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ベトナムの子どもたちを訪ねて(1)

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9月初旬に私は大学の国際化促進事業の一つであるスタディツアーの随行教員として12名の学部学生、大学院生を引率して、約一週間ベトナムを訪問しました。スタディツアーは学生に発展途上国に関する調査企画を提案してもらい、選抜された学生が大学の費用で発展途上国を視察できる制度です。今年度はベトナムとフィリピンが対象国となり、ベトナムへは25人の応募者から企画内容と英語力の審査によって選ばれた12名が参加しました。

私が引率教員となった理由は、私とベトナムの長い関係によります。JICAのプロジェクト調査が最初で、その後は科研費での調査や学会でかれこれ10回以上訪問していることになります。ベトナムをはじめとする発展途上国の医療に関心を持つようになったのは、医師になって研修を終えたばかりの時でした。大学時代にワンダーフォーゲル部に所属し、年間平均60日はテント生活を送っていた私に、東京都庁山岳部から心をそそる話が飛び込んできました。パキスタン北部のカラコルム山脈への登山隊の随行医師を探しているというのです。渡航費用や装備はすべて支給してくれるという条件に飛びつき、家族の反対を押し切って参加することにしました。パキスタンの北部のフンザ地方にあるバツーラという8000メートルを少し切る未登峰への登山は、頂上直下での雪崩によって隊員一人が亡くなり、ベースキャンプにいた私と数人の隊員以外が重軽症を負うという結果となり、失敗に終わりました。しかし、カラコルム山地への外国の登山隊の入山許可条件としてパキスタン政府から要求されていた医師の随行と、通過する地域における住民に対する診療義務によって、現代医療へのアクセスが不可能な地域の医療状況をつぶさに経験することとなりました。そして一生医療機関にかかることができない人々の生活を垣間見た私は、大変大きなカルチャーショックを受けました。写真1は、パキスタン奥地の村でのまだ26歳だった私です(前列左端)。

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写真1

小児科医として経験を重ねるなかで、このパキスタンの人々への思いは、日本の医療が決して世界の医療の標準ではないこと、最新医療ではなくても世界の子どもたちに役に立つ知識や技術がたくさんあること、などを学びました。

今回のスタディツアーの引率は、若い学生に発展途上国の様子をじかに見聞きしてもらい、子どもをめぐる発展途上国の現状を経験することによる内発的な理解の促進を図ることを目的としたものでした。

約1週間の強行軍でしたが、大都市(ホーチミン市)と地方(メコンデルタ地域)の、子どもの生活を、病院(保健所)、幼稚園、孤児院を訪問し見て回りました。こうした施設見学で見えてくるベトナムの子どもたちの現状について写真を添えて散文的に語ってみたいと思います。

メコンデルタの村から

ベトナム最大の都市ホーチミン市までは東京から飛行機で5時間ほどで着きます。そこからバスにさらに5時間揺られ、メコンデルタ最大の町カントー市を訪れました。十数年前初めてカントー市を訪れたときには、移動にほぼ一日かかりました。道路事情が悪かったせいもありますが、最大の理由は、カントー市とホーチミン市の間で海に流れ込む2本のメコン川支流に橋がなかったことです。支流とは言っても、渡るのにフェリーで10分以上かかるような大河です。広い川幅にもかかわらず、水流は速く、水量の多さを物語っています。しかし今回は、この2本の支流に大きなつり橋がかかっており、数分で通過できました。カントー市が面している2本目の支流にかけられた巨大なつり橋の中間点には、日本とベトナムの国旗が描かれた記念プレートが埋め込まれていました。日本の資金と技術援助で架けられたのです。

翌日カントー市からボートに乗り、メコン川の小さな支流に面した村を訪問しました。村には道も通じていますが、主な交通手段は小さな木のボートです。写真2は小さな支流に沿った民家です。国民一人当たりのGNPが1000ドルを超えたとはいえ、まだ国民の多くはこうした粗末な家に住んでいるのです。

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写真2

一軒の民家の庭で子どもたちがビー玉遊びをしていました。休日だったこともあり、子どもに混じって近所のお父さんが一心不乱にビー玉で遊んでいました。写真3はビー玉遊びをやめて私たちの質問に答える子どもたちです。貧しくとも、戦争や飢饉とは無縁の現代のベトナムの子どもの顔は穏やかです。

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写真3

模範的な幼稚園

午後は2つの幼稚園を訪問しました。数人以上の外国人が公共の施設(学校、幼稚園など)を視察するときには、前もって地区の役所の許可が必要です。それも一箇所だけでなく数箇所から許可を取る必要があるのです。幼稚園の場合は教育関係の役所と、対外(渉外)担当の役所に計画書を提出し、許可を得る必要があるのです。ビザなしに行ける観光地としてのベトナムが持つ、共産主義国家の別の顔といってよいでしょう。

今回訪問したカントー市内の幼稚園は、2園ともそうしたお役所が準備した模範的な幼稚園でした。私たちは旗を持った子どもたちに「熱烈歓迎」され、会議室で園長先生の歓迎のスピーチと、子どもたちの歌や踊りのパフォーマンスを見せてもらいました(写真4)。職員や地元の役所の熱意への感謝と、できれば子どもたちの普段の様子を見せてもらいたい気持ちとの間で私の気持ちは揺れ動きました。

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写真4

こうした式典の後、学生は3つのグループに分かれてそれぞれのテーマについて視察やインタビューを行いました。栄養に関心のある学生は栄養士制度がないにもかかわらず清潔に維持されているキッチンに感銘を受けていました。また楽しそうに遊んでいる園児たちの表情は日本と変わりませんでした(写真5)。

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写真5

ところで最初に訪問した幼稚園は、中国のモデル幼稚園を思わせる遊園地の建物のような園舎でした(写真6)。


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写真6

こうした豪華な幼稚園は例外なのかと思いましたが、移動の道すがら目に入る多くの幼稚園の建物は瀟洒なものが多く、素直にベトナムの子どもの教育に対する関心の高さを反映しているものと受け取ってよいのではないかと思いました。そして、かつて(そして現在も)日本全国の村や町で一番立派な建物は学校であることを思い出しました。

次回は、病院と孤児院訪問について報告します。今回とまったく違うベトナムの子どもの現実を見ることになります。

筆者プロフィール
report_sakakihara_youichi.jpg 榊原 洋一 (CRN副所長(2013年4月より所長)、お茶の水女子大学大学院教授)

医学博士。CRN副所長、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。日本子ども学会副理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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