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【中国】 中国の幼児教育―ここ十年の変化と今後―

一見 真理子 (国立教育政策研究所国際研究・協力部総括研究官)

2005年5月27日掲載

要旨:

中国の幼児教育と聞いて、私たちが連想するのはどのようなことだろうか。一人っ子政策に由来する「小皇帝」たちに注がれる熱い教育期待についてかもしれないし、社会主義国であるがゆえに発展してきた女性の労働参加を可能にするための制度、とくに世界でもまれにみる「寄宿制保育」についてかもしれない。 「改革開放」以来20年あまりの間、中国の幼児教育は普及の点でも内容の質の向上の点でも着実に進歩しているが、1990年代半ばからの市場経済への転換により、大きな変動にさらされている。新・新人類といわれる親に育てられる今日の一人っ子の生活しかり、「寄宿制保育」のあり方しかりである。ここでは、多様化、多元化する近年の動向について若干の整理を試みたい。
中国の基礎データ

社会主義中国の幼児の保育・教育制度の基本枠組み

中国の乳幼児の保育・教育制度は、従来次のように説明されている。「0歳から3歳までの子どもは、衛生部門が管轄する託児所が保育し、3歳から6歳の子どもは、教育部門の管轄する幼児園が保育・教育する」。託児所と幼児園が行う事業はまとめて「託幼工作」といわれ、関連各部門による総合行政のしくみ(「託幼工作会議」で調整・立案)がある。日本のように、同年齢の子どもが幼稚園と保育所に通うような情況は中国にはみられないが、完全な幼保一元化はまだ実現していない。現在は、もともと幼児園児の「保育(ケア)」についても衛生部門が一貫して担当していたところに、90年代末より、0~3歳の「教育」についても教育部門が責任を負うことが明確になった段階である。


ここで中国における就学前段階の教育概念を整理しておくと、0~6歳の教育は包括的に「学前教育」と呼ばれ、「幼児教育」は3~6歳までの幼児園教育を指すのが、通常である。最近では0~3歳の教育を「早期教育」と称するようになっている。託幼機関では、現地の需要に合わせて、全日制、寄宿制、半日制、季節制がとられ、託児所には健康・生活面のケアをする保育員が、幼児園には保育員に加えて子どもの教育を担当する師範学校卒業の教養員(教師)が配置される。保育員は理想的には衛生関係の専門教育を受けた人材が採用されるべきであるが、以前は、子育てを終えた無資格の中高年女性が担当することが多く、待遇面で教養員よりも低い位置におかれてきた。

こうした制度的な骨格は、旧ソビエト連邦にならったものであり、50年代の半ばに定着した。このうち「全託」といわれる寄宿制保育は、抗日戦争、国内革命戦争という中国の特殊な歴史的状況下に犠牲者の遺児や女性幹部の子どもを保護するために登場したもので、建国後も女性の労働と学習をサポートする制度として継承され、今日に至っている。

計画経済期の中国では、託児所・幼児園は、少数の公立園や地域社会の集団立の園をのぞき、多くは父母の働く国有企業体に設置され、職員・労働者のための福利厚生施設として低廉な料金で子どもを預かった。こうした制度が近年の市場経済導入により、大きく揺らぎ、変動しているのである。


子どもの権利擁護への歩み


以上のような「天の半分(女性のこと)」を支えてきた託児所・幼児園であるが、広大な国土全体からみると、その恩恵にあずかることができたのは大都市部の勤労者と一部のモデル農村の母子であったといってよい。こうした現状を踏まえ、全国のあらゆる子どもにむけて権利擁護が具体化されたのは、20世紀最後の10年間のことである。

1990年、世界子どもサミットに参加した中国政府は、翌91年「子どもの生存・保護と発達に関する世界宣言」、「同行動計画」へ署名し、国内における大規模な子どもの発達状況調査をふまえ、「90年代中国子どもの発達計画綱要」(1992年)を公布した。またこれと同時に「子どもの権利条約」にも中国政府は加盟し(90年)、同条約は国内で発効した(92年)。 その後両者は両輪となって全国の子どものためのあらゆる事業を推進させた。

