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第3回-④「『おもちゃの使い合い』 討論」 (1)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第3回-④「『おもちゃの使い合い』 討論」 (1)

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1.読者のご意見から―山本登志哉

今回の調査結果も日中の生活感覚あるいは人間関係についての感覚がとても違うことをよく表すものでした。

子どものおもちゃがなくならないように名前を書いた上で他の子にも使わせてあげる、というAさんのやり方について、日本の回答者の多くの人が当然と考え、そのAさんのやり方を「自分のものと他人のものを分けたがる、よくないやり方だ」と批判するCさんを肯定する人はほとんどいませんでした。

逆に中国の回答者は、Cさんに賛成したり、あるいはその気持ちは理解できるという人が多数を占めました。日本の回答者にもCさんも理解できるという人はいなくはないのですが、その理由を読むと、感覚的には受け入れがたく感じられている様子も垣間見られ、心からその通りと感じているのでは無さそうでした。

同じような疑問、戸惑いはネット上でみなさんからお寄せいただいた自由記述にもよく見られました。そこで今回はまず、日本の読者からお寄せいただいたご意見を紹介しながら、この結果にどんな疑問をみなさんがおもちなのかを整理し、それについて姜さんに考えを書いていただくところから始めてみたいと思います。

まずJAさんのご意見から。

JA(女30代 1.Aさんのようなやり方をする人:ある程度いる 2.Cさんのような意見を言う人:あまりいない 3.Aさん・Cさんの評価:共におかしい)
Bちゃんがいくつかわからないので、3才位だとしたら...で考えたとき、他の子のママがおもちゃを持っていかないのなら、自分も持っていかずに他の時間に砂遊びをさせればいいと思います。集団で遊ぶルールを教えるチャンスですし。貸し出すおもちゃの数が多いことが、他のママに気前のいい人と思われてたのかもしれません。Cさんは記名があることで、Aさん自らのアピールのように思ったのかもしれません。Aさんだけがみんなのためにおもちゃを持ってきているようなので、Aさんが目立った事が嫌なのかもしれません。嫉妬のひとつかも。

JAさんはAもCもおかしいと感じられていますが、その理由はAさんについてはお母さんたちの間に「おもちゃを砂場に持っていかない」という暗黙のルールがあることを想定し、それにAさんが従わなかった(気がつかなかった?)ことも問題と考えられているようです。Cさんが文句を言っているのは、実はAさんが一人で「気前のいい」ところを見せて「いい子ぶっている」ことに反発したのではないか、とJAさんは解釈されています。

私はこれを拝見して、ああなるほど、そういう見方もあるかと感心しました。Aさんが「みんなにおもちゃを使わせてあげる」こと自体は悪いことではないのでしょうが、そうやってAさんが「気前のよい人」として目立つこと自体、他の人に不快感を与える可能性があるから、よくない、という考え方のようですね。

JB(女30代 1.Aさん:ある程度いる 2.Cさん:ほとんどいない 3.Aさんに賛成)
自分のものに名前を書いて大切に使うことは、当たり前のこととして育ちました。Cさんが何を疑問に思っているのか逆に知りたいと感じました。

JBさんは「名前を書く」ことで「大事に使う」ことは当然と感じられ、どうしてそのことが非難されなければならないのか、不思議に思われています。普段「当たり前」と思っていることを否定されてしまい、混乱することは異文化接触でいくらでも普通に起こることで、カルチャーショックの原因となります。このエピソードも日本の方にはそういう種類のものなのですね。

JC(女20代 1.Aさん:ある程度いる 2.Cさん:ほとんどいない 3.Aさんに賛成)
大切にしている玩具がなくなると、Bちゃんが悲しみます。しかし、玩具を取り戻したくても、実際の場面ではなかなか他の親御さんに対して強く問いただすことはできないと思います。玩具は似たものが多く、なかなか見分けがつきません。また、他の親御さんが持ち帰ったのではなく、Aさん、Bちゃん自身が玩具をなくした可能性も否定できないからです。玩具に名前を書いておけばBちゃんの物であることが明確化され、玩具が戻ってくる可能性は高まると考えられるため、Aさんのやりかたは理に適っていると思います。
きれいに異文化が反映された結果に驚きました。中国には自分の所有物、相手の所有物という線引きがあまり意識されないのではと感じました。

JCさんはなぜ名前を書くことが適切なやり方なのかを丁寧に説明されています。まずおもちゃがなくなることは子どもが悲しむからよくないことであり、それを防ぐことが大事だとされ、しかも一緒に使っていてなくなった場合、無くなった原因を特定しにくく、疑わしい人を追及することもできないから、名前を書いてそういうトラブルを未然に防ぐことが大事だという考え方のようです。

