<背景>
シンガポールの特殊合計出生率は、2008年の統計でみると1.28で、日本の1.34より低く、国そのものが小さいことから、事態は深刻である。1965年にマレー連邦から独立建国したが、建国当時は人口爆発が危惧されて、70年代前半には『子どもは2人で十分(Two is enough, stop at two)』と政府キャンペーンを行い、避妊手術の奨励までした時期もある。
しかし1976年以降今度は逆に出生率が人口維持に必要な基準値である2.0強に届かなくなり、2003年からは1.3を切っている。それだけを考えると人口は横ばいか減少傾向にあり、急速な高齢化社会になりそうであるが、シンガポールは国勢調査のある毎10年単位でみると、図1にあるように20%近い割合で人口増加を続けている。これは、移民を積極的に受け入れているからに他ならない。民族比率(おおよそ中華系:77%、マレー系:14%、インド系:8%)を崩さないよう、民族別出生率を鑑みながら、若く学歴が高い人を積極的に受け入れ、調整しているのである。シンガポールでは国勢調査において、学歴・言語・民族・居住ステータス(居民、永住権所有者、外国人就労者、外国人労働者など)までをも細かく調査し、移民受け入政策などに反映させている。また、戸籍がない代わりに、結婚登録時には、結婚する当人たちの学歴や民族、居住ステータスも申告させることで、人口動態を予測、先を見越してタイムリーな政策を打ち出している。
図1.人口推移(居住者)
注)この統計の人口とは市民権(Citizenship)を持つ国民と永住権(Permanent Residency Status)を持つシンガポール居民のみ。
別の統計(2008年)を見ると、総人口:483万9400人の内、シンガポール居民364万2700人(国民:316万4400人/PR:47万8200人)、非居住者119万6700人であり、この非居住者の中に外国人労働者が含まれ、景気の緩衝材ともなっている。
図2. シンガポールの年齢別人口ピラミッド
図3.老齢人口サポート人数比率 (65歳以上1人を支える15-64歳の人数)
出典(図1-3):Singapore Government, Statistics Singapore
http://www.singstat.gov.sg/stats/charts/popn-area.html#popnA
国の安定した成長のためには、シンガポール国民のこれ以上の出生率低下を防ぎ、上昇傾向にすることが一番の解決策である。そこで、少しでも子どもを産みたいと思える環境作りのために、国民のフィードバックを求めながら、様々な育児・子育て支援政策を打ち出している。シンガポールの大きな特徴は、建国以来一貫して「福祉国家にはしない」ことを明言しており、自助努力が全ての柱になっていることにある。これは、アメリカの自助主義の精神とは異なり、国が小さいために、社会保障の財源を先の世代に借金する形にすると、たちまち経済が成りゆかなくなり、果ては国家の崩壊を招くことを歴代の指導者層が十分に認識しているからである。
1965年建国以来45年間で首相を務めたのは、建国の父、リー・クァンユー、次世代のゴー・チョクトン、そしてリー・クァンユーの長男である現首相リー・シェンロンのたった3人である。民主主義国家ではあるが、与党PAP(People's Action Party)が政権を取り続け、若い優秀な人材を次の指導者層として育て、世代交代を上手く行っており、ブレイン集団が国のかじ取りをしてきていることが安定した成長を続けている理由の筆頭に挙げられる。自助努力が柱とはいっても、天然資源のほとんどないシンガポールにおいて、人材は唯一の国家財産であるため、国が子どもを育てるという認識も強く、出産・育児支援にはシンガポールならではの様々な工夫がみられる。日本の政策にも参考になりそうな点が多々あるので、現金支給であるベビー・ボーナス制度と育児支援に的を絞って見ていきたい。
出産奨励策のベビー・ボーナス
ベビー・ボーナス制度が最初に導入されたのは2001年4月1日であり、その後2004年8月1日に第1回目の改定、そして2008年8月17日に第2回目の改定があり、表1のような現行の制度となった。このベビー・ボーナスのどこが自助努力かというと、出産にあたるお祝い金はキャッシュ(銀行口座への4分割での振り込み)で、申請すれば支給されるものであるが、子ども育成積立基金は親がその子ども専用の銀行口座を開設し、まず親が積み立てをし、その積み立てた額(満6歳になるまでの積立額)と同額を上限まで政府がプラスして積み立てる、という点である。この積立基金口座はその子どものためにのみ、かつ教育目的にしか使えなかった(初期の制度)。第1回改定で、限られた教育機関だけでなく、政府や民間の健康保険制度にも適用できるようになり、複数の子どもの口座を合算して活用することも認められるようになった。2回目の改定点は第一子と第二子の現金支給額が3000ドルから4000ドルに引き上げられたこと、そして第五子以降の項目も加えられたことである。
積立基金支給には、まず親の出資を条件にすることで、親に子どもの教育基金積立努力を促し、次に使用目的に制限をつけることで流用を防ぎ、必ず子どもに投資される仕組みとなっているのである。財源確保もままならないまま、自分が養育者となる子どもさえいれば毎月現金が支給され、使用目的も問われない日本の子ども手当とは対照的である。シンガポール方式は、そこまで国民が信用されていないのか、とうがった見方をすることもできるが、血税を単なる景気対策ではなく、無駄なく確実に子どもに投資することこそ「国が子どもを育てる一翼を担う」という意気込みが感じられる。