「発達計画綱要」には、乳児・妊産婦死亡率の減少をはじめとする母子保健・衛生と教育、法制整備に関わる具体的な数値目標が設定されているが、教育に関しては、義務教育の普及と並んで、「2000年までに3~6歳の就園率を全国平均35%にし、農村では就学前1年間の就園率を60%にすること」が掲げられた。同目標は、全国の自治体・教育関係者の大きな努力とユニセフなどからの支援によって期限よりも早い97年に、3歳以上の就園率43%、農村の1年間保育の就園率60%を達成させた。

この過程で、地域におけるインフォーマルな「社区学前教育」(遠隔地での巡回型のプレーステーション保育や、同時開催の親の学習会など)や障害のある子どものための幼児教育が始まり、幼児教育の対象と範囲は90年代には大きく広がった。しかし、残りの貧困地区の子どもたち、都市部であっても就園できないでいる子どもたちへの幼児教育普及はまだ多くの困難を伴っている。政府は「中国児童発達綱要(2001~2010年)」を制定し、次の10年間にも子どもの権利全般の実現にむけて、生涯発達の基礎固めの観点からの努力を継続しようとしている。

中国ではすでに、80年代からの一人っ子政策のもとで、親への啓蒙宣伝活動に末端の行政組織や住民組織が大々的に取り組んできたが、90年代にはさらに「優れた子どもに生み・育て・教える"三優プロジェクト"」が実施されている。そこでは親教育に重点が置かれ、婚前・妊娠出産・育児期の親を対象とする教育活動が展開された。このプロジェクトの推進地区と他地区との間では子どもの発達に優位な差がみられたことから、3~6歳の幼児園教育にとどまらず、地域の0歳~3歳の子どもをもつ広範な親を教育することの重要性が再認識されることとなった。

遊びを中心とする幼児教育への転換


幼児教育の普及面での大きな進歩とともに、従来の子ども観・幼児教育観も大きく変化し、子どもの発達は十分な、豊かな遊びを通して可能となることへの理解も社会に浸透しはじめた。かつては、旧ソ連から導入された発達を先取りする観点からの「教科中心」、「知育中心」、「何ができるか」に重点を置く幼児教育カリキュラムが長期にわたって幼児教育界を支配してきたが、「幼児園工作規程」(1989年試行、1996年改訂)などの規定により、幼児園では子どもの年齢段階にふさわしい遊びを通して一人ひとりの子どもの発達を促す幼児教育観がひろく現場にも定着するようになった。

80年代に積極的にとりくまれた室内のコーナー保育や、戸外での自由遊びを必ず一定時間確保する教育プログラムによって、保育内容は一新した。近年では、モンテッソーリ教育や感覚統合訓練を一部に取り入れる園もあれば、子どもの興味に基づいて展開するテーマ活動(たとえば「昆虫の世界」、「海底の生物」、「恐竜」、「宇宙」、「孫悟空の劇遊び」などをテーマと、プロジェクトメソッドを採用)を行う園、レッジョ・エミリア式にいっそう豊富な素材を用いて子どもが創造力を発揮できるよう配慮する園もある。概して近年の保育内容は、遊びと活動、若干の課業から構成される生彩のある、ダイナミックかつきめ細かなものへとさらに進化している。

新たに制定された「幼稚園教育指導綱要」(2001年)では、遊びの中でも、子どもの現有の発達水準に適しながら挑戦することができ、現実の必要にそいながらも長期的な発達につながり、興味に即しながらも経験・視野を広げる活動の大切さを強調している。

