚大な被害をもたらしました。この日本の国家的危機に際して、「日本のために祈ろう(pray for Japan)」「3月11日を忘れない(We never forget 3.11)」という声が世界中に広がりました。日本がこれほど温かい言葉を世界中の人々から受け取るのは初めてに違いないと、感動を覚えた方も多いのではないでしょうか。しかし、実は日本は過去にも甚大な自然災害に見舞われ、やはり今回と同様に世界中から支援の手を差し伸べられたことがありました。それは、1923(大正12)年、いまから88年前の9月1日に起きた関東大震災での出来事です。

マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲い、東京、横浜は壊滅状態、地震による猛火は下町を焼き尽くしました。その被害は罹災人口350万人、死者約14万人、倒壊家屋25万戸に及びました。欧米以外の国で初めて近代化を果たし、「東洋の奇跡」と呼ばれていた日本の首都が大地震によって崩壊したという驚愕の事実を、全世界の新聞はトップニュースとして報道しました。

「土曜日正午、横浜激震。続いて大火。全市焼けつつある。死傷者多し」―これが世界に初めて打電された関東大震災の一報でした。メディアが未発達で、日本国内でも災害の全容をつかめなかった時代に、世紀の大ニュースは遠くアメリカに伝わり、地震発生から僅か12時間後の現地時間9月1日の夕刊に掲載されました。

この電文は、当時日本で唯一外国に打電できる磐城無線局(福島県富岡町)の局長の米村嘉一郎が打電したものでした。電文が「横浜激震」となっているのは、米村に最初の一報を入れたのが、神奈川県の警察部長だったからです。当初は震災が横浜だけではなく、関東全域に広がるものだとは想像がつかなかったのです。首都圏からの救助を求める無線を傍受した米村は、ことの重大性を直観し、ただちにロサンゼルスのRCA(ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)支局宛に打電。そこから電文はAP通信社支局に電話で伝わり、2分後にはAP加入全社に記事が配信されました。

9月4日付のニューヨーク・タイムズは、米村と磐城無線局を「日本と他の世界との間にある唯一のヒューマン・リンク」であると紹介し、「世界の歴史に永久に記念されるべき日の英雄」と題する記事を載せて、米村嘉一郎の行為を讃えました。今回の大震災に際しても、タイム誌が選ぶ「世界でもっとも影響力のあった100人」2011年版に福島県南相馬市桜井勝延市長と、宮城県南三陸町の内科医菅野武さんが選ばれましたが、同じようなことが88年前にもあったわけです。

日本に救済を申し出た国は数多くありましたが、その中で最も熱心だったのはアメリカ合衆国でした。当時のクーリッジ大統領の命により、アメリカ赤十字社に「日本救済事務所本部」が設置されました。日本救済の呼びかけは全米中に広がり、ニューヨークの救世軍は提灯を片手に街頭に立ち、「日本を救え(Save Japan)!」と大声で叫びながら、サクラの造花を通行人に売って、救済金を集めました。ニューヨーク市は、胸にサクラの造花をつけた市民で満ち溢れ、「1分早ければ、1人多く助かる(Minutes Make Lives)」というキャッチフレーズのもと、アメリカ国民全体が一致協力して日本の災害復興に尽力しました。集めた日本救済募金は2500万ドル(約5000万円)。これは現在の価値に直せば、600億円以上に匹敵すると言います。

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シカゴ市の日本救済金大募集運動

アメリカが示してくれた友情は、募金活動だけではありませんでした。海軍の東洋艦隊は医療器や薬品などを携え、横浜をめざしました。また、マニラの海軍主計総監は、数隻の御用船に食糧を積み、日本に向かいました。被災をまぬかれた帝国ホテルには、アメリカ海軍の水兵により食糧や衣類が運びこまれました。さらに米国救済団は、麻布の高松宮邸(現港区)にテント病院を建てて、負傷者の救護にあたりました。

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帝国ホテル内に救援物資を運び込むアメリカ海軍水兵

当時のアメリカ西海岸の大都市(サンフランシスコ、ロスアンジェルス)では黄禍論(Yellow Peril)の影響もあり、日本人移民の排斥運動が盛んでしたが、それらの運動を推進していた人々も日本救済の必要性を説いて回り、義援金を募ったり、カリフォルニア産のコメを日本に送るなどしたと言います。