表1.<ベビー・ボーナススキーム>
Singapore Government、Ministry of Community Development of Youth and Sports
https://www.babybonus.gov.sg/bbss/html/index.html※単位はシンガポールドル
ちなみに実際にベビー・ボーナス現金支給を受けたのは2001年、2002年該当者のうち、それぞれ99.4%、99.6%、CDA口座開設をして実際に積み立てをしたのはそれぞれ91.2%、93.3%である "POPULATION IN BRIEF:2009", the Government of Singapore
次に子育て支援政策をみていく。
子育て支援
現在日本では保育園待機児童問題で話題に事欠かないが、20年前、筆者自身がシンガポールで子育てをしていたころ、まさにシンガポールでは希望する保育園になかなか入れられない、といった状況にあった。1990年当時、保育園は満24か月からしか受け入れをしておらず、仕事を持つ親は、それまでの間親類に頼る、個人で保育ママさん(資格も研修もなし)を探す、あるいは外国人メイドを雇うといった選択しかなかった。また2歳から保育園に入れるには、前もって申請書を複数の園に出さないとなかなか希望する受け入れ先が見つからないことが、母親仲間の話題だった。それが1992年に保育園受け入れ最低月齢が満18カ月に、そして2003年には満2カ月から18カ月までの乳児保育ができる体制を作り上げた。現在は保育希望乳幼児数より受け入れ可能数の方が上回り、親が保育園を選べる状況にある。保育ママさんは所定の研修を受けた登録制になり、保育園の管轄をしている社会開発青年スポーツ省(MCYS)に依頼すれば斡旋してもらえるようになった。現在においても母親の就労の有無にかかわらず、外国人メイドを雇ったり、祖父母の手を借りる子育ては普通に見られる形態であるが、子ども一人ひとりが小学校入学時に同じスタートラインに立てるよう、誰もが就学前教育を受けられるように、保育園通園の際に補助金を支給している。
表2.施設型乳幼児ケア補助金制度 (2カ月~18カ月の乳幼児)
入所形態 | 就労母親 | 未就労母親 |
一日ケア | $600 | $150 |
半日ケア | $300 | $150 |
フレックスタイム* | ||
12-24時間 | $220 | $55 |
24-36時間 | $330 | $110 |
36-48時間 | $440 | $150 |
48時間以上 | $600 | $150 |
*一週間あたりの保育時間
表3.18カ月~7歳未満児の子どものケア補助金
プログラム形態 | 就労母親 | 未就労母親 |
一日ケア | $300 | $150 |
半日ケア | $150 | $150 |
フレックスタイム* | ||
12-24時間 | $110 | $55 |
24-36時間 | $165 | $110 |
36-48時間 | $220 | $150 |
48時間以上 | $300 | $150 |
出典:表2,3共にMCYS:Information for parents: Application for Centre-based infant/child care subsidy in child care centres, Updated 31 Dec 2008
また、補助金支給の方法であるが、親への現金支給ではなく、保育料支払いの際に支給額を差し引いた額を保育料として保育園に納める方式である。シンガポールでは就学前施設は幼稚園、保育園共に全て民間が担っており、保育料は保育施設やプログラム等により差がある。この表では母親のみが補助金支給の対象という印象を与えるが、シングル父親への支援も行っており、就労シングル父親への支給額上限は母親の半額であるが、未就労シングル父親への支給額は未就労母親と同額である。
さらに、政府補助金支給対象の子どもはシンガポール市民権保有か永住権を持つ子どもに限っていることも付け加えておきたい。市民権ないし永住権を持つということは、ナショナル・サービスと呼ばれる兵役を務めることを意味しており、国家が子育ての一端を担うが、子どもが成人した暁には、一時期であれ国を守る任務に就き恩を返す仕組みになっているのである。
以上、シンガポールの出産奨励策である出産祝い金のベビー・ボーナス及び教育積立制度と、就学前教育の徹底策である保育園利用補助金制度に的を絞って紹介した。このほかにも子どもがいる家庭対象の税制優遇制度や出産・育児に関わる様々な有給制度があり、出産奨励及び育児援助を政府主導で行っている。
それにもかかわらず出生率が伸びないのは悩ましいところであり、問題はもっと別なところにあると筆者は考えるが、財源確保が不確実なまま、また支給対象者は識者から問題が指摘されているにもかかわらず、見切り発車してしまった日本の子ども手当は、シンガポールから学ぶところがあるように思われる。
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