市場経済への転換と幼児教育

93年の「中国教育の改革と発展に関する綱要」は、社会主義市場経済へ転換する時代に応じる教育のあり方を示したものである。教育機関は今後可能な限り、経営方式を多元化すること、すなわち「公費丸がかえ」状態を脱して社会の各方面から資金を調達することが初めて明確に求められたのである。これによって教育への公費投下は、当面貧困地区への義務教育の普及に重点をおくこととされた。その後、高等教育機関では受益者負担の原則は無論のこと積極的に産学協同路線を歩むことになり、都市部の初等中等教育機関でも企業をはじめとする社会とのパートナーシップによって経営改革がなされるようになった。条件のある学校では、教員の基本給以外の手当や施設設備の改善費を独自に企業を営むことで捻出し、校外の社会的資源を最大限活用することが始まったのである。

こうした流れの中で、私学も復活し、教育産業も容認されるようになり、幼児園の経営母体も現在では非常に多様化するようになった。かつては公立、集団立、国有企業立が主であっが、個人経営の私立園、株式方式の私立園、外資系の私立園なども次々誕生したのである。また国有企業のリストラに伴い、企業立幼児園が母体から切り離され、民間に売却されるなど、市場経済の競争原理が幼児教育の世界に影を落とすようになった。

このような状況下、公立園であっても、受益者負担の原理に基づき、保育料・賛助費を以前よりも多く徴収するようになっている。モンテッソーリクラスを設置する園が多いのは、教育的に優れているという理由のほかに、これによって余分の収入が見込めるからだという説明をきいたこともある。また市場原理によって、入園希望者の多い有名園では賛助費をつりあげる傾向があり、なかには破格の"貴族園"も登場した。2001年の幼児教育工作会議でも、親の負担は合理的でなければならないという指令が出されている。

なお、公私立園を問わず、午後に「興味クラス」という、その子の適性・興味に応じた音楽・絵画・書道・舞踊・スポーツなどのいわゆるお稽古ごとのクラスを、外で習うよりは格安な料金で実施することもよくみられるようになった。幼児園でも親の要望・意見を取り入れざるを得なくなっている状況がうかがわれる。

過日、筆者が参観したある台湾系の私立幼児園では、「理屈や理論を言うよりも、黙って効率を上げよう。笑顔で相手に接し、少しでも素早く動こう」などの標語が教員室に貼り出され、バイリンガル教育を看板として"目にみえる"早期才能開発的知育をふんだんに取り入れていた。周辺の地域は高収入のビジネスに忙しい世帯が多いので、希望に応じて寄宿制のサービスも行うほか、将来の入園を見込んで2歳未満児の親子を対象とするオープン保育(週末に有料で行う)にも着手していた。熱心に親の意見を聞いて素早く対応する経営姿勢は評判がよく、創設以来10年間で中国各地に30数園を展開しているとのことであった。

中国の一人っ子は、両親と両方の祖父母の「6ポケット」ゆえに巨大なマーケットであり、育児・教育産業はますます盛んになると考えられる。政府が教育産業の参入を奨励する政策に転換したことも事業主にとっては大きな追い風となっているが、前述の遊びの中で発達を保障する基礎中の基礎の教育方針が、こうした側面からどうしてもゆがむ傾向のあることにも留意する必要があるだろう。

寄宿制保育はどう変わったか

このような市場経済化の中で寄宿制保育はどう変化しただろうか。文革前の1950~60年代の都市部では、知識階層を中心とする女性の労働力が大いに必要とされ、しかも一家の子どもの数も3人以上が普通の時代だったので、産休あけから乳児を安全にみてもらえる全託は非常に歓迎され、預ける親もそれで抵抗はなかったという。

現在は、一人っ子政策の実施、農村出身のベビーシッターの普及、それ加えて早期退職や解雇で家庭に入る女性が増えたことなどの理由から、乳児期の機関保育への需要が大変少なくなった。このため、乳児の寄宿制保育も全日制保育もほとんど行われていない。

しかし一方、ビジネス等で成功して時間のない両親や、学歴や資格をランクアップするために夜間の生涯学習に励む親が大量に出現したため、新たな全託へのニーズが生じている。また自分たちにとっての利便性だけでなく、集団生活で鍛えられる教育効果を期待して、あえて全託を選ぶ親もある。

