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【5月】東日本大震災と国際的な支援

3・11-東日本大震災が起こって、早くも2ヶ月になるが、私が驚いた事のひとつに、多くの国々から、いろいろなかたちで支援の手が差し延べられて来ているという、新聞やテレビの報道である。特に印象的であったのは、アメリカ兵士達による被災地の「TOMODACHI作戦」であり、世界各地で行われている音楽家達のチャリティ・コンサートである。クラシックあり、ジャズありである。

そんな出来事をテレビで見たり、新聞で読んだりした時に思い出したのは、1950年代後半のアメリカ生活の中で受けた、アメリカ人からのいろいろな優しい心にふれる体験であり、友情の体験である。その中で「TOMODACHI作戦」をみて思い出したことを述べよう。

アメリカでインターンを始めた翌年の春、ある日曜日の午後だったと記憶するが、春の日差しの暖かさ、春風を肌に感じながら、住宅街をのんびりと歩いていると、後から追いかける様にして来た車が、私の脇に静かに止まった。見知らぬ若者(と言っても30代には見えたが)が、「ヘイ、ドック」と語りかけて来たのである。

彼は、先週病院の救急室(ER)で、子どもを私に診てもらったと言う。私の対応が親切で有難かったと感謝の意を表した。そして、アメリカ軍の兵士として戦後間もなく横須賀に駐留していた時に、日本人にいろいろと親切にしてもらった体験を語り始めたのである。忙しい救急室勤務の中の出来事だったので、彼等のことは私の記憶に全く残っていなかった。

今回の東日本大震災の国際的な支援には、国や個人としては、いろいろな思惑の違いもあると思うが、そのような日本人とのふれあいによって生まれた心が、その基盤にあるのではないかとまず考えた。優しさを体験したことによって芽生えた心であり、それに裏づけされた行動であると思うのである。特に、アメリカ軍の「TOMODACHI作戦」を行った兵士達の心は、アメリカで私が会った若者の心と相通ずるものがあったに違いない。仕事をしている兵士達のテレビの姿から、私にはそれが何となく感じられたのである。

世界の音楽家達がチャリティ・コンサートを開こうとした動機も、音楽を通した日本の音楽家との交流は勿論のこと、演奏旅行で日本に来た時に出会った人々との優しさの体験からでもあろう。また日本人のクラシックにしろジャズにしろ、その音楽を理解する感性の深さ、演奏力のレベルの高さにも関係しよう。音楽には、人の心と心を結びつける独特の力があることは明らかである。

そんなこんなしている内に、88歳になるニューヨーク・コロンビア大学の日本文学研究で有名なドナルド・キーン名誉教授が、この東日本大震災を見て、日本国籍をとり、永住することを決めたというニュースが新聞に現われた。これまた驚くと共に、心にジーンと来るものがあった。これも勿論、戦後京大で勉強していた時や、最近日本で病気の治療を受けた時の、日本人からの優しさの体験などによって、日本人の優しい心に惹かれたということもあったと思うが、その心を作り出す日本文化により強い関心があったからと言えるのではないか。松尾芭蕉の「奥の細道」の研究で、東北地方には1955年以来何回も訪問されていた事も、彼の心を動かしたようである。あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と同じような動機とも言えよう。違っているのは、ハーンさんは日本女性と結婚し、キーン教授は独身を貫いているということである。

外国の報道によると、東北被災地の人々の平静な態度や我慢強さに、多くの外国人が感心している事も報道された。これも、仏教など日本文化による日本人の心の現れのひとつであると思う。しかし、昭和ひと桁生まれとして戦後の社会の流れを見ると、この20年間余りは、物質的な豊かさに心が蝕まれて、日本の伝統的な心が失われてしまっているように見える。それは、物質万能主義、拝金主義などの流行、心理問題、犯罪問題、行動問題などの増加をみれば明らかであろう。この東日本大震災は、われわれに、日本の伝統文化を考え直し、その基盤にある日本の心を取り戻す機会も与えているのではなかろうか。
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