<本連載について> この度、ベネッセ教育総合研究所では、「学びに向かう力(非認知的スキル)」が幼児期にどのように育まれ、それを育む環境はどのようになっているのかについての大規模な国際調査を実施いたします。それに先駆けて、2016年から2017年にかけて、アジア、ヨーロッパの国々の幼児教育施設や家庭を訪問し、親子の生活実態や、「学びに向かう力」の育成に対する園や家庭での試みを見てきました。 研究員の目から見た、各国の幼児教育の現状、親子の様子や、子どもへの関わりなどについて、本コーナーで連載します。なお本連載で紹介する園や家庭の事例は、あくまで今回の訪問調査で見聞きした取り組みの紹介であることを、予めご承知おきください。 |
「学びに向かう力」-好奇心・協調性・自己主張・自己抑制・がんばる力といった、非認知的スキルは、中国の幼稚園と家庭で、どのようにとらえられているのでしょうか。
これを明らかにすることが、今回、筆者を含むベネッセ教育総合研究所の研究チームが、チャイルド・リサーチ・ネットと共同で、上海市・成都市を訪問し、幼稚園と家庭の視察を行った目的です。
筆者は、中国では、「文字・数・思考(認知的スキル)」教育が重視され、保護者は子どもへの期待を込めて、子どもが幼いころから熱心に教育する、というイメージをもっていましたが、この度、中国の幼稚園や家庭を訪問して、そのイメージは変わりました。上海市の公立幼稚園の園長によると、現在、中国では、非認知的スキルの育成が重視されており、上海市の「幼小接続の手引書」で規定され、その内容は、インターネットで保護者向けにも公開されているそうです。幼稚園のカリキュラムは、「3~6歳児童の学習と発展指南」に沿って、健康・言語・社会性・科学・芸術の5領域でつくられ、非認知的スキルは融合的に、また、社会性の領域で育成されているそうです。
家庭ではどうでしょうか。この度、我々は、5歳児(年長児)のいる3家庭を訪問し、母親に対して、インタビュー(半構造化面接調査)を行いました。その後、お子様のおもちゃや知育教材などを見せて頂きました。インタビューでは、子どもの一日の生活の流れ、育児の様子、母親の子育て意識、習い事・お稽古事などの知育・教育等についてうかがいました。本稿では、その中から、筆者が現代の中国都市部の子育てについて、印象的に感じたこと、また、「学びに向かう力」について、母親たちがどのようにとらえているのかについて、報告します。
1.子育て情報源は、祖父母からITへ
筆者が、今回、上海・成都を訪れて、もっとも印象的だったことは、ITの普及でした。空港でも、市内のレストランでも、視察に同行した現地の調査会社の社員も、園の先生方も、母親たちも、常にスマートフォンを手に持ち、勤務中でもやり取りをしていました。
子育てについても、インターネットの情報を参考にすることが多いと、母親たちは答えました。ネット上のさまざまなサイトから、よく知られている評判のよいサイトや、専門家によるものなど、信頼できる情報を探して参考にしているそうです。
視察した上海の公立幼稚園の園長は、保護者対応に自分の時間の50%を割くほど力を入れているそうで、その方法も、対面でのコミュニケーション以外に、幼稚園のウェブサイトを通じての情報提供、SNSを使った相互的な情報交換等、ITを大いに活用しているそうです。そして、さまざまな育児情報があふれる中で、幼稚園からは、より科学的な根拠に基づいた子育て情報を伝えるように心がけているそうです。保護者側も、幼稚園の行事の様子を動画に撮り、保護者同士のSNSグループにアップして参加できなかった保護者も見られるようにする等、ITを活用しているそうです。
一方、祖父母の世代は、孫の健康面が気になるようで、「もっと肉や魚を食べるように」「もっと厚着をさせるように」と昔ながらのアドバイスをしてくるようですが、科学的な知識を身につけた母親たちにとっては、抵抗を感じることもあるようです。共働きが多い中国では、祖父母世代が孫の養育に大活躍していると聞いていましたが、今回、訪問した3家庭は、いずれも核家族共働きでも、日常的な祖父母のサポートは受けていませんでした。育児の相談先や、情報源は、核家族の家庭と祖父母と同居の家庭では違いがあるのかもしれません(この点は、アンケート調査で調べたいと思います)。
2.「学びに向かう力」―協調性を重視した子育て