JCさんは問題が起こってもできるだけ相手を責めるような形を避け、「角が立たない」やり方を大事にされていて、そしてあらかじめ自分と他人をはっきりと区別することでトラブルを未然に防ぐという方法を重視されているようです。それに対してCの例は「自他を線引きしない」という姿勢に見えて、そこに驚きを感じられているのでしょう。そういうやりかただとJCさんが大事にされている「トラブルを未然に防ぐ」ことが成り立たないようにも思えるからではないでしょうか。

JD(男60代以上 1.Aさん:たくさんいる 2.Cさん:あまりいない 3.Aさんに賛成)
誰の所有、管理にあるかをはっきりしておく必要がある。Aさんは、この義務を果たしているがCさんには理解できず権利のみ主張している。他者との共存・共棲は可能か、そのためのルールのあり方、共有についての考えかたの国民性のちがいですね。

JDさんは所有の線引きを明確にすべきという原則をさらに明確に主張されています。ちょっと興味深く感じたのは、そういう原則を守ることをJDさんは「義務」と考え、その義務を理解しないCの主張を「権利主張」と見られていることです。

法律上の権利の概念からいえば、Cさんには所有権がありませんので、権利主張は成り立たないわけですけれど、ここでJDさんがおっしゃりたいことはそういう法的な意味ではなく、ようするに「自分本位のわがままな主張」ということではないでしょうか。

「権利」と「わがまま」を同じような視点でとらえるというのは、日本ではよくあることのように思いますが、JDさんがこのエピソードについてもそういう視点からとらえられているようで、その点でとても興味深く思います。まさに「ルールのあり方、共有についての考え方の国民性」が現れるところかもしれません。

JE(女30代 1.Aさん:ある程度いる 2.Cさん:ほとんどいない 3.Aさんに賛成)
自分で購入したものは管理できるように記名すべき。代わりにCさんのものを我が物顔で使われたときにCさんはなんとも思わないのか、と疑問に思う。中国がなぜそのような思想になるのか、よくわからない。いまだ共産主義思想が残っているということ?自分で購入したものを他人が我が物顔で使用している時に、どのように感じるのか、知りたい。日本人はきっと不快に思うはずです。

JEさんもJBさんやJCさんと同じ見方をされています。さらにJEさんはその原因を共産主義思想の名残かもと考えてみられました。共産主義は文字通り財産を共有するという思想ですから、その影響を考えられたのでしょう。

その上でCさんのような人は逆の立場にたっても平気でいられるのかについて疑問をもたれています。Cさんは「自分のものと他人のものを区別しないこと」を主張しているようですが、もし逆にCさんの物を勝手に使われたら不快に思うのであれば、それは「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」という「ジャイアン」的な単なる自己中心的考え方にすぎないことになるからでしょう。

言うまでもなく「ジャイアン」は日本ではずうずうしくわがままで乱暴な「国民的悪役(迷惑人)」の典型ですね (笑)

JF(男50代 1.Aさん:たくさんいる 2.Cさん:あまりいない 3.Aさんに賛成)
固有民族と多種民族の違いでしょうか?

JFさんはこの調査結果に見られた日中差を、固有民族(単一民族?)と多種民族(多民族)が原因なのかもという推定をされています。もちろん日本にもアイヌ民族がいらっしゃいますし、琉球文化をもつ方も民族として認めればさらに大きな少数民族集団を認められます。また日本社会には多くの在日の方がいらっしゃいますし、国籍で分けたとしてもすでに帰化されている在日の方で文化的には韓国・朝鮮文化を色濃く残されている方もあり、またニューカマーの方たちは本国の文化を非常に強くもたれているわけですから、実際は日本も多文化多民族社会の状態にあることは事実です。

とはいえ、たとえば中国と比べてみれば、そういう異なる民族、異なる文化の人たちと常に接し、一緒に暮らしているという感覚はかなり薄いということも事実だろうと思います。事実としてではなく、意識の問題として「固有民族」という感覚が日本社会には強くあるということですね。

私もその意識の違いはとても大きな意味をもつだろうと感じています。ではその意識の違いがこの調査結果の違いにどう関係するのか、そこについてはたくさんのことを考え、整理していく必要があると思いますが、少しずつ考えていければなと思います。


ということで、お寄せいただいたご意見は、私の目から見るとどれもとても「日本的」なものと感じられました。では一旦ここで姜さんにバトンを渡して、これらの日本の読者の「疑問」や「意見」をどう見られたか、あるいはそれにどう応えようとされるか、お尋ねしてみたいと思います。

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筆者プロフィール

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山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)

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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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