また、日本とすでに緊張関係にあった中国も、急遽排日運動をすべて中止し、日本救済に当たりました。日本赤十字社と中国紅十字社は共同で被災者救済を行っています。また、曹銀、段祺瑞らの富豪は多額の義援金を出資し、北京政府は10万元という巨額の救済金を拠出しました。宣統皇帝は現金1万元を寄付し、さらに西太后愛蔵の真珠の数珠と磁器30余点を日本公使館に送りました。

この時に中国の知識人が見せた態度は尊敬に値するものでした。支那排日派学生のリーダーだった林兆民は「日本救済」を叫んで、排日問題を緩和するように働きかけを行いました。また、排日新聞として有名であった東三省民報は、「日本罹災後の支那の責任」と題して、「連日聞くに忍びない日本震災の報道に対し、私たちは同種同文(同じアジア人)として、その救済の責任の大半を負うべし。日本の大不幸は、大東亜の大不幸でもある」という社説を掲げ、深い同情の念を示しました。

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鍋島侯爵邸に本部を構える中国紅十字救済団

この2国に限らず、イギリス、ドイツ、オランダ、オーストリア、インド、メキシコ、ペルー、キューバ、ブラジルなど、世界40か国が救助や見舞いを寄せ、まさに今回同様に全世界が日本救済のために一丸となっていました。国際連盟の会議では、フランスの委員であるレーノルドが、国際連盟に対する日本の負担額を減額すべしと提案し、満場一致で可決されました。1920年に国際連盟が発足し、1921年にワシントン会議が開かれ、世界は国際協調と軍縮の只中にありました。第一次世界大戦のような惨禍を二度と繰り返してはならないという平和を希求する国際的な風潮が、「日本を救え」の大合唱へとつながったのかもしれません。

しかし、関東大震災における日本救済の運動は、世界が一つになって、国際的に支えあうという国際連盟の理念が象徴される、最後の出来事となってしまいました。関東大震災と同じ年に、フランス・ベルギーは賠償金の不払い問題を理由に、ドイツの工業地帯のルール地方を占領し、ヨーロッパは一触即発の状態になっていました。6年後の1929年にはニューヨークの株価大暴落に端を発する世界恐慌が始まり、各国は、ブロック経済、国家社会主義、共産主義によって経済危機を乗り切ろうとします。国家間のきずなは絶たれ、国家を超えた人々の連帯感も消えうせ、やがて未曾有の世界戦争へと突入していきました。

日本も、1933年には国際連盟を脱退し、1937年には日華事変で中国と、1941年の太平洋戦争ではアメリカと全面戦争となります。すなわち日本はかつての救済国と戦火を交えることになったのです。ほんの十数年を経ただけでしたが、深い感謝の気持ちは憎しみへと姿を変えてしまいました。敵国を美化するような話を語り継ぐわけにはいかなかったのか、友情のエピソードは歴史の渦の中でかき消されてしまいました。今でも、これらの事実については知らない日本人のほうが多いのではないでしょうか。

この関東大震災の国際支援の話は、88年もの前の出来事ですが、私は日本人だけではなく、世界中の人々の記憶の中によみがえらせる価値のあるエピソードだと思っています。今回全世界から寄せられた温かいメッセージに感動を覚えるだけに、なおさらその思いが強くなりました。


参考資料:
『大正 大震災大火災』(大正12年 大日本雄弁会・講談社)
「国際防災の10年」パンフレット(1993年 建設省)

※関東大震災に関しての詳しい資料をごらんになりたい方は、東京都の中央図書館の「都市・東京情報コーナー」に行ってみて下さい。
筆者プロフィール
木下真 (フリーライター、日本子ども学会事務局長、CRN外部研究員)

日本子ども学会事務局長。フリーライター&エディター。1957年長崎生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。子ども学、子ども研究史、障害学などが専門。学術誌の編集・執筆だけではなく、TV番組の制作にも携わる。子ども・若者支援のNPOユースサポートの設立に参加し、子どもの貧困問題への関心を高める。現在は東日本大震災の被災者を支援する活動や番組作りも進めている。
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