研究では、非認知的スキルの中でも、好奇心・協調性・自己主張・自己抑制・がんばる力の5つを小学校入学前に身につけておきたい力として「学びに向かう力」と定義しています。幼稚園では、「向学力」と称し、活動の中で、融合的に育んでいました。母親たちも、非認知的スキルについて重視しており、子どもの教育観も「他者への思いやりをもつこと」「自分の気持ちを相手に伝えること」など、特に協調性や自己主張できる力を身につけさせたいと考えていました。ある上海の母親は、勉強だけできても意味がない、人への思いやりがあること、ボランティア精神をもつことが、社会で生きていくためには重要だと言われました。
将来、子どもがどんな人物に育ってほしいか、という問いには、「自分の考えをしっかりもった人」「他人に迷惑をかけない人」が、あらかじめ筆者が用意した選択肢リストから選ばれました。10年前、5年前にこの問いを上海市の母親にアンケート調査で聞いた際は、「仕事で能力を発揮する人」「まわりから尊敬される人」の回答比率が高く、「他人に迷惑をかけない人」は1割に満たなかったことから考えると、変化の兆候を感じます。また、子どもの学びへの関わり方に関して聞いたところ、母親から子どもへ知識を押し付けるような指導的な関わり方ではなく、日本国内の母親と同様、「子どもの思考を尊重するような関わり」がみられました。筆者がインタビューをしていても、まるで日本の母親と話しているように感じるほど、母親の教育観や子どもへの関わり方に親和性を感じました。
3.小学校入学後の学習について不安を感じる母親たち
お子様の習い事・お稽古事についてたずねると、母親は、スピーチ(司会やプレゼンテーションの練習)、ダンス、ピアノ、工作など、子どもの意欲・関心を尊重して選んでいると答えました。母親自身が子どものころ、両親に厳しくしつけられた反動から、自分の子どもには、好きなことをさせてあげて、伸び伸び育てたい、と思っているそうです。進学への期待も、「子どもが望む段階まで」と答え、「タイガーマザー 1」はいませんでした。
一方で、母親たちが、約1年後の小学校入学後の学習について、不安を感じていることがうかがわれました。幼稚園での、遊びを通して社会性などの非認知的スキルを育てる教育には共感しており、習い事・お稽古事も、子どもが好きなことをさせてあげたい、と答えます。しかし一方で、子どもが、まだ約1年先である小学校入学後の学習についていけるのだろうか、という不安、焦りを早くも感じていました。例えば、中国には「ピン(拼)音」という中国語の発音をローマ字と表音記号で表す方法があり、小学校1年生で学習しますが、上海の母親によると、子どもが既に知っていることを前提にした学習のスピードで、とても速いのだそうです。そのため彼女は、子どもをピン(拼)音教室に通わせていました。また、入学後の漢字の学習に備えて、まずは26文字という字数が限られたアルファベットを、母親が市販のワークブックを使って教えていました。覚えることの練習、学習習慣を身につけることがねらいだそうです(中国では、義務教育の第1段階である小学校1年生~2年生で、1,600~1,800字の漢字を学び、800~1,000字を書けるようにすることが目標です。日本の小学校1年生が習う漢字の数は80字です 2)。別の母親は、10元(約160円)程度の手ごろな価格のワークブックを購入し、毎日、時間を決めて、子どもを机に座らせ、取り組ませていました。上海市、成都市の3つの家庭とも、居間の壁には、ピン(拼)音や漢字等のポスターが何枚も貼られていました。
筆者は、母親たちへのインタビューを通して、幼児期の間は、子どもに伸び伸びと好きなことをやらせて育てたいという思いと、小学校入学後の学習に必要な自己抑制をはぐくみ、文字や数などの認知的スキルを今のうちから身につけさせなくてはという思いの間で揺れ動く気持ちを感じました。幼稚園教育が、スピーディーに、ドラスティックに、非認知的スキルを重視する方向に変化していく中で、認知的スキルの習得を中心とする小学校以降の教育へのスムーズな移行に不安を感じ、戸惑う、保護者の姿を垣間見た気がしました。
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壁には、ピン(拼)音やアルファベットの表、習い事の予定表が貼ってありました。 |
以上が、筆者が、3つの家庭を訪問して得た実感です。今後、中国で、3000人の母親に対してアンケート調査を行う予定ですが、統計的に分析して、今回の実感と同じ結果が出るのかどうか、楽しみにしています。
次回は、インドネシアのジャカルタの幼稚園のレポートを掲載予定です。

成都の母子。漢字で書いてあっても簡単な絵本は子どもたちも理解できます。

上海の母子。一緒にお絵かき。