現在北京市では、全就園児の10%が寄宿制保育を利用している。預かり形態は、本来週末のみの帰宅であったのが、一人っ子政策採用後には週二回の帰宅となり、市場経済導入後は、親の都合次第で今日は預けるが明日は連れて帰るなど不定期なものとなっている。預かる側も高度な要求にこたえる専門性・管理体制の耐えざる革新をする必要があり、市場経済の波にもまれながら、親の労働・学習をサポートする制度として今後も機能していくことが予測できる。またこれまでは親の都合最優先の措置であったが、子どもにとってどうであるか、という観点からの研究調査も始まっている。

また近年、アタッチメント理論の浸透に伴い、親による子育ての重要性が見直されており、責任を放棄するような安易な全託の利用は形を変えた児童虐待である、との警鐘も鳴らされるようになった。高収入の専門職の女性が仕事をやめ、母親業に専念することが新しい動向としてあり、その階層に的を絞った育児サービス業も登場している。このように、育児の社会化・産業化をめぐる論議は隣国でもホットなものとなっている。

「託幼一体化」の動向 ―中国的な幼保一元化への道―


前述のように、託児所は0~3歳の子どもを預かる衛生部門主管の機関であるが、近年は幼児園に改組され、合併吸収される傾向にある。0歳児の保育は近年ではほとんど需要がなくなり、最低年齢が1歳半になる場合が多い。その場合、単独の託児所は教育機関ではないので、早期教育を望む親からの信用が薄いという。有力な託児所の場合は、自力で保育年齢を上へ延ばして幼児園に改組することもある一方、経営難からつぶれて近隣の幼児園に吸収される託児所もある。幼児園に併設される託児クラスは、園の「小小班」(3歳児の年少クラスが「小班」というのにちなむ)と呼ばれている。

このような旧来の幼児園と託児所との分担があいまいになり、一体化する趨勢を中国では「託幼一体化」と呼んでいる。それに伴って、教育行政部門も以前は「幼児教育」の専門部署しかなかったのが、近年では、「学前教育」の専門セクションに置き換えるようになり、一体化事業に取り組んでいる。

「幼稚園教育指導綱要」(2001年)によれば、近い将来中国の幼児園は、0~6歳を対象とし得る乳幼児のための保育・教育の総合的な機関に変わる見込みである。その場合、現在あるような保育員と教養員との待遇・身分上の格差がなくなり、養成機関においても0~3歳のケアと教育に関する専門教育が行われるようにカリキュラムが改訂され、資格認定制度も徐々に一元化への道に向かうことが予測される。ちなみに、北京市や上海市では、このような過渡期にあたって大規模な調査やパイロット事業に取り組み始めており、中国の現状と将来の発展にふさわしい制度を模索中である。

かつてはほとんど意識されなかった母親たちの「育児不安」という言葉も、昨今の中国では聞かれるようになっている。既存の幼児園の施設やスタッフを活用し、地域社会と共同して行う子育て支援事業が中国でも始まっていることに引き続き着目していきたい。

参考文献
国務院婦女児童工作委員会『中華人民共和国九十年代児童発展状況報告』、2001年
中国学前教育研究会『中華人民共和国幼児教育重要文献匯編』北京師範大学出版社、1999年
一見真里子「幼児教育からみる中国の教育の動き」、『教育と情報』第四六六号、1997年
早期教育研究会『「早期教育」に関する外国調査』国立教育政策研究所、2001年
一見真里子「中国における家庭教育とそのサポートシステム」、『日本教材文化研究財団紀要 第三一号』2002年>



『教育と医学』(第51巻2号)http://www.keio-up.co.jp/kyoiku/ から転載いたしました。

筆者プロフィール
一見 真里子(いちみ まりこ)

国立教育政策研究所国際研究・協力部総括研究官。
国立教育研究所アジア教育研究室研究員、同国際教育協力室長を経て現職。
編著書に『諸外国における保育の現状と課題』(共著、世界文化社、1997年)、『近代日本のアジア教育認識・資料編、中国の部』(共編著、龍渓書舎、2002年)ほか。
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